巣篭もり卵

江古田煩人

巣篭もり卵

 つくづくかんなは美味いものをこしらえることに余念のない人間だった。

 ことに朝飯には念を入れて、品数は少なくとも滋味のあるものを揃えようと苦心していた。私が朝早く、三時とか四時とかのまだ日も昇らないような時間にアパートへ戻ると、ぷうんと味噌汁の甘い香ばしい匂いが私を出迎え、そうして小さな卓袱台にはきちんと二人分の朝食が並んでいるのである。食用蛭しょくようびるの解体で疲れ切った私に一日のを告げるその光景は実にたのしいもので、いりこ出汁の味噌汁、青菜の揉み漬け、それに塩を効かせた卵焼きを私は鉋が食べ終わるのも待たずにぺろぺろと平らげるのが常だった。暗く閉め切った地下室で、肉切り鉈を片手にのたくる蛭の巨体と格闘しつづけた身にとって、この鉋の作るやや塩のきつい卵焼きはどれだけ美味かったか知れない。無論いりこも卵も、何処とも知れない食品加工業者がひそかに培養している模造品にせこなのだが、それでも栄養価だけは現物とさほど変わらないというので当時の私はそればかり買って来させた。模造品というだけあって価格はそれなりに安いのだが、それらの模造品でこしらえた献立に鉋はちょっぴり箸を付けるだけで決して大食はしなかった。人づての噂で聞いたところによると鉋は中心街の、それも富裕層の出らしく、かつて上流階級として生きた時代の自尊心の名残りがそうさせるのかもしれなかったが、それがどうしてこんな貧民街で暮らすようになったのかについて鉋にそれとなく訊ねてみたものの、鉋は笑ってはぐらかすばかりでついに口を割らなかった。

 食わない代わりに鉋は料理をこしらえるのが大層得意で、またそれを娯楽の乏しい我らの暮らしにおける数少ない楽しみとしていた。食に関しては鉋は人一倍目が肥えているようで、肉でも乾物でも青物でも、他より質のよいものを選んでくるようだった。いつだったか、鉋が銭湯の掃除で腰を痛めたというので私が代わりに買い物に行ったのだが、見てくれだけで選んだ大きな大根をいざ切ってみると、ものの見事にだらけでまったく食えたものではなかったのには閉口した。しかしその大根も鉋は実にうまく料理した。人参の切れ端と一緒に千切りにしたのを菜種油でざかざかと炒め、合成出汁、砂糖、醤油を合わせて水気が飛ぶまで炒めた大根の金平きんぴらは、例に漏れず私の好みに合わせた濃口の味付けで、こりこりとしたやや固めの食感が歯に快く実にいい味だった。やりようによれば捨てるものなどないと鉋は笑っていたが、鉋との暮らしの中で私が買い物に行ったのは後にも先にもこれきりである。

 蛭捌ひるさばきの仕事だけでは二人とも食っていけないので、鉋は鉋で仕事を持った。仕事から帰った私が床につくのと入れ替えに鉋は近所の銭湯の掃除に出かけるのである。それも一つところではなく、何軒とをする。当時のガラ通りの中でも西区は日雇いの溜まり場ゆえか銭湯の数がやたらと多く、またそのうちの何軒かは(あるいはその全てが)混沌地区の解体バラシ屋と通じていたために、血だかなんだかで頻繁に汚れる湯殿の掃除はそこそこ稼ぎのよい、それでいて身体にきつい仕事だった。乱れた髪に洗剤と鉄の匂いを染み込ませて帰ってくる鉋を出迎えるため、いつも私はよほど我慢して起きていようかと思うのだが、疲労の波はいつも容赦なく私を意識の深淵へとさらい込んでいってしまうので、私の耳にはアパートの鍵が静かに開く音が聞こえるのみなのである。それでいて仕事に行くために夕方近く床を出ると、斜陽で橙色に染まった卓袱台の上には出汁醤油を塗ってこんがりと焼いた握り飯が二つ皿に盛られて並んでおり、その脇で薄手の毛布を腹にかけた鉋が、身体を猫のように丸めたままこんこんと寝入っている。私は鉋を起こさないようにその小さな頭をそっと撫でてやり、急いで握り飯を平らげた。たまに財布に余裕のある時などはきちんとした魚節うおぶしの削り屑なんかを味噌でまとめたものが入っていることもあり、そんな時は口中にあるひと欠けの飯すら飲み込むのが惜しかった。一つは部屋で食い、もう一つは屠場とばに持っていって仕事の合間に隠れるようにして食った。

