雪女の炎

kuzi-chan

雪女の炎 (完)

雪女は雪の化身。

雪がなければ生きられない。

でも。

人間の女に化けていれば…………………。


……いつになく。

厳しい冬が続いていました。

雪の降る日は聞こえるはずです。

遠い。ヤマ犬の遠吠えの陰に…女の声が冷たい風に流されて……。


ひゅ…うぅぅぅ……ひゅ…うぅぅぅ……ぅぅぅぅ……と。


(…ああ。ヤマ犬が鳴いてるはぁ。ほら?聞こえるでしょ?)

「ヤマ犬ぅ?…野良犬だろっ?町内会の世話人さんが言ってたよ…気をつけろって」

(ヤマ犬は悪くない。根はいい子よ。見た目で怖がっちゃだめ。ほらっ?…また?…)

「ワンワン鳴いてるのは野良犬だって。お前も気をつけろよっ。妊娠中だぞっ…」


土曜日の夕方。

秋に建てた小さな新居にも…冷たい北風が真横からあたり。

外の…何かの物音が。バタバタ聞こえていました。

「暗くなってきた。美雪(みゆき)ぃ〜?雨戸…閉めるぞーっ?」…と。

夫の(ユキト)が……。

リビングの窓をゆっくり静かに開けた…それにもかかわらず。

ビュウーーーッ‼︎…っと。

予想外の。強い…冷たい風と雪が入ってきました。


あわてたユキトは。

ガラガラッと金属音で雨戸を閉め…サッシを閉めてロックして。

カーテンを引こうと手をかけた…その時でした。

ええっ⁉︎…と。ユキトは。ある異変にビックリしました。

カーテンがっ……。

レースも布地も凍っていたのです。カチカチに凍っていました。

ユキトは。反射的に後ろを…美雪のほうを振り向きました。


「美雪ぃーーっ‼︎ なんだよおおっ⁉︎」


お腹のふくらみがハッキリとわかる妻の全身がっ……。

大量の雪のツブで…おおわれていました。ところどころ衣服がのぞく程度で…全身まっ白でした。

でも……。

なぜか顔だけは…綺麗なままでした。

美雪は気持ちがいいのか。ほっ…と。安らいだような笑みをしながら。

なんともない…普通のままで立っていました。

美雪は…夕飯の準備中だったんでしょう。

ぶら〜んと下げた右手には…和包丁をにぎっていました。


雪のカケラもないリビングで。

美雪の。顔だけ出した…白い雪の姿の異様さと。下げた手の…あやしく光る和包丁が。

ユキトには。

ささやかな。平凡の中にある(落とし穴)って…自分たちにもあるんだ?

一瞬。そんなふうに感じられて。

妻の。見たこたもない一面を見た…ユキトは。しょうじき。ザワッ…としました。


ふふふっ。ふふふふっ。ひゅ……うぅぅぅ……ひゅ……うぅぅぅ………。


夢でした。ユキトは夢を見ました。

怖い夢でした………。



……厳しい冬。

美雪のお腹も大きくなり。

来月の。3月…初まりあたりが予定日になりそうでした。

美雪は。

大きくなった自分のお腹をさすり…声をかけては。

聞いたこともない。民謡?…わらべ歌?童謡?…なんだろう?

ユキトが知らない。

でも…どこかなつかしい。ものがなしい短い歌を…ハナ唄がわりに歌っていました。

それはいいのですが……。

夫のユキトには。ひとつ。少し不満なフレーズがありました。


……名前です。


火の雪と書いて…火雪(ひゆき)と歌うのです。お腹の。わが子…わが娘に向かってです。

性別は女の子でした。

それは知っていましたが。まだ。その子の名前は決まっていませんでした。

二人で話し合ってる最中だったんです。

ちゃんと話し合いで決まってもいないのに。美雪はもう…決まったも同然のように歌っていました。


(火雪ぃ〜〜♪ 火雪ぃ〜〜♫……♪…)と。


夫のユキトは…少し不満でした。

平仮名の(ひゆき)や。違う漢字の(ひ)に(雪)なら…まだいいんです。

なんでっ。燃える(火)を付けるんでしょうか?…意味がわかりませんでした。

かわいい女の子に…(火)の付く名前は変っ。おかしくないかっ?

