再び春の句
〈
「猩々」は比喩の一種?として、赤い色をした植物の名や「架空上の動物」(お猿の類の妖怪)に使われていますが、ここで言う「猩々」は、ショウジョウバカマです。ショウジョウバカマは、春の季語。
これも春の霞ヶ城の一コマからですが、ショウジョウバカマ自体を詠んだ句が少ない💦
そんなわけで、ショウジョウバカマを見た時に「詠もう」と思ったのはいいのですが、作句に苦労した一句です。
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〈義士たちのきづな深むる二輪草〉
春の大隣寺の墓地からの一コマ。
二輪草は、まず一輪が咲いてそれに寄り添うように、2輪目の花が咲くそうです。その性質故か、二輪草の花言葉に、「友情」「絆」という意味があり、藩士らの「友情」をテーマにしてみました。
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〈散りたるも
これは、二本松藩で唯一「尊王の志士」として靖国に祀られている「三浦権太夫」へのオマージュ句です。
彼が詠んだのが、次の辞世の句。
〈明日散るも色は変わらじ山桜〉
最初にこの句を見た時に、私が心の中で突っ込んだのが「秋なのに、なぜ春の句を詠んでいるんだろう……」。
俳句というのはその季節ごとの情景を詠むのが基本で、ストレートに詠むと色々ツッコミどころ満載なんです。
ですが昨年、地元で放送された「霞ノ国ヒストリア」という番組を見て、ふと思いついたんですよ。
もしかしたらこの「山桜」は、霞ヶ城の比喩ではないか?
そうだとしたら、すっかり「勤王の志士」として、旧態依然の二本松藩を批判する立場に祀られてしまった三浦権太夫ですが、心の奥底では、やはり二本松藩の義士の一人として扱われることを望んでいたのかもしれません。
そんな彼へのオマージュ句として、私なりにアレンジしてみました。
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拙作「直違の紋に誓って」のキャッチコピーとしても使っている一句です。
https://kakuyomu.jp/works/16817139558463849542
「直違の紋~」を書く時に、裏テーマとして盛り込んだのが、「単なる戊辰戦争の悲劇に留めない」ということ。
会津の白虎隊もそうなのですが、どうしても「少年たちの悲劇的な死」として取り上げられがちなんですよね、福島における戊辰戦争というのは。
ですが、実在した「武谷剛介」のご子孫の方の話などを取材する中で、果たして当時の少年たちはそのような扱い方を望んでいただろうか?という疑問がありました。
そのため同作の第三章では、大人になった剛介が再び西南戦争に向かい、その中でどのように「薩長への憎悪」の呪縛から解放されていったのかを描いています。
焦土からの再生。
戊辰戦争では多くの少年たちが犠牲になりましたが、生き残った者たちもまた、別の苦しみを背負いながら次世代へ故郷を託そうとしました。
そんな思いを込めて詠んだ、思い出の一句です。
***
以上、四季ごとに分けて各句のバックボーンを解説させていただきました。
俳句で自句の解説をするのは「ダサい」らしいのですが(苦笑)、全員が俳句を詠むわけではないですし、私自身は、やはり解説があった方が「読んでいて楽しい」(笑)。
そんなわけで、気軽に楽しんでいただけたならば、幸いです。
【終】
第2回短歌・俳句コンテスト【俳句二十句部門】~二本松藩士らに捧ぐ~【解説編】 篠川翠 @K_Maru027
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