第4話

風が強くなってきた。

蚊帳のすそが風になぶられている。いつのまにか眠てしまったのだろうか。

夢をみた。夢の中にじいさんがいた、僕のじいさんだ。

じいさんといっても会ったことも見たこともない、おやじが1歳か2歳かだったかの時に死んでしまったので、写真もない。

眼の前のじいさんは若かった。僕よりもまだ年下なのだろうか。

痩せて浅黒い顔で、目ばかりがきょときょと大きい。

すすけた色の着物に黒だか灰色だかわからないはかま、はかまの下の方はぼやけたようでよくわからない。

なんとも貧相ななりだ。その貧相な若者が自分のじいさんだとなぜかわかっていた。もしかすれば、僕はじいさんに会いたかったのかもしれない。会って聞きたいことがあったのかもしれない。

じいさんは井伊の殿様で有名な彦根藩で足軽という一応は士分だったらしい。そうしてそういった下級武士たちの集まりの至誠組とかいうのの一員だったらしい。至誠会は軽輩や下級武士の集まりながら、その当時の彦根藩自体を引っ張ってしまい、早くから薩長土の方に組し、戊辰戦争では官軍として戦ったようだ。その功績で至誠組の中からは知事だとかなんだとかに出世したものもいたようだが、うちのじいさんは早くから死んでしまって、その余禄にはありつけてはいない。

彦根藩の殿様といえば井伊直弼、あの安政の大獄を起こした大老、官軍にとってはがりがりの敵のはず、そうして彦根藩は徳川幕府を守る親藩筆頭の家柄じゃなかったのか、その親藩筆頭が、大恩ある徳川を戊辰のどさくさでさっさと見限ったということなのだろうか

「じいちゃん、さっそくやけど、聞いていい?徳川幕府には深い深いご恩というものがあったんやろ。幕府の方も親藩筆頭としてものすごく頼りにしていたんだろう。だのに向こうの方が強いからとさっさと裏切ってもいいわけ?そんなんで忠というものはあるの?」

「徳川幕府といってもの、我々にとっては雲の上のようなものじゃ、その雲の上で、神さんたちが争っておる、紀州派だの水戸派だのと。そうしてたまたま勝ちを収めたその片方が幕府と名乗っとるようなもんじゃ。そんなものにどうして忠義だてしないといけない?」

「けど、その時のじいちゃんの殿様は外国と門戸を開こうとされて、そんな政策を推し進めていたのに、その殿様が殺されてしまったのに、そのかたきをとろうともしないで、殿様の政策を捨ててさっさと違う方向を向くなんて・・赤穂浪士こそが武士のかがみじゃないの?こうは思わなかったの?」

「思わなかったな、上の方の連中ではそんなことをしたものもあったようだが、赤穂浪士の真似事はそういった連中、お殿様に個人的な親しみを感じるような上の方の連中にまかせておけばいい。我々には藩を守らなければならないという天命がある。藩というても目に見えないものじゃなくて、藩に暮らす我々の方じゃ。足軽として身分じゃったが、我々にも仲間がいて、家族がいて、そうして家族が日々の糧を得ていくために接していくもろもろの者たちがいる。そのもろもろのものたち全員を守ること、全員が生活していくことができるよう守ることが大切なのじゃ。そのことが藩を守るということじゃ。」

「けど、自分たちを守るためといっても、今まで敵だった方へさっさとくら替えするというのは・・」

「確かに敵だったのかもしれない。けれどその敵に我々は負けたんじゃぞ。負けたのは、お殿様と取り巻き連中たちが考えた戦法のせいなのかもしれない。だからこそそんな負けた戦法に義理立てして繰り返すことは阿呆のやることじゃ。我々には我々が守らなければならないものがあったのじゃ、守るためには、負けた今、今度はどんな戦法でいかなければならないのか、それを考えて動いてのは当然のことじゃろう。」

