第7話 ふつう
『大尉!! 大丈夫ですかっ!? 返事してください!!』
そんな呼びかけに、繊細な睫毛の下にあった蒼穹の宝玉が光に晒される。
モニターが映し出すのは、グレー装甲の『フェース』――おそらくはアスカの機体だろう――が彼女の機体を抱えて走行する姿だった。
「うん……大丈夫」
『良かった……』
サブモニターにアスカは安堵の表情を浮かばせては、すぐにそれを沈め、怒りを露わにした。
『また約束破りましたね!! 無茶しないでって言ったのに!!』
「あ、あれは仕方ない……」
『仕方なくない!!』
伍長に気圧されて彼女は言葉が出なくなる。
――確かに約束を破ったのは事実だが、戦場という世界において、あんな約束を守るほうが無茶である。
そう言い切ったアスカは、泣いていた。
また、あの時みたいに。
ぽろり、ぽろりと溢れてくる涙は笑えるくらいに清らかで、そこから一切の黒い感情を伺うことはできない。
『大尉……自分のことも少しは考えてくださいよ……!! この、あんぽんたん!!』
――わからない。
どうして私の為に泣いてくれるの?
それが普通なのだとしたら、私もそうすべきなの?
――昔の友達を躊躇なく殺す人間は、普通でいていいの?
自分の頭に紛れ込んでくる、誰かの声。
彼女はそれを聞いて戦慄した。
違う――そう否定したかった。
あの子達の友達はミーシャ・アンタレスで、自分はミハイル・バジーナ。あの子達が知っている女はもう死んだ。
だから、私は友達を殺してなんかない――敵を討っただけだ。
呼吸が荒くなる彼女を心配したのか、またアスカが話しかけてくる。
『どこか悪いんですか!? か、顔が真っ青ですよ!?』
『どうした、伍長』
『大尉の顔が真っ青で……い、医務室行ってきます!!』
胸が苦しい――。今にも張り裂けそうで、からだの中身が全部吐きたいくらいに気持ち悪かった。
機体が格納庫に入るや否や、彼女はアスカにコックピットから引き摺り出されて、医務室へと一直線に運ばれた。
◇
鎮痛剤の臭気で満たされておきながら、少し安らぎを得られるだけの心地よさを備えた部屋。
一通りの検査を済ませた私は、とりあえずベッドで休むように指示された。
ブレザーを脱ぎ、重圧から解放されたようで思わずため息をつく。
付き添いだったアスカは、事後処理のために颯爽と何処かへ行ってしまった。
「体調は」
「……もう、大丈夫です」
「まぁ……パイロットの『大丈夫』ほど信用できないものは無いがな」
やつれた具合の軍医は、ため息混じりにそう言った。
ミハイルは起き上がって、自分の身体の具合を尋ねる。
一通り話した。誰のものかも分からない声に悩まされていること、それが明らかに自我を持っていること。
「……軍人ってのはどうしてこうもバカなんだ。脳のメカニズムとかをなぜ鑑みない」
その言葉にむっ、とするも軍医は続ける。
「人間ってのは、戦場みたいなイカれた空間にいると意志とは関係無しに、環境に応じてイカれるんだよ。良くも悪くも、脳ってのは適応能力が高いからな。それを普通の状況だと思ってしまう」
「……それは戦場では必要なことです」
反論を返すも、軍医には理解できなかったらしく、しかめっ面をされる。
医者と軍人、到底相容れない存在だろう。身体を第一に考える人と、勝利のためなら身体さえも捨てる人――分かり合える筈もない。
「……おまえさん、あの子の気持ちを汲み取ってやりなよ」
「あの子?」
「おまえさんの部下だよ。幾分か年上なのに、クソガキの下について慕ってくれてるんだぞ」
彼の言葉には、一つ一つ棘があった。
だが……事実しか話さないのが鼻につく。昔の自分なら殴りかかってる人種だ、とミハイルは確信を得る。
「……それでだな、おまえさんの言う”声”についてなんだが……似たような事例がごく僅かだが見つかった」
「似たような……?」
ミハイルはそこを抜き取ったが、それよりも”ごく僅か”という方が気になった。彼の口ぶりからしてよくありそうな事例なのに。珍しい事例ではないはずだ。
「おまえさん、力場を最大発生させたと聞いているが間違いないな」
「はい……」
思わず掠れた声で答えた。
軍医は呆れたような目をしながらも続ける。
「今日に限らず、力場最大発生を頻繁に使っているらしいな――いつ死んでもおかしくねぇぞおまえさん」
「……結論を」
