第3話 雨の話
翌日はゴールデンウィークに突入する前日だった。
あいにくの雨降り。
大型連休を前に浮足立つクラスメイトたちとは裏腹に、秋人は朝から暗い気分だった。渋い顔をして、教室の喧騒の中ぽつんと一人で席についている。
そこに佳那が登校してきた。
佳那は前の席に座ると、すぐに腕を枕にした居眠りの姿勢になった。
いつもの佳那だ。
じっと見ていて秋人はふと思ったことがあった。
「千崎、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「……ん。なにー?」
「寝てるところごめん。千崎は学校で今みたいに寝てるけど、なんでテストでは一〇〇点をとれるんだ?」
佳那は顔を上げて、眠たげな半開きの目をこちらに向けた。
「なんでだと思う?」
「すごい天才なんじゃないかと思ってる」
「そうだったらいいんだけど。でも実際は、すごく勉強してるから。授業で集中できない分を自主勉でがんばってて」
「じゃあ授業中に寝てばかりなのは?」
佳那はさらに細目になり、深い息をついた。
「家で遅くまで勉強してると昼間は眠い……」
続けて、
「あと……イヤなことが待ってる学校のことが、好きになれないから」
佳那はぼそりと言った。
イヤなことというのは、危害を加えてくる上級生たちのことだろう。あとは、見て見ぬふりをする先生たちのことも指しているのかもしれない。
手を差し伸べる方法を秋人はずっと考えている。泥沼にいる佳那を救い出すための策を探している。
佳那は眉を下げた複雑そうな表情で、
「きっとわたし、この学校の邪魔者なの」
と言う。
佳那はまるでわかりきったことを話すようでもあった。
その言葉をきっかけに、窓の外の雨が勢いを増したようだ。
「邪魔って何が――」
秋人が口を開くと同時に、ドアの開く大きな音が聞こえてきた。担任の篠田先生が教室に入ってきたのだ。
この日は四時間目が自習になった。
先生にどうしても外せない用事ができたらしい。
廊下まで声が溢れ出るように騒がしくなる教室。しばらくこの状態が続いたら、ほかのクラスから様子を見に来た先生が一喝する、という流れになるだろう。
佳那は背中を丸めたままだ。お休みの体勢を維持するようだ。
秋人は机の下から足を伸ばし、佳那の椅子を蹴った。
「なに……?」
ゆっくりと体を起こし振り向いてくる佳那。ほとんど寝起きみたいな声をしていた。
佳那の痛ましさを全部、覚めれば消える夢にしてほしかった。
「千崎は邪魔なんかじゃない。一緒に話していて楽しいし」
「ほんと? どこが楽しい?」
半眼で見つめてくる佳那。
「き、気持ちが燃えてくる」
「それは、かわいそうなわたしに関わることで自分がヒーローになれそうだからってことだと思う」
「う……」
「けど、嬉しい。わたしのこと、大切に守りたいって思ってくれてるんだよね」
佳那はふんわりと笑った。
ほんの一瞬のことだった。
笑顔を見たのは初めてで不覚にも心がドキッとした。
佳那は机に頬杖をつくと、伏し目がちに窓を見る。
「わたし、雨が嫌い」
佳那の言葉に、秋人も窓の向こうを見る。
朝は弱かった雨脚が、今は本降りになっている。
「わたし、ずっと、雨に打たれているみたい。びしょ濡れで冷たくて、震えているの」
そこで佳那は、本当に体を震わせた。
「雨って、世界の涙だと思うの。涙が体のゴミとか不純物を流すのなら、降り注ぐ雨は世界にたまった要らないものを流し去って取り除く作用なんだと思う」
「世界の涙……」
「うん。わたしは雨空の下に立っている。周囲から除け者扱いされている。でもそれを認めたくない気持ちもある。だから、せめてもわたしは、絶対に、絶対に涙を流さないようにしてるの」
佳那は服の上から腕を手で何度もさすった。まるで凍えている仕草のように見えた。
秋人は少しの逡巡のあと、口を開いた。
「く、雲は西から東に向かって流れているから」
突然始まった秋人の天気解説に、佳那はきょとんとしている。
秋人は恥ずかしさに目をそらしながら、
「雨雲も同じく西から東へ流れていく。だから西から空が晴れていくことが多いんだ。だから、その、いつかは雨も止む」
秋人のぎこちない言葉に、佳那はくすりと笑った。
「ありがと」
「うん……」
少しだけ佳那が明るさを取り戻したようで、秋人はほっとした。
早々に用事を済ませた篠田先生が教室へと戻ってきたので、自習の時間は短く終わった。
そしてその日の昼休み。
いじめられに上の階に行った佳那は戻ってこなかった。
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