アジア一匹素浪人 (後篇)

   第四章


          1


 誘拐事件発生から時間がたつにつれ、今後の進展がどうなるか石村は不安にとらわれてくる。この国の警察力ではまさかと思うものの、もし犯人が逮捕され、日本人の通訳が介在していたと話せば、犯人の一味として自分も逮捕されるだろう。

 逮捕されたら、すべては終わりだ。取引先に迷惑をかけるばかりか、従業員を路頭に迷わせる。今更ながら、大変なことに関わったと気付かされる思いだ。

 心を落ちつかせながら、倉庫の事務所で石村は考え続けた。

(なぜマリアと会ったのだろう。初めはマリアへの思いと、彼女の処女を奪った自責の念を晴らしたかったからだが、二人の日本人の目的を知り、自分が犯罪に加担してしまうと思った時、俺は後戻りはできたはずだ。

 にもかかわらず、あの場に居続けたのは何故だろう。誘拐が本当に出来るのかと疑っていたせいもあるが、まさしくマリアのためだった。正直なところ、彼女の肉体が恋しかったこともある。しかし、それ以上に、なんとか関係を続け、彼女が組織から抜け出るよう説得する機会を失いたくなかったのだ。 

 革命に命をささげるとマリアは言っていた。しかし、いつか彼女も歳をとる。その時、彼女はどうするつもりなのだろう。革命への熱が冷めているかもしれないし、組織で冷や飯を食わされているかもしれない。若さゆえに革命を夢見ていたのなら、まだ自己責任ということで納得できるかもしれないが、いずれ組織に見捨てられるとなれば、あまりに可哀想ではないか。

 いや、違う。大事なのは命だ。今、この瞬間にでも、マリアは銃弾を浴びているかもしれない。俺は彼女を死なせたくないのだ)

 一度は忘れたはずのマリアのことが、再び石村の心に蘇ってくる。

 マリアを救いたい理由はほかにもあった。彼女が日系人だからである。

 彼女の実家はルソン島中部のトリニダッド盆地にあり、日本人移民の家庭であった。1901年(明治三十四年) に始まった、ルソン島中部の高地にあるバギオ市へ通じる道路建設は難工事をきわめていたが、1903年から日本人移民が参加することにより完成されたと言われている。後に、その工事の指導者であったケノン米国陸軍少佐の名を取って「ケノン道路」と命名された。もっとも、奴隷以下、家畜のごとく劣悪な環境でケノン少佐は労働者を作業に駆り立てたため、現地の人は「ケノン・ロード」とは呼ばずに「ベンゲット・ロード」と呼ぶ人が多い。1905年に完成するまで、二千三百人以上の日本人が病気や事故で亡くなったと、1983年に作成された、当時のバギオ市長ブエノ氏による記念額には刻まれている。

 工事の完了により、多くの日本人は南部ミンダナオのダバオなどへ去ったが、トリニダッドでイゴロット族の女性と結婚した一部の日本人は現地に残った。それがマリアの血筋であり、今も「ナカムラ」、「ミヤモト」などの日本姓を名乗るフィリピン人が数多くおり、マリアの姓は「タナカ」である。

 戦争により、日系人たちは悲劇に見舞われた。山下将軍率いる「第十四方面軍」が山中に逃げ込み、後追いした日系人の中には自決した者もいる。終戦になると、捕虜になった日本兵は米軍に守られたものの、日系人はフィリピン人の恨みを一手に引き受けさせられた。唾を吐きかけられ、殴られたりするのは日常茶飯事で、ひどいときには手足を斧で切断されたり、手榴弾を投げつけられたりもしたという。日本国籍の父親は国外追放となり、離散する家族が続出した。

 戦後は迫害から逃れるため、多くの人は母方の姓を名乗って血筋を隠しながら悲惨な生活をしていた。六十歳でフィリピンに入る機会を得たシスター海野は、1972年、あまりの貧しさに心を痛め、日系人であることは恥ずかしいことではないと訴えて、125の日系人家族を探し出した。教育熱心な日系人たちの希望を叶えた奨学金制度作りに奔走するなど、日系人救済に尽力するシスター海野の活動は有名である。


          2


 貧しい生活は、マリアの家族も例外ではなかった。マリアが教え子だった頃に、バギオ周辺を旅行した時のことである。招待された石村は、マリアの実家を訪れた。昼飯を出されたのだが、それは水気のない現地米に、おかずは塩で味をつけたニンジンとジャガイモの煮っ転がしだけだった。

 客人を招待しての、精一杯のご馳走だとは思えない。あまりにも粗末だったので、初めは嫌がらせなのかと疑いもした。しかし、よくよくマリアに訊いてみると、普段はトウモロコシの粉を水で戻し、それに塩を加えて煮たものを食べていると言う。石村は貧しいとはこのことかと納得した。米が出ただけでも有り難かったのだ。

 貧しさが分かるのは、食べ物だけではなかった。例えば、家具は形のいびつな、手作りの古い木製のタンスひとつで、鍋釜類も、ブロックが積まれた入り口の竈に、アルミ製の鍋が置かれているだけである。電化製品と言えるものなどは何一つなかった。

 ニッパヤシの葉で屋根を葺き、竹を紐で縛って組上げただけの家で、マリアがどのように育ったか不思議な気がした。電気もなく、雨が降れば頭に滴が落ち、風が吹けば飛ばされそうな屋根の下で、日本の都会の景観を見慣れている石村には、こんな所でよくもマリアが美しく育ったものだと奇跡にすら思える。貧しさが罪であることを、生まれて初めて実感したものであった。

 石村の心を動かしたのは、日系人の貧しさだけではなかった。それは、戦後三十七年が過ぎても、三十八万体の遺骨がフィリピンに放置されているのを知り、愕然とした時である。

 マリアの実家を訪ねた後、バギオ市で一人の日系人男性を雇い、石村はバレテ峠(地元では「ダルトン」と呼ばれている)、サラクサク峠と回った。峠といっても、ジャングル同然の地なのだが、当時、この峠が破られたら、カガヤン渓谷に逃げ込んだ日本軍や避難している邦人が危なかった。

 そのため、リンガエンに米軍が上陸した直後、日本の戦車部隊はほぼ壊滅していたが、虎の子の精鋭部隊と残存戦車をつぎ込み、ルソン島山中に雪崩れ込もうとするアメリカ軍と山下将軍率いる「第十四方面軍」が、二つの峠で激突した。爆弾を抱えての戦車への体当たり、奪われた陣地への斬り込みなど、壮烈な肉弾戦が行われたのである。昭和二十年四月半ばから、五月いっぱいにかけてのことだ。

 旧日本軍の飯盒や鉄兜が散らばっているのを、ジャングルの中で石村は目にした。多くは錆びた鉄屑や破片と化していたが、中には完全に近い形を残しているものもある。いかにお国のためとはいえ、なぜこんな異国の密林で死なねばならなかったのか、なぜ遺骨や遺品がほったらかしにされているのか、つくづく石村は憤りに駆られた。

 憤りがあれば疑問もあった。フィリピンで「第十四方面軍」が降伏したのは、九月三日、山下将軍が降伏調印をしたときである。八月十五日が終戦などとは理解に苦しむ話で、フィリピンではまだ戦闘が続いていた。終戦を知らせる米軍のビラを拾った邦人は殺され、病と飢えで力尽きた者は自決し、ミンダナオ島では激戦が続いていたのだ。

 そもそも、一方的に戦争終結を宣言したところで相手がいるのだから、八月十五日が「終戦」などと言えるわけがない。それなのに、天皇陛下の詔によって、多くの日本人はフィリピンで続いている悲惨な戦争に知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。日本人の国際感覚のなさ、同胞への冷たさを露呈している。

 故郷を懐かしみ、家族を思いながら、このフィリピンで命を落とした五十万もの日本兵や在留邦人の姿が偲ばれた。五十万人とは、かの大戦で死んだ日本軍兵士の五分の一、しかも、十数年にわたる中国戦線の死者四十五万に対して、僅か三年半での死者数である。戦いとは名ばかりで、飢餓や病気による死そして米軍による一方的な殺戮だったのだ。戦争とは、国家とはなんと非情なものか、怒りに似た気持ちが石村の胸に湧き上がった。

 靖国だ、記念碑建立だのと慰霊をしている日本人もいるが、それならばどうしてルソンの山中に入り、骨の一つも拾ってやろうとしないのだろう。靖国で会おうと誓い、死んでいった兵士に思いを馳せるのは分かる。であるなら尚更、四十年近くもの間、遺骨の「い」の字も忘れ去っているのが不思議でならない。

 密林の片隅にしゃがみ込みながら、そんな現実は今後も変わらないと思うと、自然と石村の目に涙が溢れた。涙は止まらず、いつしか嗚咽に変わったのを、石村は昨日のように覚えている。

 バレテ、サラクサクを訪れたことを思い出していると、バギオで雇い、戦跡を共に訪れたタクシー運転手の姿が浮かんできた。頬に深い傷跡のある彼の名は「ミヤモト」であった。訊くと、父親が日本人であることから、少年時代、数人の男に殴られ、ナイフで刺されたと言う。夕焼けを見つめていた彼の目が、深い悲しみに満ちているように感じたものだ。

倉庫の片隅で、当時の決心を石村は新たにした。もはや、エコノミック・アニマルと化した日本人には、祖国を思いながら死んでいった同胞に、憐みの一つもかける気配はない。もしそうなら、日本人として自分がしなければならないのは、同じ日本人に忘れ去られた兵士や移民たちを弔い、今も生きている日系人たちの力になることではないのか。

(救い出してやりたかった)

 マリアを説得できなかった強い後悔の念が、石村の胸にこみあげてきた。しかし、時すでに遅しである。もはや彼女に会う機会はなく、妹のテスを通して会いたいと連絡したところで、誘拐事件に関わった石村の身を案じて、きっと彼女は会ってくれないだろう。


           3


 税務署員のアルマンドが、年老いた白人風の男を連れてきたのは、十二月に入ったばかりの頃だった。その老人は、いかにもスペインの血を引いた、この国ではエリートに属する人物だと分かる。

「約束通り、俺のボスを連れてきた。あんたの話をしたら、是非会いたいと言うんでね」

 アルマンドの言葉には、どこか意地の悪さが感じられた。「ボス」を連れてきたのは、石村から相応の金額が引き出せないことで、税務署を仕切っている人物の信用を失ったからだろう。となれば、目の前にいる白人のような老人が、アルマンドの不甲斐なさに怒っている上司ということになる。

(これはまずいことになった。本当に税務署の上司を呼んでくるとは思わなかった。こうなると高い税金をふっかけられるか、下手をすれば、脱税だ、贈賄容疑だと、もっともらしい法的な問題を突きつけられて廃業に追い込まれるかもしれない)

 石村の顔から血の気が引いていく。しかし、ここで狼狽えても始まらない。相手が公務員という権力の代弁者であれば、自分はまな板の鯉のようなものだが、まずは何を言い出すか、腹を据えて聞いてやろう。

 覚悟を決めたのは、全てのフィリピン人が賄賂を要求するわけではないことを石村が経験していたからだ。確かに、街中の警官や普通の税務署員などは、強盗と同じ感覚でつきあわねばならないにしても、エリートや相応の地位にいる人物となると、話は別なこともあった。

 電器会社の駐在をしていた頃、有力な代理店を摑もうとフィリピン全土を飛び回ったことがあるのだが、キックバック(袖の下)を持ち出せば簡単に契約を取れると思っていた。ところがある日、何度か食事をしてそれなりに近づきになったと思っていた相手に賄賂の話を持ち出した途端、手ひどく叱られたことがある。「貴様は俺を馬鹿にするのか」と、凄い剣幕で怒鳴られたのである。

 当時、何が悪かったのか色々と考えた。まだ三十歳だったので、若さから来る態度が生意気だったのかもしれない。年寄りを敬うのがこの国の風習であり、その傾向は特に地方では大きいので、とても日本人には理解できないのである。

 結論として考えたのは、人を見る目がなかったということだ。人間であるから、日本人であっても賄賂のやりとりは現実にある。表沙汰にならないだけで、誰にも裏の顔はあるのだ。問題なのは、フィリピン人は誰もが賄賂を欲しいものと、話を始める前に決めつけていたことである。先入観こそ最大の敵、後悔の始まりなのである。

 そう思いながら、改めて石村は老人の来た目的を推測した。先入観を持つまいとは思うものの、やはりこの間の経緯からして、多額の賄賂を要求してくるだろう。

「君の歳はいくつだ」

 ソファーに座りこんだ老人が話し始めた。やんわりとした口調で、見かけ通りの紳士といった風である。「三十八になりました」

 石村が答えると、

「君の親父さんは、戦争中どこにいたのかね」

 話が飛んで、今度は父親の話になった。

「私の父は、中国の満州におりました。戦後はシベリア抑留組です」

 シベリア抑留話は嘘であった。中国での日本軍の悪事はフィリピンでも知れ渡っており、華僑の多いこの国では、どんなとばっちりを受けるか分からない。もし戦争中、フィリピンで従軍していたとしても、石村は嘘を言ったであろう。この質問のスタイルは、いかに戦中の日本人がひどかったかを言い出す、フィリピン人のパターンなのである。

「私が来た目的は何かと怯えているようだが、心配するな。金のためではない。日本人がいるとアルマンドから聞いたので、皮肉を言うために来たんだよ」

 金のためではないと言いながら、落ち着く先は金だろうと、石村は怪訝そうな顔をして見せる。

「私は明日で定年になる。子供の頃からずっと、日本人には思いやりとか優しさがないと思ってきた。それは宗教心がない日本民族固有の残酷さだと推測してきたが、ようやく今になって日本人と話せるチャンスを摑んだ。嬉しい限りだよ」

 何を言い出すのかさっぱり分からず、石村はもっともらしい顔をして次の言葉を待った。自分の子供の頃云々と言うからには、戦争中の話なのは間違いあるまい。親の代が犯した罪を、子供の自分が償うという図式になるのは間違いなく、これもフィリピンにいる日本人が味わう苦渋である。

