第一座右の銘

百目鬼 祐壱

第一座右の銘

 げんげんはそれがどういう意味なのか知らなかった。げんげんは物知りだ。げんげんは良い大学を出ている。それなのに知らなかったのだから、よほど難解な言葉なのだろうか。

「げんげん、そんな言葉、しらない」

 大柄のむさくるしいおっさんが不機嫌そうにそう言った。一人称がげんげんだから、げんげんである。本名は忘れてしまった。酒を飲みながら、げんげんは虚空を見つめて黙ってしまった。酒場にひとつ沈黙が落ちた。仕方なく私はスマートフォンの画面に視線を落とした。

 事の始まりは私が小説でも書いてみるかと思い当ついたこと。馴染みのバーで酒を飲んでいたらぴかりとそういうことを閃くのもよくあることだ。でも、どうやって小説を書けばいいのか分からないから、げんげんにやり方を聞いてみた。なんだ伊東ちゃん、小説なんて興味あるの、あんなのは箸にも棒にも掛からない人間が自尊心を保つためだけに腰かける哀れな趣味よ。げんげんはそう言いはしたが、げんげんの友達にツイッターで小説やってる人がいて、そいつが文学コンテストみたいなの勝手に開いて、賞金とか出してやってるから、そこに出して見たらいいんじゃない、などとアドバイスをくれた。へー、なんかあほっぽくていいですね。ほらこの人、とげんげんが見せてきた画面では、古賀裕人🐸なる人物が古賀コンなる催しをしていた。「1時間で書き上げた文章、優勝したら1万円」がコンセプトの文学祭、とあった。一時間で一万円もらえるなんていい商売だと、詳細を確認すると、募集要項にこのような文言があった。


今回のテーマは「第一座右の銘」とします。

このテーマをどう解釈するかはあなたの自由です。

好きなもの全部詰め込んだ作品、ぜひ読ませてください。


「げんげんさ、この、「第一座右の銘」ってなに?」と聞いてみると、げんげんはなにそれという顔をして黙ってしまった。そうして、それからずっと機嫌が悪い。

 どうしようもないから、じゃあ今度は自分で調べてみよう考え、Safariに打ち込んだが、そんな言葉についての解説は出てこない。お題の意味が分からないのだから小説なんて書けっこない。でも一万円は欲しい。今度はYouTubeで検索してもそれらしいものは出てこなかったが、関連動画として、「検索しても出てこない日本語?」というタイトルの動画があったので気になってタップすると、「ねえねえ魔理沙」とはじまるゆっくり動画が始まる。それによれば、どうやらありもしない言葉を作って日本語を内側から瓦解させようとする輩がいるらしいということが解説されていた。なるほど、そういうこともあるのかと思い、げんげんにその話をしようとしたが、げんげんの姿はどこにも見当たらず、それにここはバーだと思っていたのに私の部屋だった。まあそんなことはどうでもよい、私はいますぐに、ありもしない言葉を作って日本語を内側から瓦解させようとする古賀何某を成敗しなければならない。古賀氏にDMを送ると、なんすかそれwとすぐに返ってきたあとに、ごめんなさい、エントリーいただけるということですよね、ありがとうございます、お題の解釈はなんでもありなので、そのように私がしているという設定でも大丈夫です、それでは作品をお待ちしております!と続いたので、何を言っているんだ、お前が日本語を内側から破壊しようとしているなら、俺にも考えがあるからなと立ち上がり、家を飛び出して、夜闇を走った。風呂上がりだったので、体には何も身に着けていない。しかし、初夏に差しかかった夜の風は自然な姿にも心地よさを運んでくれる。私はかけていく。風を切って、かけていく。かけていく、かけていくかけていく、そしてかけていき、アフリカのライオンになった。目の前には古賀氏が立ちふさがっていたので、そのままの勢いでぶち当たったら、遠くまでぶっ飛んでいった。さすがに不憫に思えたのだが、四肢の駆動はとどまることを知らず、もうどこまでもかけていくしかない。いつのまにか私と並走していたげんげんが、お前の座右の銘はなんだと聞いてきた。私は電光石火と答えた。それが座右の銘なのかわからねえなとげんげんが言った。そんなことはどうでもいい。おれはこの草原をただかけていく。音は追いつかない。光りすらも。電光石火。私の悲しみは疾走する。涙は追いつけない。夜の底が白んできた。早く家に帰りたかった。

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