目 逸らせずに 名残の花を 雨がうつ

目 逸らせずに

名残なごりの花を

雨がうつ





________________



【とある癌患者家族の手記】



 君が買っていた日記帳に続きを書くのが、なんだか楽しくなってきた。今まで日記は三日坊主だったのにね。

 今日は、賑やかだったよ。


 先生とケアマネさん、訪問看護師さんが来てくれたんだ。それから、あいつらもね。


 もう、何もかも吹っ切れたって思ったのに。ダメだね、どうも涙腺が弱くなった。年だなぁ、って思う。


 ――今が無理のしどころ。最後まで一緒にいるって決めたんでしょう?


 あの時、ケアマネさんがそう言ってくれたから、踏ん切りをつけることができた気がする。やってもやらなくても、どうせ後悔する。それなら、とこんやった方が良い――そう言ってくれた。


 その通りだった。

 そして、後悔している。


 もっと、できたんじゃないか?

 どうして、残業ばっかりで。


 休日出勤をして、仕事を優先したんだろう。

 年をとって。

 定年を迎えたら、一緒に旅行に行こう。

 そう思っていたのに――。




 ぽっかり、穴があいたような気分だ。涙なら、もう流し尽くした。あるのは、心の中に空いた穴。ふと、会社の屋上で身を乗り出していた――そんな自分に気付く。

 向かい風が、吹いて。

 君に止められた気がしたんだ。



 ――そんな再会の仕方、絶対にイヤだからね。


(そうだね。君ならきっとそう言う)



 外は雨。

 僕は傘を差しながら、もう散ったであろう、桜の花を見やりながら、あの場所を歩く。





■■■







 春灯籠の灯を頼りに漫然と歩んで。この場所、高校時代から何度君と一緒に歩いただろうか。

 雨で散った花びら。

 すっかり、葉桜。もう、何もない。自分の心うちと、まるで一緒――で?




 目を疑う。




 まだ、花弁が残っていた。

 花弁が風に吹かれて揺れる。

 雨に、打たれても。

 風に吹かれても。

 その花弁は、落ちない。



 どうして、だろう。

 空虚で、虚しくて。気力が湧かないのに。

 この道を君と通った、あの時の光景がフラッシュバックする。



 君の分まで、生きる。

 君と一緒に、孫を抱く感覚で。


(ねぇ、知ってる?)


 あの子、おめでたなんだよ?

 あの子にさ。やることやっていたのかって、言ったら。


『お父さんはデリカシー、本当にないっ』

 って怒られた。

 君が隣にいたら、同じコトを言いそうだよね。




 思い返せば、空虚。

 だけれども。

 気付いてしまったんだ。

 君を思い返せば、花弁一枚、胸の内に残っていると知る。




 君の分まで生きるよ。

 だから。

 時々、君のことを思い出すの、許して?







 今だから、言えるんだ。

 あの土壇場でも言えなかったけれど。

 でも、やっぱり君に伝えたいって思ったんだ。






 ――君と一緒に生きられて、本当に良かった。




 風が舞い上がって。

 花弁は、それでも落ちない。

 花吹雪。櫻の舞。その花弁の一枚。花弁が、僕の頬に張りついて――。





 


 あの日、君が僕の頬に初めて口吻くちづけした日を思い出す。

 コトンと、僕の手から傘が落ちた。


 雨は思った以上に冷たい。

 春灯籠を見上げれば。雨に灯が乱反射した。





 僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 反射的に、振り返ってみれば――。






※再び春。季語は「名残の花」でした。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

第2回カクヨム短歌・俳句コンテスト俳句の部「死季折々」 尾岡れき@猫部 @okazakireo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画