Under the Storm

黒中光

Under the Storm

 夜の海は風があって、桟橋に打ち寄せる波はいつもより手荒だった。頼希はレジャー好きの友達に借りたビニールボートの縁に腰掛け、月のない中おにぎりを食べていた。磯の匂いが立ちこめる中でのおにぎりは、いつもよりもしょっぱく感じた。

「そろそろだな」

 蛍光塗料付きの時計で時刻を確認すると、最後のおにぎりに手を伸ばした。かじりつこうとして足音に振り向くと一匹の犬がいた。毛並みはボサボサで一目見ただけで野良犬と分かる。犬はじいっと頼希の手にあるおにぎりを見つめた。

「……食うか?」

 割った半分を放り投げてやると、一心不乱にがっつきだした。その食い意地の張った食べ方を眺めてから、ウェットスーツに着替える。

 傍らには立て看板。「この海の海産物は漁師さん達が大事に守ってきたものです。勝手に取らないようにしましょう」 警告文の下には、魚を手にするデフォルメ少年に赤いバッテンがついていた。

「海なんて、みんなのものだろうが」

 大昔からここにあって、腹が減ったら魚を捕ってきたはずだ。それがどうして自分が取ってはいけないのか。

 立て看板を無視して、オールを握る。ボートは滑らかに進み出した。

 頼希には今、金がない。田舎の安月給に耐えかねて福岡にやって来たが、バイトで食いつなぐ日々。否、最近食料が次々値上がりしたせいで、生活費すらおぼつかなくなってきた。

 その生活を続けているうちに、彼の中で何かが壊れた。真面目に貧乏をしているのが馬鹿らしくなった。とにかく金が欲しかった。陽も差さない曇天みたいな日常から抜け出したかった。

 岸から一〇〇メートルほど進んだところでボートを止め、腰に命綱をつけて飛び込む。墨を流したように黒々とした海に、懐中電灯の明かりが灯る。

「いる、いる」

 ゴツゴツした岩場の隙間には棘がついた巻き貝の姿。サザエだ。高級品の代名詞があっちこっちに無防備に転がっている。

 水面で大きく息を吸って潜る。息苦しさを堪えながらナイフで岩から剥ぎ取り、ロープを伝って浮上する。

「獲れた」

 サイズは八センチほど。ズッシリした手応えで、見るからに立派な育ち具合だ。

「いけるな」

 サザエを捕ったのは初めてで不安もあったが、やってみると予想以上に簡単だ。それから何度も潜ったが、潜る度に獲れる。面白いように上手くいくので時間を忘れて捕り続けた。

「これは大成功だ」

 獲ったサザエはバケツ一杯分、四十個。五個で一二〇〇円としてみても一万円近い。三時間ほどでこの利益なのだから、普段のコンビニバイトが馬鹿らしくなる儲けだ。

「波がキツくなってきたな」

 ボートに乗り込むと、立っていられなくなるほどに大きく揺れる。風も強くなっていて、初夏だというのに濡れた身体が震えるほど寒い。

 早めに戻らないと風邪を引く。方向を確かめようとして、ようやく頼希は自分の置かれた状況に気が付いた。

「嘘だろ」

 陸地が明らかに小さくなっている。いつの間にかボートごと潮に流されていた。気のせいか、呆然と見ている間にも少しずつ離れている気がする。

 慌ててオールに飛びつく。しかし、これがマズかった。急いで立ち上がったせいでバランスを崩し倒れ込む。掴み損ねたオールはあっさりと海に落下し、腕を伸ばしても取れない。

「マジかよ……」

 操縦の利かなくなったボートの上で絶望する。このままボートに乗っていても漂流するだけ。だが、一か八かで海に飛び込むわけにも行かない。頼希は泳げないのだ。潜るだけなら沈んだ後に命綱で浮上するだけなのでできなくはないが、前に向かって上手く進めない。陸に向かったところで、途中で溺れ死ぬのは目に見えている。

「おーい、おーい。誰かいないのか?」

 スマホで連絡しようにも、着替えと一緒に桟橋に置いてきてしまった。しょうが無く陸地に向かって叫んでみるが、まだ夜明け前。都合良く誰かが通るはずもない。

「仕方ねえな」

 今はもう何もできない。人が通る頃合いまで待つしか無い。

 座り込むと、尻の下で水が跳ねた。

「ん?」

 ボートにこれほど水が溜っていただろうか。気になって懐中電灯で照らしてみると、底の一部から、水が入り込んできていた。その勢いは少しずつ増えている。

「ちくしょお」

 サザエをぶちまけ、バケツで水を掻き出す。このボートが沈めば死ぬ。頼希は必死で腕を動かし続けた。

 それでも、残酷な水は入り込み続ける。どれだけ急いでくみ出しても、決して減ることはない。

「なんでこんなことに……」

 腕は痛みと共に重くなる。身体の動きが緩慢になり、水かさが増していく。

 頼希は自分がしたことを後悔した。密漁なんて物に手を出さなければ。こんな危険に遇うことはなかったのに。欲をかいて、自分勝手真似をした罰が当たったのだ。

 嵐は刻々と強さを増していく。雨粒が顔に叩きつけられて痛い。陸地を見ることすら叶わなくなっていた。

「神様、赦してください。助けてください」

 頼希は生まれて初めて真剣に神様に縋った。誰に頼っても救われない人生の中で。獲ったサザエを片っ端から海に投げ込んで、ただただ頭を下げて。

 真っ赤な朝陽が海上を燃えるように照らし出す。雨が止み、力強い光の向こうには真っ赤な鳥居が立っているのが見えた。ボートはその輝きに向かって引っ張り寄せられていく。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 感謝の気持ちと共に、身体中に希望が満ちあふれる。頼希はまたバケツを手に水をかき出し始めた。

 岸に着くと同時に、ビニールボートは海中へと沈んでいった。

 ワンッと元気の良い声に頭を上げると、ボサボサの毛並みをした犬が尻尾を振っていた。犬は石段を昇り、誘うように頼希を見る。

 石段を進んだ頼希は正面に見える大きな鳥居をくぐって境内に入った。清浄な静けさの中、玉砂利を踏む音だけが響く。

 鈴を鳴らして手を合わせる。

「どちら様かな」

 社務所から白髪の神主が箒を手にしてやってきた。頼希が事情を話すと、彼は大きく頷いた。

「それはきっと、貴方の純粋なお気持ちを、神様が汲み取ってくださったんでしょう。今の気持ちを努々わすれなさらんように。ここで出会ったのも縁です。お仕事に困っているならば、お手伝いしましょう」

 神主の紹介で、頼希は伊尾谷という漁師の舟に乗ることになった。伊尾谷は頼希の父親くらいの年齢だったが、体格が良く厳しい人だった。それでも面倒見が良く、家の手配をしてくれ、余った魚をわけてくれることもあった。頼希はどうにか生活に必要なだけの金を確保できるようになった。

 毎朝、早くに伊尾谷の舟で沖にいくと、岬の先に例の神社が見える。頼希はその度に頭を下げて、日々を感謝することを忘れていない。

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