ホームランバーをくわえて

うたがわ なぎさ

ホームランバーをくわえて

「おい、溶けんぞ」

わんわんと鳴り響く蝉の声。ハッと引き戻されて汗だくのキミの顔を見た。

逆光の中で見た顔を思い出せない。笑っていたのか、呆れていたのか、それすらももう遠い陽炎の記憶だ。

「ああ・・・・・・ほんとだ。ぼうっとしてしまって」

「なんだよ調子が狂うな。手まで垂れてるじゃねえか」

白濁がどろりと伝う感覚だけを覚えている。ひとつ思い出すと際限なく、懐かしいバス停のベンチで日を避けて話し込んだあの頃に引きづられてしまうのだ。

「──おい!」

ぐっと引き寄せられた自分の生白い腕と、夏の野球部の黒い肌のコントラストにクラクラする。べろ、と白濁を舐めとるその舌の赤さと言ったら。

「拭けってば。ズボンが汚れんだろ?」

「⋯⋯うん」

たまたま同じバスを待つキミの優しさを覚えている。クラスで人気者のキミとはこの時までろくに話したことも無いのに。

遠くから来るバスの音がする。車なんてろくに通らない田舎道の、一時間だけの思い出。


※※※

「──あの!」

白檀の香りに引き戻される。開け放たれた部屋から聞こえるのは坊主の読経の声で、今は冬だ。

「父の葬儀に来てくださった方ですか⋯⋯?」

夢から覚めるように瞬きを一つ。見下ろした女性はなるほど。思い出せなかった顔立ちを確かに受け継いでいるようだった。

「お名前と、よろしければ父との関係もうかがってよろしいでしょうか? 」

ああ、娘としては今まであったことも無いおじさんが来たら不安だろうな。取引のあった人も、大勢来ているようだし。

名乗るほどのものでは無いんです。ただ、あの夏の日に、ホームランバーを一つ奢ってもらっただけのものです。

しいて言うならそれ以上でもそれ以下でもない。

「高校の同級生だったものでして」

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