第3話

「······なんというか、壮絶な話、だね」


 と言って彼はカップを上げ口をつける。

 コーヒーはもう冷めてしまっただろう。

 話し切って、わたしの中の熱も少し冷めた。

 話の最中、彼の瞳の奥をいくら見つめても何も分からなかった。

 これまでも分かった事はなかったし、これからも分かる事があるのかも分からない。

 何度も何度もこんな事をして、もう、何も分からなくなっていた。


「こんな話を聞かされても困るよね。忘れてください。」


 わたしは椅子の傍らに置いた荷物を持ち、帰る素振りを見せる。

 これまで会った男は······女もいたけど、大体これで別れ二度と会わない。

 これ以上頭のおかしい女に付き合ってはいられないのだろう。

 引き止めるようであれば、体が目当て。

 頭のおかしい女に興奮する頭のおかしい男も中にはいるんだ。

 そんな時は少し我慢すればいいだけ。

 こんな話を聞かせたんだから、幾らか返さなければいけない。

 目を瞑って、異世界の事を、あのおじいさんとの穏やかな日々を思い描いてさえいればいい。


 でも着実に、わたしは、この世界でも壊れかけている。

 体から腐朽菌の臭いがする。

 皮膚の下を虫が這いずり回る。



「······何か」


 と呟いて彼がカップを置く。

 少し身構えたが会話が続けられる様子で、わたしは手にした荷物を置きなおした。


「勇者が盗んだ大切な何か、って何だったんだろう······」


 彼はわたしを見ずに顎に手を添えて考えている。

 盗まれた物の推理に真剣に集中しているようで、珍しいタイプだとわたしは思った。


「えっと。手がかりにならないかと、色んなゲームしてみたんだけど分からなくて」


「んー。ゲームだと薬とかお金とかだけど、そんな物でおじいさんが倒れるだろうか?」


「分からない······おじいさん、とても道具とか大切にしてくれる人だったから」


 箪笥だったわたしを、綺麗に拭き上げてくれるおじいさんの笑顔が頭に浮かぶ。


「分からないの······ずっと一緒に暮らしていたのに。すごく大事にしてくれたのに。おじいさんの大切にしていた物が、わたし分からないの······」


 それが苦しくて、わたしはおじいさんが最後にしていたように服の胸をぎゅっと掴んだ。

 その胸の中にはただ「何か」がない空洞だけが、ある。

 

 そうだ。

 最初こそ、わたしたちから全てを奪った勇者を探し出して復讐を、と思っていた。

 それが叶わなければせめて、盗んだ物を何としても返して欲しかった。

 でも、今は、知りたい。

 おじいさんの、わたしが愛した人の大切な物が何だったのかを。

 愛した人が失った物が分からない事。

 それこそがわたしが失っている物なんじゃないだろうか。



「全然違うかもしれないけど······」


 と彼が少し遠慮がちな声で言った。


「えっと、実は僕は古い家具の修理の仕事してて。アンティーク家具とか有名作家の作品とか、もちろんすごく大事にされてて修理の依頼なんかもあるんだけど」


 わたしは話し始めた彼の瞳を覗く。

 誇れる仕事なのだろう、彼の瞳が少し色を変えた。


「中には、なんでこんな物わざわざ治すのかって依頼もあって。買った方が安い、みたいな。駆け出しの頃はそう思ってたんだけど、今はそうじゃないなって。」


 わたしは、おじいさんの生まれた朝の事を思っていた。


「無名でも、何でもないような物でも、持ち主はそれを愛してるんだって、今は思う。ひょっとして、おじいさんは無残に壊された箪笥を見て心を痛めたんじゃないのかな?」


 わたしは、わたしをそっと撫でてくれるおじいさんの温かな眼差しを思っていた。


?」


 その言葉を聞いた瞬間、カチッという鍵の開く音が聞こえた。


「そんな······ただの道具なのに······」


 おじいさんの大きな手が抽斗ひきだしを引く音が聞こえる。


 わたしはその抽斗の中にいて、おじいさんを見上げる。


「大切に使われる道具には、そういう事あるよ」


 おじいさんが優しくわたしに微笑んでくれる。


「あ······ああ······」

 

 箪笥わたしにおじいさんの大切な物がしまわれる。


 空っぽだった抽斗に、おじいさんの愛が満ちて、溢れる。



「おじいさん······おじいさん······」


 溢れた愛は涙に変わって、わたしの頬をいつまでも濡らす。

 

 家具職人の彼はその間何も言わず、ただ微笑んで、わたしの涙が止まるのを待っていてくれて。


 その瞳の色はおじいさんと同じ鳶色だった。

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異世界でおじいさんの古箪笥だったわたしは、空き巣勇者が盗んだ物を探してる。 ぬりや是々 @nuriyazeze

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