きたない

「死にたい」と初めて思ったのは小学校高学年の頃。嫌なことが重なったから。まあ全て自分が悪いのだが。


ひとつめ。

家庭の都合で転校したのだが、その前にクラスメイトに大怪我をさせる大問題を起こした。親にも先生にもしこたま怒られた。事故ということにはできない程度に私が100悪い事件。自分が何を思って、あるいは何も考えずそうしたのかはどうあれ、最悪の事件を起こしたわけで。もちろん反省した。ちなみに転校理由は事件とは関係ない。


ふたつめ。

転校後暫くして、学校の校外イベント的なものと家族旅行がダブルブッキングした。原因は私が学校の予定を親に伝えていなかったから。直前になって気づき、これも先生にも親にもしこたま怒られた。最終的には旅行を選び、友人にはちゃめちゃな迷惑をかけることになった。


立て続けかというと厳密には少し期間は空いていると思う。自分の思考の甘さ緩さにはようやく少し気付いたかもしれない。ただ怒られてしばらくは学校にも家にも居場所はないわけで、学校からの20〜30分程度の帰路で思ったのが「死にたい」だった。どう考えても自分が無能であり有害でしかなかった。今思えばこの頃にもっと寄り道でもしてより深く考えていれば自分に存在価値がないことに気付けたかもしれない。本当に申し訳ない。どう考えても自分のせいでしかない。


ちなみに旅行は行った県と、親が途中で喧嘩して一時別行動になったことしか憶えていない。それだけではなく、基本的に楽しかったり嬉しかったことを憶えていられない。本当に憶えていないだけで、事実として楽しいこと嬉しいことはあった。子供の頃は年一で親がディ○ニーに連れて行ってくれた、書道で高校上がる前に特待生になった、などの嬉しい楽しい系の感情を持つであろう事実だけは憶えている。具体的なことは何一つ憶えていないし、憶えていないから楽しかったのか嬉しかったのかも覚えていない。


それでいてしでかしたことはそれなりに憶えているから、おそらくそちらに記憶領域を取られているのだろうとは思うが、仮にこれらを消し飛ばしたとしても何も残らない気もしている。なにしろ空っぽで厚顔無恥な人間なもので、むしろこれらがなければダメ人間まっしぐらな気もしている。


とはいえ怒られていなくても親は既に兄弟に夢中だから私の居場所はすでに家にはなかった、厳密に言えば自室があったが家の所有権は親にあるわけで。

自分がこんなだから馬鹿にされるか見下されるか比べられるか以外に話すことがないもので、仕方がないと言えばそう。

学校でも習い事でもたいした成績は納めていない。水泳書道ピアノとやってはいたが光るなにかにはならなかった。そのうえコミュニケーション能力もないときたら存在する意味はすでになかったわけで、オブジェかなにかとしてしか活用方法はなかっただろうに。本当に周囲には感謝しかない。


そもそも私自身、自分に対する評価はどんなにポジティブにとらえようとしても短絡・楽観・自分勝手・独り善がりを混ぜて煮詰めた煮凝りのようなものになる。そのくせ判断力もなければ決断力もないからいつもふわふわふらふらしている。面倒なことからすぐに逃げる。指示を待つ。受け身と逃げしかしない。自分を確立できないまま子供の時代を終えた。今もそのままで生きている。


人として欠落したものが多すぎる。だから誰にも必要とされることはないし、誰にとっても大事ではない。私にとっても私はそれほど大事な存在ではない。むしろいなくなった方が良い。


そもそも普通の人は死にたいと思わないらしい。私からすればそこに至らない方が不思議だが、本来は通らなくて良い道なのだろう。膨大な寄り道時間を有効活用していれば少しは役に立つ存在になったかもしれないというのに、私はゴミのままだ。無駄な存在というゴミが腐敗し膨張して他人や社会の邪魔をしていると言われれば確かにその通りで、大変申し訳ない。


世界は綺麗だ。私さえいなければ。

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