「山下が山中で放り出した朝鮮人慰安婦の話は知っているか」

 老人が石村の顔を覗き込んだ。やはり戦争の話かと石村は思う。老人の言う「山下」とはフィリピンで降伏した山下大将のことであり、慰安婦というのは従軍慰安婦のことである。朝鮮から連れてこられた慰安婦がフィリピンには多く、日本軍がルソンの山に籠もる時にも同行していたが、食糧難になると追い出されたという話は、当時、フィリピンにいた従軍記者の書いた戦史で読んだことがある。日本人と同じ顔をした彼女らが、山中に潜む抗日ゲリラに捕まりどうなったか、石村も胸を痛めていた。

「そうか、知っているのか。子供の頃、ゲリラだった親戚のおじさんから、その話を聞かされたんだ。それ以来、日本人というのは卑怯な民族、血も涙もない国民だと思っている。マニラやバタンガスでの虐殺事件もあるしな。君はどう思っているんだ」

 老人が目を光らせた。返答次第では殺してやるとでも言いたげな様子である。バタンガス州では「後方無人化」と称して住民の大量虐殺が行われ、抗命した日本の憲兵隊将校が脱走する事件も起きていた。

「言い訳などありません。過去のこととは言え、正当化できるわけがない。ところで、山中で放り出された慰安婦達は、勿論、フィリピン人には丁重に扱われたんでしょうね」

 石村は問い返した。ひどい国民だと日本人のことを言うなら、さぞかし当時のフィリピン人は慰安婦達を懸命に保護したであろう。

「それはどうかなぁ。彼女らをどうしたのか、実はおじさんからは何も聞いていないんだ。日本人のひどさだけに腹を立てて、フィリピン人が山中で何をしたかは考えもしなかったよ」

 石村の疑問が意外だったのか、老人は正直に答えた。

「戦争中の行為について、私が言えるのは、日本人も連合国の国民も歴史の制約からは逃れられなかったということです」

 分かってもらえないだろう、言い訳がましく聞こえるだろうと思いながらも、石村は勇気を出して老人の前で言った。

「歴史の制約だって。なんだね、それは」

 案の定、怒りをあらわに老人が目を剥いた。

「ナチズムをご存知かと思います。ヒトラーに先導されたドイツ人は、劣等民族としてスラブ人やユダヤ人の絶滅を図りました。六百万のユダヤ人、二千万のロシア人を殺し、五百万以上のソ連軍捕虜のうち、その三分の二を処刑したといいます。

 戦争が終わると、今度はベルリンに入ったソ連軍が、十万の女性市民を強姦し、ドイツ全土では百万の女性を犯したと言います。そして、アメリカは日本に二発の原爆を落としました。そんな非人道的な行為、武器を使用したのに、ソ連もアメリカも裁かれていないのです。

 戦勝国の犯罪は許され、敗戦国の犯罪は許されないというのは、どういうことですか。どちらも非人道的な行為、場合によっては敗戦国よりもひどいことをしたではないですか。そのことを、フィリピン人は何故批判しないのですか」

 逆襲したような石村の回答に、苦虫をかみつぶしたような顔を老人が見せた。

「申し訳ありません。居直っているのではないのですが、私の持論をもう少し聞いて下さい。日本人とは違い、ドイツ人はヒトラーと徹底的に距離を置き、反省の態度を見せました。しかし、日本人は距離を置けませんでした。日本人には、言い訳をするのは恥ずかしいと思う国民性があります。何だかんだと自分を正当化する白人とは違うのです。言い換えれば、日本人は恥とか潔さという主観にこだわるあまり、ドイツ人のように自分のしたことを客観的に眺められないのです。

 その代わりとでも言うのか、極東裁判で裁かれたことを、日本は全て受け入れました。その後も、平和憲法を制定し、戦争を放棄しました。世界で唯一、戦争をしないと宣言したのですから、狼に囲まれた国際舞台にあっては、おとぎ話のようですよね。

 戦争犯罪人も、自らの手で裁きませんでした。今以て、裁いていません。自ら裁かなかった理由がどこにあるのかといえば、まず一つ目は天皇の意向であり、二つ目は日本人の歴史感覚の疎さにあり、三つ目は国際的視野の欠如にあると私は考えています」

 石村が穏やかに持論を述べると、今度は老人が守勢に回った。フィリピンの駐在員になった頃から、こうした問題に石村は何度も悩まされ、勉強したのである。日本人の名誉とか誇りを守るというのではなく、フィリピン人にも理解してもらえる理論が必要だと考えていたのだ。

「納得できる返事ではないが、君に会って良かった。とにかく、朝鮮人慰安婦を敵前で放り出したことを知っているだけでも、私は日本人としての君を評価するよ」

 あっさりと老人が石村の考えを認めた。もっとも、どれほど石村の考えが伝わったのかは分からない。

「私よりも深くあの戦争のことを考えている日本人がいたことに、私は驚いたよ。これからは個人的な付き合いをしようじゃないか。いつでも歓迎するよ。なにしろ、明日からは隠退生活で、暇だからな」

 帰るぞとアルマンドに顎をしゃくって合図をし、老人はソファーから立ち上がった。


          4


 税務署員アルマンドの件は石村の希望通り二万ペソの賄賂で落ち着いた頃、ストライキで石村を脅したアーサーが、組合の男を連れて事務所に入ってきた。二人揃って石村の前に立ち、いかにも気まずそうな顔を石村に見せながら、ちらちらと組合の幹部には憎々しげな視線をアーサーは浴びせている。最初に口を開いたのは、組合の男だった。

「今日やってきたのは、アーサーの再就職の件だ。ストライキをしなかったから、何も問題はないだろ」

 石村を脅した事に対する申し訳なさなどは、まるでないらしい。勿論、ストライキがなかったのは、マリアが手を回してくれたのだと、石村には想像がついている。

「全国から仲間が集まるとか、無事にはすまないとか、たいそうなことを言っていたじゃないか。それなのに、何事もなかったからこれまで通りで良いだろと言われても、私は納得できないね」

 予想通りの展開なので、同情はするものの、すんなりとアーサーを受け入れるつもりにはなれない。

「あんたが俺をストライキに誘ったから、俺は首になったんじゃないか」

 満面に怒りの表情を浮かべ、アーサーが組合幹部に大声を出した。

「俺のせいじゃない。ストライキの中止は上からの命令だ。仕方ないだろ」

 大慌てで、組合幹部が言い訳をすると、アーサーがズボンのポケットに手を突っ込み、ナイフを引き出した。刃渡りに二十センチほどのバタフライナイフである。

「プッタゲナ(糞野郎)」

 叫ぶやいなや、アーサーが組合男の腕にナイフを突き刺した。汗だらけの紺色Tシャツから、組合幹部のどす黒い血がにじみ出てくる。静脈の血管が切れたのであろう。

「タマ、タマ(待て、待て)」

 こうなると石村も黙っているわけにはいかず、タガログ語で必死にアーサーを止めに入った。

「こいつが悪いんだ。労働者の権利を行使すれば、どんな要求も必ず通ると、俺をけしかけたのはこいつなんだ」

 片手にナイフを握ったまま、アーサーは石村に向かって泣き顔を見せる。

「お前を欺すつもりはなかったんだ。信じてくれ。俺はストライキを続けたかった。だが、幹部からストライキを指令されたのに、数日経って中止命令が出されたんだ。理由は知らん」

「それじゃ、どうして俺から逃げ回っていたんだ。やっと今日になってお前を見つけ、腕を摑んで連れてこなかったら、俺から逃げるつもりだったんだろ」

「なぜ俺が逃げなければならん。全ては上からの指令だ。俺の責任など、これっぽっちもない」

 双方が口から唾を飛ばし、言い合いが続く。

「いい加減にやめてくれ」

 石村が口を挟んだ。組合幹部の腕から血が滴り、危険な状態になりつつある。

「分かった。アーサーの復職を認めるよ」

 目の前での刃物沙汰に動揺を覚え、アーサーを落ち着かせようと石村は考えた。しかし、二人が何かを仕掛けているのではないかという疑いも湧く。万事につけて、芝居がかった真似をするフィリピン人である。そのように見えるのは、偏見と言うよりも、日本人の感情表現と違うせいもあろう。

「ボス、ありがとう。この歳になって、俺は学んだよ。俺は皆を幸せに出来ると思って、ストライキを考えた。ところが、誰からも相手にされなかったので組合に頼ったんだが、奴のような組織の人間が、どれほど信用できないか、一人一人の人間を軽く見ているか、よく分かった」

 アーサーは石村の手を握ると、その手に唇を近づけた。目上の者に対して敬意を示す仕草で、今でもフィリピンの田舎に残っている風習である。

「あんたの学んだことは、俺と同じ考えだ。恥じることはない。それより、早く組合の幹部を病院へ連れて行ってやれ」

 アーサーに指示を与えてから、

「アーサーを恨むなよ。もし訴訟を起こしたりすれば、アーサーの再雇用は取り消しだ。あんたは一生、アーサーの恨みを買う事になるからな」

 腕の痛みのために顔をしかめている組合幹部に、石村は脅して見せた。アーサーの肩を持つというより、組織人間に対する怒りを石村は隠しきれない。


          5


 クリスマス直前の十二月二十二日夕刻、椰子繊維の供給者であるウィリーが、石村の事務所にやって来た。マニラの街はもとより、フィリピン全土にクリスマスの和やかな空気が漂っている。

「今日こそは決着をつけようぜ」

 尻ポケットから拳銃を引き抜き、ウィリーは机の向こうに座り込んだ。石村を横目で睨みながら、二十二口径の回転式拳銃を掌で弄んでいたかと思うと、いきなり銃口を石村の額に向けてきた。

 ウィリーが石村に拳銃を突き付けてくるのは、これで三度目である。生きた心地がしないのは、これまで通りだ。しかし、クリスマスが目前のこの日は日本の大晦日のようなもので、溜まっている支払いに追われているのか、これまでと違ってウィリーの目つきは険悪になっていた。

「もう何度も言ったことだが、君の納めた椰子の繊維はゴミなんだ。それさえ認めてくれれば、何でも君の相談に乗るよ」

 ウィリーが強盗に早変わりし、今度は殺されるかもしれないと判断した石村は、譲歩することにした。

「相談に乗ってくれるのか」

 意外な石村の言葉に安堵したのか、ウィリーが満面の笑みを浮かべた。単純な男なのである。

「実は今日中に金が必要なんだ。トラックの支払いが滞っていて、明日にでも取り上げられそうなんだよ。車がなければ商売ができないのは、あんたも分かってくれるだろ。それに、これが何と言っても俺にとっては一番大事なことなんだが、昨日、子供が生まれたんだ」

 ウィリーが泣き出しそうな顔を見せた。

「そうか、子供が生まれたのか。おめでとう。君の状況は分かった。力になろうじゃないか。まず、君が納めてくれた商品代金として、千ドルを払おう。それから、今後の協力と生まれた子供のお祝いとして、千ドルを追加するよ」

 石村が大判振る舞いをして見せると、ウィリーは握手を求めてきた。フィリピン人は情にもろく、親切心を見せることで仲良くなれる。プライドの問題であり、その線を突き崩せば男同士の付き合いが可能になるのだ。

「君の話を、もっと早く聞いてあげれば良かったな」

 石村が言うと、ウィリーは肩を震わせ、本格的に泣き出した。

「君も俺も、自分の身一つで生きる者どうしだ。今後は話し合いを密にして、お互い商売を盛り立てていこうじゃないか」

 さらに石村が言葉を付け足すと、

「今から俺たちは兄弟だ。赤ん坊のニノン(名付け親)になってくれ」

 やや芝居じみた調子だが、ウィリーは本気のようである。名付け親になれば、今後は子供の相談にも乗らねばならず、時として学費や就職の面倒も見てやらねばならない。有難迷惑ともいえるのだが、石村は引き受けた。頼まれれば断れないのが石村の性分であり、誰にも頼られない男は情けないとすら思うのである。

 男泣きをしながら喜色満面のウィリーの表情を見ていると、会社を辞めてよかったと、つくづく石村は思う。子供を作り、家庭を持ち、家を建てる。それだけが男の一生なのかと、いつも疑問だった。俺はもっと色々なものを見たい、キリスト教だ、共産主義だのといった宗教や思想にとらわれず、勿論、会社組織の資本の論理や人間関係にもとらわれず、自由にものを見たい、経験したいと思ったものだ。石村にとっては、人が喜ぶ顔を見るのも貴重な経験なのであった。

 勿論、石村は世間知らずの男ではない。他人に頼らず、自分の才覚で生きる覚悟をしてはいるものの、多少の打算はある。異国で暮らせば必ずトラブルに巻き込まれる。それも、想像がつかないほどの困難に陥ることがあるかもしれない。そんな時こそ、現地の人間の助けが必要になるのだ。いざという時にどれだけ使えるカードを持っているか、それも己の才覚であり、運命の分かれ道になるに違いない。ウィリーは使えそうな奴だと石村は思った。


          6


 年が明け、1987年の一月になると、助けを求める支店長の声を録音したテープが共同通信マニラ支局に送り付けられ、続いて、右手人差し指を切断された若林氏の写真が、日本のマスコミ各社に送られてきた。共同通信は契約した全国の新聞社にニュースを配信する会社で、配信された記事はほぼ自動的に各新聞社が紙面に掲載することを犯人は知っていることになる。さらに、英文の犯行声明が送られてきたが香港で投函された消印があることから、国際的に暗躍する日本人が犯行に関与しているとの憶測が流れた。


