また死んだら会おう!

サトウ・レン

じゃあな。

 川の流れる音が聞こえて、こんな場所でもせせらぎはあるのだ、とまず驚く。


 昔、三途の川を信じていた友人がいた。

 初めて聞いた時、アホかと思ったのだが、表情が意外にも真剣だったので、俺は口には出さなかった。高校時代の友人で、俺は心のどこかで彼を、不死身だと思っていたので、十年振りの再会が、三途の川の渡し船の中になるなんて想像もしていなかった。


 お互い死んだのだ。

 俺はなんで死んでしまったのだろうか、と考えてみるのだが、まったく思い出せない。記憶はひどく不明瞭だ。まぁでも三途の川にいるのだから、俺は死んだのだろう。


「お前も死んだのか、ははは」

 と彼が俺を見ながら、笑う。懐かしい、世を拗ねるような渇いた笑いだ。


「どうやら死んだみたいだ。まったく覚えてないんだが、俺はなんで死んだんだろう」

「結果として死が変わらないなら、別にどんな理由で死んだっていいじゃないか」

「そうかな」

「そうだよ」


 昔から彼は、あまり死を恐れていなかった。いや恐れてはいたのかもしれないが、それを他人に見せることはなかった。そして死にそうな目に遭っても、彼が死ななかったのは、死に対する開き直りがあったからだと漠然と思っていた。


「お前は死なないと思っていた」と俺が言う。

「死なない人間なんていないさ」と彼が笑う。

「俺よりも先に、って意味だよ」と俺は返す。


 あぁこんな無駄なやり取りをいつかもよくしていたな、なんて俺はもう戻ってこない青春を懐かしんでしまったが、そもそも死んでいるのだから、人生さえも戻ってこないのだ、と思い返す。死んだのに、死んだ感じが全然しない。


 彼は高校の時、刺されたことがある。

 彼は別に不良ではなかったのだが、偶然にも不良同士の抗争に巻き込まれて、そのうちのひとりが持っていたナイフで脇腹のあたりを刺され、刃先は内臓にまで達していたそうだ。『医者の話だと、もうちょっと遅かったら死んでたんだって』と生還した彼は、俺にそう笑った。


 三途の川の話をしたのは、確かこの時だ。三途の川で渡し船に乗りかけた、と退院したあと、彼が俺に言った。


『怖くなかったのか』とあの日の俺は聞いた。

『いや、別に、普通』とあの日の彼は笑った。

『もっと怖がれよな』とあの日の俺は呆れた。


 いや、呆れた振りをしていたのだ。本当は俺のほうが怖がっていたのだ。俺と彼が関わったのは、高校時代の短い期間だけだった。なのに俺は、たぶん彼以上に、彼の死を怖がっていた。死なないで欲しい、と願っていた。彼にもっと、生を渇望して欲しい、と思っていた。だけど彼はそうはならない、と知っていた。もちろん不死身なわけがないなんて分かっていたが、不死身だと思い込むことで心を落ち着かせたりもしていた。


 だから俺は彼から距離を取ることにした。

 いつか来る別れが怖くて、自ら別れることを選んだのだ。本末転倒な馬鹿な考えだとは分かっているが、あの時の俺にはそれしかできなかった。彼が俺の本心を察したのかどうかは分からないが、離れる俺を繋ぎとめようとはしなかった。


「この船はどこに着くんだろうか」

「知らないよ。お互い、死ぬのははじめてなんだから」と彼が笑う。

 真っ黒な格好をした船頭を見るが、何も答えてはくれない。


「怖くないのか」

「怖いよ」

「全然怖そうじゃないけど。お前、昔からそうだよな。もっと怖がれよ」

「……本当に怖いよ。きみを見つけるまで、ずっとひとりで寂しくて、誰かが来て欲しい、と思っていた。僕はきみがここに来るよりずっと前から、この船に乗っていて、目的地にたどり着くこともなく、何度も何度も同じ場所を往復してるんだ。怖くて怖くて仕方ない。そんな時、きみのことを考えていた。なんでこんなにも長い間、会っていなかった奴のことを思い出すんだろう。なんでか分からないけど、今回はきみがいた」


「俺に会えて嬉しかったか?」と冗談めかして聞く。

 まぁ勝手に死なれるくらいなら、一緒なタイミングで死ねるのも悪くないかな、と俺は思いはじめていた。


「嬉しくなんてないさ。罪悪感でいっぱいだよ。僕の死の繰り返しに、きみを巻き込んでしまった、って。自分の死よりも、嫌なんだ。それが」


 急に彼が立ち上がり、俺に近付いてきて、どこにそんな力があるのかも分からないが、俺を担ぎ上げた。そして俺は投げ飛ばされた。


「な、何を」

「とりあえず、そこから泳いで帰れ。生への道に繋がっているはずだ。お前は死ぬなよ。すくなくとも、そんな形では。じゃあな、また死んだら会おう!」


 船を追おうとするが、追い付かず、どんどん離れていく。

 諦めた俺は、船とは逆方向を泳ぐことにした。彼の言う、生への道へ、と。


 気付くと俺は、ベッドの上にいた。真っ白い光が白い部屋を照らしている。そこが病室だと分かるのに、すこしだけ時間が掛かった。


 びっくりした表情の看護師さんと目が合う。

 あぁきっと死ぬと思われていたんだろうな。


 不明瞭だった記憶が明瞭になっていく。タイミングを決めても、意外と死ねないもん、っすね。そんな言葉を口にしそうになったが、結局は言わなかった。さすがに場面として不謹慎というのもあるが、肉体に走る痛みが、思いのほか、つらかったからだ。


 一年前、通り魔に刺されて死んだ男がいる。十年前も同じく刺されたが、奇跡的に生還した男だったが、奇跡が二度起こることはなかった。


 理由はいつだって複雑に絡み合っている。そこに綺麗な一本の線を引く気はないが、


 すくなくとも確かなことがあるとすれば、

 きょうは一年前に死んだあいつの命日だ。

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