君の死体が消える前に

春海水亭

埋葬


 ◆


 イチレンの死体は胎児と同じ姿をしていた。

 背中を丸めて、体育座りをする時みたいに膝を曲げて、けれど両の腕は膝を抱え込まずに、お祈りをするみたいに胸の前で重ねている。

 生きている時だって面倒くさい奴だったが、死んでいるときだって面倒くさい奴だ。

 生まれたときみたいに死んでいる。


「普通の葬式でなんでみんな死体を真っ直ぐにしたいのかわからないんスよね」


 葬儀屋がニコリともせずに言った。

 灰色の作業着を着た体格の良い陰気な男で、常に不機嫌そうに眉をしかめている。

 冠婚葬祭のどの場面だって見たくない輩だ。


 唯一明るい部分といえば金に染めた髪色ぐらいだが、それだって丸刈りにしていて、当人が常に浮かべている憮然としや表情から、それがお洒落や、あるいは他人に舐められないようにするための威嚇の部類なのか、あるいは元々の丸刈りを誰かに無理矢理に染められたのかわからない。


――死なないように気をつけてよ?俺は葬儀屋の顔なんて見たくないから。


 生前のイチレンはよくそんなことを言っていた。

 さんざ死なないように俺に言ったアイツのほうが先に死んでしまうとは全く間抜けな話だが、その一方で感心しているところもある。

 死ねば、葬儀屋の顔を見なくて済む。


「死体は折り畳めば棺桶代は半額になんのに」


 葬儀屋に死体に対する敬意というものはない。

 ボタン一つで死体がこの世から消えてなくなる装置がもしあったのならば、奴は喜んで連打するだろうし、自分の職務も放棄してそれの普及活動に勤しむことだろう。

 とにかく奴は死体を嫌っているし、そんな死体に生きている人間の心が動かされたり、死体のために右往左往している姿が気に食わないのだろう。

 そんな男が何故――ではなく、そんな男だからこそ、死体の処理なんぞをやっているのだと思う。命を粗末に扱える人間が殺し屋をやっているように、死を粗末に扱える人間が死体をこの世から消す仕事をやっているのだ。


 俺の愛車のトランクに寝かされていたイチレンの死体を、それこそ物を扱うみたいに葬儀屋は抱き上げて、ホーロー製のバスタブの中に放り込んだ。


 有限会社カルトナージュ、葬儀屋が勤務しているフランス伝統の厚紙工芸の名を冠するこの自動車整備工場には車を整備するのに関係あるのかないのかよくわからない設備があって、不思議なことにその設備は表沙汰にしたくない死体をどろどろに処理するのに向いていた。

 自動車整備工場が死体処理をやっているのか、あるいは死体の処理屋がカモフラージュのために自動車整備工場の皮を被っているのか、どちらかは気になるが葬儀屋に尋ねたことはない。葬儀屋とそういう世間話をしようという気にはならない。


「じゃ、この死体はこっちでやっとくんで……」

「ああ」

 葬儀屋がまた何かしらの準備をしようとするのを、俺は工場の端に立ってぼんやりと眺めている。火気厳禁。禁煙。安全第一。もっとも何をやっているのかはよくわからないので、時折視線を俺でも意味が理解できる注意書きに移す。

 昼の作業員のための注意だろうが、夜の作業にだって重要な事柄だろう。


 そんな俺を見て、葬儀屋が準備の手を止めた。


「帰ったらどうっスか?」

 衣着せぬ物言い――と言いたいが「気が散るんで帰れ」と言わないだけ、この男にしては客に対する遠慮がある方だ。


「工場見学させてくれないか?どうせ企業秘密の工程があるわけじゃないんだろ?」


――死体の処理なんてさ、道具を用意して安全に気をつければ誰にでも出来るんだから、マジで葬儀屋以外がやればいいのに。


 生前のイチレンの言葉を信じるならば、技術の面では誰にでも出来る……らしい。

 もっとも死体をドロドロに溶かして平気な面が出来る人間なんてものは世の中にはそうそういないだろうから、葬儀屋の競合が生まれることはそうそうないだろう。さらに言えば、死体をドロドロに溶かしたい奴だってそうそういるもんじゃない。