「――おまえさんと似たようなパイロットがフィヨルド連合とパシフィクス連邦で合計五人ほどいる。そのいずれも、同じように声が聞こえるという症状を軍医に訴えたことがあるらしい」
ミハイルは少し、考え込んだ。
セフィラムクラウド力場は、ニヴルニウムによる単なる空間領域に過ぎない。人の精神に干渉するだとか、オカルトな力は秘めていない。
だとするなら、心の問題か。空という場で、意識していなくとも精神をすり減らしているということか。
真剣に悩むミハイルを見て、軍医は頭を小突きながら言い放つ。
「真面目に考えるな。俺が言いたいのは無茶するなってことだ。分かるだろうがよ、普通」
少しじんじんするおでこを押さえながら、私は先程までのやつれた顔つきから、穏やか表情になった軍医を一瞥した。
――本当に普通が理解できない。
軍人なんて職業に就いているから、かな。
◇
ブリーフィングルームに呼ばれ、私は初めてその部屋へ足を踏み入れた。
と言っても、〈ドルフィヌス〉だからといって特段雰囲気が変わるわけではない。ホログラム投影用の真っ白な壁に囲まれ、座りにくい椅子がズラリと並んでいるだけだ。
意外にも人数は少なく、パイロットのみが集められたようだ。
ルカとサクラの姿も見えた。その隣にいる金髪の子は――レオン・アルバートと言ったか――〈アレス〉のパイロットだろう。
「皆揃ったかな」
既に艦長が皆の前に立っており、私は遅れてしまったようだ。
申し訳無く頭を下げたが、アスカがそれを訂正してくれた。
「大尉を医務室に連れて行ったのはあたしです!! 罰するならあたしを!!」
「バジーナ大尉が活躍したのは知っているから、大目に見るとも」
艦長は呆れたように眉をひそめながら言う。その呆れが自分のことか、アスカのことに対してなのか、ミハイルは判断に迷った。
ミハイルが席につくと、アグネスは咳払いをしてから話し始める。
投影されたホログラムに、無数の写真が映し出される。白壁を覆い尽くしたそれを見て、彼女は密かに驚愕する。
荒れ果てた都市の見るも無残な姿。焔の海にその身を抱かれ、朽ち果てた鉄の群像は煤を纏って輝きを失っている。中には虚ろな目で横たわる人の姿も映っていた。が、誰も目を逸らそうとせず、その瞳に景色を焼き付けていた。
今でも覚えている――〈ガリンスタン〉が、私達が戦った場所。
つまりは、テロの被害地だ。
「……わかっていると思うが、我々がこれから戦わなければならないのは〈ガリンスタン〉の残党たちだ。知っての通り、四年前にフィヨルド連合を中心に、こんな被害が起こるほどの〈フォーチュナー〉への反乱行為を続けた大悪党共さ」
深刻そうな顔をする皆の事を思ってのことだろう。艦長はジョークを混じえながら言うも、私の気分は晴れない。
二度と消えない罪の証明。その身に深々と彫られた血の入れ墨のようなもの。
思い出すたびに胸を締め付けられる。
彼女らは、”〈フォーチュナー〉の解体”を目的にほぼ人類全員へ牙を剥いていた。
〈ガリンスタン〉の構成員は、アスガルド条約による国家軍事力縮小の影響で職を失ったり、行き過ぎた平和思考によって迫害を受けた傭兵や軍事関連企業の社員。
同じように首領であった彼女の父は、市民達からの非難が殺到し、廃業に追い込まれた兵器開発会社の社長だった。
あの頃の人々が抱いていた平和的思考は――異常、と揶揄する他ない。
兵器、軍人、戦争に関連するものを忌み嫌い迫害する。そして〈フォーチュナー〉を絶対的な救世主として崇めていた。
「……大丈夫です。もう、あんな事は起きませんから」
呼吸が荒くなっているのを、アスカが心配してくれた。華奢な手が背中を這い、少し気分が和らいだ。……まぁ、彼女が思っているような心境では無いのだが。
「百パーセント、新型機を盗んだのは〈ガリンスタン〉の残党どもで間違いないだろう。奴らの潜伏先を探し、殲滅する。その任を受け、我々はここを発つことになった」
艦長はそう言い、瞳を閉じた。
皆のあまりに暗い顔を、見ていられなくなったのだろう。
――四年前の戦い『リアクタン』でミハイル達は世界中の人々が恐怖にどん底に叩き落とした。やっとの事で実現した平和な世界。私達はそれを否定し、安寧と希望と共に打ち砕いた。
フィヨルド連合のみならず、エクエーター協同連盟やハイランド首長国連邦にまで被害は拡大。死者は数十万を超えた、と言われている。――その全てを、彼女がやったわけではないが。