 三月八日、日曜日の昼過ぎ、翌日の船積み作業を準備するために一人でいた石村の事務所に、突然、テスが訪ねてきた。切羽詰まっている様子が感じられる。

 テスの出現に驚きながらも、石村はマリアからのメモを受け取った。既に胸から消し去ったはずのマリアなのに、希望のようなものが湧き上がってくる。

 一度だけでも再び彼女に会える内容であって欲しいと、祈るような気持ちでメモを開くと、「明後日の十日、夜八時、グリーンベルトの『シェイキス』に来て下さい」と書いてあった。グリーンベルトはマカティの一角にある商業地区の通称で、大型の映画館や公園などがある。「シェイキス」はアメリカ資本がフィリピンで展開するピザ屋のチェーン店として知られ、マカティ通りに面していた。

 メモを読んだ瞬間、石村の心臓は激しく波うった。二度と会えないと思っていたマリアに、また会えるのだ。しかも、テスの様子には何かが感じられる。即座に石村は承知した旨をテスに伝えた。

 テスを送り出してから、マリアに会える嬉しさの一方で、なぜ会いたいと言ってきたのか、石村は考え続けた。誘拐事件は解決していないものの、もはや自分の出番はないはずなのだ。

 事件についての口外は無用と念押ししたいのだろうか。だとすれば、今更、何のための念押しだろうか。テスが突然に現れるような緊急性はない。人質の日本人に何か問題があって相談事でもあるのだろうか。それなら、あの二人の日本人にこそ相談すべきことだ。願わくは、肉体関係を続けたいという彼女の思いである。半年前に再会した夜、六度の情交を果たした成果なのだろうか。

 石村は頭を横に振った。どれもあり得ないことだ。それほど石村は自惚れの強い男ではない。理由は何であれ、たった一つ言えることがある。何としてでもこの機会を通して、彼女を自由にしてやることだ。

 説得は簡単にいくまい。新人民軍の本部へ出入りし、幹部から信頼されている彼女は、裏切れば処刑される可能性が高い。それでも彼女の心を変えねばならないとしたら、何をどう話したら良いのか。母親が泣いていると知っても、志を変えなかった彼女なのだ。結婚を申し込んだとしても、革命を志している彼女の思想が揺らがないのは、昨年、再会した折に試したとおりである。

 どう説得したら良いものか、石村は考え続けた。政府軍との戦闘が続く過酷な状況の下、命を懸けて生き続けるのは、たとえ革命戦士だとしても葛藤があるはずだ。今度こそ本気になって説得せねばならない。しかし、何をどう言えば良いのか。

いくら考えても、妙案は浮かんでこない。時間は過ぎていく。終には、夜の闇が周囲を覆うようになると、マリアの肉体が脳裏に浮かび、石村は説得の問題に集中できなくなった。

 こんな大事な瞬間に、いったい何を自分は夢想しているのかと反省した時、「男の分別」という言葉が頭に浮かび、自らの過ちに石村は気がついた。

(去年、彼女と会った時、真剣にマリアを説得したつもりだったが、果たして俺は本気だったのだろうか。マリアを自由にすることよりも彼女を手放したくない思いが強く、中途半端な思いで説得していたのではなかったか)

 と思えてきたのである。

マリアの立場になって考えてみた。再会した時、既に幹部から信頼されていた彼女は、結婚するために脱走すれば、石村に迷惑をかけると思っていたのではなかろうか。もしそうなら、結婚の申し込みをマリアが断ったのも当然のことだと、今になって石村は思い至る。

石村は考えを新たにした。マリアを組織から脱走させるには、お互いがお互いへの恋心を捨てなければならない。まず自分がマリアとの別れを決断し、次にマリアに自分との別れを決心させるのだ。

 それにしても、万が一にでも説得が功を奏し、革命組織からの離脱をマリアが決心した後はどうするのか。新人民軍のお尋ね者となれば、フィリピンにいる限り、命が狙われるのは自明の理である。警察へ投降しても、性器に高圧電流を流される、指を折られるなどといった過酷な取り調べを受けるのはこの国では常識であり、下手をすれば美貌の持ち主であるマリアは凌辱され、殺されることもあるのだ。

 国外へ脱出させるしかない。外国へ逃げるとなれば、市民権の取れるアメリカしか考えられなかった。しかし、マニラ湾沿いを走るロハス大通りのアメリカ大使館には、来る日も来る日もビザ申請者が大量に押しかけ、広い中庭まで溢れかえっている。とてもではないが、何年かけてもビザは取れないだろう。

日本への入国ビザはどうかとも考えたが、フィリピン人への入国査証は、旅行者であっても取得は難しかった。観光ビザで入国し、不法就労するフィリピン人が多いからである。三菱自動車との現地合弁会社の副社長ですら、ビザの発給を拒否されたという話も聞いていた。新人民軍の元兵士、ましてや日本企業支店長誘拐事件の関係者となれば、ビザの取得などは論外だろう。

石村は考えるのをやめた。新人民軍からマリアを脱出させたい気持ちは変わらないが、仮に説得が功を奏したとしても、その後、自分に出来ることは何もない。残念ながら、それが現実だ。

何も出来ないのに、脱走させて知らんふりなどというのは、あまりにも無責任である。彼女を自由にさせたいと説得を試みながら、いざとなれば何も出来ないと気がつかされるとは、なんと甘かったのかと石村は猛省した。

(俺はなぜ素浪人になったのだろうか。電器会社を辞めたのは、三人の美女がいたからだろうか。日本ではあり得ない、夢のような生活を捨てられなかったからなのか。そうではあるまい)

 時と共に薄れていく自分の覚悟を、石村は思い起こそうとした。無責任だなんのと自虐の念に捕らわれているだけで良いはずはない。マリアからのメモに、これまでとは違った何かを石村は感じていた。

 石村の頭に、過去の記憶が蘇ってくる。

(俺はマリアと知り合った。戦争の傷跡を知って涙を流し、悲惨な日系人の姿を見て、日本人としての自責の念に捕らわれている。俺は変わったのだ。だとすれば、せっかく会社組織から自由になったのに、何が俺を躊躇わせているのだろう。死ぬのが怖いのか。ようやく探し当てた商売を捨てたくないのか。

 馬鹿げている。俺は後悔したくない。今にして思えば、会社のために自分の人生を左右されたくないから素浪人になったのだ。それなのに、ここぞというところで思いを曲げるのは、俺の本望ではない。納得した死に場所を求めて、今を生きているのだ。だとすれば……)

 石村の心が、次第に晴れてきた。


          7

 

 約束した三月十日の火曜日、「シェイキス」ピザ店で落ち合った二人は、マリアの希望でパサイ市のモーテルへ直行した。

「身代金の受け渡しが、三月二十二日、日曜日の午前二時に決まったの。場所はパラニャケ市の『ロヨラ・メモリアル・パーク』で、墓地には現金を持ってくるティナガン神父と新人民軍一名以外は、誰も入らない約束になっているわ。それから、身代金は八百万ドルに値切られて、全部十ドル紙幣ということになったの」

 モーテルのベッドに腰かけ、何やら落ち着かない様子でマリアが言った。ティナガン神父は、一九八三年にマニラ国際空港で暗殺されたアキノ元上院議員の葬儀の際に活躍した人物である。反マルコスの闘士として有名な神父で、名前も顔も石村は覚えていた。

 マリアの様子がおかしいことに、石村は安堵している。というのは、心ここにあらずといったマリアの態度は、石村の性欲を鎮めるのに効果的だったからだ。お互い未練を捨てなければと分かっていながらも、石村の男の分身はいきり立っていたからで、いざとなればマリアの魅力には勝てまいと不安だったのである。

「それで、若林支店長は、いつ解放されるんだろう」

「身代金を受け取ったら、十日以内に解放すると党の幹部から聞いているわ」

「良かったじゃないか。これで君も面倒な仕事から解放されるわけだ」

 マリアの顔を見つめながら、いつ彼女に脱走の話を持ち出すか、石村はタイミングをうかがった。

「現金の受け取りは、私がすることになったの」

 意味ありげな口調でマリアが言うのを、石村は聞き逃さなかった。

「もしかすると、君は……」と石村が言いかけると、

「私は組織を抜けたいの。もう誰にも止められないわ」

 この言葉で、なぜ彼女が石村に会いたいと言ってきたのか、疑問が氷解した。

「一体、何があったんだい」

 彼女の思想を捨てさせた理由が何なのか、石村は問い質した。

「父が死んだのよ」

「突然な話だね。まだ五十歳になったばかりだと記憶しているが」

 三年前、訪れたマリアの実家から引き上げる際、ちょうど帰宅した父親が、片足を引きずっていた姿を石村は思い出す。戦後まもなく、まだ十歳の少年だったが、村に近い市場へ出かけたところを日系人ということでリンチに遭い、片足の踵を斧で切断されたのだ。父親は、町の市場で仕入れた魚を干物にして売り歩いているという。

「行商先で金銭トラブルに巻き込まれて、拳銃で撃たれたの。お金のなかった父は、病院で見てもらえないまま死んだそうよ。二ヶ月前のことだと、一週間前に私は妹から聞いたばかりだわ」

 マリアが涙声で言った。不自由な体で干物の行商をしていた父親であれば、余計に哀れさがつのるのかもしれない。思わず石村は、マリアの体を抱きしめた。

「どんなトラブルに巻き込まれたのか、君は知っているのかい」

 愛する女性の父親の死に疑問を持つのは、一つの礼儀でもあろう。軽い気持ちで深追いした石村であったが、マリアの返事はない。石村は返事を促した。

「売掛金が貯まっていたので、集金に行ったのよ。そのお金はテスの学費として、当てにしていたの」

「それで支払いを渋る相手に、逆上した親父さんとトラブルになって殺されたという訳か」

 石村の推測にマリアは答えにくそうだったが、ようやく重い口が開いた。

「それが違うの。支払われたお金を受け取った丁度そのとき二人組の男が現れ、回収した売掛金を奪われたの。その二人組は、人民税を徴収しに来た新人民軍の兵士だったそうよ。隠していたナイフを振りかざして父は売掛金を取り戻そうとしたところ、撃たれたと聞いているわ。テスの学費だもの、父は必死だったのね」

 人民税とは税金のことである。父親が訪れたのは、新人民軍の支配地域だったのだ。

 よりによって、マリアの同志によって殺されるとは、なんという皮肉だろうか。マリアにとって、かなりの精神的ショックだったはずだ。

 マリアの肩の骨を感じながら、石村には疑問が湧く。行商をして歩いたところでたいした金にはならず、しかも不自由な片足のために思うように動けない父親がいながら、なぜ娘は革命などを志して新人民軍に入ったのだろう。それこそ、フィリピン国立大学という一流大学に入ったのだから、早く卒業して父親を助けねばならなかったはずだ。若者というのは、自分の境遇や家族よりも、時として理想を優先させてしまうのか、それとも、フィリピンの現実が余りにも過酷なのだろうか。

「私のことを軽蔑してるでしょ。革命に命を捧げると言っていながら、この様なんだから」

 石村の胸の中で、マリアが呟いた。

「軽蔑なんかしているものか。むしろほっとしているよ。自分の主義主張にかまけて、大事な家族のことをすら忘れてしまう、君がそんな組織人間ではなかったと分かったんだからね」

 石村には慰めることしか出来なかった。今なすべきことは、彼女の心変わりを責めることではない。

「問題はそれだけではないの。父親が死んで、今すぐにでもテスの学資が必要なのよ。夏休みの始まる六月前に学費を払わないと、退学させられてしまうから。私のことで悲しませている上に父が死に、妹のことでも母に苦労をかけて、この先、家族の私が知らぬふりをして生き続けることなどできないわ」

 石村の腕を振りほどくと、ベッドに転がり込んだマリアが白いシーツに顔をうずめた。細い肩が小刻みに揺れている。

「組織を抜けたいと言っても、もはや君は新人民軍の幹部クラスだぜ。裏切れば殺されるのではないのか」

 願ったり叶ったりの展開ではあったが、彼女の言葉が本物かどうか、石村は試さねばならなかった。本当に脱走するとなれば、生きるか死ぬかの修羅場が待っているのだ。

「あなたの想像通り、処刑されるでしょうね。私はどうしたら良いの」

 ベッドにうつ伏せのまま、マリアの弱々しい声が返ってきた。

「力になるよ。俺は君を見捨てたりはしない。実は、どう説得しようか迷っていたんだ。どうしたら君を自由にしてあげられるか、ずっと考えていたんだよ」

 肩に手をかけて起き上がらせると、石村はマリアの目をじっと見つめた。


          8


「これから俺の言うことを、よく聞いてくれ。まず言っておかなければならないのは、君が外国に出なければならないということだ。これほど君が新人民軍に信頼されているとなれば、脱走すれば間違いなく殺される。それは君も分かっているよね」

 石村が言うとマリアは頷いた。

「君と俺が結婚すれば、話は簡単だ。日本へ逃げれば、まさか新人民軍も君の命を狙うことはないだろうから。しかし、これは言いにくいことなんだが、俺はフィリピンから出るつもりはない。俺は一匹狼を志して会社を辞め、ここまでやって来た。それに、四十歳目前の自分が日本で就職しても、会社の人間関係には耐えられないと思っている。自分の性格は、自分が一番よく知っているからね」

 自分への思いを断ち切らせるために、あえて冷静に石村は言った。ここぞというところで欲望にとらわれて損得を考える奴は男でも人間でもない、自分は損得が先に立つ組織の人間ではないのだと、心の中で自分に言い聞かせながらの発言である。

「分かったわ。あなたに迷惑をかけたくないから、私も結婚してくれとは言わない。でも、忘れないでね。私があなたを愛していることだけは」

 彼女が同意してくれたので、石村の気分は軽くなった。それでも、「あなたを愛している」と言うマリアの言葉を聞き、石村は動揺せざるを得ない。寂しさが沸き上がった。彼女がフィリピンの外へ出るとなれば、長期滞在の出来るアメリカになる。会うことは難しく、いずれ二人は別れることになるだろう。

