こころの雨。

こよい はるか@猫部&KKG所属

原作

 いつでも僕は一人だった。

 いつでも僕はけがされて、

 洗おうとしても水がない。


 何をしようとしても無駄。

 何をやろうとしても無理。

 そんな人生だった。


 僕の心に降り注ぐ雨は、いつまでも止まない。

 僕のこころに降り注ぐ雨は、どうなのだろうか。


 僕のこころざし、僕のこころ

 これは、僕と志の物語。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


雨斗あまと!」

「どうした? こころ

「今日も紫陽花あじさいが咲いてるよ! 雨斗の好きな青!」

「本当だ。あぁ、青はやっぱり綺麗だな」


 僕の中学校生活は、キラキラしていた。

 毎日が輝いていて、思い出一つがアルバムで、彼女こころと一緒にいることだけで幸せだった。


 こころとは、中学校の入学式で出会った。

 その頃から、この学園に入っていた。

 出席番号が近く、講堂での入学式の席も隣だった。


 意志のこもった真っ黒の瞳、凛とした横顔。

 一目惚れだった。


 教室、理科室、音楽室、美術室、書道室。

 全ての授業で、僕はこころと席が隣だった。


 だから、すぐに話すようになった。

 僕はこころの凛としたこころざしに惚れた。

 彼女は医師になりたかった。


 彼女の母親は、小さい頃に原因不明の病気で亡くなってしまったそうだ。


「どのような病気も治せるようになって、自分みたいな悲しい思いを、お母さんのような虚しい思いを誰にもさせないために医者になる!」


 彼女はそう言ってやまなかった。


 当時の僕にだって、夢や希望はあった。


 観光事業の会社の社長として活躍する父親を支えるため、頭の良い学校に入り、勉強をして、社長を継ぎたかった。

 テストで満点を取るたびに、「頑張ったね」と優しい声色で頭を撫でてくれる母親が大好きだった。


 だから、どんなに勉強が苦しくても、友人関係が上手くいかなくても、ずっとやってこられた。


 社長として活躍する父親の背中を、

 優しく接してくれる母親の背中を、

 揺るぎない希望を追うこころの背中を、

 僕は無心に追いかけていた。


 中学三年生の夏の日、志は消えた。

 理由なんて分からない。

 前の日まで、一時間前のメッセージまで、こころはずっと元気だった。


 だから信じられなかった。

 あの川に飛び込んだなんて。


 家の近くにある川幅の広い川を、僕たちは不死川しなずがわと呼んでいた。

 第二次世界大戦の時、この町の誰もが、燃え尽きた住宅街から逃げて、不死川に飛び込んだ。

 当時有名な建築家だった人と地面に詳しい人の出生地だった僕らの町には、二人によって便利なトンネルが作られた。


 いざとなった時、家の隠し扉から三メートル下に飛び降り、不死川に続くトンネルを歩く。すると、対象地域の遠い家でも十分ほどで、銃撃などの心配をせずに川に上がってこられるのだ。