「思い詰める必要はない。残党にはあの〈赤き凶星〉はもういないのだからね」
艦長は苦笑を浮かべつつそう零す。
〈赤き凶星〉――ミハイルは〈フォーチュナー〉においては、事実上死んだ事になっている。アグネスほどの軍人なら……あの時、戦場に立っていてもおかしくはないだろう。
帽子を深々と被り、その薄闇の中から覗いた白銀の眼が彼女のほうを見据えた。
不思議と――心を見透かされたような気がした。
「……艦長。修正すべき点が一つ」
ルカが、それを聞き立ち上がる。見上げるサクラの表情からして、ただ事ではないことは確かだ。
艦長は清廉な物腰を崩すことなく、彼の言葉に耳を傾けている。
虚空を見つめる彼の眼は、恐ろしいほど鋭く、瞳孔は虎視眈々と敵を見据える獣の如く鋭くなっていた。
「〈赤き凶星〉は、死んでなどいません。だから、俺が殺さなければならないんです」
静寂が走る。
肺に入り込んでくる凍てついたかのような空気は、彼女を凍りつかせるのには十分な鈍さと鋭さを持っていた。
「……殺せるものならね」
艦長はそうとだけ流す。
ミハイルは開き直って、前だけを真っ直ぐと見つめていた。
「新人もいることだ。新しい任務に向けて、新しい小隊を結成することになった」
「艦長!! あたしは勿論大尉といっしょですよね!?」
「私語を慎め!!」
アスカが目をキラキラさせながら言ったのを、リオンが制する。
アグネスはやれやれと言った感じでつばを撫で、ホログラムを切り替える。
名簿と顔写真がズラリと並んだデータで、パイロット達の隊構成を示したものだ。
「バジーナ大尉、石動中尉、アルバート少尉、流川軍曹の小隊。コードネームは『レックス』。そして隊長は――」
艦長の細い指が、ミハイルを示す。
「君だ」
ぽかんとする彼女とは対称的に、不敵に笑う艦長。
ルカとサクラは立ち上がり、私に向かって敬礼をしてくれた。
「光栄です、大尉」
そうして、次々に小隊メンバーが発表されていく。
――どうにも、胸騒ぎがした。
アグネス艦長には、何か不思議な魅力というか――筆舌に尽くし難い感覚を抱いてしまう。
◇
〈アラクネ〉――それは
〈クロス〉――それは特異点を意味する名を冠した機体。特出する点のないシンプルな武装、それを最大限活かす高機動を実現できる装甲構成。
〈ファントム〉――それは亡霊を意味する名を冠した機体。コーティングジェル技術を応用した”アウロラシライア”の搭載機。姿を微睡みの中へと消し、一〇〇ミリ狙撃砲で静かに敵を狩る。
闇夜に包まれたその三機を白髪の男――マティアスはじっと眺めていた。
口元は包帯で覆い、その身に纏う衣類はフィヨルド北部のような地で使う局地使用戦闘服だ。
「マティアス」
振り向いた彼の目先には、二人の青年が立っている。リーゼント風な茶髪のアジア系と、青みのある白髪が特徴の北欧系の二人。いずれも、迷彩服という装いだった。
「状況は。レオ、ローラ」
「今のところ追っ手はいないぜ」
「けど、あのイルカ。何時でも発進できる様子だった。基地内も落ち着いてきたと、報告があったきり……後続の奴らから通信が途絶えた」
マティアスは表情一つ変えず、二人を見据える。
その凍てつくような眼差しに、二人はもう慣れっこなのだろう。何てことない様子で続けた。
「この三機にあれの搭載を急ごうぜ。そのほうが賢明だろ」
「俺も賛成だ。奴らはまだ対抗策を知らない」
そうして、マティアスは暫く考え込んだ。会話のキャッチボールが上手くできないのは、昔からのことだ。
「 ……ともかく
「了解」
レオとローラは駆け足で暗闇の中へと消えていった。
マティアスはまた、機体を見上げる。
こちらの気など露知らず、憮然と屹立して次なる戦いをひたすらと待つだけの、ただの鉄塊。だが、これが大勢の人間を殺した。これを巡って大勢の人間が死んだ。
調律者気取りどもが、こんな物を作らなければ。平和だ平和だと謳い、停滞してゆるゆると死にゆくだけの世界を作るから。大勢が死んだ。
停滞した世を是正する。
〈ガリンスタン〉は、それまで決して尽きることはない。
かつて敵だった赤き凶星 聖家ヒロ @Dinohiro
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