「アンタの兄貴がドロドロに溶けてる姿なんて見たいんスか?」

「見たくねぇけど、大人しく帰るのも気が引けんだよな」

「まあ、邪魔しねぇなら良いっスけど」

 ムスっとした表情で、葬儀屋が言った。

 いつもどおりの表情だから、苛立ちを我慢して言葉を発したのか、それとも特に気にしていないのかはわからない。


「椅子ある?」

 俺がそう言うと葬儀屋が鍵を放り投げて、事務所の方を見て顎をしゃくった。

 椅子に座りたいなら事務所から取ってこいということらしい。

 葬儀屋の不機嫌そうな表情からは信じられないぐらいにサービスが良い。最高だ。

 俺はキャスターの付いた椅子の車輪を走らせて、バスタブの傍に見学席を作った。


「工場見学なんて人生で初めてだよ」

「最初で最後にならないように、早めにビール工場とかの見学行ったほうが良いッスよ」

「言うね」


 葬儀屋なりの冗談なのか、案外真剣に言ったのかもしれない。

 いずれにせよ、俺は少し愉快な気持ちになった。

 兄貴がぶち殺されて、これからドロドロに溶かされるっていうのにな。


 イチレンの死体には穴が空いている。

 俺の小指ぐらいの大きさの穴で、ついさっき銃弾でぶち開けられた。

 イチレンは馬鹿で残酷だったけれど、中身はちゃんと入っていたらしい。

 漏れ出た中身は手で摘んでコンビニ袋に入れた。車も現場もなるべく汚したくなかった。アイツが死ぬとわかっていたらトングを持ってきていた。俺もイチレンも殺すのには慣れていたけれど、兄貴が死ぬというのは想定していなかった。

 殺す側と殺される側はいつだって入れ替わるっていうのに、俺達はあんまりにも強いもんだからついつい忘れてしまっていた。


――イチレンとタクショウにしようか。


 唐突にイチレンがそう言ったことを今でも覚えている。

 親父の頭を二人でグチャグチャに潰している時だった。


――なにが?

――俺達の屋号だよ、殺し屋としての。


 俺達は双子で、親父は同じ顔をした俺達の両方ともに名前をつけなかった。

 もしかしたら、あったのかもしれなかったけれど、「おい」とか「お前」としか呼ばなかった上に、俺達にはどうも戸籍が無かったみたいなので、知る方法は無かった。


 親父は殺し屋だった。

 暴力や殺人に躊躇はないけれど、自分で手を下したりはしない人間に雇われて人を殺す仕事をしていた。

 お袋のことは知らない。


――私は母さんを愛していた。きっと母さんを人質に取られたら、私は何でもしただろう。自分の持てる全てを差し出しただろうし、命だって捨てる。だから、私は母さんを殺さなければならなかったんだ。私達の社会ではそういう情は弱点になる。


――ああ、安心してくれ。私はお前達を愛していないし、愛する気もない。ただ、母さんがお前達を殺さないでと頼んだから、私はお前達を育てているんだ。母さんの愛情でお前達は生かされているんだ。良かったな。


 ただ、お袋の愛情で俺達は生かされたことだけは知っている。

 いっそ殺すか、さもなければ捨ててくれと思ったが……最悪なことに親父には子供を育てようという責任感があって、そして自分の持ちうるものの全てを子供にくれてやろうという教育熱心なクソ野郎だった。

 普通の子供が学校に通っている間に、俺達は人殺しを学んだ。

 その人殺しの技術で俺達は親父を殺した。


――俺達は一蓮托生だからさ。イチレンとタクショウだよ。

 返り血にまみれながら、イチレンはそう言った。


――ね?

 おずおずとおねだりをする幼子のような表情で、そう言った。


 イチレンは馬鹿で、頭の中には人を殺すことばっかり無理矢理に詰め込まれていた。

 ちゃんと生きるということが出来そうになかった。

 普通の社会に怯えていた。

 失われた時間を取り戻すために我慢して勉強出来そうになかった。

 人生には人を殺すことしか無い、そんな人生にプライドなんてものはないけれど、それでも積み重ねてしまった。人生の全部を使って作り上げられたものを捨てて、また新しいものを作り上げようという勇気も根気もありそうになかった。

 殺人が好きというわけじゃなかったのだろうけれど、親父を殺すまでの自分たちの人生がまるまる無駄だったと認めるのは嫌だったのだろう。

 兄貴に財産と呼べるものがあるとするならば、殺人の技術と俺の存在だけだった。


――そうだな、俺達はイチレンとタクショウだ。

――良かった。

――なにが?