 しかし、ここで感情に負けたのでは、自分の信念は貫けない。更に心を鬼にして石村は言った。

「国外へ逃げるには、金がかかる。パスポート、ビザ、航空券、それに生活費が必要だ。君だけではなく、お母さんの生活費やテスの学資も必要になる。しかし、残念ながら、今の俺には、君の家族の面倒を見る資金の余裕がない。そこで、君に提案だ。たった今、君が身代金を受け取ると聞いて思いついたんだが、身代金の一部を頂戴するというのはどうだろう。五十万ドル(七千万円)もあれば充分なはずだ」

 石村はマリアの反応をうかがった。

「それは無理だわ。新人民軍の要求は他にもあって、現金は十万ドルずつ、NFA(食糧庁)の米袋に入れることになってるの。だから、身代金の一部をもらうといっても、足りないことはすぐにばれてしまうわ」

 石村が言い出した五十万ドルという金額の大きさに心が揺れているようだが、いくら家族のためとはいえ、自分の命にかかわる大冒険である。当然の疑問であった。

 八百万ドルを十万ドルずつに分ければ、全部で八十袋。受け取り直後に袋の数を数えるのは簡単だ。そこから五十万ドル分の五袋を抜き取れば、足りないことは直ぐにばれてしまう。どんな言い訳をしようと通用するはずはなく、間違いなくマリアは処刑される。

「確かに問題はいくつもある。例えば、今日から三月二十二日の日曜日まで十日間しかない。そんな短期間で、どうしたらパスポートやビザを手に入れられるか。それから、抜き取った直後の金を現場のどこに隠しておくのか。抜き取りが成功しても、どこで、どのようにマネーロンダリングするのか。そして、もっと大きな問題があるのは、君の考えるとおり、足りないことが即座にばれた場合だ」

 思いついたことを言ってから、石村は思考を巡らせた。

 新人民軍も考えたものである。身代金を入れるのに、わざわざ食糧庁の米袋を指定したのは、いつ警察に踏み込まれるか分からない状況を考慮し、袋を食糧庁のポリエチレン製で軽くしておき、積み下ろしと積み込みに時間をかけさせないためだろう。しかも、八百万ドルを十万ドルずつに分けておけば、全て十ドル紙幣であっても袋の数はわずか八十個であり、受け渡しの現場で容易に数えられる。

「私にはできないわ。もう恐ろしい話はやめましょう」

 声を震わせながら、マリアは涙を流した。

「まだ十日間の猶予がある。死に物狂いで考え、動き回れば、きっとうまくいく。結果を報告するから、受け渡しの二日前に、もう一度、会うことにしよう。本当に実行するかどうかは、その時に君が決めれば良い」

 マリアを元気づけるため、自信たっぷりに石村は言った。勿論、うまくいくかどうかは疑問だらけである。 しかし、彼女を救い出すためには、何としてでも手立てを見つけ出さねばならない。持てる知能と体力の限りを尽くして、この最後にして絶好のチャンスに挑むことこそ、一匹狼として生きることなのだ。

(ここで諦めたら男が廃る。一つ一つ問題を解決していこう。ここが俺の才覚の見せ所だ。吹けば飛ぶような俺の命ではないか。たとえ殺されようと、何が何でもやってやる)

 マリアの前で石村が決意を固めていると、二人の日本人、とりわけ柴山の顔が目に浮かび、石村の闘争心は、次第に彼らの背後にいる組織へと向けられていった。


          9


 時間がない。しかも、二人の命がかかっている。

 厄介な問題に直面し、その晩の十時過ぎ、マリアと何事もなく別れた石村は、パコ地区のアパートへ戻った。三月の半ばに入り、フィリピンは既に真夏になっている。湿度は高く、夜になっても気温が三十度を超えているのはいつも通りだ。

 五軒が連なった二階建てアパートの一つが、石村の自宅であった。上下の階がセットで一軒になっている。 一階の真っ暗な居間を足早に通り抜け、二階の自室に上がって蛍光灯を点けた。近所の華僑の家具屋から買った木製の机に座り、石村はノートを広げて書き込みを始める。一時間前にマリアに話した自分の思いつきを、整理するためだ。

 見開きの白いページに、音を立てて汗が滴り落ちたが、汗を拭いている場合ではない。石村は極度の興奮状態に陥っていた。

 マリアを外国へ脱出させるために必要な書類は何か、どう対処するかを、思いつくままに書き留める。

 

 イ) パスポート

  時間がない。正規に申請していたのでは間に合わない。偽造パスポートしかない。パスポート用の写真 は、三年前にマリアの実家で撮った写真が使える。

 ロ) 入国ビザ

  申請には本人の出向く必要がある。アメリカのビザがベストだが。

 ハ) 航空券

 ニ) 身代金を抜き取る方法

  八十袋に入った身代金の一部を、どう抜き取ればばれずに済むか。抜き取った金を、どうやってマリア  から受け取るか。

 ホ) 抜き取りが現場で発覚した場合

  足りないことが抜き取り直後に発覚したら、どう言い訳するのか。

 へ) マネーロンダリング

  誘拐事件の身代金は、専門の金融機関が手配するはず。たとえ十ドルであれ、紙幣の番号はすべて記録されている。そのままマリアに送金はできない。どうするのか。

 

 問題点を箇条書きにして、石村は溜息をついた。航空券の手配を除いては、難問ばかりである。特に、脱出先の入国ビザの取得と、抜き取りが即座に発覚した場合の言い訳を考えつくのは不可能に近い。この先どうなるのか、全く予想がつかない。

 他にもやるべきことが抜けていないかと、石村はノートを見つめた。決行してから気がつき、忘れていたでは済まされないのだ。

 腕時計を見ると、十一時を過ぎていた。興奮状態が静まるにつれ、不安が大きくなってくる。石村は階下に降り、冷蔵庫からビールを引っ張り出して栓を抜くと、そのまま喉に流し込んだ。

 今更とでも言おうか、ビールの苦さとともに、またしても迷いが蘇ってくる。

(計画を実行して失敗すれば、商売どころか自分の命はオシマイだ。まだ引き返せる。彼女を裏切ることになるが、死にたくはない。女一人のために命を捨てるなど、馬鹿げていはしまいか)

 別な声が聞こえた。

(俺はもう組織の人間ではない。世間の常識に従う必要などないのだ。心の表と裏を使い分け、器用に生きる必要などないのだ。己の良心に従って生きるために、俺は会社を辞めた。女一人のために命を捨てても、馬鹿げていると思うことなどないのだ)

 石村は我に返った。土壇場になって我を見失うとは、このことである。

「何が一匹狼だ。格好付けてる場合じゃないだろ。やるだけやってやろうじゃないか」

 石村は半ば自嘲しつつ声を上げた。しかし、もう迷うまいとは思うものの、確信はない。

 時間がなかった。とにかく出来ることから始めるしかない。翌日の三月十一日、石村が最初に手をつけたのは、パスポートである。かつて、ディスカウントの航空券でマニラへやって来た顧客との一件を思い出したのだ。

 一年前のことである。ディスカウントのチケットは帰国の日が決められており、その日に出国しない場合は無効になってしまうのだが、マビニのカラオケ屋でその顧客はお気に入りの女ができてしまい、出発日が過ぎてしまった。ところが、女に散財してしまい、無一文になった客は、なんとかディスカウントのチケットを使えないかと石村に泣きついてきたのである。

 航空会社に相談したところ、重病で出発できなかったことを証明する医者の診断書があれば考えると言う。そこで、石村はチャイナタウンの偽造屋を行きつけの日本料理屋で紹介してもらい、偽の診断書を作ってもらったことがあるのだが、その時にパスポートの偽造も目撃していたのだ。


          10


 翌日の夜七時頃、一年前の記憶をもとに石村はチャイナタウンへ出かけた。チャイナタウンはマニラ西部のビノンド地区にあり、強盗の多発する危険地帯である。その北西はアジア最大のスラムとして有名なトンド地区に隣接していた。

 パシグ川に架かるジョーンズ橋を渡ると、「中比友諠門」がある。そこをくぐって旧マニラ市街を少し進み右折し、「オンピン通り」からチャイナタウンへ入った。人影のない石畳の上を、カレッサと呼ばれる荷馬車が蹄の音を立てて走っている。通りには漢字の看板が目についた。書類にせよ新聞にせよ、横文字ばかりの日常を過ごしている石村には懐かしさを覚えるが、今はそんな悠長なことを言っていられない。

 この辺だと見当をつけた石村は、「東海海鮮園」という中華レストランの前に車を置き、暗くなっている周辺を歩き始めた。突然に鉄砲の弾が飛んできてもおかしくなく、石村は極度に緊張している。

 金物屋を発見せねばならない。その二階が偽造の場所であったのを覚えている。

 何本かの路地を通り過ぎた。所々、建物と建物の間に二、三人の男が佇んでおり、通行人に目を配っている。さしずめ暴力団関係者なのだろうが、建物に寄りかかって吸っているタバコの赤い火が、夜の暗闇の中に不気味であった。

 運河を越える小さな橋を渡ると、ようやく金物屋の看板が目に入る。蛇腹の鉄格子で店は閉められており、うっかり見過ごすところだったが、古びた建物の横にある階段を上がって二階へ行くと、かすれた文字で「文具」、「中国産品」と書かれた二つのドアがあった。

 文房具屋のドアをノックして中へ入ると、入り口にはボールペンやノートなどの商品を陳列した棚があり、部屋の奥は見えないようになっている。

 石村が声をかけると、中国系の顔をした爺さんが出てきた。唇の横にほくろがあり、そこから五センチもあろうかと思える白い毛が生えている。長寿と幸運を招く中国式の縁起担ぎだ。

 愛そう笑いを浮かべて爺さんが握手を求めてきた。どうやら石村の顔を覚えていたようで、今回はパスポートが欲しいと石村が伝えると、爺さんは石村の肩を軽く叩いて部屋の中へ招じ入れた。

「まず教えてくれ、どの国のパスポートが欲しいんだい。それから、利用者は男か女か、年齢もな。勿論、写真は持ってきたんだろうな」

 矢継ぎ早に、爺さんが石村の顔を見据えて本題に入る。

 石村が質問に答えながらマリアの写真を手渡すと、カーテンで仕切った隣の部屋へ爺さんは引っ込んだ。 三分ほどすると再び姿を現し、両手に抱えていたパスポートの束を机の上に広げる。全てが茶色の表紙からすると、フィリピン人用パスポートらしい。

 爺さんが机の前に座り、一冊ずつページを広げてチェックを始めた。性別と年齢が合うものを捜しているのだろう。しばらくして、一冊のパスポートを引っ張り出し、机の上に広げた。

 液体の入った茶色の瓶が、ずらりと机の上に並べられている。そのうちの一本を手元に引き寄せて細い刷毛を突っ込み引き抜くと、写真が覆られているパラフィンに塗り始めた。それからピンセットを手に取り、ゆっくりとパラフィンの端をつまんで引くと、きれいにはがれる。まるで手品を見せられているようだ。

 後の作業は簡単だった。マリアの写真と入れ替え、「比国外務省」の刻印を押してからパラフィンを再び貼って完成である。

 石村は二千ペソの手数料を払った。爺さんの顔に笑みが浮かぶ。

「出生証明書でも逮捕状でも、何か必要な書類があったらいつでもおいで」

 爺さんの言葉に見送られて、石村は外へ出た。

 一つ目の課題はクリアーしたものの、帰りの道すがらも憂鬱な気分である。仕事もせずに考え続けているのに、二つの難問が全く解決していないからだ。入国ビザの取得と抜き取り発覚時の言い訳である。

 ビザについては、知り合いの日本人に相談することも考えた。しかし、世間に注視されている誘拐事件である。事件を口に出さずにビザ取得の方法を訊くとしても、万が一にでも事件との関係を怪しまれ、裏の世界にでも知られることとなれば何が起こるか分からない。知人とはいえ当地で仲良くなった日本人というだけのことであり、実際には正体の知れない人物ばかりなのだ。恐喝されて金を巻き上げられるのが落ちであろう。

 車を駐めていた中国レストランに入り、石村は遅い晩飯を食べた。注文したのはパンシット・カントンというフィリピン風の焼きそばである。フィリピンにはウスターソースがなく、日本の焼きそばとは味が違うのだが、味の違いが分からないほど石村は途方に暮れていた。何とかしなければという責任感が空回りしている。具体的なアイデアと時間のない焦りが、石村を追いつめていた。



   第五章


          1


 パスポートを手に入れて次に取りかかったのは、ビザであった。ひとたび新人民軍のお尋ね者となれば、二度とフィリピンへは戻れない。長期滞在のビザが必要である。しかし、今は贅沢など言っていられない。本物でさえあればどんなビザでも構わない、三月二十二日までに取得し、フィリピンからマリアを出国させねばならないのだ。

 アメリカのビザが理想的であった。アメリカはかつてフィリピンの宗主国であり、フィリピン人にとっては親のように馴染み深い国である。フィリピンではタガログ語と並んで英語が公用語になっており、アメリカへ行けば言葉に不自由せず、仕事を探すのにも好都合なのだ。フィリピン人の夢はアメリカ人になること、という人もいるくらいであった。

 そのため、アメリカ大使館には大勢のフィリピン人がビザ申請に押しかけ、建物に入れないフィリピン人が広い庭にまで溢れかえっている。数千人の群衆が集まっていると言っても、言いすぎではない。マニラ湾沿いを走る「ロハス大通り」の名物にもなっているほどで、そんな光景を知っている石村には、限られた時間でアメリカ入国のビザを取得するのは、百パーセント不可能に思えるのだった。

 やはり日本のビザを取る以外、石村には良い考えが思い浮かばない。しかし、日本人がフィリピンへ入国する際には、ビザがなくても五十九日間、滞在できるのだが、フィリピン人の日本への入国にはビザが必要で、たとえ観光ビザでも取得が難しかった。不法滞在のフィリピン人が多いからである。

 偽造のビザは避けねばならなかった。日本へ着いたは良いが入管で偽造がばれ、フィリピンへ送り返されたのでは元も子もない。なんとしてでも、正式なビザを取らねばならなかった。

