第4話 先生の考え

「戸島、ちょっといいかい?」

 佳那のいない五時間目、その終わりに篠田先生から声をかけられた。

 手で招くように呼ばれ、連れられて廊下に出る。行きかう子どもたちの邪魔にならない窓沿いで並んで立って、秋人と先生は向かい合った。

「戸島、最近は僕の授業はつまらないか?」

「俺からも質問。千崎はどこに行ったんですか?」

「待て。順番は守ろう」

「先生も、あいつらの仲間なんですか?」

「……ふう」と先生は息をついて、肩回しをすると「わかった。まずは戸島の質問に全部答えるよ。それから、俺の話にも付き合ってくれよ?」

「それでいいです。それで、千崎はなんで放ってかれてるんですか?」

 先生は口元を引き締めて、秋人を見つめていたけれど、

「他言は無用だ」

「はい」

「まず、千崎はこの時間、保健室にいる」

「大けがしたんですか⁉」

「そうだ。原因は、わかるか?」

 秋人の脳裏には、上級生に囲まれて足で蹴られて、うずくまっている佳那の姿がよみがえっていた。無意識に歯ぎしりしていた。

「たぶんわかります」

「次に、僕の立場についてだね。僕を含め先生たちは千崎の敵ではないよ。千崎本人からの相談は受け取っていないけれど何か起こっているのかは知っているし、何もしていないわけでもない。見て見ぬ振りもしていないつもりだ。先生たちはみんな水面下の行動をとっているから、戸島には見えないという事情なんだ」

 そう語る先生も、苦渋の表情を浮かべている。

 大人たちの裏側を訊くことが小さな子どもに許されるのか、秋人は不安に思ったけれど、

「……何をしているんですか?」

「本当に他言は無用だよ。そしてその質問は、僕たち先生と協力関係になるってことだけど、それもいいね?」

 強い視線で射抜くように見つめられ、秋人は息をのんだ。

「い、いいです」

「僕たちは下準備を一通り終えた結果、あとは決定的瞬間を物証として残せたら勝ちだと思っている」

「ブッショウって何ですか?」

「形のある証拠のことだね。ひどいことをしている最中の写真とか、凶器についた指紋とか、暴言を吐かれている音声記録も一応は当てはまるかな」

 それなら毎日行われている佳那への暴行をカメラに収めればいいのではと秋人は思った。

 先生もその疑問は予想していたようだ。申し訳なさそうに頬をかく。

「学校側で写真を撮らないのは、大人の事情があってね……。学校内でいじめというフレーズは、可能な限り回避したいんだ。子どもたちはスマホを持っていないから、そこからの状況露見は望めないし、僕たちが撮って申告するのは、いろんな意味でアウトなんだけど、例えば写真撮る前にとめに入れよという非難につながる……とかね」

 いまいちわからないけれど、先生たちが思うように効果的に動けない複雑さは伝わってきた。とにかく行動を起こす直前までは来ているようだ。

 秋人は自然と窓に寄りかかっていた体を真っ直ぐに戻し、

「俺にもできることはありますか?」

「ある。最近の戸島を見ていて、もし力になってくれたら助かると思っていた」

「ほんとですか? 何でもやります!」

「待てって。ここで戸島が急いでも、千崎はまだ保健室で寝ていて事態は変わらないから。まずはお互い情報共有をしよう」

「はい……」

 先生に両肩をぽんと触れられ、力んでいたことに気づいた。秋人は深く息をはいた。

「僕の授業中に、戸島が千崎と文通を始めたのは見ていた。突然どうしたと思っていたけれど、いったい何だったんだ?」

「千崎って授業態度悪いのに頭が良くて気になって、あとをつけたらたまたま千崎がいじめられているのを見てしまって、ちょっと心配になったんです」

 先生はふっと口元を緩め、

「千崎、すごく嬉しそうだったよ」

 その言葉が意外で、秋人は首をかしげた。

「そうなんですか?」

「ああそうか。後ろの席の戸島からは千崎の表情を見れないもんなあ。千崎は届いた手紙を机で読む時、よく微笑んでいたよ。すごいニコニコしているときもあって、これが僕の授業中でなければどれほど良いかと心の中で悲しんだくらいだ」

「そうだったんですか……」

 じんわりと嬉しい気持ちが秋人の心を満たしていく。秋人が楽しいと思っている時間を、千崎も喜んでくれていたのだ。

 先生はついっと時計を見やり、

「これからの作戦は、帰りの会のあとにしよう。放課後になったら、そうだな、一度保健室に来てくれ。千崎にも話をしたいから」

「わかりました」

「一緒に千崎を救うぞ」

「はい!」

 秋人の顔を見て篠田先生は大きく頷くと、五時間目の教科書を抱えて職員室へと戻っていった。

 これから何かを仕掛けるとして、勝算は本当にあるんだろうか。

 今は保健室で寝ているという佳那の体の具合がとにかく気がかりだった。


 放課後、保健室のドアを開けると保健の先生が机から顔を上げてこちらを見た。

「あなたは戸島秋人くんね」

「はい。あの、千崎は……」

 そこで、ベッドとを仕切るカーテンの向こうから、

「ここにいるよ」

 と、小さな声が聞こえた。

「千崎! もうけがは大丈夫なのか?」

 佳那が答えるよりも早く、保健の先生がたしなめた。

「戸島くん、静かにね。今はほかの子はいないけれど、保健室ではうるさくしないものよ」

「すみません……」

「それだけ心配していたのよね。気持ちはわかっているわ」

 面と向かってそう言われるのは少し照れくさい。

 秋人は足音をひそめて佳那のところへ行く。

 しめられているカーテンの前で、

「開けてもいいか?」

 と訊くと、

 目の前でカーテンは開き、そこにはベッドに腰かける佳那がいた。困ったような、しょげ返るような微妙な表情で秋人を見上げている。

「心配かけたね」

「もう大丈夫? 動いても平気なのか」

「寝てて治るものじゃない種類のけがだけど……でも湿布とか貼ってもらって楽になったよ。痛いところが熱っぽかったから、今はひんやりしてて気持ちいい」

「そうか……ほっとした」

 胸をなでおろす秋人。

 それを見て、佳那は口元に手をやって「くふふ」と含み笑いした。

「戸島、ずいぶん気にしてくれてたんだね。優しい」

「う……」

 不意打ちのようなドキッとする言葉に、秋人は頬が熱くなる。

 そんな秋人の初心を知ってか知らずか、佳那は服の上からお腹をさすっては、びくっとして顔をしかめている。

「先生。この痛み、いつ治るの?」

「安静にしていれば数日で治まってくると思うわ。……これ以上、何もされなければ」

「そっか。難しいね」

 保健の先生の苦々しい言い方に、佳那は複雑な笑みだ。

 それで、この先生も佳那の事情を知っているのだと秋人はわかった。篠田先生と先ほど話したことは偽りない本当だったのだ。

 先生たちも、いじめを受ける佳那を助けようと動いている。

 保健室のドアが音を立てて開き、篠田先生が入ってきた。

「ごめん遅れたよ。戸島、千崎、作戦会議するけど心の準備はできたかい?」

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