何も考えずに了承した「大きくなったらお兄ちゃんと結婚する!」の翌日に

音塚雪見

それはもう詐欺と同じなんよ

 昨日まで小学生だったはずのお子様が、どういうわけか女子高生になっていた。

 反抗期ってやつだろうか。世界に対する反抗期。



 俺は休日なので買い物にでも行こうとしていたのだが、さすがに目の前で超常現象を見せつけられたら呑気にそんなことをしている暇もなく、とりあえず警察かどこかに連絡をしようとした。



「お兄ちゃん?」

「なんすか」

「おもむろにスマホを取り出してなにを」

「通報」

「通報っ!?」



 がびーん、と彼女は目を見開く。

 ずいぶんと見慣れた動きだ。

 お隣の小学生がよくしていた。



 しかし間違ってもお隣の小学生は高校生ではないので、やはり目の前の女子高生らしき者は別人だろう。



「ふふふ、ここで会ったが百年目!」

「えぇと……どちら様で?」

「婚約までした女の子のことを忘れるの!?」



 がびーん、とまたも目を見開いた。

 驚きがわかりやすい。



お兄ちゃん・・・・・

「君にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはない……と言いたいところだが、まぁ一応話は聞いてやろう。遺言をな」

「結婚は人生の墓場って言うもんね」

「やっぱさっきの発言なしで」



 危ない危ない。

 危うく揚げ足を取られるところだった。

 納得いかないのは別に揚げてもいない足を取られそうになったことだろうか。理不尽の塊である。



「私は昨日……そう、ちょうどこの場所で言ったはずだよ」

「なにを」

「〝大きくなったらお兄ちゃんと結婚する〟」

「言われたが……」



 俺は頬を掻く。

 たしかに宣言はされた。

 女子小学生に。



「だから大きくなってみました」

「落ち着いて世界に謝罪しろ」

「なんで!?」

「失礼だろ。世界に」

「スケールが大きい……さすがビッグな男……」



 いや、この場合は私のほうがビッグなのかな? と彼女は見当違いのことを言い放って、やがて思考もなにかも投げ捨てて笑みを浮かべた。



「じゃあ結婚しよ!」

「嫌だよ」

「なんで!? 大きくなったらいいって言ってたじゃん!」

「数十年後だと思うだろ」

「恋をしたら女の子は変わるんだから、結婚の約束までしたら数十年分の成長をしてしかるべきでしょ!!」

「べきじゃねぇよ」



 俺は非常に疲れていた。

 原因はもちろん目の前の女子高生だ。

 自称女子小学生らしいが。やべぇなコイツ。



 世の中には実年齢がアラサーを超えているのに永遠の十七歳だとか十八歳だとか名乗るやつもいるらしいが、少なくとも今は高校生の身分なので、年齢詐称する人間には出会うことがなかった。



 けれども現れた。現れてしまった。とんでもない虚言を撒き散らすヤベー女だ。結構な頻度で遊んでいたお隣の家の女子小学生を騙る、どうやら頭のネジを数本撒き散らしてしまったらしい女。



「で?」

「…………?」

「本当の正体は?」

崎間さきまあい! お兄ちゃんの婚約者!!」

「ふぅ……」



 悩む。

 悩んだ。

 やがて悩むのが馬鹿らしくなった。



 どうして相手に合わせる必要があるのか。

 相手はこちらに合わせてくれないのに。

 常識をガン無視しているのに。



 なので、



「嘘つかなくてもいいんだよ」



 と優しく諭してみた。言外に「女子高校生にもなって、そんなくだらない発言で周りを巻き込むんじゃないよ。可哀想だろ、俺が」というニュアンスを漂わせて。



 しかし自称愛は引かなかった。



「嘘ついてないよ」

「嘘じゃないと現実に失礼なんだよ」

「だって本当だもん……」

「コイツぅ」



 暖簾に腕押しだな、とため息をついたところで彼女が腕を引っ張ってきた。押して駄目なら引いてみろ。多分それってこっちが引かれることじゃないと思うんだ。



「そんなに信じられないなら証拠を見せてあげる」

「証拠見せてくれるのはいいけどさ、一応教えといてやるよ。自分とはまったく関係のない家に入るのって犯罪なんだぜ」

「関係あるから!」



 などと飛び込んでいくのは崎間家。

 お隣の家だ。



 本物の崎間愛と遊んでいたおかげで何度か足を運んだことがある。そして、少なくともそのときは、こんな女子高生は存在しなかった。彼女の母親にも聞いたが子供は一人。父親が隠し子でもこさえていない限りはありえないのだ。



 ポケットから取り出した鍵で玄関の扉を開き、意気揚々と廊下を駆けていく。



 腕を引かれる俺はまるで散歩させられている犬のようで、しかも普段から運動をサボっているものだから、すぐにでも動きを止めたかった。しかし自称愛は止まらない。



 やがてたどり着いた一室のドアを開け放ち、ついに彼女はそれなりに膨らんでいる胸を張って、「どうだ」と言わんばかりに笑ったのであった。



「どうだ! これが証拠だぁ!!」

「うーん……」



 表情と言動が完全に一致したことはどうでもいいとして、さて室内の様子のことなのだが。



 電気は付けられていないから当然暗い。暗いのだけれども、真っ暗な機体で青白い光の線が走った謎の機械が、有り余る存在感を放ちながら鎮座していた。ぐおんぐおんと背筋が寒くなるような音を発している。



「ナニアレ」

「体を成長させる機械!」

「呆れた……」

「呆れた!?」



 俺はそっと目を瞑った。

 世界をこれ以上認識しないために。

 常識が崩れていく音がする。



 理解不能理解不能。

 ピーガガ、ガガガガッ!



