最終話 雨空の下の少女

 思った通り帰路は一緒だった。図らずも家のある方角が同じなのだ。

 薄暗い夕方の世界。

 二人して傘を差して歩く道、秋人の隣で佳那は心なしか歩調を弾ませていた。

「解決してよかった。わたし、すごく安心してる」

「うん。おおけがのほうは今も痛いのか?」

「痛いよ。体を動かしてよじれたりすると、刺すようにずきずきする」

 それでも佳那はニコニコして「でも気になってつい手で触っちゃうの」と、どこかはしゃいでいるようだ。

 秋人もその元気な姿に感化されて楽しい気持ちだった。

 佳那は無事守られた。助けることができた。

 これから、佳那には平穏がもたらされる。休み時間のたびにいじめられに行く必要もないし、学校を嫌わなくなって授業も普通に受けられるだろう。

 降る雨も勢いを弱めつつある。このままなら夜になる頃には晴れるかもしれない。

 秋人は歩きながら、空を仰いだ。

「雨の中で傘を差していると、何だか守られているみたいだ」

 見たままのことをつぶやいた秋人の言葉に、佳那が反応した。

「雨は嫌い、だけど、今だけはその気持ちがわかる」

 うんうんと頷く佳那。

 それで。

 そうか、と不意に秋人は思ったのだ。

「なあ、千崎。千崎は雨を好きになれるよ」

「……なんで?」

「だって、千崎は世界から流されたりしていないから」

「うん?」

「毎日ひどい目に遭わされているのにずっと耐えていたし、絶対に泣かなかった。今はここで、嫌いな雨の中で傘を差してこうして笑っている。それって千崎はゴミでも不純物でもないってことだ!」

 背の低い佳那が見上げてくる。ぱちぱちとまたたくその瞳は透き通るようだ。

 秋人は目をそらした。慣れていない妙な緊張感にドキドキしたからだ。

 無言になった二人は例の公園を通り過ぎた。

 人通りも車通りも少ない交差点を曲がる。

 少し気まずい空気に内心動揺している秋人だったけれど、住宅の並ぶ何軒か先に自宅が見えてきた。

「ああほら、もうすぐ俺の家だから――」

 指さそうとしたそのとき、佳那の手が、秋人の服の裾を掴んだ。

 二人は立ち止まった。

 傘と傘がぶつかり、重なり合う。

 秋人は目線を下げて佳那を見ると、佳那もこちらを見つめていた。

 どういうわけか秋人は、佳那の瞳から目が離せない。その透明なビー玉のような輝きがすごくきれいだ。

「あの、わたし、実は」

 言葉をゆっくりと紡いでいく佳那。

 秋人は口を半開きのまま集中する、雨音にとけて消えてしまいそうな佳那の声を聞き漏らさないように。

 秋人の服をひと際強く握りしめ、そして佳那は目を伏せた。


「わたし、このゴールデンウィークの間に遠くへ転校するの」


  ***


 高校受験合格の祝いで戸島秋人はスマホを手に入れていた。連絡手段にもネット検索にも暇をつぶすにも事欠かない、その便利さをかみしめる日々だった。

 そんなスマホに着た夜更けの通知は、遠くの土地に住む千崎佳那からだった。

 あの頃、小学四年生の佳那はいじめのことを早くに両親に伝えていた。暴行の痕を見た親は即座に引っ越しの決断に至った。佳那も仲良しの子はいなかったので学校に未練はなく、学校とも相談を重ねていく親に従って必死に我慢をし続けていた。

 その折の、秋人の突然の接触だったのだ。


『届いているかな』

『秋人くん こんばんは』


 小学四年生のゴールデンウィークに去っていった佳那だけど、その別れ際に住所を教え合い文通をする関係になっていた。月に数回の手紙のやり取り。家の電話でも話すことはあったけれど、二人を繋ぐのがもっぱら文通になっていたのは、それが秋人と佳那の始まりだったからだ。

 そして、あの頃にしていたのは今にして思えば、メッセージアプリに近かったと思う。

 佳那もゴールデンウィーク中にスマホを購入することとなり、お互いの言葉を伝え合う手段も変わる日が来ていた。

 連休中のどこかで買ってもらうと佳那は手紙に書いていたけれど、まさか初日だとは思っていなかった。寝てる場合じゃないと、秋人は飛び起きた。

 そして初めてのやり取りだった。

 雨の音を聞きながら佳那のことを考えていた矢先だったので、心が落ち着かず文字を打つ指が少し震えている。


「佳那 こんばんは」

「こっちはすごい雨が降ってる」


 佳那は今、どんなことを思っているだろうと秋人は想像する。

 すぐに返事が来た。


『わたしのところはね』

『さっき雨が上がったよ 雲は西から東に流れていくからね!』


 秋人は吹き出してしまう。

 あの下手な慰めの言葉、佳那は覚えていてくれたんだなって思って。

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雨空の下の泣かない少女 さなこばと @kobato37

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