……と。

ユキトは。何度も何度も美雪に言ったんですが。美雪は笑ってお腹をさするだけでした。


もう一つ。

ユキトには…不満というか。理にそぐわない。妻の態度…行動に。異変を見たのでした。

それは……室温です。

来月には出産というのに。

部屋の中が異常に寒いのです。夫のユキトは。学生時代…スキーのサークルにいて。

わりと。冬の寒さには強いほうでしたが……。

それにしても。この。常識はずれの低い室温には…さすがに頭にきました。


それにもまして…です。

変なのは…美雪の母体です。臨月近い身体には…冷えや寒さは大敵のはずです。

なのに美雪は違っていました。

ふうーっ…と。息が白く飛ぶ部屋の中で。来月出産の美雪は…とても元気でした。


(れい)のハナ唄を歌い。

重いお腹も軽そうに。

あたたかい。湯気のする食事はいっさい無く。

肩まであった髪が…急に…腰のあたりまで伸び。

色白の肌は…さらに雪色になり。

外出時も。大きなお腹に上着なしで歩くのでした。真冬の街を……。


何かが……変でした。


夫のユキトには。

妻の美雪には言ってない想い出が…二つありました。

その一つが…小学生の時の想い出です。

奥深い…山々にかこまれて育った。信心深い…亡き(おばあちゃん)がいました。

3年生の冬休みの時に。おばあちゃんがユキトに…そっと話して聞かせてくれたこと。

それは。……不思議な言葉でした。


(いいかぁ?ユキトぉ……)

(雪の日に出会った女は…雪の日に別れる。昔からの言い伝えじゃぞっ)……と。


小3の男の子に聞かせるには…ふつり合いな言葉でした。

でも。その時の…おばあちゃんの顔は。真剣そのもの。意味深い説得力がありました。

だからユキトは。

大人になっても忘れることなく。ハッキリと覚えていたのです。

ユキトは。

冬になると。いつもこの言葉が。頭のスミに…ねばっこく張り付くのを感じていました。

自分のなにかに…かかわる言葉として…感じていたのです。


そうして。大人になったユキトは。

妻になる美雪と。冷えた…雪の日に出会いました。


雪のツブが。大きく…ハッキリと見えるくらいに。

ゆっくり…ゆっくり。暗い夜空からシンシンと落ちてくる…冷えた真冬でした。

小さな町の小さな雪祭りの最終日。ユキトは…紙コップの甘酒をすすりながら。

ひとりで。

大学時代の大きな都会とは違う…小さな静かなイルミネーションに酔っていました。


開催終了の…ささやかな冬の花火が上がり。明日は学校。明日は仕事。ああ……と。

そんなふうな。町の人々の…ため息顔でゾロゾロ立ち去る群れの中に。

一人だけ……。

ユキトをそっと見つめる……。

若い…白い着物の女性が。つま先をそろえて…スッと立っていました。

(この町の人ではない……)

ユキトは直感しましたが。

なぜか。まわりの町の人達は。ごくごく自然に…目で追いもせず歩き去っていました。

まるで(いない)かのように。(見えない)かのように。群れの人々は…去っていきました。

不思議なことに……。

ユキトだけが…白い彼女を意識していたのです。


ユキトは。

紙コップの甘酒も冷え…寒くて飲む気になれず。

そこらへんの陰にサッと捨てて…ゴミ箱に入れただけの。ほんの短時間に。

その。白い和服の若い女性は…消えていました。

いえっ。

後ろに…いました。

かろうじて…大きな声は出しませんでしたが。ユキトは…本当にビックリしました。


そして。

ふぅぅ〜〜〜ぅ……っと。


目の前の白い女性が。綺麗な…冷たい…青白い炎の息を。ユキトの顔に吹きかけると。

ユキトは新鮮なまま。アッ…というまに。凍ってしまいました‼︎


……目を開けると。

いつもの天井に…いつものカーテン。

夢でした。リアルな夢でした……。

いえっ。

夢の一部。真実もありました。

やわらかな人肌のする女性が…自分の横に寝ていたのです。少し…こちらを向いて。

昨夜の若い女性でした。寝顔が。白く美しい女性でした。

ユキトは。

その。和服の白い女性と出会ってすぐ…結ばれたのです。

不思議でした。意外でした。

平凡な自分に…です。

なんでこんな美しい人が…会ってすぐにっ。

ありえないことが…少し…気にはなりました。


彼女の名前は…美雪。


雪の降る日に出会った彼女は。雪のように白かった。

雪が姿を変えて現れた? 愛する人の前に?