 その防空壕のおかげで、この町の人々は不死川の水面に顔を出し、全員生き残ることができたのだという。この伝説によって、不死川という名前が付けられたそうだ。


 その不死川に、こころは自分の意志で、飛び込んだのだ。

 信じられなかった。


 警察から事情を聞いて、部屋着のまま家を飛び出した。

 僕が頑張ってこられたのは、君の言葉のおかげでもあるんだから。


 だから――死なないでくれ。


 僕も半分、伝説を信じていたのかもしれない。

 あそこの川だったら大丈夫だろう。きっと、いつもの元気な笑顔でけろっとしている。

 そう信じていた。


 走って、走って、走った。

 警察からは未だ、こころが水面に上がったという情報はこない。

 こころは泳げるはずなのに。


 雨が降ってきた。

 とても強い雨だった。

 息ができなくなるような雨だった。


 びしょ濡れの服が身体にまとわりついて、離れない。

 それでも僕は走った。


 不死川に着いた。

 水面を雨が打ち付けていた。

 黒髪のショートボブは、どこの水面にも見当たらない。


 彼女の好奇心は、僕が何より知っている。

 彼女は何をしたいか、僕は分かっていた。


exorunエクソランのダイビングセットをください!」


 警察と繋がっていたスマートフォンで、警察に告げた。


 父親の会社が、exorunという企業のダイビングセットを宣伝しているのを見たことがある。あれなら、あそこにたどり着けるかもしれない。


『何故ですか?』

こころを助けるためなんです!』

『危ないです! 警察のダイビングの得意な警察官が向かいます』

『間に合いません!』


 早急にダイビングセットを持ってきてもらい、すぐに不死川に飛び込んだ。


 好奇心旺盛なこころは……トンネルを通りに行ったに違いない。


 だが、トンネルの後の家へ続く道は、もう閉じられている。

 早とちりな志は、きっとそれを知らずに、僕の家へ上がってこようとしたのだ。


 水の中は雨のせいで濁っていて、波打っていた。

 トンネルまでの道のりを示す看板も見えづらかったけれど、こころを助けるためだったからか、感覚が集中していた。


 この先をまっすぐ、ここで右、ここで左。

 そのような簡単なことが書かれている看板の指し示す方向へ、僕は平泳ぎをした。


 やっと、トンネルの入り口までたどり着いた。

 大雨の影響でどんどんと不死川は増水し、トンネルの中までもに水が入っていた。


 トンネルを少し進むと、『あ行』『か行』など、苗字の行がが書かれている看板がある。

 僕の苗字は松村だ。……『ま行』。あった!


 僕は迷わず進み、『ま』、次の文字の『た行』の『つ』の方向へ進んだ。

 そこまで人口が多いわけでもないため、もう枝分かれは無かった。

 きっと、この先にこころはいる。


「はぁっ、はぁっ……」


 元々運動神経がそこまでよくなかった僕は、息が切れ始める。それでも、一生懸命泳いだ。


「――いた!!」


 僕の家に続く三メートルの垂直な道にたまった水中に、こころはいた。


 見つけたころには……もう、息をしていなかった。


こころこころっっ……!! そんなの嫌だっ!!!」


 僕はこころを脇に抱え、すぐに泳ぎだした。

 さっきより進みづらい。でも、今止まったら、こころは死んでしまう。

 それだけは――絶対に嫌だった。


 水面に上がった時は、もうこころが消えて三時間が経っていた。

 いつもだったらこんなことにならずに済んだだろう。だが、予測不能の大雨によって川が増水し、トンネルまでもに水が入ってしまったのだ。


 救急車に乗せられて病院に向かった。


 病院に着いて手術室に入れられ、すぐに――


「……こころさんは、助けられませんでした」


 何故こんなに運が悪いのだろう。

 何故今日行った?

 何故――今日逝った?


 こころには、まだ生きる意味、こころざしがあったのにっ!

 何故、奪い取るんだ!!


 僕は、その日から、心を閉ざした。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「今年も学園祭だ~! よっしゃあ!」

「楽しみだね~!」

「今年はパンケーキの屋台出したいなぁ」

「えー、前回屋台ランキング一位だったんだからから揚げにしようぜ!」

「ハハ、お前ら青春アオハルだなぁ」


 アオハル?