 パスポートを手に入れた翌日の三月十二日、石村は日本大使館へ出かけた。真夏に入ったマニラの空気は、焼けつくように熱い。日向に駐車した車のボンネットで、目玉焼きが出来るのではとすら思える。

 日本大使館は、マカティ地区のベンディア通りにあった。車が大使館の裏通りに入ると、数人の男が駆け寄ってきて、こっちに駐車しろとそれぞれが手招きする。男たちは路上を縄張りにしてチップを稼いでいるのだが、マニラのめぼしい駐車場には必ずこのような男達がいた。

 入り口の検問を通過し、石村は日本大使館の建物に入った。アメリカ大使館ほどではないにしても、領事部の窓口にはビザを申請するフィリピン人が長蛇の列をなしている。ざっと五百人ほどの人混みだろうか。

 数カ所の申請窓口にそれぞれ数十メートルもの列が出来ており、その内の一つに石村も並んでみた。マリア本人が実際に申請したら、どうなるかと知っておくためである。ところが、一時間たっても全く動かない。

 列が進まない理由は簡単であった。フィリピン女性を連れた日本人の男が次から次へと現れ、並んでいるフィリピン人の列を無視して横入りし、質問でもしているのか長々と窓口の中へ話しかけたり、書類を出したりするからである。

「ちゃんと並んだらどうですか」

 見るに見かねて、石村は大声を出した。女連れのパンチパーマの日本人男が、最前列で並んでいたフィリピン人を肩で押しのけて横入りし、窓口の職員に話しかけようとした時である。

「何だとこの野郎。ぶっ殺すぞ」

 男が血相を変え、三、四十メートルもある最後尾にいた石村に向かって走ってきた。

「並べとは何だ。もう一度言ってみろ。俺は日本人だぞ」

 凄みをきかせた声とともに、男は石村の顔を睨みつけてくる。

「日本人なら尚更、規則を守るべきでしょ」

 そう石村が言い返したとき、並んでいたフィリピン人から一斉に拍手が巻き起こった。拍手は領事部の広間にこだまして、なかなか鳴り止まない。状況を察したフィリピン人たちが、石村に対して「ガンバレ」と応援の拍手をしているのである。たまりかねた連れのフィリピン女性が男の腕を引っ張り、領事部の広間から姿を消した。

 街中で見かける、傍若無人の日本人がここにもいたかと、石村は恥ずかしくなる。一流ホテルのロビーではステテコ姿のまま歩き回っていたり、カジノでは従業員の注意を無視して、賭け金のチップをテーブルに放り投げたり、全く理解できない。旅の恥はかきすてと言うが、東南アジアで見かける日本人は、日本国内とは全く違う姿を見せるのだ。

 列に並んで石村が学んだのは、こんなに待たされるのではいくら時間があっても足りないということ、それに日本大使館が込み入った話をする環境ではないことであった。誘拐事件の話など論外であろう。

(もう諦めるか)

 大使館の裏手から車に乗り込み、石村は何度も反芻した。大使館の領事部に並んだ人数を見たら、もはや絶望的と言うしかあるまい。アメリカへも日本へも、もはや外国へマリアを逃がす道は断たれた。万事休すである。


          2


 大使館近くにある「メトロ・バンク」へ石村は向かった。気分を落ち着かせるためである。火事や盗難など、ありとあらゆる事態に備えて、石村はその銀行の貸金庫に重要書類や自分のパスポートなどを預けているのだ。

 裏の駐車場から銀行の建物に入り、エスカレーターに乗って貸金庫のある二階へ上った。貸金庫室の入り口には愛想の良いフィリピン女性が座っており、静かな雰囲気が辺りを支配している。石村の倉庫とは大違いだが、冷房も効いているので、気持ちを静めるにはもってこいの場所であった。

 貸金庫室内に置かれたテーブルに座り、石村は腕組みを始めた。万事休すと言うには、まだ何か踏ん切れない。これほど簡単に諦める気になったのは、当然ながらビザの取得が難しいからだが、それにしたところで余りにも不甲斐ないではないか。何故なのかと石村は考える。

 そもそも自分が会社を辞めたのは、人生に意味を持たせたかったからだ。大学を卒業して一流電器会社へ入ったものの、いつも不燃焼の気分を抱えていた。大きな自社ビルには立派な社員食堂があり、マンション並みの社宅があり、夏冬のボーナスも出る。しかし、仕事に生きがいを感じたことはなかったのだ。

 マニラへ赴任して全てが分かった。何が起こるかわからないフィリピンで、不安定な毎日を迎えているうちに、このような毎日こそが俺の求める生きがいなのだと気付いたのだ。平たく言えば、冒険こそ人生に生きがいをもたらすということである。

 そう考えたとき、もう少し動いてみよう、大いに冒険してやろうと石村は思った。何でも良いからやってみる、そして新しい局面に自分を追い込んでみる。完全主義はとらない、不完全でも何かに手を付けることから全ては始まる、と石村は日頃のモットーを思い出している。

 こうなれば、大使館員に直に話をつけるしかないと石村は決断した。当然ながら、面談の約束を取り付けて領事部の室内に入っても、多くの職員がいる部屋で、ビザを手に入れる特別な方法を教えて欲しいなどと頼めるわけがない。領事部の職員と、大使館の外で話をする必要がある。

 数か月前、在留邦人の参政権を要求して、数人の日本人仲間と大使館を訪問したことがある。その時、応対に出てきた職員のことを思い出した。鶴田という名のその大使館員は、在留邦人は棄民だとか非国民だとか言い出し、大喧嘩になったものだ。ところが、後日、マカティのスーパーマーケットで偶然にもその鶴田と出くわし、言葉を交わした。いつか一杯やりましょうという、他愛のないものだったが、大使館員に向かって言いたい放題だった石村を、機嫌取りに終始する他の邦人とは違い、それなりに気にかけている様子がうかがえた。

 貸金庫のある「メトロ・バンク」を後にして倉庫へ戻り、思い切って大使館に電話をすると、腹を割って口論したことが幸いしていたらしく、すんなりと鶴田は石村の誘いに応じてくれた。


          3


 三月十五日、身代金受け渡しを一週間後に控えた日曜日の夜、マビニのナイトクラブで二人は落ち合い、「先日は言いたい放題を言って失礼しました」、「いやいやこちらこそ」といった型どおりの挨拶を終えてしばらく雑談した後、頃合いを見計らって石村は誘拐事件に話を誘導した。

「例の若林支店長の事件では、さぞお忙しい思いをしていらっしゃるでしょう」

「本当にまいってますよ。まだ解決していないのか、犯人の特定は出来たのか、いつ解放されるんだ、何か要求はあったのかと、毎日どころか毎時間のように本省から催促があるんです。我々が誘拐したわけではないのに、まるで我々が悪者のようなお叱りを受けていますよ」

 五十がらみの鶴田が大きく顔を歪ませた。うんざりだと言いたい表情である。

「東京では『七井』のお偉方から、しきりに圧力をかけられているんでしょうね」

 さらに鶴田に危機感を与えてやろうと、石村は言葉を継いだ。

「勿論ですよ。何しろ被害者は、日本を代表する大商社の支店長ですからね。日本中の注目を集めているし、マスコミだって『外務省は何をやってるんだ、何にもしていないのではないか』と、批判がましい論調が出始めましたから」

「そうですか。世間とマスコミが敵になると、外務省も大変ですね。しかも、外務省から天下りしたOBも、『七井』には大勢いらっしゃるでしょう」

 石村は更に煽り立てた。

「そうそう、そうなんですよ。天下り組はここぞとばかりに拾われた恩義を果たそうとするし、本省のお偉さんはいずれ退官すればお世話になりますからね、ここはかなり真剣にやっているところを『七井』に見せておかねばならんのです。そんなわけで、眠る暇もなく発破をかけられているわけですが、こちらの警察に事情を訊いても、『問題ナイ、捜査ハ進ンデイル』という調子の良い答えばかりで、もうどうしようもありませんわ。こちらは『NBI(エヌビーアイ=国家犯罪捜査局)』のブガーリン局長にも、直に問い合わせているんですがね」

 いくら本省から尻を叩かれてもどうにもならん、何とかしてくれと言わんばかりの眼差しを見せる鶴田に対して、ここぞとばかりに石村は話を切り出した。

「突然の話で申し訳ありませんが、実は事件の関係者がおりまして、犯人の組織から抜け出したいと申しているのです。しかし、仲間を裏切れば命がありません。そこで、国外へ出るために日本のビザが必要なのですが、犯人の素性や身代金受け渡しの日時など、知っている限りのことをお話ししますので、なんとか協力してもらえないでしょうか。人質の解放は時間の問題です。それまでに、日本大使館が真相を把握しているとなれば、『さすがはマニラの日本大使館だ』と、本省からお褒めにあずかるでしょう。面子も立つのではありませんか」

 石村は必死に説得を試みた。

「確かに、大使館としては事件の真相が分かればありがたいですが、どんな形であれ、犯人一味へのビザ発給は出来ませんよ」

 困った表情を見せながら、鶴田は石村の要求を断ってきた。

「日本へ逃げたいという人物は女性で、バギオ周辺の日系人なんです。現地日系人たちの貧しさを見かねて救済活動を続けているシスター海野のことは、貴方もご存知かと思います。なんとか私も、犯人一味とはいえ日系人の一人である彼女を救ってやりたいのです」

 テーブルに手をついて石村は頭を下げた。

「そういうことなら、親族訪問ビザを申請してはどうでしょう。日本に在住する親族からビザの発給依頼があれば、審査次第では協力できますよ。もっとも、審査にはひと月くらいかかりますが」

 型通りの返事であった。

「それでは間に合わないのです。日本への入国ビザは、一週間以内に必要なのです」

「無茶なことを言わないでくださいよ」

 鶴田が顔をしかめた。

「そこをなんとかなりませんか。日本に定住させたいというのではありません。日本を経由して安全なアメリカへ逃がしてやりたいのです」

「そう言われても、もし彼女が日本で逮捕されでもしたら、ビザを発給した我々の立場はどうなるんですか。なにしろ犯人の一味なんですからねぇ」

 眉にしわを寄せた顔を石村に向け、態度の煮え切らない鶴田に次第に苛ついてきたが、再度、石村は頭を下げた。

「もう少し詳しく、事件の全容をお聞かせ願えますか」

 鶴田の頼みに応じ、最後の望みをかけて、自分がなぜ事件にかかわるようになったか、犯人の日本人が何者であるかを石村は明らかにした。

「そうですか。やはり、背後には日本人グループがいたんですねぇ。しかも、あの国が関係していたというのは驚きですな」

 鶴田は考え込む様子を見せた。一分、二分と時間が過ぎる。

「やはりお断りしておきます。今日の話は聞かなかったことにして、私は失礼させてもらいますよ。明日は、朝早くから会議があるんでね」

 淡い期待を石村が持ち始めた頃、いきなり鶴田が席を立った。逃げるようにして去って行く。休日の夜に呼び出された挙げ句、無理難題をふっかけられて怒っているのだろうか。

 一人残った石村は、深い溜息をついた。半ば予期していたことだが、ビザの取得は難しいようである。次の手を考えようにも、正規のビザを取るとなれば、職員より格上の領事か大使に話を持っていくしかない。だが、単なる在留邦人の石村には、面談を取り付けることは不可能であろう。

(もう時間だってありはしない。やはりここで諦めるべきか)

 足取りが重いとはこのことで、大いに落胆しながら石村は帰途についた。


          4


 アパートへ戻る途中、何度も石村の頭を掠めるのは、マリアを密出国させることであった。正規のビザがもらえそうもないのだから、法を犯すのも仕方がない。ルソン島北部のバシー海峡を渡り、バタン諸島、台湾近くの蘭島辺りまで足を伸ばしている漁船があると聞く。確かに、台湾は日本の最南端である与那国島や宮古島にも近く、主に日本からフィリピンへの密入国ルートがあるらしい。

 明日にでもルソン島北部の漁港へ出かけ、漁師に接触しようかと石村は本気になって考えた。

 しかし、致命的な問題がある。台湾、沖縄ルートで何とか本土まで辿り着いても、アメリカへ行くビザが取れないのだ。なぜなら、マリアのパスポートには、日本へ入国したスタンプがないのである。となれば、アメリカ大使館でビザが出ることなど百パーセントあり得ない。

 日本の偽造パスポートを入手しておき、密入国後にマリアを在日アメリカ大使館に行かせることも考えた。明日にでもチャイナタウンへ行けば、まだ時間の猶予はある。しかし、ビザ申請の相手は、海千山千のアメリカ大使館である。偽造を見破られる可能性が高く、日本の警察に通報されるのは必至だ。

 鶴田から電話があったのは翌日の昼前である。ビザの入手は不可能と結論づけ、石村がルソン島北部のアパリ町へ出発しようとしていた矢先であった。大至急、会いたいと言う。向こうから連絡が来た瞬間、石村は小躍りした。恐らく、吉報であろう。

 その日の夜六時、前回と同じマビニのナイトクラブで、石村は鶴田と再び向かい合った。時間が早いこともあり、店の二階に設けられているVIPルームに客は一人もいない。

「先日の話ですが、上司に相談したところ、意外な展開がありました。ここだけの話にしておいてもらいたいのですが、石村さんの話を私の上司が本省に報告したところ、『調査室』から指示がありましてね」

 ビールが運ばれ、ウェイターがいなくなるのを見届けると、もったいぶった様子をあからさまに振りまいて、鶴田がにやりと笑った。やはり良い話のようだと分かり、はやる気持ちを抑えて石村も愛想笑いを返す。「調査室」というのは、外務省ではなく内閣直属の日本版CIAのことだと石村は推測した。ここだけの話と鶴田が強調するのも理解できる。

