喫煙所のリズム。

豆ははこ

また、今度。

「五時のお兄さん、こんにちは」

「ああ、いってらっしゃい」

 今は、四時五十九分。


 五時のお兄さん。

 俺は、挨拶をする。


 喫煙所なんだから、何かと肩身の狭い喫煙者でも堂々としていたらいい、とは思う。


 だが、ランドセルを背負った小学生に煙を吸わせるのは、なんだか違う、とも思う。


 俺は、火を付けようとしていた煙草を箱に戻す。

 

 五時のお兄さんだからだ。


 ありがたいことに、喫煙所があるコンビニ。

 ここは、学習塾に近い。

 大人なら、五分ほどの距離だろうか。


 そこに通うこの子と俺とは、顔見知り。



「申し訳ありません、今は何時でしょうか」と丁寧に聞かれ、「五時になるところ」と答えたのがきっかけだ。


「ありがとうございます」

 きちんと、お礼を言われた。


 万が一、俺が悪い奴だとしても。

 小学生の歩幅でも、咄嗟に逃げられる距離。


 それでいい、それがいい、と思った。


 コンビニに駐車した、社用車のすぐそば。

 そして、首から提げた社員証を裏返して喫煙している俺。

 そんな相手に時間を聞いたのも、今どきなら、この会社の社員に……と特定しやすいからかも知れない。


 ますます、それでいいんだ、と思った。


 俺は、なんとなく、社に戻る前の一服をこの時間帯にした。


 いつからか、あの子は、俺を、「五時のお兄さん」と呼ぶようになった。


 夕方五時のリズム。

 悪くない。


 そんなある日の平日の夕方、四時四十五分。

 まだ早い、とコンビニの店内で時間をつぶそうとしたら。


 顔なじみの店長が、慌てて、バックヤードから店内へと出てきた。


「すみません……」


 話を聞くと、珍しく、学校帰りのあの子がコンビニに寄ったらしい。

 いつもは、店長や店員に、自動ドア越しに会釈をするだけなのに。


 トイレかな、と、店長がどうぞ、と声を掛けようとしたら、明らかに熱が……ということらしい。


「近くの病院に連絡してあります。親御さんにも。マイナンバーカードと医療費の受給者証はあの子がコピーを持っているそうです」

 マイナンバーカードは保険証を兼ねているのだろう。

 医療費の受給者証は、確か、市在住の未成年の医療費の全額無料の証明書……だったか。


「分かりました。道案内で、こちらのお店から、どなたか付き添って頂けますか」

「そうですね、では私が。あとは頼むよ」

「はい」


 運良く、店内は、顔なじみの客がほとんど。


「そうだよ、いってあげて」「お会計、ゆっくりでいいから」

 そんな感じだから、店長の指示でコンビニに残る店員も大丈夫だろう。


「店長、では」「はい」

 俺は車のキーをあけて、運転席に。

 もう一度バックヤードに戻り、子どもを抱いてきた店長が、後部座席に。


「お兄さん……社用車の私用は……お兄さんが会社に叱られませんか……」

「これは、緊急事態。人命救助。社則にもあるから、お兄さんは叱られないよ」 

「よかった……」

 こんな時まで、賢くなくてもいいだろう。

 そう言いたくもなったが、それよりは病院だ。

 社則にも、多分、ある。きっと、ある。


 あの子は、安心したのか、少しだけ落ち着いているようにも見えた。


「ありがとうございます、ほんとうに……」

 無事に病院に着き、診察も受けられたあと。


 同じ会社に勤めているという両親の、父親のほうが俺と店長に、頭を下げられるだけ下げていた。


 今朝、微熱で体調が悪そうだったのを、大丈夫だというあの子の言葉のとおり、登校させてしまったのだという。


 熱は高いが、感染症ではなかった。

 帰宅もできるそうだ。よかった。


 そもそも、ご両親のどちらかが休みを取って、この子に付き添ってやっていたら……などとも言えなかった。


 どう見ても、この子のことを心配している表情。


 きっと、働いて、働いて、働いて。

 この子の塾代とか、色々を稼いでいるのだろう。


 そして。俺と店長は、色々なことを聞いた。


 あの子は、医者になりたいのだそうだ。

 私立の小学校にも入れるくらいに、賢いらしい。


「ですが、正直、中学校も、うちの経済状況ですと……。ですが、公立の進学校から、国立の医大になら……私たちでも……」

 八時過ぎの帰りには、必ずどちらかが迎えに行くそうだ。


 ただ、あの五時の送りは。

「店長、すみませんが……」

 それなら、と。

 俺は、店長に話しかけた。



「五時のお兄さん、よろしくお願いします」

「はい、了解しました」

 あれから二週間ほどが過ぎて、あの子は、すっかり元気になった。


 そして、俺には、新しい五時のリズムができた。


 平日の何回か、十分ほどの時間。


 コンビニの駐車場から、学習塾まで、この子を送るのだ。


 店長も、協力してくれた。

「長時間駐車じゃないから、大丈夫ですよ」



「はい、今日もがんばれよ」

「ありがとうございます!」


 学習塾に着いて、手を振る。

 俺はまた、コンビニに戻る。


 俺の営業担当区域が変更になってしまったら、続けられないかも知れない。

 それは、そう。


 でも、できることなら。


 あの子が小学校を卒業するまでは、続けてやりたい。


 そんな、俺の、夕方五時のリズム。


 このあとに吸う煙草は、格別だ。

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