 教師が何を言っているんだ。

 ここに、青春してない人がいるだろ。


 毎年九月に、学園祭がある。

 夏休み前の七月上旬には、決まって学園祭の話で盛り上がる。


 その光景を僕は、高校三年生になっても、遠くから見つめているだけだ。


 学園祭のどこが楽しいのだろう。

 ただ食品を作って販売し、友人や彼女ガールフレンドと一緒に屋台を回るだけの、つまらないイベントだ。


 友人も彼女もいない僕に、楽しむ理由などない。

 一人で回っていても、虚しくなるだけだ。


 だから、僕は学園祭、体育祭などの準備はサボり、「長」という名の付くものは絶対に引き受けなかった。

 学校行事をサボったせいで他の奴らにピーピー言われて、いじめられる。

 それが僕の運命だ。


 こころがいた時は、どれだけよかっただろう。

 こころざしがあったならば、どれだけ楽しいだろう。


 あれから立て続けに、母親が亡くなった。享年三十七歳だった。

 頑張る理由が、また減った。


 父親の会社は、急激なデフレにより倒産した。

 本当に一瞬の出来事だった。


 この三つの出来事が、たった三ヶ月の間で起こったのだ。


 僕から全てを奪っていく神様。

 もう人生なんてどうでもいい。

 誰とも話さないし、なにも頑張らない。

 生きていなくてもいいんだ。


 でも、こころのために、母親のために、やっぱり二人の分まで生きたかった。

 この人生が充実したものでなかったとしても、生きていることに価値があると思えた。

 でももう限界だ。


 こころは雨となって、今も僕のけがれた心を洗い流してくれているだろう。

 でもごめん、君の清らかな涙でも、僕の心は動かないよ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の放課後、僕はいつも通り学校を出た。

 もちろん帰宅部だ。

 部活に入る必要なんてない。僕は生きてるだけでいいのだから。


 外からザーザーという音が聞こえる。

 運動部の奴らも鞄を持ち、昇降口へ向かう。


 外に出た。


 雨が降っていた。

 とても強い雨だった。

 息ができなくなるような雨だった。


 男子は、「やべー! 気持ちいー!」と叫びながら走っていく。

 あっという間に人は居なくなった。


 あの日のような雨だった。

 朝はカラッとした快晴だったから傘なんて持ってきてるわけないため、雨が止むまで待つことにした。


 あの日と違うのは、行動していないことだろう。


 こころのためならなんでもできた。

 こんな雨の中でも、苦しい現実の中でも、走り続けることができた。


 でも、今は?

 こうして昇降口に佇んでいて、何になる?

 もうどうなってもいい。僕の人生はどうでもいい。

 最後に、あそこだけ行きたかった。




「……ついた」


 目の前で、濁った水が流れている。

 看板には、不死川と書かれている。


 ――あの時のこころは、どんな気持ちだっただろう。


 そんなことを考えながら、僕の足は川の方へと歩を進めていた。


「おい、危ないじゃないか!」


 いつか聞いたようなおじさんの声も、聞こえない。


 僕の足は、水の中へ入った。


 ――冷たい。


 すぐに足が取られそうになる。僕は流れに身を任せた――


 その時。


「待って!!」


 どこかで聞いたことのある声がした。


「近づかないで! 死んじゃう!」


 こころざしのこもった、凛とした声だった。

 足にグッと力を入れて、もう一度川の上へあがる。


 見ると、そこには――


「上がって来て!」


 必死な顔で訴えかけている。

 こころとは違うけど、凛とした顔が特徴的な女の子だった。


 僕の足は、動いた。


 その女の子の方へ。


 女の子は僕へ向かって手を伸ばす。

 僕は迷わず、その手を取った。


「掴んで!」


 グッと引っ張られる感覚。

 あぁ、現実に戻ってきた。


「大丈夫⁉」


 ザーザーザーザー、未だ雨は降り続いている。

 雫と共に叩きつけられる身体も、生きている実感ができて気持ち良かった。


 あぁ、洗い流されていく。

 この三年間、けがれていた心が、こころの雨によって。


「大丈夫。ありがとう……」


 顔を上げて、女の子の顔を見る。


 今でも、こころはいない。

 心の雨は降り続いている。


 でも今、君が目の前にいることが、

 僕の生きる意味なんだ。


 君がこころの雨となって降り注いでくれるから、

 僕はまだ生きていられる。


「僕は雨斗あまと。君は?」


 降り続ける雨が、とても心地よかった。


「私は、心っ!」

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