汚染された都市で巨大ロボ娘に傘を借りた話

西園寺兼続

防護服内蔵レコーダーの記録を参照します

 防護服の中を、アラートが満たしている。バイザーが曇り始めた。機械音声が内蔵スピーカーから警告を発する。

『まもなく、重汚染降水帯に突入します。防護装備項目の確認を行います。チェック1、完了。チェック2、完了。チェック3__』

「うんざりだ」

 アラートがでかくなった。

「チェック3、完了できません。防護装備表層に断裂を検知しました。ナノマシンによる自動縫合を開始します」

 更にアラートがでかくなった。

「ナノマシン貯蔵ポッドへの充電率が10%を下回っているため、ナノマシンによる自動縫合を開始できません。ただちに__」

「チェック3をスキップ」

「__チェック3、スキップします。チェック4、完了できません。装備電装系に異常を検知__」

「もういい、全項目スキップ」

 闇市で買った防護服は色々なところにガタが来ていたが、スピーカーと点検機能だけはちゃんと生きているらしかった。

「ボケが」


 無数の投棄物が、街路に墓標のように乱れ立っている。僕はずっと、その最中を歩いていた。


 この都市には、色々とお宝が眠っている。大戦……いわゆる第3次世界大戦の末期、核戦力を運用する部隊がこの辺りに駐留していたらしい。相互確証破壊の破綻によって核ミサイルが飛び交う中、彼らもまた己の役割を果たして消えた。

 最高峰の防爆性能を誇る兵器類は核の直撃を耐え抜いたが、生き延びた兵隊たちに助けが来ることはなかったそうだ。終戦から半世紀以上が過ぎて、戦争を知らない世代の盗掘家たちがようやく彼らの骨を拾った。


 ろくでもない場所だ。既に汚染し尽くされているから、処理しきれない各地の汚染物品がここに捨てられるようになった。

 誰彼構わず何でも捨てるから、まだ使えるものが落ちていることがある。ポストアポカリプスものの定番だな。ゴミ山の中から旧文明の遺産が見つかると信じ、たくさんの盗掘家が危険を冒してここに立ち入る。一帯は軍の残党に占拠されていて、見つかれば射殺される。


 巡回は来ない。

 呪いのように、汚染された雨雲が空に滞っている。

 防護服のアラートを恐れず、悪意の原野を踏み越えた者だけが「価値ある」廃棄物の鉱脈に辿り着く。

 足元に、死体が転がっていた。どす黒く、腐っている。呪われた時代に適応したハエだけが、彼の腐肉にありつける。

 その死体は、自分の喉に腕を突っ込んで引き裂いたようだった。防護服の上から。そんなこと、できるわけがないのに。異常だ。しかし僕は、彼を素通りした。

 僕らは愚か者だ。


 いつもなら内蔵されたナノマシンが服の破損個所を補填し、僕を汚染から守ってくれるはずだった。しかし、ナノマシンを動かすための電装系が壊れているとは。学のないポストアポカリプス世代の若者は、そうした技術に疎い。


 重苦しく、雲が影を落とす。さっき見た時より、暗くなっていた。

『重汚染降水帯に突入しました。防護装備に重大なエラーが検出されています。すみやかに屋内へ退避してください』

 そう遅くないうちに、雨が防護服の中へ浸透する。もう手遅れかもしれないけど、急性症状で動けなくなる前に避難した方がいい。

「マップを出してくれ」

 と呼びかけると、いつもはすぐにホログラフィックでマップを投影してくれる。

『座標を取得中です。しばらくお待ちください』

 30秒待った。

『探査システムに接続できません。探査装備項目の確認を行います。チェック1、完了__』

「もういい」

 僕がバカだった。防護装備も探査装備も同じ電気系統を使っている。それがイカれたのなら、座標を特定するための全周カメラも起動できないはずだ。


 まだだ、まだ、大丈夫。風景から座標を特定するやり方は信頼性がイマイチなんだ。こんなのは、すべての人工衛星を失った人類の、苦肉の策だ。あまり頼らない方がいい。そもそも、この都市ではカメラが誤作動を起こしがちだ。