「私が確認してくるよう言われたのは、犯人二人の顔と支店長が解放される日時です」

 葉書の大きさに引き伸ばされた三十数枚の写真をファイルから引き出し、鶴田がテーブルの上に広げた。二十代から三十代の若者が多い中で、一人だけ中年なのは間違いなく泉田である。

「柴山と名乗ったのはこの男、それから泉田はこの男です」

 真壁は二人の顔写真を、力強く順番に指さした。かなりの時間を一緒に過ごしたので、石村は確信を持っている。真剣な眼差しになって、鶴田が石村の表情を見つめているのは、石村の記憶に曖昧さがないことを確かめているのだろう。

「どうやら、この二人に間違いはないようですね」

 コップに入ったビールをゆっくりと飲み干し、石村の様子に満足した様子を鶴田が見せた。どうやら、「調査室」の最大の関心事は、二人の日本人を特定することにあったようだ。

「それで、若林支店長はいつ解放されるのでしょうか」

 事務的な鶴田の口ぶりであったが、待ってましたとばかりに石村は答えた。

「身代金の支払いは、三月二十二日の早朝です。解放は十日以内という約束なので、二十二日を一日目として計算すると、恐らく三月三十日の月曜日か三十一日の火曜日だと思います。身代金が八百万ドルに値切られたと聞いていますから、その腹いせとして可能性が大きいのは、約束ぎりぎりの三十一日だと思います」

 具体的な解放に向けての石村の話に、ひとつひとつ鶴田は頷いている。

「なるほど。よく分かりました。では、これは私の独り言だということで聞いてください」

 石村の説明を聞いてから、わざとらしく横を向いて鶴田が話し始めた。大使館の関与を濁すため、ここは石村に教えるのではなく、あくまでも独り言を呟いていることにしておきたいのだ。

「アセアン (ASEAN=東南アジア諸国連合) との条約でビザが要らないせいか、最近は香港で観光ビザを取って日本へ来るフィリピン人がいるみたいだなぁ。観光ビザと見せ金の二千ドル、それに往復の航空券があれば、日本の入国審査はかなり緩いらしい。香港の日本大使館で観光ビザを取るには、香港の銀行から残高証明を持っていくと良いみたいだ。フィリピンの銀行は信用できないが、香港の銀行なら大丈夫だからなぁ。そうそう、香港の銀行でも、九龍の『五和銀行』からの残高証明があれば、観光ビザなら一発で出るらしい。それから、日本へ入国したら、すぐにアメリカへの入国ビザを申請すると良いみたいだ。日本政府の厳しい入国審査を通っているから、日本のアメリカ大使館は審査の手を抜いているんだろうなぁ」

 独り言が終わったところで、分かったかとでもいうように鶴田が石村の顔を覗き込んだ。「五和銀行」は日本の銀行であり、ビザ発給のポイントとなる残高証明に信用があるのも頷ける。

「ありがとうございます。本当に助かりました」

 石村は鶴田の顔を見つめ、深い感謝の意を込めて頭を下げた。大手の日本企業には優しく、在留邦人には冷たいというのが大使館に対する現地の評判なのだが、今回の件に関して言えば、この職員は役人としてのリスクを顧みず最善を尽くしてくれたのだ。

 それにしても、幸運だったと石村は思う。なぜなら、一度、石村の頼みを鶴田は拒絶したのだ。その後になって態度が変わったのは、二人の日本人が関与している話を聞いて、何らかの興味を「調査室」が持ったからであろう。なぜ興味を持ったのか、どんな取引に使われるのか、それは分からないにしても、とにもかくにもビザ取得の目的は達したのである。

 

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 最大にして最後の難関は、受け取った身代金の入った袋をマリアが新人民軍に引き渡した直後、その場で金額がかぞえられた場合であった。パスポートやビザが入手できないなら計画中止で済む話だが、この問題だけは別格である。既に抜き取りを実行した後であり、現金の足りないことが発覚したら、間違いなくマリアは現場から連行され、処刑は免れまい。

 苛立ちが高じ、いっそのこと身代金全てを強奪して、あの二人の日本人の鼻を明かしてやろうかと馬鹿な考えが浮かぶ。追い込まれると、出来もしないことを人間は考えるものだと石村は苦笑する。

「余計なことを考えるな」

 声を出して自分の頭を殴り、石村は我が身を戒めた。

 今日は三月十九日、受け渡しまであと三日、最後の決断をするためにマリアと会う約束をしたのは明日である。しかし、どう考えてもアイデアが浮かばない。次第に焦りが膨らんでくる。

 墓場での身代金の受け渡しは、いつ警察に踏み込まれるか分からない。身の危険を承知している彼らであれば、一刻を急いで現場から立ち去ろうとするはずだ。であれば、その場で数えられることはないと高を括り、運を天に任せようと考えたりもした。

 しかし、なんといっても一人の人間、マリアの命がかかっている。世の中、人の心は甘くない。ましてや、相手は新人民軍である。まさかの事態で人生は狂うのだ。

 事務所の片隅で石村は考え続けた。机の上の灰皿には、煙草の吸い殻が山のように積もっている。この一週間、仕事は何もしていない。

(そういえば、ティナガン神父が身代金を持参すると、マリアが言っていたなぁ)

 マリアの言葉を石村は思い出した。

(五十万ドルを「新人民軍が教会に寄付する」と、俺が神父に言いくるめておいたらどうだろうか。教会としては犯罪がらみの金を受けることはないだろうが、個人となれば話は別だ。五十万ドルと言えば大金であり、何といってもここはフィリピンである。神父といえども、金に目のくらむことがあるのではないか。もし神父が邪な考えを持ったとすれば、「後ほど新人民軍が教会に寄付する」とマリアが伝えれば、その「寄付」を着服してやろうと思うに違いない。なにしろ俺の話を、新人民軍のマリアが確認するんだからな)

 更に石村は思案を続けた。次第に考えがまとまってくる。

(神父に「寄付」を匂わせる一方で、身代金をマリアが新人民軍に引き渡す際には、「神父から『寄付』を要求され、承諾しない場合には身代金を引き渡さないと言われたので、五十万ドルを渡した」と伝えるのだ。そうなると、ティナガン神父が教会に戻る頃を見計らって、新人民軍は「寄付」のことを電話で問い合わせる。そこが目の付けどころだ。五十万ドルに目のくらんでいる神父は、言葉を濁すに違いない)

 罰当たりとも言える発想だが、もはや他に良い方法は思い浮かばない。マリアの命を救うことだけを石村は考えていた。

 夜八時頃、石村は教会に出かけてティナガン神父と面談した。五十万ドルをマリアが個人的に神父に渡すと、信じ込ませるためである。面談とは名ばかりの、人気のない廊下での立ち話であった。

「新人民軍から、五十万ドルを寄付する申し出があるのですが、受け取ってもらえないでしょうか」

 いかにも新人民軍の使者であるかのように、石村は話を始めた。

「それはできません。神に仕える我々とても金は必要ですが、まさか誘拐事件の身代金を、たとえ一ペソたりとも受け取ることなどありえないことです」

 怪訝そうな顔をして神父が答えた。予想通りの返事である。

「分かりました。しかし、もう少し話をさせていただきますと、その寄付は新人民軍の、一人のメンバーからの申し出なのです。ですから、全く公になることはありません。神父様個人の判断で、いかようにも処理して結構な金なのです」

 この間の経緯を説明し、神父が邪な考えを抱くように、石村は本題を切り出した。

「もう結構です。お帰り下さい」

 神父が声を荒げた。それでも石村は引き下がれない。神父の怒りを無視して、何とか説得しようと話を続けた。

「ネグロス島の悲惨な現実はご存知でしょう。いかに汚れた金でも、金を必要としている人が大勢いるのです。三日に一度の食事にも困っている貧しい人々を、神父様は見殺しにするのですか。寄付の件は決して公にはしませんから、安心して受け取ってください」

 石村は食い下がった。もっともらしい理屈をつけて「寄付」を承諾させれば、神父も何かを期待するに違いないのだ。もう一押しである。

しかし、神父は迷う様子を全く見せなかった。

「なんと言われても、我々は受け取れません。犯罪に手を貸すことになるからです。教会が誘拐犯と共謀したなどと噂が流れたら、大変なことになります。それこそ、私が神父を辞めて済むような問題ではないでしょう」

 これ以上の話は無用とばかりに、神父は背を向けて歩き始めた。神父の個人的欲望を誘い出そうという目論みは失敗に終わった。

「お待ちください」

 神父の前に回り込み、足をそろえて廊下に座りこむと石村は額を床にこすりつけた。

「どうか、一人の女性を救ってください。貧しい日系人家庭に育った女性が、今回、身代金受け渡しを命じられたのですが、その彼女が新人民軍から抜け出したいと申しております。処刑を恐れる彼女は国外へ逃げねばならず、まとまった金が必要なのです。それには、身代金から一部を抜き取るしかありません。しかし、彼女が空港へ逃げ込む前に抜き取りが発覚したら、彼女は殺されてしまいます」

 必死に説明をしながら、石村は泣いていた。頭を下げたまま、十秒、二十秒と時間が過ぎていく。

「分かりました。ではこうしたらどうですか。私が寄付を受け取ったと新人民軍に伝えて下さい。実は、当日、トンド地区で早朝のミサがあるのです。一度、ケソンの教会へ戻る予定でしたが、直接、トンドへ行くことにします。そうすれば、私がケソンの教会へ戻る昼過ぎまで、果たして私が寄付を受け取ったのか、新人民軍は確認のしようがないはずです。その間に、空港へ駆け込んでしまえば、彼女は安全なのではないですか」

 神父の声が聞こえ、頭を下げ続けていた石村は、肩が軽く叩かれるのを感じた。石村が顔を上げると、神父は大きく頷いてから教会の奥へ消えていった。後姿を見送りながら、自分の思いが神父に通じたことを感謝し、石村はもう一度、廊下に頭をこすりつけた。慈悲の心とはこういうことを言うのかと、生まれて初めて知った思いである。


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 ドルの送金については、問題がないことを銀行で確認していた。外貨準備の少ないフィリピンでは、銀行からドルを買うことは難しいが、ドルで預金すれば何百万ドルでも自由に国外に送金できるのである。これは中央銀行の規則によるもので、マルコス大統領が国外に資産を持てたのも、この規則のおかげだった。日本の円借款から得たリベートをドルで受け取り、せっせとアメリカやスイスに送金していたのだ。

 マネーロンダリングの問題は、生まれた子供を連れて事務所へ来た椰子繊維業者のウィリーによって解決されていた。幼馴染がマビニのブラックマーケットで働いており、マネーロンダリング程度は簡単なことだという。そのほかにも、ケソン市南部の「ニュー・マニラ」地区には地下銀行があり、マネーロンダリングができるということだった。ウィリーの語る詳しさから、間違いなさそうな話であった。

 全ての問題を解決したところで、神父に会った後、日が変わった受け渡し二日前の午前一時、石村は「ロヨラ・パーク」へ出かけた。受け渡し時間の午前二時頃がどんな様子なのかを調べるとともに、現金を放り込む穴を掘るためである。掘った穴の上には蓋をして、その上に目印の石を置く計画だ。

「ロヨラ・パーク」はマニラ屈指の墓地であった。南方高速道路の「スカット」ゲートを出て十分足らずの所にあり、入り口には焼却炉の煙突が立ち、構内はきれいに清掃されている。

 ジョギングができると聞きつけ、数日前、管理人に話をつけて石村もジョギングを始めていた。勿論、現金を掘り出す際に怪しまれないためである。

 真夜中の墓地へ入るのは気味が悪いものだが、日本のように陰気な感じはしない。車に乗ったまま構内へ入ると、広い道路がまっすぐ続いている。かなりの距離間隔を置いて薄暗い街灯が立っており、通りの左右には大理石張りの一軒家が見えるが、いずれも墓であった。窓もあり、備え付けのエアコンも見える。ここまで金をかけるのは、この墓地の利用者の多くが大金持ちの中国系フィリピン人なのだ。

 マリアから教えられた受け渡し地点へ着いた。いざという時に駆けつけやすくするためか、それとも不審者の発見を容易にするためか、見通しの良い十字路になっている。

  車から降りてトランクから大きなシャベルを取り出すと、石村は辺りを見渡した。白い門構えの小綺麗な建物がある。建物の玄関近くには花壇があった。ここならマリアの目につきやすく、抜き取った現金を運び込むのに手間暇がかからない距離だ。神父が引き揚げてから時間をかけていたのでは、新人民軍に怪しまれるのは間違いない。花壇の後に穴を掘ることに上村は決めた。

 十ドル紙幣は一束で千ドルにしかならず、五十万ドルを抜き取るとなると五百束にもなる。十万ドルが一袋になっていると聞いているが、それでも五百束もの紙幣が入った五つの袋を埋めるとなると、かなり深い穴を掘らねばならない。

 一時間かけてようやく穴掘り作業を終えた。再度、車に戻り、何枚か用意しておいた板の中から大きめのものをトランクから運び出す。掘った穴の上に板をかぶせてから丁寧に土をかけ、目印として適当な大きさの石を三個だけ置いた。

 作業が一段落したところで、持ち込んだペットボトルから水を注いで手に付いた土を洗い流すと、疲れた石村は夜空を仰いだ。汗を拭きながら石村の頭をかすめるのは、マリアのことである。

(これですべての段取りは終わった。計画を実行すれば、待っているのはマリアとの別れだ。失敗しても成功しても、俺は彼女の姿を二度と見ることはないだろう)

 後戻りしたい考えに取りつかれるのをこらえ、石村は自分が二度もマリアを傷つけたことに思いを馳せた。一度目は彼女の処女を奪い、二度目は結婚を断ったのだ。全ては中年男の我儘である。若い女にうつつを抜かしながら、自分の夢も捨てきれない男。そんな男と関係を持った彼女が不憫でならなかった。