 なかでも鉋が大層好んで作ったのが巣篭もり卵であった。鉋自身が考えついた献立なのか、それとも中心街にこれと似た料理を食わせる店があるのかは知らないが、たまに大ぶりの玉菜たまなが手に入ると必ずと言ってよいほどこの巣篭もり卵をこしらえた。細かく刻んだ玉菜と、あればもやしを合わせて両手のひらに一杯ほどを菜種油を引いたフライ鍋にこんもりと敷き詰め、窪ませた真ん中にそっと卵を割り入れる。あとは中火で蓋をして、卵に火が回るまで待つのみである。なんのことはない、これだけの料理なのだが、火の通り加減を見極めるのが存外に難しいらしく、私などは短気であるからすぐに火から取り上げて醤油など掛けて食ってしまいたくなるのだが鉋はフライ鍋をじっと睨んだままいつまでも蓋を開けない。おおよそ五分ほどそうしていたであろうか、すっかり汗をかいたガラス蓋越しに卵の黄身のうっすら白い膜が張ってきたのを見定めるなり火から降ろして蓋を開ける。もうもうと立ち上る湯気の向こうではほくほくに蒸しあがった卵が薄緑色の玉菜の真ん中にうずくまるようにして具合良く収まっており、これを皿に移して二人で食った。ほどよく火の通った卵を箸でぷつりと切ると中から蜜柑色をした黄身がとろりと溢れ出し、下に敷いた玉菜やもやしに絡みつき、皿の上は春の菜畑のような思いがけず暖かな色彩で満ちる。これを私は醤油、鉋は塩で食った。こってりと黄身にまみれた玉菜の甘さうまさは言わずもがな、固まりかけの白身がつるりと喉を通る感触はなるほど無上の美味と呼んでもよいものだった。普段は少食な鉋もこの巣篭もり卵だけは争うように箸を伸ばしたが、白身の大きい切れ端や黄身のよく絡んだ玉菜は必ず私に残してくれた。私はそれを済まないと思いつつも欲に負けて口に運んだ。白身の最後の一切れを意地汚くしゃぶる私がよほど面白かったのか、鉋は私が食べ終わるのをいつも笑って眺めていた。

 鉋が居なくなってもう十二年になる。ある年の暮れに、番頭とやくざ者が言い争っていたのを止めに入って、突き飛ばされた拍子に番台の角で頭を打ったのだ。即死だったらしい。これがよその銭湯であったなら大事になる前にその場でばらされていたようなものの、鉋の死体をそっくり私に返してくれたのはまったく顔馴染みである番頭の温情に他ならなかった。線香の煙がたなびく狭い奥座敷に仰向けで寝かされている鉋の顔は、臨終の床で穏やかに眠っているようにも見えた。私の手元には華奢で白い鉋の骨だけが残った。

 鉋が居なくなって、私はようやく自炊に手を出した。しかし自分でこしらえるものは金平でも卵焼きでも相当に不恰好で、一人だとなかなか箸を伸ばす気にならないが、あの巣篭もり卵だけは今でも玉菜を見かけるたびに作って食う。やわく温かくとろりと舌に絡む、鉋のこしらえるあの甘い蜜柑色を私は今でも夢に見るが、私の腕では火の通り過ぎたぼそぼその黄身を味気なく食むほかない。もし鉋のと同じぐらいうまい巣篭もり卵を食わせる店がどこか中心街の中にあるなら、私は死ぬ前に一度、鉋を連れてそこへ行ってみてもよいと思っている。

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