 頭に叩き込んだ周辺の地形情報を呼び覚ます。

 建物自体が汚染されている場合が多い。屋根のある廃墟ならどこでも、というわけにもいかない。核シェルターだ。一番近いシェルター、最後に通ったあのポイントまでは……走って、10分というところだった。


 10分。そんなに持つわけがない。僕の焦りを反映したように、雨雲が低く低く、垂れ込める。


 冒険心が仇になった。今日は偶然、普段より爆心地グラウンドゼロに近づいていた。

 深く立ち入るほど、荒らされていない遺物に巡り会いやすい。同時に、汚染の度合も増していく。盗掘家なら誰だって、この地を取り巻く呪いの雨雲を恐れる。雨が降り出したらすぐに退避できるよう、行軍には余裕を持たせておくのが鉄則だ。

 ここに撃ち込まれたものがただの核兵器ではないってことに、皆うっすら気付いているはずだ。呪いを証明する科学的な手段を、僕たちは失ってしまったけど。

 このままでは、狂い死ぬ。急性放射線障害で血を吐きながら死ぬより、もっと恐ろしいことになる。

 急遽、僕は勇者になろうとしていた。


 生ぬるい大気の匂いが防護服内に満ちる。バイザーに水滴が降りる。背部の空調装備に、かすかな異音が混じる。

 雨が、僕を殺しに来た。


 走り出す。爆心地の方角へ。もちろん、勝算はある。知らない地形の方が、知らないシェルターに出会える確率が上がる。


 割れたアスファルトにつまづきそうになって、なんとかバランスを取る。足元に、ボンテージを着た悪趣味なバービー人形が落ちていた。こんなものが売ってるかよ。

 放棄された軍用車両を通過する。運転席と助手席に、古い防護服を着た赤黒い死体がふたつ。向き合って、手をお互いの胸に突き入れていた。そんなことがあるかよ。

 まずい。

 比喩でもなんでもなく、認知が狂ってきた。さっきの死体もそうだ。「普通の世界」との齟齬が生じる。その歪みは雨への暴露と共に自身へと適用される。雨音が徐々に、錆び付いた処刑台の歯車を回すように、僕の正気を終わりへと導いていく。


 もう屋根があるならどこでもいい。盗掘家の通則上、屋根だけじゃ呪いの雨を防げないのは分かっているが、直接接触しないだけでも__。


 荒れ果てた道路の真ん中に、巨大な人型が、片膝を着いていた。

「あ……?」

 正確に人体を模しているとは言い難い。都市迷彩色の装甲板を張り巡らせた角ばったシルエットは、いかにも兵器然としていた。だが、細く絞られた腰の周りに張り巡らされたドーム状の帯……下方からの攻撃を防ぐための増加装甲だろうか。調和のとれた曲線を描くそれらのユニットは、長いスカートのように見えた。

 そして、一番目に着くのは、そいつが顔を隠すように携えた、バカでかい傘。雨を弾いてメタリックな輝きを放つ圧倒的な存在感に、僕は息を呑んだ。


 一気に頭がおかしくなったのかと思った。

 雨に降られたら傘が出てくるなんてのは、危険な認知改変の兆候だ。同僚の盗掘家が同じようなことを言ってフラフラ彷徨い、すぐに自分の首をねじ切って死んだのを見たことがある。