「負けたって、そんな・・」

「勝ち負けはいつでもあることじゃ。聞けばお前たちも負けたんじゃろう。負けは負けだ。負けてしまったことはある意味仕方のないことじゃ、それよりもそうなってしまったのなら、そうなったらで、今からどうするかを考えていけばいいことじゃろう。」

「けど、負けるなんて、決して負けないはずだったのに、そのために一億がひとつとなって、こんな恥ずかしいことないじゃないか・・」

「恥ずかしい?なにが恥ずかしいんじゃ。アメリカとかいう国に喧嘩をふっかけたのはお前か?何度か派手ないくさをしたようだが、そのいくさで負ける戦法を考えてそれを命令したのはお前か?そんなことをしでかした連中は自分のしたことを恥ずかしいと思うかもしれん、けれどお前は何が恥ずかしい。お前というよりはお前たちが、そんなことをする連中を選んで、その連中にそんなことをさせたということはあるかもしれん。そのことを恥ずかしいと言っているんかの?」

「いや僕が恥ずかしいのは・・」

「いったい誰に対して恥ずかしいのじゃ?」

その時目の前に、自分が担当する生徒たちの顔が出てきた。

そう僕は生徒たちに対して恥ずかしかったんだ。

何が恥ずかしい?守ってやらなければならなかった幼子たちを守ってやれなかったから?

いや違う、恥ずかしのは自分のことなのだ。間違ったことを教えたと生徒の前で白状すること、そのことで自分の体面をくずすことが恥ずかしいのだ。ここへきてまで、こんな状況になってまで、まだ自分が守ろうとしているのは、自分のくだらない体面なのだろう。自分の体面?先生は生徒に対しては常に正しいことを教えるものである。生徒よりも優れていて生徒を教えるものである。だから我々教師は生徒から尊敬される。

間違ったことを教えていたと白状したら、今後は生徒から尊敬されなくなるかもしれない、それが怖いのだろうか。先生は常に正しいのだろうか、正しくないと生徒から尊敬されないのだろうか。

「あの時のう、間違った戦法を考えたのは殿様の取り巻き連中だとして、その連中に責任をおしかぶせた。おしかぶせることでわしたちは藩を守ろうとした。もしかすればそんなことができたのはわしたちが低い身分のものだったからかもしれない。

けれどなあ、あの時、わしたちは足軽やら中間やらという身分だから、どうしなければならないということではなく、藩をどうしていくべきかをわしたちが考えないといけないと思っておった。藩というみんなのことを、自分たちの身分でも考えていいということに、もう夢中だった。いいもんじゃぞ、みなで考えていく中で、たとえ自分が間違ったことを言ったとして、それを認めることなど屁ほどもないことじゃった。

間違ったことを言ったとお前が白状したとして、生徒はどんなことを言い出すのかが怖いのじゃろう。生徒の前で恥をかくかもしれないということが怖いのだろう。

確かに、いろいろなことを言う生徒も出てくるかもしれない、お前のことをばかにする生徒も出てくるかしれない。それ以後は先生としてお前が考えている威厳というものもなくなるのかもしれない。けどなあお前が考えているような威厳などなくなってしまってもいいじゃないか。間違ったことも言う場合もある、間違ったことも時には言いあいながら、これからどうすればいいかをみんなで考えるのも、またいいもんじゃぞ。負けたのは負けたじゃろうけれど、負けたのはお前たちみんなでなのだから。負けた今、自分たちはこれから何をしていけばいいのか、考えていけばいい、先生と生徒としてでなく、同じ国民として」

いつしかじいさんは消えていた。蚊帳のそでを風がなぶっている。そろそろ夜明けだ。

あの原稿を生徒の前でそのまま読もう。そうしてみんながいったいどんなことを言い出すのか、それも聞いてみよう。

そういえばあの軍事教練の優等生、すばしっこくて目だけがやたらぎょろとしている彼、総一朗あたりなんかはなんて言うだろうか、ちょっと楽しみになってきた・・

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あの日の記憶 たびびと @iwajiii

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