執筆を終えて

 旧年は「奥遠の龍」をご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。

大変うれしい事に、「奥遠の龍」は非常に多くの方に読んでいただく事ができまして、さらにギフトまで頂戴する事ができました。


 雑記としましては、やはりここはご愛顧に感謝しましてあとがきで締めるのが良いのではと思い、今キーボードを打鍵しております。


 既に大筋の事は昨年末の近況ノートの方へ記載はいたしました。


 緩い昨今の大河ドラマ調では無い、骨太な話にしようと思ったとか、大河ドラマの中でも好きだった「葵」や「真田丸」のようなコミカルなシーンもちゃんと用意してお堅くなりすぎないようにしようと心掛けたとか。

 さらに話数が進む事で主人公が今川家の中で地位が上がっていくのがちゃんと感じ取れるようにしようと考えていたという事も。


 それが成功しているか否かはちょっとわかりませんけど、私自身はその辺りを強く意識してこの話を書いてきました。


 別の所でも書きましたけど、信長の野望に昔出ていた松井宗信がいつの間にかリストラにあっている、今川義元の側近なのに何でだ! という憤慨がそもそもの発端です。

 いわゆるコーエー史観はおかしな部分が多々あるんですが、その中の一つが松井宗信の軽視だと感じていました。


 今川家の家臣といわれ思い出すのは、雪斎、朝比奈、岡部、井伊というあたりでしょうか?

 それって全部信長の野望に出ているからですよね。しかも、それなりの能力値だからですよね。


 この話はマイナー武将のオンパレードと感じた方も多いかもしれません。

 でも実は久野、天野、飯尾、小笠原も信長の野望には出ているんですよ。

(しょんぼり武将ですけど)


 リストラされた松井宗信に脚光を浴びせて、私の地元遠江の武将たちを知ってもらいたいというのも書いていて強く思っていた事でした。



 この話を読んでくださった方の多くは、とある事が非常に気になった事と思います。

 なんで諱じゃなく通称なの?


 本来戦国時代では相手の諱を呼ぶ事は非常に失礼な事だったというのは多くの方がご存知かとは思います。

 秀吉が「信長様!」と呼ぶなんてあり得ないんですよね。


 ただ、その上でコロコロ変わる通称や受領名より、現代風の諱(これもコロコロと変わるんですが)を使ってわかりやすさを重視するというのは大河ドラマも行っている事です。歴史ジャンルで作品を発表している方々も多くがそうですし、私が敬愛してやまない司馬遼太郎先生も通称や受領名を使いながらも諱も使用しています。


 その理由は全員平等に扱いたかったからです。

 主人公はマイナーだから五郎八郎だけど、井伊家は直宗とか直平とかって書かれている、福島家も正成って書かれてる、けど匂坂家はマイナーだから六右衛門という表現はちょっとどうなんだろうと感じたんです。

 実際、書くにあたってかなりこの部分は悩みました。読みにくいという苦情の嵐だったらどうしようと心配もしました。

 雪斎が雪斎で、義元をお館様とした事で残りは全員マイナー武将と思われたのか、そこまで批判が無くて正直ほっとしています。

(雪斎登場まで恐らく登場人物全員こいつら誰?状態だったというのもあるのでしょうが)


 この部分に関しては、自分の作風だという事にして、次の話「江東の猛虎たち」でも継続していく事にいたしました。



 この話のプロットを書いたのは、一昨年(2023年)の夏頃だったと記憶しています。

 この年の大河ドラマが「どうする家康」で、私の地元が舞台でした。

 何と言いますか……その前に舞台になった女城主直虎もそうでしたが、もう少し盛り上げてもらいたかったとは感じました。

(今私はもの凄く言葉を選びましたよ!)


 どこの地域でもおらが地域の偉人という者がいるものです。

 遠江だとやはり本田宗一郎(ホンダ創始者)、豊田佐吉(トヨタ創始者)、鈴木道雄(スズキ創始者)、河合小市(カワイ創始者)といったあたりになるのでしょうか。

(源頼朝の弟の範頼も浜松出身なんですけどね。駅の北口を出て北東の本屋さんの近くに看板がありました)


 悲しい事に、甲斐武田、駿河今川、近江佐々木、美濃土岐というような存在が遠江にはおりませんで。

 さらにいえば江戸時代は出世城なんて言われて浜松藩は家がころころ変わった挙句、幕末は天領。だから幕末にも出てこない。

 およそ遠江が大河ドラマでスポットライトがあたる機会というのは極めて少ないわけです。

(四国の方々からしたら当たっただけマシじゃねえかと指摘されてしまうかもしれませんけど。夏草の賦を大河でやって欲しいですね)

 今後も、家康からみで浜松城は出てくるでしょうが、それだけ。

(ああ、そういう意味では秀康と秀忠は浜松出身ですね……)


 そんな貴重な機会が、1983年の滝田栄の徳川家康以来、久々の徳川家康の大河ドラマがアレだったわけです。

 個人的にはシナリオはかなり良かったと思ってるんです。一部を除いてキャスティングも結構良かったと思うんです。演出があまりにも酷くて全てが台無しになってしまったというだけで。


 次回浜松が舞台になる機会なんて、もしかしたら私が生きているうちはもう無いかもしれないんです。

 そう考えたら、どういうわけか自分が楽しめそうな小説を書いてやれという気持ちが沸々と沸いてきてしまって。

 遠江を舞台にするなら誰が良いだろう? そうだ! リストラ武将松井宗信にしようとなったわけです。



 色々と資料は漁ったのですが、まあこれが探せど探せど、松井宗信に関するものが本当にありませんで。何だかんだでWikipediaが一番詳しいという有様でした。

 そこで以前、漫道コバヤシという番組で、キングダムの原泰久先生とヴィンランド・サガの幸村誠先生が同じような事を言っていたのを思い出しました。

 わかっている所は動かさず、それ以外のわからないところは自由に書いていいというのが歴史物だと思うと。


 という事は、ほとんど何もわからないのだから基本的に自由にして良いという事じゃないか!

 そこでごく一部のわかっている事以外は本当に自由に書かせていただきました。

 花倉の乱の時、松井宗信が何をやってたかすら資料が無いのですから、どうしようも無いですよ。



 サポ限には書いたのですけど、友人の信也はプロットの第一稿では別の名前で別の武将を予定していました。ただそれだとバッドエンドになるし、今の流行からそういう流れは好まれないだろうという事で、血鑓九郎に変更になりました。

 個人的には第一稿の武将の方が、話の流れとしては好きなんですけどね。(それが誰かはサポート限定で書いた話なので明かせません、悪しからず)


 友江については第一稿から朝比奈泰能の妹という設定は変えていません。

 理由としては、花倉の乱でちゃんとした対立構造を作りたかったから。


 花倉の乱は色々な見方はあると思うのですけど、駿河vs遠江という対立だったという意見もあるのです。

 恵探と福島正成によるクーデター。それを雪斎の手腕であっという間に鎮圧してしまった。そのせいで恵探側が無謀な対立のように見えている。そう言う意見も多いようなのです。


 ならばそこを話の前半の軸の一つにしてしまおう。その為には福島正成と遠江でも実力No1の朝比奈家との結びつきが必要になる。それを友江にやってもらおうとなったわけです。



 色々話は尽きませんが、キリがないのでこのあたりで「奥遠の龍」は暖簾をしまいたいと思います。

 この度は、「太閤立志伝AAR 松井宗信で栄光の今川家を」みたいなお話に最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました!

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奥遠の龍・雑記 浜名浅吏 @Hamana_Asari

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