――お……タクショウは多分、俺と違って人を殺さなくても生きていけるから。

――大丈夫、一蓮托生だよ。俺達は。


 俺達は双子で、イチレンが馬鹿なら俺だって馬鹿だ。

 違う生き方なんて知ったことじゃない。


 そんなイチレンが死んでいた。

 思い出も、約束も、何もかも銃弾といっしょに頭から吹き飛んでいた。

 今まで殺してきた人間と同じ表情をしている。

 苦悶の表情を浮かべるイチレンの死体に、俺は一度だけ参列したヤクザの葬式を思い出した。

 棺桶のヤクザの死体は安らかな表情を浮かべていた。

 ただ目を瞑っているだけのようにも見える。


――こういう顔で死にたいな。


 イチレンはそう言っていたが、俺はその表情が作りものであることを知っている。

 死化粧――死体の顔を生前のものに近づける細工だ。

 どれだけ安らかに死んだって、美しい表情のままでいられる死体は作り物だけだ。

 頭の中でそう思ったが、イチレンには言わなかった。

 いずれにせよ俺達には関係ないことだ。

 死ねばオトクな身内価格でドロドロに処理される。

 俺達のような人間は最初から存在しなかったかのように消えることが一番都合が良い。イチレンは今からそうなる。この俺もいつか死ぬときはそうなる。


 生まれた時みたいに、イチレンは湯のないバスタブの中で死んでいる。

 同じ顔の死体を、同じ顔の生者が見ている。


「……あのさ」

「なんスか?」

「やっぱ、やめていい?」

「は?」

「ちゃんと葬式を上げてやりたいんだよ、イチレンって生きてたからさ……いや、その……なんか消えてほしくないんだよ……」

「死体は何したって死んだままッスよ」

 葬儀屋は俺に動じることもなく、言った。


「アンタ達だって、さんざ俺んとこに死体持ってきたでしょ」

「殺し屋は死体の原材料調達屋さんでもあるからな……」

「今までやってきたことを、身内だから嫌って言います?」

 普通の人間なら嫌と言うだろう。

 普通じゃない人間の俺だって土壇場になってぐずりだしたからだ。

 けれど、そういう機微を葬儀屋は理解しない。

 お前は向いてるよ、この仕事。


「いや、わかってんだけどさ」

「じゃあ、いいじゃないスか……見てられないなら、帰ってくださいよ。俺はいてくれなんて頼んでないんだから」

「いや、まぁ……そうなんだけどさぁ」

「とにかく、バスタブから離れてもらいます?危ないんで」

 葬儀屋の言葉に従って、俺は大人しくバスタブから離れた。

 落ち着いている。冷静な判断が出来ている。けれど、心臓が高鳴っている。感情が荒ぶっている。何かをしたいという気持ちに溢れているけれど、何かが出来るわけではない。もしも時間を巻き戻せるならば、イチレンの代わりに俺が死ねばよかった。そんなことは出来ない。死人にしてやれることはない。でもイチレン。俺達は一蓮托生。お前の願いは叶えてやりたいよ。


 薬剤がドボドボとバスタブに注ぎ込まれる。

 タンパク質がふやけて、ドロドロに溶けていく――そういう液体だ。

 骨も脆くなる。

 ドロドロになった肉は形を残した死体よりも処理は簡単で、脆くなった骨も粉々に砕いて、やっぱりどこかに処理されてしまう。


「は!?」

 葬儀屋が驚愕の声を上げる。

 バスタブの薬剤に俺は顔を漬ける。

 痛い。熱い。

 あぎゃお。

 ぼ、という音が口か出た。

 悲鳴を上げ続けているが、薬剤の中で泡になって消えていく。

 粘着質な泡だ。

 俺の悲鳴は泡とぼ、という曖昧な音になっていく。


 俺の顔も、イチレンと同じ顔もドロドロに溶けていく。


 大丈夫痛いイチレン熱い死ぬ。

 お前溶ける溶けるあぎゃ。

 の顔は。

 なんとかぼ。ぼ。ぼ。ぼ。できそうに泡泡泡泡ないけど。


 ぼ。



 痛い。

 俺の顔をお前にあわせる熱い熱い熱い熱い熱い溶ける。から。


 生きてるみたいな顔にしてやる。

 死んだお前のドロドロの顔にあわせて。

 おれのかおをおまえにあわせてやる。


 俺達は一蓮托生だからな。


 あぎゃああああああああああああ。





 そして双子の殺し屋、イチレンとタクショウは死んだ。

 死に顔はドロドロに溶けてわからなかった。

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