「ロヨラ・パーク」で穴を掘ってから、石村は事務所へ向かって車を走らせた。南方高速道路へ入るスカットのゲートに近づいた時だった。二人の若いカップルが歩いている。通り過ぎたとき、女がマリアであるのに気が付いた。楽しそうに笑っている。おそらく、若い男は新人民軍の仲間であろう。声をかけることはできないので車のスピードを落とさず通り過ぎ、石村は事務所に着いた。

 人気のない倉庫に入り、事務所の机に座っても落ち着かない。石村は苛ついていた。自分でも訳が分からない。胸騒ぎのような、いても立ってもいられない気分だ。脳裏をよぎるのは、マリアの楽しそうな姿である。恐らく、二人は受け渡し前の下見をしていたのだろうと推測できるが、マリアも若い女である。二人が恋人どうしだったとしても不思議ではないと思えてきた。

 石村は立ち上がると座っていた椅子を掴み、力任せに黒板に放り投げた。音を立てて黒板と椅子が床に落ちる。それでも苛立ちは収まらない。割れた黒板を拾い上げ、今度は壁に向かって投げつけた。

 やがて、情けない自分の姿が頭の中でちらつき、徐々に気分は収まっていく。それでも、腹の底から湧き上がるマグマのような熱いものが、行き場を見失ったかのように石村の体中を駆け巡っていた。

(なぜなんだ。万事片付いたと思ったこの時に、なぜ余計な問題がまた持ち上がるんだ。これではマリアを逃がしてやろうと、苦労した自分が馬鹿を見るだけじゃないか)

 石村は苛立ちを抑えられなかった。

 タバコに火をつけて、深呼吸をした。自分が二度も彼女を裏切った男であることを、改めて思い出す。せめてもの罪滅ぼしだと思うと、ここまでやって来たことを放棄するわけにはいかなかった。


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 三月二十日の夜、受け渡しの二日前、マリアと石村はサンホアン地区グリーンヒルズにある大型スーパーマーケット「ユニマート」で落ち合い、パシグ地区のモーテルで最後の打ち合わせをした。

「準備はすべて整ったよ。受け渡し直後に新人民軍が来たら、こう言うんだ。『五十万ドルを神父から要求され、渡さないなら身代金も渡さないと言われたので渡した。疑うのであれば、後で神父に確認して欲しい』とね。神父は昼まで教会には戻らないことになっている。だから、金を受け取ったのを神父から確認をしてくれと、堂々と言うんだ。

 それから、体の具合が悪いのでパサイ市のアジトで休みたいと言って、仲間から離れなさい。俺はバクララン教会の駐車場で、午前三時に待っている。パスポート、航空券、それから香港の入管での見せ金二千ドルと当座の生活費は、その時に渡すよ。今すぐ渡してもいいんだが、万が一にでも新人民軍に見つけられたらまずいからね」

「分かったわ。でも、計画がばれた場合に貴方を巻き込みたくないから、三時半までに私が現れない時は、躊躇わずに立ち去って頂戴ね」

「分かった。そうするよ」

 石村は札束の入った袋を埋める穴の位置と目印を教え、香港へ着いたら九龍の「五和銀行」に口座を設けるように伝えた。

「香港からは、君の口座番号の連絡を最後の電話にするんだ。新人民軍に盗聴されて、香港まで逃げておきながら殺されるなんてことがないようにね」

 日本へ着いたら、すぐにアメリカへのビザ申請をすることなど、最後の段取りをひとつひとつ話し終えると、急に石村は寂しくなった。

「いろいろとありがとう。お礼として、十万ドルを受け取って」

 うっすらと涙を浮かべて、頼み込むようにマリアが言った。

「俺は金目当てで君を助けたわけではないんだ。新人民軍や誘拐した組織の奴らを出し抜いただけで満足なんだよ。それよりも、これから先、君はいくら金がかかるか分からないだろう。俺への気遣いは無用だよ」

 石村の本心であった。金のために命を懸けたのではなく、マリアのために己の乏しい才覚を駆使し、問題を解決してきたのだ。その結果、組織の連中に一泡吹かせることができれば、一匹狼の男として本望だったのである。

 いつしか、マリアと一緒に歩いていた若い男のことを問い質したい衝動も消えていた。疑いをかければきりがなく、これからマリアが命懸けの大芝居をしようというのに、下らないことで彼女の決意を惑わせたくなかったのである。

 ベッドの上に座っているマリアの肩を引き寄せ、石村はマリアを抱きしめた。これが最後の抱擁になるかもしれないことが頭を掠める。


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 三月二十二日の午前三時半、ほぼ真っ暗闇のバクララン教会の駐車場で、周囲を見回したり、ハンドルに腕を乗せたりしながら、運転席に座った石村はマリアが現れるのを待っていた。ジョギング姿である。

 バクララン教会は首都圏南部のパラニャケ市にあるが、パサイ市との境界に近く、新人民軍のアジトから程よい遠さの距離だった。教会を訪れる信者だけではなく、近くに公共の市場もあり、夜通し人混みで賑わっている。身を隠すのに好都合だった。

 石村がバクララン教会に着いたのは、マリアとの打合せより二時間も早い午前一時である。眠るどころか起きていてもじっとしていられず、ジョギングスタイルに身を固めてアパートを出てきたのだ。

 エンジンを止めた車内は、猛烈に蒸し暑かった。計画がうまくいったか、マリアの命は大丈夫かと心配しているので、余計に体温が上がっている。

 不安が大きくなってくると、何か見過ごしていないか、やり残したことがなかったかを考えてしまう。

 最後まで迷ったのは爆竹作戦である。受け渡しが終わる時刻を見計らって墓地の近辺を車で走り抜け、その際に爆竹を放り投げるのだ。その爆発音は凄まじい。遠くから聞こえたにしても、緊張している現場ゆえに新人民軍兵士は軽いパニックを起こし、一刻も早く任務を終わらせようとマリアを疑う心理的余裕を無くすに違いない。

 しかし、フィリピンで爆竹が頻繁に使われているにしても、深夜に爆竹を鳴らすのは不審がられる。結局、爆竹作戦は諦めた。下手な細工をして墓穴を掘ることを恐れたのだが、それでも、言い訳が疑われてマリアが窮地に陥っている場面を想像すると、実行すべきではなかったのかと後悔の念が湧く。

 額の汗をぬぐいながら、「ロヨラ・パーク」で行われる受け渡しの様子を、できるだけ鮮明に、何度も繰り返して石村は想像した。

 

 新人民軍の兵士が墓地周辺を警戒する中、墓地に入った新人民軍の車からマリアが降り、薄暗い交差点で神父の到着を待っている。

 前日は一睡も出来ず、マリアの緊張感はクライマックスに達しているだろう。もし受け渡し情報をつかんだ警察に墓地に踏み込まれたら、逃げ場のないマリアはその場で射殺されるか、逮捕され拷問を受けることになるのだ。

 そればかりではない。受け渡しが無事に終わっても、次は新人民軍相手の大芝居が待っている。嘘が見破られたら、その場で射殺されるかもしれないのだ。よしんば芝居が上手くいっても、己の思想信条を捨て、生死を共にした同志を裏切ることに、計り知れない後ろめたさを感じているに違いない。

 午前二時、暗闇からヘッドライトを点けた車に乗り、神父がやって来る。車はトヨタのハイエースだろう。各地で行われるミサへ、人や機材を運ぶのによく使われている車だ。車高があり、外からは現金の入った袋が見えないのも都合が良い。

 マリアと軽い挨拶を交わした後、神父は車のハッチバッグを開け、身代金を車から運び出す。身代金は、白い生地に食糧庁のロゴが描かれた、ポリエチロン製の米袋に入れられている。十ドル紙幣が一束で千ドルとなれば、八百万ドルは八千束になる。八千の札束は、切りの良い十万ドルずつの袋に分けられており、車から袋が地面に落とされるたびに、ドサッ、ドサッと重い音が響いているはずだ。

 ひと袋に十万ドル入っているので、八十袋あるから合計で八百万ドルだと神父が伝える。マリアは慎重に袋の数を数え、確かに八百万ドル受け取ったと神父に答える。

 神父が去る。もたつけば新人民軍に怪しまれる。神父の車が遠ざかると、大急ぎで五つの袋を穴に運び込み、蓋をして丁寧に土をかぶせてから、取引が終わったことを、無線で新人民軍に連絡する。

 新人民軍の迎えの車がやってくる。神父から五十万ドルの要求があったので渡したこと、受け取ったことを後で神父から確認して欲しいこと、緊張のあまり気分が悪くなったので、パサイ市のアジトで休みたいことを伝える。

 市内に入ったところで車を降ろしてもらい、夜通し走っているジープニーにマリアが乗り込み、バクララン教会へ向かう。

 

 全てが計画通りに運んでいれば、どんなに遅くても三時半にはやって来るはずだった。しかし、未だに待ち合わせ場所にマリアは現れない。徐々に心配が増してくる。


          9


 まだ夜は明けていないのに、辺り一面かなりの人で賑わい始めていた。膝擦りの行をする水曜日も大混雑らしいのだが、日曜日のバクララン教会ではミサがあり、おまけに近くに市場があることから人が繰り出すのだ。膝擦りの行というのは、祭壇まで二百メートルもあろうかというセメント張りの上を、膝を擦って血まみれになりながら願い事をする風習である。

 石村には大きな不安があった。身代金の受け渡しが警察に漏れ、「ロヨラ・パーク」の現場に踏み込まれることである。新人民軍との銃撃戦となり、最悪の事態になっているかもしれないのだ。

 立ち去る約束の三時半になった。駐車場を離れねば危険な時刻である。新人民軍や警察によってマリアと石村の行動がつかまれていれば、共犯として急襲される可能性があった。

 計画は失敗したと判断せざるを得ない。マリアの身を案じながら、大きな失意とともに現場から離れようとエンジンをかけ、ヘッドライトをつけた。その時、マリアの走って来るのがバックミラーに見えた。新人民軍に追いかけられているのではないかと緊張感が走る。

「遅れてごめんなさい。前の日から神経性の下痢になって、どうしてもアジトへ行かねばならなかったの。アジトにいた幹部の男から足止めされてしまい、夜も開いている薬局へ行くと口実をつけて、やっと逃げ出してきたのよ」

 息を弾ませながら、マリアが助手席にとび乗ってきた。

「謝らなければいけないのは俺のほうさ」

 発進させた車の中で、助手席に座ったマリアに石村は話しかけた。空港までの二十分間で、心残りがないようにすべてをマリアに語っておかねばならないと思うものの、なぜか言葉が出てこない。

「君にとって当面必要なものを用意してある。一つ一つ確認してくれないか」

 感情の高ぶりを避けるため、石村は事務的な言葉を優先させ、小さなバッグを手渡した。そのバッグは、何も持たずに来るであろうマリアのために用意したのだが、マカティにある高級百貨店「ルスタン」で購入した時は、このバッグが最後の贈り物になるのかと感傷的な気分になったものだ。

「分かったわ。パスポート、航空券、そしてこれは何」

 バッグに石村が入れておいたものを順番に口に出して取り出し、一枚の紙切れをマリアが手にした。

「俺の実家の電話番号と住所を書いたメモだ。アメリカへのビザがすぐに発給されなかった場合、連絡を取りなさい。身元保証人になってくれるよう頼んでおいたから、二ヶ月や三ヶ月は日本での滞在が延長できるはずだ。それから、バッグの中に五千ドルの入った封筒がある。送金するまで時間がかかると思うから、ちょっと奮発したよ」

 走行中の暗闇を見通しながら石村が伝えると、

「香港には来てくれるの」

 マリアが泣きそうな声を出した。

「もちろん行くよ。すぐ会えるさ」

 マリアの心情を察して、石村は答える。しかし、内心では行かないことに決めていた。身代金の抜き取りは間違いなく発覚するのであり、犯人は脱走したマリアだと断定される。そのとき、共犯として疑われるのは石村であり、新人民軍の監視の目は厳しくなるはずだ。

 そんな時に香港へ出かければ追跡されるのは当然で、最後の瞬間にまさかの事態が起こるかもしれない。「まさか」のために人生は狂うのだ。マネーロンダリングと送金に必要な行動以外は、一切やらないことを石村は決心していたのである。

「ニノイ・アキノ国際空港」に近づいた。時刻は午前四時をとうに過ぎているものの、暗闇に包まれた空港周辺は人混みでごった返している。中近東などの出稼ぎに出かける家族を見送って、親類縁者が総出になっているのだろう。もっとも、混み合っているのは空港を取り巻くフェンスの外側だけで、道路を隔てた空港の入口付近は閑散としている。出発者以外は、空港の建物に近寄れないのだ。

 空港へ通じるスロープを上がり、出国用玄関前で石村は車を止めた。

 停車した車の中で、重い沈黙が漂う。いよいよ最後の別れである。

 静寂が続いた。一分、二分と時間がたち、マリアが車のドアに手をかけた。しかし、すぐにマリアはドアから手を離し、再び座席にもたれかかると、両手で顔を覆い泣き出した。

「別れるのは厭よ。私はあなたと一緒になりたいの。どんな所でもいい、この国で殺されてもいいから、あなたと一緒に暮らしたいの」

 石村の胸が塞がるような叫び声だった。

どうしたのかと石村が問いかけると、繰り返し、繰り返し、マリアは同じことを言いながら泣き続けた。

「落ち着け。俺のことは構うな。薬屋から戻らない君を怪しんで、血眼になって新人民軍が君を追いかけているかもしれないんだぞ。追っ手に捕まり、今、君が殺されたらどうなる。お母さんや妹のことを考えるんだ。君の家族のことを考えるんだよ」

 声を荒げ、必死になって石村は説得した。しかし、本心はマリアと同じである。事ここに至ってマリアの涙に動揺している自分が、どうしようもなく不甲斐ない男に思えた。

 車のハンドルに手をかけた石村の傍らを、一台の乗用車が通り過ぎた。けたたましくクラクションを鳴らしている。いつまで停まっているんだ、後ろに車がつっかえているぞと怒っているのだ。

