第2話

 北の魔王が侵攻を始めた頃、王都では勇者が転生したとの噂が流れてた。

 店先でおじいさんとお客が話してるのを聞いて知った。


 程なくしてそれが起きた。


 仕入れから帰ったおじいさんは、抽斗ひきだしを壊されたわたしを見て駆け寄ろうとしてくれた。

 おじいさんの顔は真っ白だった。

 

 ああ、おじいさん。

 ごめんなさい、おじいさん。

 わたしの貧弱な鍵では、おじいさんの大切な物を守れませんでした。


 おじいさんが手を伸ばし、わたしに近づく。その手に縋って泣いて謝りたかった。


 でもおじいさんの伸ばした手は、わたしに届かなかった。


「胸を押さえておじいさんは倒れてしまって。そのまま死んじゃったの」


 カップを持つ右手が震えそうになって、わたしは左手でそれを強く押さえる。


 数日後、運び出されるまで、わたしは倒れたおじいさんと一緒にいた。



 助けて!!

 おじいさんを助けて!!



 あらん限りの声で叫んでも、箪笥だったわたしの声は誰にも届かなかった。

 

 結婚もせず、身寄りもなかったおじいさん。

 町外れのわたしたちのお店は打ち捨てられた。

 夜になると窓ガラスが割られ、その度にわたしは震えた。

 何度も空家泥棒が押し入り、店は荒らされ、おじいさんの集めた道具たちも持ち去られた。

 めぼしい物がなくなると、泥棒達は斧で、棍棒でわたしを叩いた。

 鍵は壊され、抽斗は抜き捨てられ、石や貝殻は床にばら撒かれ、踏み潰された。


 誰も住まなくなった家屋って、あっという間に悪くなってしまう。

 割られた窓からは雨風が吹込み、わたしを打ち付ける。

 木で出来たわたしの体には腐朽菌が蔓延り、虫が無数の穴を開けていった。


 どれくらいの時間が経ったかはもうわからなかったけど、王都に北の魔王を退けた勇者が帰ってきた。

 町外れの、おじいさんの道具屋だった廃墟の前の通りにも、勇者の凱旋パレードが通った。

 馬車の上、真っ白な輝く鎧に身を包み、歓声に手を振って答える勇者。

 その顔は、かつて、わたしからおじいさんの大切な物を盗んだ男の顔だった。


 勇者は世界を恐怖に陥れていた魔王を、その正義と勇気で討ち倒したのだろう。

 

 隣人を愛し支え合う善良な人々を。

 白い雲が流れる青く澄んだ空を。

 囀り飛び交う小鳥達を。

 子供達の未来を。


 みんなの世界を救ったのだろう。


 しかし、わたしからは全てを奪ったのだ。

 

 おじいさんを。

 おじいさんとの暮らしを。

 おじいさんとわたしの大切な物を。

 おじいさんとわたしの世界のすべてを。


 


 異世界での、おじいさんの箪笥としての記憶はそこで終わり、わたしはこの世界にわたしとして転生した。

 「何か」を盗まれて空っぽのまま。


 そして思いついたんだ。

 この世界から異世界に転生した勇者は、魔王を討伐してこの世界に戻っているのではないか、と。


 手がかりは何も無い。

 この世界で生きていかないといけないから身近な人に手当たり次第、と言う訳にもいかない。

 わたしは街で声をかけたり、SNSやマッチングアプリで出会った人と会話し観察し、時には体の関係になろうとも勇者を探した。


「異世界で、おじいさんの古箪笥だったの」


 そう告げて、相手の瞳の奥に異世界の痕跡を探した。

 

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