そんな妄想をしてもおかしくない。それほど…美しい人でした。

美雪は。本当に。雪の化身のようでした。



日曜日の遅い朝。二人はリビングにいました。

…と。美雪がテレビを消して。

小さなテラスの向こうに目をやりながら。少し楽しそうに…声を出しました。


(あっ?……ヤマ犬が鳴いてるっ)

「またあ。野良犬だって。…ん?…近いんじゃない?………おっ。動いたっ…」

(…ふふっ。来てくれの?いい子ねえぇ)

「あぶないっ。あけるなあっ…美雪いい」

(だいじょーぶ。ふふっ。ヤマ犬は…私のしもべ。ねえ………)


と…言いながら。

美雪が冬晴れの窓を開けると…いました。

小さなテラスの上に。

真っ白な…目に奥深さがある。野生的な犬がいました。

その目は。静かな闘志と…なにかへの信頼が感じられました。

美雪はヒザをつき身体をよせて…荒くさすってやると。犬は。うれしそうでした。

ユキトにも。

野良犬には見えませんでした。ペットにも見えません。野生的すぎます。


……じゃあ。なんだ?本当に…ヤマ犬か?


ユキトの。

美雪には言ってない…もう一つの想い出。

それは。大学時代の。スキーサークルでの出来事でした……。


初めて行った山のコースで。予報より気温が上がった…その時でした。

数人のチームに(なだれ)が襲ったのです。

アッというまで…滑って逃げるなんて不可能でした。

全員。重い。深い。雪の下に埋もれてしまい。ユキト以外は不幸な結果になりました。

ユキトだけ?

ユキト自信。あんな状況で。記憶なんて…あるわけがありません。

ただ……。

妙な手の感触…(ぬめり)のような手の感触だけは。生死の境…さまよう夢の世界で。

かすかに。でも…不確かな。

この世とあの世の夢心地として…記憶らしいものとして…ありました。


それは……。

左手を。なにかに。(なめられて)いる感触でした。


発見され。救助され。病院で意識がはっきりし…事情を理解した時に。

ユキトは捜索隊の一人から…ある事を聞かされました。

……あなたの。左の手首だけが。雪の上に出てたんです。それが発見の役にたった。

……でも。奇跡ですよっ。よく息ができた。重い雪の中…呼吸できるなんて……。

ユキトは。

それからは…スキーをしていません。

自分だけ助かったんです。スキーをする気には…なれませんでした。


……あっ。


(ふふふ。ほら? あなたのことっ …好きみたいよ? ね?……)

「…あっ……この感触……犬?……舌?」

(ヤマ犬。あなたのこと。忘れてないわよ?なでてやったら?ありがとう…って」

(ありがとう?……え?……じゃあ。あの時の手の感触…え?…この犬っ?」

(そうよ。あなたを見つけたのっ。ヤマ犬よぉ。えらいでしょぉ………)


ビュウーーーッ…っと…一陣。

冷たい風がカーテンをたたき…乱舞させ…ユキトが目を細めたスキに……。

ヤマ犬は消えていました。

キッチンからは。(れい)のハナ唄が…聞こえていました。

冷えた…室内でした………。


3月3日。

この地では珍しくない。春先の雪が。チラチラ舞っていました。


美雪の出産。

白くて…かわいい…女の子が生まれました。

でも。

夫のユキトは。一度も。抱くことも…見ることさえもできませんでした。

消えたのです。

へその緒を切った瞬間。一陣の風が吹き。分娩室から母子ともに…消えたのでした。

不思議なことに……。

病院内も。町の人も。ユキトの両親も。

何事も無かったかのように。その日から…いつもの生活が普通に流れていきました。

まるで。

この日が…この時が来るのを…知っていたかのように。

小さな町なのに。

知らなかったのはユキト…ただ一人のようでした………。


小さな新居に春が来ました。

ユキトひとりの春でした。


知り合った頃の美雪の写真と。

となりには。本当は。生まれた赤ちゃんの写真を並べるはずでしたが…ありません。

かわりに。

( ひな )…と筆で書いた。赤ちゃんの名前を置きました。

3月3日ひな祭りに生まれたので。

ユキトが自分でつけました。

いい名前だと…ユキトは思っていました。

会いたい気持ちは増すばかりで…気持ちの整理がつきませんでした。


そうして。この町にも。桜の季節がきました。

仕事帰りの夕方。

小さな桜公園の(すみっこ)にシートをしいて。ユキトは一人で飲みました。

あまり…お酒は強いほうではなくて。すぐに酔ってしまい…眠くなりました。


……ユキトは夢を見ました。


あの日。スキーで遭難した時の夢でした。

雪に埋まり。左手首だけ雪上に出して…もう…呼吸が止まる寸前でした。

その時。

晴れた山の木々の影から…白いヤマ犬がよって来て。ユキトの手を…なめたのです。

すると。

ヤマ犬のそばに一陣の風と雪が吹き。白い…ひとりの女性がスッと立っていました。

雪女でした。

いえ。美雪でした。

はじめて出会った時の。雪祭りの時の着物を着ていました。白い着物です。

美雪は。

すんだ目で。埋もれたユキトを透かして見ると。まだ。息をしているのに気づきました。

雪女の(しもべ)…ヤマ犬が気にいった人間です。助けてやろう。と…思いました。


雪女は雪の化身です。

雪の心がわかるのです。


(さあ。そこの雪よっ。お前達の下にいる人間の男を。私に免じて助けてあげてっ)

