靴下の跡

kou

靴下の跡

 夕暮れ時。

 カルロス・ガルシアは狭いアパートの一室で一人、薄暗い光の中で過ごしていた。

 南米出身の40歳。日本には金を稼ぎに来ているが、今は働いていない。働かなくても生きていけるからだ。

「テンゴクだな」

 カルロスは手に持った缶ビールを煽った。

 昼間から飲む酒の旨さよ。

 カルロスは少し前まで低賃金の町工場で働いていた。過酷な労働環境に加え、言語の壁や文化的な孤立感から深いストレスを抱えていた彼は、酒に酔った勢いでコンビニで立てこもり事件を引き起こす。

 包丁を手に店員を切りつけ、子供を刺したのだ。

 カルロスはすぐに逮捕された。

 だが、酒に酔っていたこと、計画性が無いことが争点になり、裁判が進むにつれて状況が好転した。

 執行猶予がついたのだ。

 カルロスは顔では反省しながら、日本の司法の甘さにほくそ笑んだものだ。この背景には、「国際支援ネットワーク」という人権団体の働きかけがあった。この団体は外国人労働者の人権を守り、社会復帰を支援することを目的としていた。

 カルロスは爆笑する。

 可哀想な外国人を演じているだけで、彼らは寝床どころか生活資金まで提供してくれるのだ。働いていたことがバカらしくなるというものだ。

 冷蔵庫のビールが切れたことで、カルロスは外出を決めることにした。

 素足で靴を履くと臭くなるので、靴下を履くが、そこでカルロスは思い出す。

 最近、靴下を履くと跡が残る。腫れぼったく感じるようになっていた。

 つまり、足がむくむのだ。

「サケのやりすぎか」

 カルロスは気にしなかった。

 6缶パックを二個買い、ぶらぶらと帰っていると、一人の少年と出会った。

 まだ10代の学生だ。

 黒髪に青いバンダナを巻き、Tシャツにジャケットを重ね着している。

 カルロスがすれ違う寸前、少年は言った。

「良いご身分だな」

 カルロスは足を止める。

 少年が睨んでいる。

 カルロスは笑い飛ばそうとしたが、止んでしまう。

 なぜなら少年の目つきが普通ではないことに気づいたからだ。

 少年は殺意を込めて睨みつけてきている。

「なんだ、おマエ」

 問うと、少年は言った。

「俺のことを覚えてないか。お前が押し入ったコンビニにいた一人だ」

 少年は中指の第二関節を突きだした拳を作った。

 カルロスは思い出した。

 酔っ払ってコンビニに押し入り、店員をと子供を刺した時のことだ。

 カルロスは警察に逮捕されたが、その前に店内に居た少年に倒されていた。それが今目の前にいる奴だ。

 憎悪に満ちた目が向けられているが、だからどうしたと思った。裁判は終わり執行猶予付きの身だ、少年が暴行を加えて来たら被害者面をすればバカ団体が助けてくれる。自分にとって状況は有利なのだ。

「お前が刺した女の子は、ずっと意識不明のままだった。まだ7歳だったのに……。先日、亡くなったよ」

 その言葉を聞いても、カルロスの中には何の感慨もなかった。

「コドモがシんだ? だから、どうした。オレにはカンケイない」

 カルロスは笑って吐き捨てた。

 少年は歯を食いしばる。怒りを抑えるように身を震わせてから口を開いた。カルロスは少年が殴りかかってくると思ったが、彼はそれをしなかった。

「……三年も生きられると思うな。足のむくみに気をつけるんだな」

 少年は、そう言って去った。

 カルロスは何もできない少年に中指を立ててバカにした。


 ◆


 数日後、カルロスは徐々に体調が悪化していくのを感じていた。最初は単なる疲労だと思っていたが、その症状は次第に深刻になっていった。

 ある朝、足は水が詰まったように膨れ、彼はベッドから起き上がることができず、激しい腹痛と全身のだるさに襲われた。

 むくみ。

 それは肝臓や腎臓における何らかの障害を意味していた。

 まるで体内から何かが蝕んでいるかのような感覚だった。

 鏡を見ると、彼の顔色は黄疸おうだんがでたように変色していた。目の白い部分が黄ばんでおり、彼の身体が異常な状態にあることを示していた。


【三年殺し】

 古武術の秘技。

 肝臓や脾臓等の急所を突き、毒と同様にじわじわと悪化させ死に至らせる。

 明治時代、神道楊心流柔術の中山辰三郎は気の荒い土工数十人と大喧嘩をしたが、その時に強弱を変えつつ様々な当身を実験的に試し全員当て倒した。

 その後、一人一人捜し出して生死を確かめたところ、早いもので3ヶ月、一番長く生きたもので13年半で亡くなっていたという。

 平均すると3年になったことから、弟子の大塚博紀に三年殺しは本当にあると語った。


 カルロスの日常生活はますます困難になり、簡単な動作さえも彼にとっては苦痛だった。食欲はなく、食べ物を口にするたびに吐き気を催す。

 夜には激しい痛みで目を覚まし、汗にまみれたシーツの上で身を縮めることしかできなかった。

「どうして、こんなことに……」

 カルロスはうわ言を呟く。

 次の瞬間には、吐瀉物と共に塊を吐き出した。

 それは鮮やかな赤色をしていた。

 身体が破裂するような激痛が走り、天国と言った国で地獄の苦しみの中、カルロスは死んだ。

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