「お兄ちゃん壊れちゃった……」

「オレ、イエ、カエル」

「ここがお兄ちゃんの家になるからね」

「ならねぇよ帰せ」

「あ戻った」



 あんまりにもあんまりな言葉が聞こえてきたものだから、俺は現実を直視したくなかったのだが、仕方なく意識を現世に戻すことにした。



「あれ君が作ったの?」

「〝君〟じゃなくて〝愛〟!」

「君が――」

「愛!!!」

「…………愛が、作ったの?」

「うん!」



 もはやどうでもいい。

 彼女の名前が何だっていいじゃないか。

 愛だろうが恋だろうがサイだろうが。

 少なくともシャイはないだろう。

 もう少し謝意を表してくれてもバチは当たらないと思うけれど。



 消失した現実感になけなしの理性をかき集めて適当に放り投げた疑問に、愛は嬉しそうに俺の手を取りながら頷くと、



「ようやく信じてくれたね! じゃ行こっ」

「どこにだよ」

「私の部屋!!」



 抵抗する気力もない。これは夢。悪い夢。ドタドタとうるさく踏み鳴らされる階段も、おそらく着られるものがなかったから適当に見繕ったのであろう服も、それによってチラチラと垣間見える危険領域も、すべてが悪い夢だ。



 またも加減なしに扉を開け放ち、彼女は俺を引き連れて部屋に飛び込む。



「……なんか雰囲気変わった?」

「あ、わかった? さすがお兄ちゃん」

「そりゃまあ数日前まで白かった壁紙が真っピンクになって、部屋の中央を占めるのが馬鹿でかいサイズのベッドで、しかもハートマークが描かれた枕が二つ置いてあって、トドメに謎の桃色オーラを発する香が焚いてあったらな……」



 ここまでの変化があって気付けないのなら、そいつは多分三歩歩いたら記憶を失うタイプだ。つまりニワトリだ。俺もいっそのことニワトリになりたかったよ。こんな悪夢を見るくらいなら。こけこっこー。



 そういうことをするのが目的のホテルでも、ここまで直接的じゃないだろうと確信させる地獄みたいな部屋の中ですら、愛は満面の笑みを浮かべていた。



「じゃ、しよっか」

「なにをだよ」

「ナニをだよ」

「うるせぇな」

「詳細に説明すると初夜だね」

「まだ夜じゃねぇから」

「地球の裏側では夜だよ」

「表側の話しろよ」



 するすると着衣を脱いでいく愛。

 本来ならば興奮するのだろう。

 だって同い年くらいの女子が脱いでいくのだ。



 しかし俺には一切の興奮が湧いていなかった。むしろ萎えていた。落ち込みすぎて今なら世界の真理を悟れる気すらした。ハイパー賢者モードとでも表現しようか。最低過ぎる。



 暴走機関車のごとく迫ってくる彼女の額を押しながら、どうしてスーパーヒーローじみた行為をこんなタイミングでしなければいけないのだろう、と嘆息する。



「結婚の約束したじゃん!」

「行為と婚姻を直結させるな」

「これから直結するからね! ……てこと?」

「深読みつれぇわ……」



 効果はあまりない気もするが、しないのとするのとでは天と地ほどの差があるだろうから、親御さんが悲しむぞと説得してみた。



「――ふむ、つまりお兄ちゃんは初めてをロマンチックな場面で致したいってことだね。わかるよ。私も女の子だから」

「耳とか付いてる?」

「ばっちり。見える?」

「耳かきを持って近づいてくるんじゃない。というかどこから出したんだそれ」




 繰り返しのように俺は愛の額を押さえる。けれども先程までとは異なり、彼女の力が強い。考えてみれば小学生時代の彼女も同じことをしていた。それで事案が発生しなかったのは、ひとえに愛の体格が小学生であったからだ。



 しかし謎の技術によって高校生の体格を得てしまった今、高校生の男子にしては少々貧弱と言っても差し支えない俺と、恋に燃えると表現するには汚れすぎている気がしないこともない愛では、そこに力の差はあまり存在しなかった。



「おい、本気を出すな……!」

「私も初体験は相互の同意のもと行いたいからね。だけど耳かきなら話は別だよ。以前もやってもらったことがあるし……」

「以前と今じゃ条件が異なるだろうが……!!」



 鍔迫り合いを繰り広げる俺達。

 二人の戦いはその後数十分にわたり、両者が疲れから床に座り込んでしまうまで続いた。

 どうしてくだらないことに時間を使っているのか。

 俺――天童てんどうとおるは天井を見上げながら、本日何度目か数え切れないため息をつくのであった。

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