(私は雪女。お前達と天は同じ。さあ。私の頼みを聞いておくれっ。さあ………)


すると。

ユキトの身体のまわりの重い雪が動き。ユ

キトの身体と雪の間に(すきま)を作りました。

そして…雪たちは。

人間の目には見えない。ユキトの鼻と口の先に…空気の穴を作ってやりました。


(これで安心ねっ。ありがとう…雪たちよ。お礼を言います……)

(ねえ?…ヤマ犬よ。お前もうれしいでしょ?)


すると。

雪女のそばにいたヤマ犬は。

首を小さく上下にすると…やわらかな目になり。また。ユキトの手をなめました。

すると。

ユキトの手の平に血の気が戻り…指がピクリと動き。雪の下から…小さく小さく。

空気の穴を通って。ほのかに熱い。ユキトの吐息がのぼってきました。

確かな命の再開でした。


雪女は。いえ…美雪は。

この時に決心しました。


(私のしもべ…ヤマ犬も気にいったこの男。ならば。賭けてみようか……)

(私の赤ん坊。さずけてくれるはず。ねえ?…ヤマ犬よ。お前もみとどけておくれ?)


ヤマ犬は。

また。うれしそうに。首を小さく上下させました。


(……ん? 誰か来るっ……)

(さあ。お前の足跡を消してやろう……)


そう言うと。

白い雪女は。ふうぅーーっ…と。冷たい…青白い炎を吐き。

ヤマ犬が残した足跡を…きれいに消してやりました。

そうして…雪女は。

ヤマ犬を背中に(おんぶ)すると。こう言って。その場を…すぅ〜っと…去りました。


(人間の男よ。私に女の子を。さずけておくれ?…たのみます………)


まもなくすると。

近くで滑っていたスキーヤー3人が…近寄ってきました。

雪上に出ている手首をさわると反応があり。3人は。急いで雪をかき取りました。

しばらくすると。

上空にヘリコプターの音が聞こえてきました………。


……そんな。夢でした。


ユキトは。

少し…ブルッ…ときて…目をさましました。7時を回っていました。

春先の。桜の季節の夜は…肌寒い。

でも。

それだけでは…ありませんでした。

雪でした…‼︎

桜公園一面に。真っ白な。やわらかな。春のおと連れの…ベタ雪ではありません。

真冬に降る。まっさらな。ふわっとした…粉雪でした…‼︎


桜公園は一面。

ピンクの花びらと…白い粉雪で。ため息が出るほどの絶景でした…‼︎

たくさんの…夜桜見物の人達は。その絶景に目を奪われていましたが。

ひとり。

ユキトだけは…違っていました。

ユキトは。シートを立ち上がりました。

ライトアップされた桜の木々。

その一本の。

最高に輝く。満開の木の下に…見えたのです。


白い着物の女性と。(だっこ)された…かわいい赤ん坊。

そうです。

美雪と…(ひな)でした。


(ひな)は。

少し成長したのかな?

ふくよかなピンク色の肌をして。桜の花びらのようでした。

かわいい…かわいい…赤ちゃんでした。

目をさましていて。

パパを見ては…小さな笑顔を贈りました。

ユキトは。

……パパだよぉ?

って言うと。また。小さな笑顔を贈ってくれました。

美雪も。

(だっこ)した反対の右手で。小さく手を振ってくれました。

美雪も笑顔でした。

優しい笑顔でした。


これでいいと…思いました。


ユキトは。

これでいいんだと…思いました。


雪の日に出会った妻。

雪の日に別れた…妻と子。

美雪は…雪の人であり。子もまた…雪の子なのです。

雪がなければ。

ひ弱な赤ん坊…(雪ん子)は死んでしまいます。

雪の人もまた。雪の世界で生きるのが一番いいんです。


ユキトの(ほほ)に。ヒンヤリとした桜の花びらが一枚…落ちました。

それを。

あたたかい涙が流しました。


ふうぅぅ〜〜〜ぅ……っと。


一陣の風と粉雪が舞うと。

もう。

桜の木の下には…いませんでした。

そうして。

晴れた夜空から。美雪の声が聞こえてきました。


……(ひな)は。大切に育てます。

……大きくなったら。もう一度。あなたに会わせます。

……雪の日に。……………………………。


ひな?


確かに美雪は…そう…言いました。

(火雪)ではなく…(ひな)と名付てくれました。


ユキトは。

心の奥で…泣いていました。


<おわり>


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