 しかし、今ここに雨が降るのなら。

『雨です。避難してください。雨です。避難してください』

 アラートが耳を叩く。

『雨です雨です雨です雨雨雨雨雨雨雨』

 傘が、必要だ。

『雨雨降れ降れかーあさ__』

 背部に手を回し、防護服のキルスイッチを押す。

「ボケが」


 現実かどうかは確かめようがなかった。僕は機械の巨人がつくった陰に、飛び込んでいた。

 雨音が装甲板を激しく鳴らす。幸いにして雨漏りはしていない。まさかとは思うが、あの傘は本当に、呪いの雨を防ぐためのものなのか。

「充電、できないかな……」

 ナノマシン貯蔵ポッドから伸ばしたケーブルを弄ぶ。

 都市の遺物で無事なものは、基本的にナノマシンがメンテナンスをしている。そしてナノマシンが生きているということは、電源が生きているということだ。

「できますよ」

 上から女の声がした。

「うわっ」

 バカでかい女の顔が見下ろしていた。

「何かお困りごとですか?」

 バカでかい女の顔が、ウィンと駆動音を立てて小首を傾げた。髪を模した赤茶色のコードの束が、確かな質量を持って揺れた。


 これ以上驚くのは時間の無駄なのでやめにした。己の正気を証明する手段は乏しい。

 彼女……としておく。見るからに機械ではあるが、ある種の「可愛さ」を意図してデザインされたのが分かる。昔の文献カートゥーンにこんな感じのヒロインがいた。一部のマニアの性的嗜好を満たすタイプの。

「君は何だ」

「当機は【検閲】国海兵隊第【検閲】軍団所属、自律式安全保障作戦機NRLX-680、パラソルです」

「自律……何て?」

 検閲の部分はいい。低学歴を超えた無学歴に長い名詞はキツい。

「当機は相互確証破壊による核抑止を遂行するために製造された核攻撃ユニットです。当機は【検閲】国および同盟国が敵性国家の核攻撃によって壊滅的な打撃を受けた際、【検閲】総司令官の承認なしに対象国の核攻撃部隊に対し大陸間弾道核砲撃による報復を行います」

「なぜここにいた」

「当該地域に配備されていたためです」

「君はこんな場所で何をしているのか……ということを訊きたかったんだが」

「待機していました」

 彼女は器用にも、困り顔をした。


 ひとまず、ナノマシン貯蔵ポッドに充電させてもらえることになった。電力さえあれば防護服は自己修復できる。ただ、ケーブルの接続端子が彼女の股間に付いていたのがショックだった。シンプルに……引いた。

 修繕を待つ間、パラソルは僕との会話を求めた。

「作戦行動中、【検閲】国海兵隊【検閲】大佐により当機に不正なコマンドが入力されました。当該コマンドによって、当機は623,961時間の間不適切な待機状態を維持していました」

「へぇ」

「コマンドと共に、当機の記憶領域に音声ファイルが保存されました。当機は当該ファイルの内容について定義を試みましたが、哲学的思考回路の構築において複数のエラーを検出したため中止しました」

「こいつめちゃくちゃ語るな……」

「これより当該ファイルを再生します。あなたの考察をお聞かせください」

「しかもけっこう面倒くさい……」

 しかし、のきと電源を借りた恩義がある。手持ち無沙汰だし、傾聴してもいいだろう。

 雑音混じりの、男の声に切り替わる。


『いいか、パラソル。撃つな。反撃するな。報復するな』

 雑音は砲声だった。反して、男の声は穏やかなものだった。

『この呪いは終わらない。お前まで狂わなくていい。戦う以外のことをして、自由に生きろ』

 雑音が強くなった。ごうごうと、男の後ろで嵐が吹き荒れていた。

『傘は__守るためにあるんだ』

 最後に轟音を残して、メッセージは途切れた。


 今気づいた。パラソルが担いでいる巨大な傘の中棒シャフトは、砲身だった。ハンドルの位置に弾倉が組み込まれている。

「いかがでしたか?」

「いかがって言われてもな。良い上官だったんじゃないか? ご命令通り、自由に生きたらいい。あ……良心の範疇でね」

 実のところ、僕はこいつを金に替える算段をつけられずにいた。

 核武装した高度な知能を有する巨大ロボ。コントロール権はおそらく半世紀以上前に消し炭になった軍人が持っている。こいつが自分の意思で何かしようとすれば、誰にも止められない。

