第5話 雨の中
雨は止まず、それどころか勢いを増している。
放課後の保健室の集まりを終えて、役目をもらった秋人は校舎を出た。
前を見ている視線の先には、傘を差した佳那が先行してとことこと校門に向けて歩いている。近くもなく遠くもない距離を保つこと、これが大事なのだと篠田先生は話していた。
校門を出た佳那。
住宅街方面を目指して歩く佳那を遠目で見ながら、佳那の住む家が自分の家とそう離れていないことに秋人は気づく。今まですれ違わなかったことが不思議だ。
秋人は一度、後ろを振り返る。
小学校と佳那の家とは歩いて十五分ほど。
何かが起こるなら早いうちだというのが先生の見立てで、ただし校内にいる間はセーフだとにらんでいた。佳那が保健室に行ったことで、暴力行為が学校側に伝わったかもしれないという恐れが生まれ、相手のいじめも校外になるはずだと話していた。
そしてその場所の候補は、道沿いにある公園の物置小屋の裏蔭だった。
その地点に近づいていく佳那。
秋人からは豆粒に見えるその傘が、ぐいっと強引に公園へと引っ張り込まれたのを見た。
佳那は道路から姿を消した。
すかさず秋人は片手を上げて振った。
敵が動いたことを先生たちに伝える合図だった。
篠田先生が駆けてきた。
「場所はやっぱり公園か」
「はい!」
「よし、急いで行くよ。足音はあまり立てたくないけれど、大雨が降っているから気にしなくていい。僕の後ろについて、戸島はできる限り出ていかないように」
「はい」
二人は公園に向けて猛然と走り出した。
人気のない公園の物陰で、上級生たちに囲まれる佳那がいた。
まだ何もされていない。
篠田先生は見つからない場所で立ち止まり、無言のまま秋人を手で制す。
佳那は傘の柄をぎゅっと握りしめてうつむいている。
そこで上級生の一人が手を出した。佳那の胸をどつくように強く押して、地面に倒したのだ。
それを皮切りにほかの上級生たちも足蹴にし出した。泥のついた靴で蹴られ、踏まれ、佳那の服は汚れていく。
そのいじめ現場に忍び寄る先生。
目の前で行われていることの確たる証拠を集め、ついに、
「おい、君たち。そういうのはいけないな」
声をかけた。
振り向いた上級生たちは敵意むき出しだ。
「なんすか」
「写真も動画も撮ったよ。証拠も集めた、君たちの親御さんに連絡も入れた。人も呼んだから、君たちの罪は罰を受けてもらうことになる」
「ふざけんな!」
「警察を呼ぶことも考えているけれど、どうしようかな」
「く、くそ……」
恐ろしい形相でにらみつけてくる上級生をものともしない篠田先生は、初めて見る怖い顔をしていた。
間もなく数人の先生たちが駆けつけてきた。
佳那への一連のいじめもこれで終わりを迎えることだろう。
隣で腕組みする先生を見上げ、目配せをした秋人は、濡れた地面にぺたんと座る佳那のもとへ駆け寄った。
「千崎! 大丈夫か?」
「うん。泥だらけになってるけど、体は平気。けがもしてない」
「よかった。本当によかった……」
「そんな情けない顔しないで。心配かけちゃったね」
佳那は立ち上がると、小さな背をぴんとさせて服を手で払う。雨に濡れているから汚れが取れる様子はない。
「これ、お母さんに怒られないかな」
止まない雨空の下。
佳那は微笑みかけて、その両手で秋人の手を握った。
「戸島、ありがとう」
秋人と佳那、先生たちもいじめっ子たちも全員が小学校に戻った。
泥に汚れる佳那は校内設備のシャワーを使わせてもらうため、保健の先生に案内されていった。
保健室で秋人と篠田先生は、留守番のごとく椅子に座って休んでいた。
「これにて一件落着ってなればいいね」
「なったじゃないですか……?」
「今は、ね。今後もずっと落ち着きが続けばいいんだけど、相手が復讐心に目覚めることもあるし、また別の誰かと問題が発生する可能性だってある。きれいに全てが終わるって難しいんだ」
篠田先生は打ち解けたように接してくる。難しい話をよそにどかさずきちんと話してくれる大人はそうそういない。何だか認められたようで秋人は嬉しかった。
「今度、千崎にこういうことが起こりそうになったら、戸島が支えてやるんだよ。二人は仲良しなんだしさ」
「仲は普通だと思いますけど」
「そう?」
「話すようになってまだ数日で、きっと千崎も友だち扱いしてくれませんよ」
「そんなことないと思うんだけどな」
先生は不思議そうな顔をしている。
ため息をつく秋人。話がわかるといっても所詮は大人で、先生は子どもの世界の理を知らないのだ。
保健室のドアが開き、佳那と保健の先生が戻ってきた。佳那は泥まみれの服をビニール袋に入れ、今は体操服を身につけていた。
篠田先生は椅子から立ち上がり、
「じゃ、僕はそろそろ行くよ。職員室でこの件の話し合いが始まるだろうし」
そう言って、秋人と佳那に笑顔で手を振って出ていった。
佳那は、はっとして、
「あ、お礼言えなかった。明日からゴールデンウィークで会えなくなるのに」
「別に遅れても先生は気にしないと思うけど」
「う、うん」
部屋にいる三人が揃って口を閉じると、あとは雨がぱらぱらと地面を跳ねる音が聞こえるのみだ。保健室の柔らかな空間と合わさって居心地がよかった。
保健の先生は机に片手で寄りかかって、こちらを見た。
「今日は本当にお疲れさま。これから長期休暇に入るけれど羽目を外さないようにね。ゆっくりと休んで、あとは全力で遊んできて」
「ありがとうございました」
秋人と佳那は小学校をあとにした。
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