第2話 知っていって……

 それから、秋人は授業内容をそっちのけに、佳那と交流を重ねていった。

『俺のこと知ってる? 戸島秋人。クラスメイト』

『もち知ってるよ。わたしは千崎佳那。急にどうしたの?』

『ちょっと気になることがあって。それで元気かなと思った』

『ふーん。なんだろ』

 ここで秋人は迷った。直截的に書くとよくないかもしれない。佳那もあえて触れないようにしているのかもしれないと思ったのだ。

 何と言ったか、急いては事を仕損じるということわざがふっと思い浮かんだ。

 でも、佳那のひどい目にあっている現状を考えると急を要することのようにも思える。

 そこで、

『佳那は体の具合は大丈夫? けがとか』

 秋人はこう書いて緊張しながら紙を手渡しした。

 受け取った佳那は文面を読んだようだったけれど、待てども返事は来なかった。

 こうして一時間目の国語は過ぎ、佳那からの音沙汰がなくなったままチャイムが鳴った。


 二時間目は体育。

 男女に分かれた教室で、体操服に着替えながら秋人が考えているのは変わらず佳那のことだった。

 佳那はほかの女子と一緒に着替えて体を見られたりすることに、何か不都合があったりしないのだろうか。

 気になるけれど、様子を探るわけにもいかない。

 校庭に行く道すがら、腕組みしてのそのそと歩く秋人を周りの男子は怪訝な視線を向けていた。

 そして授業が始まって。

 先生の前で児童全員が並ぶ中に佳那はいなかった。

 秋人はきょろきょろしていて、佳那が校庭の隅で体育座りしているのを見つけた。体操服には着替えているけれど、授業には出ないようだ。

「戸島」

 と、篠田先生から声がかかったので、

「あ、何でもないです。早く走りたくて落ち着かなくて」

 秋人は平然と答えた。

 一時間目の秋人と佳那の文通行為を見て知っている先生だ。秋人を注意人物として捉え始めている可能性がある。

 それでも秋人は、敵対する奴には負けないという熱意を燃え上がらせる発火剤にしかならないのだった。


 三時間目は理科。

 理科室に移動して実験をする授業だった。その実験班が佳那とは別々なので、何も接触できなかった。


 四時間目は社会。

 ここで、佳那からの返事がついに来た。

『体育、いつも見学なの』

 受け取った秋人は、机の上の雪国の暮らしがどうのと書いていたノートの上にその紙を置くとじっと睨んだ。

 これは、質問していいよという返答なのだろうか。

 どっちにせよ、しないわけにはいかない。

『大丈夫なのか?』

『今はね』

『先生には言ったのか?』

『自分からは言ってない。知られてはいるはずだけど。意味ないんじゃないかな』

『担任がダメでも、校長に言いに行けば何とかなるんじゃないか』

『本当にそう思ってる?』

 テンポよく紙片のやり取りをしていたけれど、ここで秋人はまた悩んだ。

 校長といえば学校のトップ。

 そしてテレビのニュースで出てくる学校がいじめを否定したり隠蔽したりしているのを秋人は見て知っていた。

 どうにもならない可能性が秋人の中で高まってきた。

 秋人はシャーペンを指でくるくると回しながら、返事を書きあぐねていた。

 そうこうしているうちに四時間目の終わるチャイムが鳴った。


 給食の時間は穏やかに始まった。

 給食当番ではない佳那が教室から出なかったからだ。

 もしこれで廊下を歩きでもしたら、歪んだ考えを持つ奴に連れていかれてひどい目に遭わされていたかもしれない。

 席の近い秋人と佳那はいつも机をくっつけて給食を食べる。今までは無会話だったけれど、今日は違った。

 秋人はこれをチャンスとばかりに佳那に話しかけてみたのだ。

「いつからなんだ」

「四月の初めからかな」

「きっかけは」

「登校中、校門付近が人通り多くてうっかり足を踏んじゃったの」

「思い切り踏んだのか」

「ちょっとだけね」

 秋人はわかめご飯を飲み込むように食べきって、

「相手は今も許してくれないのかよ」

「踏まれたから踏み返すって感じだったのが、今はどっちかというと楽しくなっちゃったんじゃないかな。相手の優位に立ってあれこれするの、癖になったとか」

「ふざけてる」

 憤慨する秋人だったけれど、佳那はいたって普通の様子でサラダをもぐもぐしている。

「まあ何されてもわたしは我慢するしかない」

「でもつらいだろ。蹴られたら痛いし」

「まあうん。わたし、我慢するの得意だから」

「この給食が終わったら、また上の階に行くのか?」

「……うん」

 佳那は牛乳パックを持ってストローからごくごくすると、飲み終わったらしく口から離してたたみ出し始める。

 佳那は毅然とした表情でこう言うのだ。

「でもわたし、絶対に泣いたりしない」


 昼休みになったと同時に佳那は教室を出ていった。

 秋人はその後ろ姿を追わなかった。

『飛び火するかもしれないから追わないで』

 と言われたからだ。

 こんなことになっているというのに、佳那は他人の心配をしている。

 秋人は席に座ったまま歯噛みする。

「アッキー、なんか校庭でみんなして鬼ごっこするみたいだよ」

 にこにこ顔の友だちの誘いにも、

「また今度な……」

 と神妙に返した。

 昨日に続き二度目も断られた友だちは、「アッキー、疲れてるのかな」と不思議がった。


 五時間目の算数の始まる直前に帰ってきた佳那は変わりない立ち振る舞いだった。

 黒板に書かれていく式を書き写すのは後回しにして、まず秋人は、

『俺が何とかしてやりたい』

 と書いて佳那に送った。

『無理だよ』

『やってみないとわからないだろ』

『わかるの。それにいつか収まる日が来るから。わたしはじっと耐えるだけだから』

『すぐ近くでひどいことされている人がいるのに、何もしないなんてこと俺にはできない』

 授業内容が全く頭に入らないうえに、待てども佳那からの返事は戻ってこなかった。

 

 放課後。

 佳那はまた上階へ。

 忌々しいそれが終わるのを秋人は待とうとした。

 自分にできることが果たしてあるのか。人気のなくなった教室で秋人は席についたまま腕を組んでずっと考えていた。

 三十分して佳那は戻ってきた。

 いつもの何ともない様子をしていたけれど、

「ほら、こんな感じ」

 とこっそりめくって見せてくれた服の下では、肌が赤黒くなっていた。

 秋人は歯をかみしめ、震える握りこぶしで机を叩いた。

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