クラクションの音で現実に引き戻されたのか、濡れた目を石村に向けてから、無言のままマリアは車を降りた。

マリアが空港の出発玄関に向かって歩いていく。石村の渡した小さなバッグを抱え、青いジーンズを穿いたマリアの後姿が、石村の目にひどく哀れに見えた。

「哀れと思うのは、惚れているってことか」

 一人になった車の運転席で、半ば放心状態になりながら石村は呟いた。

 そんな精神状態で石村の頭によぎったのは、こんな言葉が夏目漱石の「三四郎」にあったということ、それをマリアに教えた時の授業風景である。

(なぜこんな場違いなことが頭に浮かぶのか、俺はどうかしちまったぜ)

 そう思った瞬間、不覚にも石村の目から涙がこぼれ落ちた。


          10


「あれから三年も過ぎたのか」

 1990年三月二十二日、早朝から出勤し、倉庫の事務所で書類を整理していた石村は、事件当時のことを思い出していた。真夏に入ったフィリピンでは、ブーゲンビリアの赤い花が街中に咲き乱れている。

「あの時はブーゲンビリアの花を眺める余裕など、これっぽっちもなかったなぁ」

 机の前に座った石村は、僅かばかりの感傷に浸って天井を仰いだ。

 三年前のあの日、彼女が空港の中へ無事に入るのを確認してから、石村は「ロヨラ・パーク」へ急いで向かった。朝五時近くになっていたので、ジョギングをする人が出始めている。

 墓地の中へ車を乗り入れて受け渡しが行われた場所へ着くと、周囲の人影を警戒しながら大急ぎで札束の入った袋を掘り出した。いつ計画を見破った新人民軍が戻ってくるかもしれず、心臓が飛び出るほど脈打っている。現金を車のトランクに運び終えると、こんな時に限ってエンジンがかからないことが人生にはあるものだと思いながら、震える指で車のキーを差し込んだものだ。

 マネーロンダリングに際しても、ひと悶着があった。

 マニラ首都圏の中央部にサン・ホアン地区がある。北はケソン市、南はマンダルヨン市に挟まれた小さな行政区で、このサン・ホアン地区を縦断する「オルテガス通り」を北上したところに、「ニュー・マニラ」と呼ばれる一角があった。緑の樹木に覆われた閑静な住宅街である。

 ウィリーに案内されて訪れた地下銀行は、大金持ちを連想させる邸宅であった。ヨーロッパ風の立派なバルコニーがある二階建ての家で、広い庭園を通って玄関に入る構造になっている。

 大理石張りの玄関と居間を通り、奥の事務所に通されて依頼を行った。ところが、ロンダリングの手数料として五十パーセントを要求されたのだ。一緒にいたウィリーが血相を変え、「俺に恥をかかせるのか。この人は、俺の息子の名付け親なんだぞ」と凄んで見せた。お陰で四十五万ドルの送金手数料が、十パーセントの四万五千ドルで済んだのである。

 その後、同じ地下銀行で換金した残り五万ドル相当のペソを、この三年間、マリアの頼みに従って彼女の親の生活費やテスの学資として渡してきた。そのテスもようやく卒業する。月日の経つのは早いものだと、つくづく石村は思う。

 今更ではあるが、石村には疑問があった。なぜマリアは通訳の依頼をしてきたのだろうか。学んでいた日本語が錆び付いてしまったからと言っていたが、本当にそうだったのだろうか。あの程度の通訳なら、彼女一人でも充分だったような気がする。空港で泣き続けていたマリアの姿が思い出され、石村の胸を締め付けた。

それにしても、なぜ三年もの間、マリアが連絡をよこさないのか、石村は訝しく思っている。石村の実家からは滞在期間延長に必要な身元保証の依頼はなかったと聞いているので、無事にアメリカへ渡っているはずなのだが、「まさか」ということも考えられた。新人民軍が柴山の組織に連絡を取り、マリアが日本で殺されていることだ。想像するだけで、石村は胸糞が悪くなる。

 突然、机の上の電話が鳴った。朝の八時前である。受話器をとって耳に当てると、女の声が聞こえてきた。声の主は、まぎれもなくマリアだった。

「あれからどうしたんだ。随分と心配していたんだよ」

 三年前の記憶をたどっていた矢先である。タイミングの良さに驚きながら、息を詰まらせて石村は訊ねた。

「本当にごめんなさい。貴方に教えられたとおり、日本へ入国してからすぐアメリカ大使館へ行ってビザをもらい、アメリカへ渡ったわ。でも貴方を忘れることができなくて、自分が怖かったの。生活にもなじめなくて、いつフィリピンへ戻ろうか、そんなことばかりを考えていたのよ。でも、もう大丈夫。去年、ウェイトレスの仕事をしている時に知り合った男と結婚したの」

 マリアの声が弾んでいた。

「そうか。それは良かった。実は私も結婚したんだ。それで君は、今、幸せかい」

「ええ、幸せよ。赤ん坊がそばにいるわ」

 マリアの声とともに、傍らで赤ん坊のぐずる声が聞こえ、不覚にも石村の涙腺が緩んだ。

 赤ん坊の泣き声を聞いているうちに、どんな生活環境でマリアが暮らしているのか石村は気になった。

 電話の向こうから聞こえてくる周囲の音を聞こうと耳を澄ます。あえて居場所は訊いていないが、ニューヨークなら夜八時、カリフォルニアなら夕方の五時である。心配するような、貧民窟の騒々しい音は聞こえてこなかった。

「あのことは君の旦那に話していないだろうね。いつか旦那と別れるようなことでもあれば、面倒なことになるかもしれないからね」

 石村は訊ねた。

「勿論、話していないし、これからも話すつもりはないわ。あの事を知っているのは、永遠にあなたと私だけよ」

 マリアの言葉を聞き、石村は涙を流しそうになった。記憶に刻まれたマリアの姿が、断片となって思い浮かんでくる。再会して愛し合った裸のマリア、新人民軍本部へ向かう馬上のマリア、そして泣きじゃくった後、空港玄関へ向かうマリアの後ろ姿。どれもこれもが、三年経った今でも色褪せていない。

 やがて来るべき時が来た。永遠の別れである。お互い配偶者を得た今となっては、もはやマリアからの電話を受けることはあるまい。それが大人の分別だと石村は思っている。きっとマリアも同じ思いであろう。

「元気でね。いつまでも愛してるわ」

 最後の言葉を残して、マリアの電話が切れた。

 しばらくの間、石村は受話器を置けなかった。受話器を置いてしまえば、本当にマリアが別世界の人間になってしまうような気がする。

 マリアの声がいつまでも耳の奥に残っていた。その最後の言葉は明るい声だったが、次第に石村の耳の中で湿っていくように感じる。

 肩から力が抜けていく。もはや疑問も心配事もなく、全てが終わったのである。狭い事務所に受話器を置くかすかな音がした時、一匹狼を目指した自分の信念は正しかったと、腹の底から石村南次郎は確信したのだった。



   エピローグ


          1


 何時間、眠っただろうか。疲労と睡眠不足のため、私の頭は朦朧としていた。布団から起き上がれず、暗闇の中でぼんやりと天井を眺めていると、一匹狼を目指した石村氏の笑顔が亡霊のように浮かんで来る。すると、その笑顔を打ち消すように、帰国してからの私の惨めな現実が思い出された。

 当時の私は輸出先の日本人に五百万円あまりの代金を踏み倒され、最終的には資金繰りが出来なくなって会社を閉めたのだが、帰国した1997年の日本はリストラ・ブームに突入しており、「就職氷河期」の真っただ中であった。

 新卒者優先の日本社会であっても、新卒者が正社員として採用されない時代である。就職先の幅を広げるため、大卒を高卒と偽る学歴詐称事件も起きていた。そんな時代が、バブル経済のはじけた1990年代の初頭から、日本では続いていたのである。 

 非正規採用であっても若い人にはまだ職を得る可能性があったが、中高年の私には非正規採用の口すら厳しかった。ある日、外国人相手にクレーム処理を電話で行う求人案内が新聞に載っていた。カード会社の求人で、「英語のできる人」と条件がある。僅かではあるが英語が喋れるので、中年の私にも出来る仕事と思い応募した。ところが、一か月過ぎても合否の通知が来ない。しびれを切らしてカード会社へ電話を入れると、「若い人の応募が多いのでねぇ」という、語尾を濁した言葉が返って来た。

 思い出すたびに腹の立つ経験もある。ある時、私の住む船橋の「ハローワーク」から東京江東区の印刷会社を紹介された。紹介状には「年齢不問」とあったので面接の予約を取り、亀戸駅からバスに乗って出かけると、社長と称する人物が出てきた。六十歳前後の人物である。私が差し出した履歴書を一瞥すると、「なんだ、もう五十歳に近いじゃないか。ウワッ、ハッ、ハッ、ハッ」と笑い出すや急に真顔になり、「こんな年齢じゃ、話にならんね」と、吐き捨てるように言われたものだ。

 七十数社に応募し、不採用の通知を得たのは一割弱で、大半の会社は返事すらくれなかった。中年を過ぎた男、ましてや外国暮らしの長かった浦島太郎のような私などは、どの会社も使い物にならないと判断したのだろう。若いフリーターが八十万人を超え、引きこもりになる中高年者も珍しくない。それが今日まで続く日本の社会状況だったのだ。

 眠りから覚めて意識がはっきりすると、次々に石村氏との思い出が蘇ってくる。

 私が経営していた会社で、解雇した従業員から脅迫されていた時のことだ。電話を取れば「お前を殺す」という脅しが三週間続き、その後、相手の弁護士から邦貨にして二千万円の訴訟を起こされた。娘を殺されても五万円の慰謝料というフィリピンでは、私が外国人ゆえの法外な請求金額であったことは言うまでもない。

 裁判は生まれて初めての経験であり、ストレスの積み重なった私は吐血するはめになった。十二指腸潰瘍ということだったが、入院した私を、何度も「大丈夫だ」と励まし続けてくれたのが石村氏なのである。

 石村氏は友人というだけではなく、日本を飛び出した異国の地で、一匹狼の夢を抱く同志であった。

 石村氏の夢は、父親の影響であろう。世界不況に見舞われ、軍国主義で暗くなった戦前の日本を、「新天地」を求めて脱出したのが若かりし頃の父親だったと聞く。


          2


 マリアと別れた後も、石村氏の商売は順調だった。フィリピン女性と結婚し、パラニャケ市に家を建て、更にはマニラ首都圏南方のカビテ工業団地三カ所に土地を買った。

 しかし、1990年代前半に始まった日本の不景気により取引が激減し、私が帰国する頃には既に工業団地の土地全てを売り払っており、商売の赤字を埋めるために四苦八苦だと苦笑いしながら語っていた。

「新天地」こそ男の憧れである。今は日雇いの警備員として生活の糧を得ている私だが、決して現状に満足はしていない。たとえ一文無しになっても、「新天地」で一匹狼を目指すことこそが私の信念、生きがいであり、同志の死に報いる道なのだと思える。一度限りの人生だ。哀れな老人の夢と馬鹿にされようが、人生最後の瞬間まで諦めたくはない。

「このまま終わってたまるか」

 空腹に勝る疲れを全身に感じながらも、私は声を上げて布団をはねのけた。

 朝から半日が過ぎ、もう夜の十時になっている。石村氏の殺害された真相を求めてテレビをつけたが、関係する事件のニュースはひとつもなかった。一人の男の死、ましてや海外在住の日本人の死に、もはやニュースとしての価値はなくなっているのであろう。

 しばらくテレビを観ていると、ある団体の主催する集会が映し出された。

「彼らは亡命したのではない。反動政権に母国を追われ、新しい活動の拠点を求めていたのだ。人道主義を旗印にして、今こそ日本政府に無罪帰国を要求する」

 犯人グループの日本側組織と思われる支援者が壇上でアジっている。ハイジャック事件を繰り返し、空港乱射事件により市民を巻き込んだ無差別テロ、イスラム教徒の自爆テロへの道を開き、更には多数の拉致事件を引き起こしながら、何が人道主義なのかと私は疑問に思わざるを得ない。

 犯人グループの達者な言動に苛立ちを覚えながら、私はテレビを消すと立ち上がり、部屋の窓を開けて深呼吸をした。「あのこと」が脳裏に浮かび、誘拐事件から十五年も過ぎているのに、なぜ今になって石村氏は殺されねばならなかったのか疑問が蘇る。

 私が原稿をもらった時、石村氏の漏らしていた言葉が思い出された。石村氏が出版社へ原稿を持ち込んだ数か月後、犯人グループの首謀格である奥さんから国際電話があり、「ご活躍の様子ね」と皮肉られ、更に「共和国」へ招待すると言われたそうだ。勿論、「招待する」というのは、脅し文句である。それ以後、恐怖にかられた石村氏は、誰にも事件のことは話していないと言っていた。誰が、どんな条件で石村氏の動きを報告したのかは分からないが、犯人たちが石村氏の動きを警戒していたのは間違いない。

(だとすれば……)と、今しがたテレビで観たばかりのニュースが思い浮かぶ。私の頭に閃いたのは、この時期に「支店長誘拐事件」の真相が公になったら、彼らの帰国運動は頓挫するということだった。日本へ帰国する子供たちにも顔向けが出来ず、支店長誘拐事件の真相を知る石村氏は今こそ葬っておかねばならない、と彼らは決断したのではなかろうか。

 内側から見た日本人は、優しく、正直で親切かもしれない。だが、ひとたび外から日本や日本人の姿を見ると、美しい日本とはほど遠い。私はジレンマを覚えた。 

 石村氏の溌剌とした姿とともに、なぜ、誰に石村氏は殺されたのか、大きな疑問が夜の闇に広がっていく。

 

               ー 終 ー

  

  ( この作品はフィクションです。登場する人物や団体は、現存するいかなる国、組織、個人とも関係はありません。また、犯罪防止のため、一部は故意に誤った記述をしています )

   

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アジア一匹素浪人 南風はこぶ @sakmatsu

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