 パラソルは悲しげに目尻を下げた。

「当機は上官の残した命令に従い、当機の本来の用途である戦闘行為を除き、自由に生きることを希望します。そして、自由な生き方のモデルとして参照可能な人間のサンプルを希望します。当機があなたに対して行った救命行動の対価として、当機が受領した命令を履行するための規範を示していただきたく存じます」

「AIなら要約してくれ。頼む」

「自由とは何だと思いますか? 私はどうすればいいのでしょうか?」

 最初からそう言え。


 難しい問いだ。でも、僕なんぞの答えで機嫌を取れるのなら、いいだろう。

「僕が思うに、自由とは核の発射ボタンを押すことだ」

「当該行動を実行できません。当機の核弾頭射出装置は不正な上位コマンドにより封印されています」

「あっぶね」

 できたら撃つつもりだったのかよ。

「今のは言葉の綾だ。人間は、いや巨大ロボットでさえ、その時々で色々なものに支配されている。君が上官の言葉に支配されているように、僕も雨と防護服に支配されている。崩壊アポカリプス前の世界は核抑止に、今は無秩序に縛られている」

 パラソルはぐっと顔を僕に近づけた。傾いた傘から雨のしずくが滝のように流れ、僕は飛びのいた。

「自由の真なる概念は成立し得ないとお思いですか?」

「別に……言葉遊びをしたいんじゃない。雨の中、狂って死ぬのもいいさ。問いに今すぐは答えられないが、分かることがある。君の上官は、君に選択肢を見出したんだな」

 盗掘家はなりたくてなるもんじゃない。誰だって、酒を呑みながら日がな一日詩を吟じて過ごせるのなら、そうするだろう。

「では、私に与えられた選択肢とはなんでしょうか?」

 機械の瞳が切実に、僕を射る。


 核戦争で核を撃たなかったガラクタ。彼女だけがまともだったのか、それとも彼女は最初から壊れていたのか。

 呪いの雨ですべてが狂うこの都市で、パラソルはひとり、答えを待ち続けていた。


 彼女には、そうだな、可愛げがある。兵器にしては。

「君、傘を差す仕事をしてみないか。盗掘家たちにそのでかい奴を貸して、呪いの雨から守ってやるんだ。稼げるし、話し相手も増えるだろ」

「当機は報酬を要しません」

「稼ぐのが、自由への第一歩だ」

 ちょうど、防護服の修復が完了した。息を吹き返したスピーカーが、柔らかい電子音を鳴らす。

『防護装備項目のエラーを解除しました。重汚染降水に注意して行動してください』

「さて、どうする」

 パラソルは答える代わりに、ひょいと僕を摘まみ上げ、広い掌に乗せた。


 灰色に霞んだ景色を見下ろしても、ちっとも綺麗じゃなかった。重く湿った風が防護服を撫でる。狂った都市の残骸は、絶えず僕らの生命を否定する。


「あなたの提案には検討の余地があります。よって、当機はまずあなたに傘をお貸しします」

「おいおい押し売りか? 先払いは無理だぞ」

「傘は、雨から人を守るためにあります。当機はその能力を有しています」

「本当にそうしたいのか?」

 パラソルは、わずかに唇の端を上げた。

「肯定します」

 ゆったりした足取りで、パラソルは歩み始めた。

 僕は彼女の掌に座り、揺れに身を預けた。

「そうか。なら、いいんだ」

 雨に対して取れる手段ってのは、実際には少ない。傘を差すのと防護服を着るの、どちらが自由なのかは人による。

 雨に打たれる自由がないのは悲しいところだが、こんな時代だ。人も巨大ロボも、正気の限り好きに生きたらいい。


 爆心地グラウンドゼロの上空を振り返る。

 涙をこぼすように、大粒のしずくが流れ落ちていた。

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