エルヴァンの研究

 レイラが紅茶を飲みおわると、エルヴァンは彼女に家の中を案内した。

 現在エルヴァンの所有となっているこの家は二階建てとなっている。

 一階は居間やキッチン、風呂場といった生活空間で構成され、階段を登った2階には当時からそのままで残してあるエリーの私室だった部屋や一応与えられていたエルヴァンの私室、あまり使い道のなかった客間三部屋が並ぶ。


 とりあえず、レイラには客間の一室を使ってもらうことにした。

 大きめのベッドとデスクチェアのみというなんとも簡素な部屋なので、これから充実させていって欲しいと思う。

 幸いミトラから受け取った金が豊潤にある。


「最後に案内するのはこっちよ」


「まだ部屋があるんですか?」


 一通り地上の部屋を案内し、荷物を移動させた後でエルヴァンはレイラに声をかけた。


「むしろここからが本番よ。エリーと暮らしていたならわかるでしょう?魔女の家にしては普通すぎるって思ったんじゃない?」


 エルヴァンは再び居間に戻る。そうして壁一面の本棚の前で止まった。


「本棚?」


 レイラが疑念の声をあげる。

 

「ついてきて」


 そう言って、エルヴァンは本棚に向かって迷いなく進むと、本棚をすり抜けた。

 幻影の類ではない。実際にあるのは確かだが、特定の人物には接触できないという魔法がかかっている。そのため、触れても歪みもせず、すり抜けたように見える。


「え?」


「大丈夫、あなたも当たらないから」


 ありえない光景に硬直するレイラにエルヴァンが奥からが声をかける。

 少し待っておると、レイラはおそるおそると言った感じで中に入ってきた。


「不思議な体験ですね…」


「魔女が隠し部屋などによく使う魔法よ。魔法の研究では機密も多いからこうやってカモフラージュすることが多いわ」


「師匠は隠す気もなく、玄関先の居間でやっていました…」


「…魔女にもよるけど、あなたの師匠は珍しいタイプね」


 ということは、入ってすぐから足場の踏み場もないほど散らかっていたこととなる。

 魔女は普通自身の研究を見られることを嫌がる。秘境に篭り、研究を進める魔女もいるが、現在魔女の多くは人里で暮らしている。その方が利便性も高いし、人との伝手での思わぬ収穫も多い。

 そのため、友人を家に招くこともあるので、そういう魔女は表立ってはありふれた内装になることが多い。


「ミトラの自宅って、変わっていなければ魔道都市エレンよね?」


「はい、その割と中心部です。師匠は魔女の知り合いはエリーさんくらいだと言っていましたが、魔女ではない知り合いはたくさんいたのでよく遊びにいらしてました」


「よくオープンでいられたわね…」


 どうせ見てもわからないと思っていたのだろうか?

 たしかミトラの研究は『古術』と呼ばれる古の術式や失伝した魔法に関するものだと聞いたことがある。

 現代で普及している魔法とは、形態が大きく異なるのだろうが、魔法使いなどわかる人物が見れば、研究内容の一部でも盗まれる可能性はある。

 特にエレンの街は魔法を扱う人々は多い。そんな中でそのような管理体制で研究を行っている事実はエルヴァンには少し信じられなかった。


「ともかく、この先は家の地下にある研究室。エリーが使用していたものをそのまま私が使っているわ」


 螺旋を描く階段の外側の手すりに乗ってゆっくりと地下へと降る。10mほど降ったところで目的の場所に到着する。


「……」


「ここに入ったのはそう多くないわ。ミトラといった魔女の知り合いや数人の友人しか知らない空間よ」


 ここにはエリーの研究がそのまま残っている。

 書籍や紙の束が散乱した机に、書きかけのスクロールや大量のメモが貼られた壁面、周囲を埋め尽くすように本棚が囲み、魔法薬品の保管庫や魔道具が陳列された棚なども同様に並ぶ。


「彼女の研究スペースだった場所ね。今は私が使っているわ」


「ここは少し師匠の家と似ているけど、師匠の家の方が散らかっていました」


「玄関先からここより酷いって…。まあいいわ、奥に進みましょう」


 床に置いてある書籍や散らばった用紙を踏まないように避けて、正面の扉に向かう。

 扉の前まで来てエルヴァンはレイラに体を向けた。


「いい?ここからは他言無用。エリーの一族、アレムクレイム家の研究の成果にして、私が意思を引き継いだ魔法。それがこの先にある」


「そんなもの私に見せてもいいんですか?」


「これからあなたと暮らしていくけれど、私もこれから研究は続けるから。それならばいずれ見ることになるでしょうし…それに見たってどうせ無意味よ。一朝一夕で真似できるようなものではないから」


 入るわよ、そう促してエルヴァンは扉を開けた。

 開けるとそこは開放的な空間が広がる。横でレイラが立ち尽くすのが見えた。

 無理もないだろう。

 まさか丘の上の家の地下がこうなっているとは誰も思うまい。

 エルヴァンには見慣れた光景だが、初見にとっては驚嘆の光景だろうとは理解できる。

 それほどまでに家の真下の地下空間は広大だ。

 頭上約10mの開放感あふれる天井が広がり、奥行きも100人ほどでパーティをやっても問題ないほどには。


 数歩進んでキョロキョロと周りを見渡した後、レイラはおそるおそる口を開いた。


「エルヴァンさん、あれは?」


 レイラが指さしたのは、中央にそびえ立つ大門だった。

 全長5メートルほどの建造物とも呼べる大きさでひときわ異彩を放っている。

 石材で作成され、きめ細やかな紋様と装飾が施されたそれは一種の芸術品にも見え、神秘的な様相とどこか威圧とすら感じられる存在感は恐怖を感じるほどだ。


「あれは『ホルムの境界門』。エリーの一族が代々継承してきた魔法を実現たらしめるはずのもの」


 意味深げにエルヴァンは答えると、ゆっくりと門へと近づく。横に並んでレイラも続いた。


「これはどこか別の世界に行くためのものよ」


「別の世界、ですか?」


「そう、別の世界。この門は世界の壁を超えて、別の世界に向かうための入り口なの」


 エルヴァンがそう答えると、レイラはよくわからないとばかりに首を傾げた。

 それも無理はない。

 エリーから最初に聞いた時は自身も同じような反応だった。


「よくわからないかもしれないけど、これこそがエリーの悲願であり、私が受け継いだものなの。これを完成させることが私の、魔女として生きる意味の一つ」


 魔女と名乗るものは大抵、魔法という分野の研究の先に野望や願望がある。

 それが一世代のものなのか、一族でのものなのかはわからない。

 だが、エリーの血筋は別世界へと向かうことに異様に固執した一族だった。

 アレムクレイム一族はエリーの代までみなこの研究に関わってきた。もちろん興味が薄いものもおり、エリーもその一人だった。

 だが、ある時アレムクレイム一族は魔法を暴走させ、エリー以外虚空に消えたという。

 そのため、エリーは一人で研究を受け継ぎ、エルヴァンがまた、受け継いだ。


「これがエルヴァンさんの、師匠でいう『古術』なんですね」


 エルヴァンの説明にレイラは納得したようだった。

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魔法猫と魔女見習い 蔦屋式理 @yuzuponzu

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