番外編 差出人不明の手紙

 ある日の朝、カレンが目覚めると枕元に一通の手紙が置いてあった。


 厚みのある赤い封筒に金の封蝋。カレンは破かないようにと指先で丁寧に開けていく。言わずもがな、この部屋にはペーパーナイフがないのである。


(これからもここで生活していくのなら、一度、シュライダー侯爵邸に戻って必要なものを取って来た方がいいわね)


 カレンは何を持って来ようかなと考える。幼少期にレダがカレンに贈ってくれたぬいぐるみのデュラは是非取って来たい。


 封蝋を剥がし中にある紙を取り出すと便箋ではなくカードだった。紙からフワりとローズの香りが漂ってくる。


(何てオシャレな演出なの?封筒には差出人の名前が無かったけど、カードには書いてあるわよね?)


 カードにはお決まりの挨拶文もなく、短いメッセージだけが記されていた。


『カレンへ。次の新月の夜、アデンの丘で』


「えっ、これはどういう・・・」


 余りに情報が無さ過ぎて、カレンは困惑してしまった。誰からの手紙なのかも分からないのである。新月の夜は確認すれば分かるだろう。だが、夜とは?


(一体、何時に行けばいいの?陽が沈んだ後?それとも夜中???)


 首を傾げ、他に何か書いていないかしらとカードを隈なく確認する。すると、右下に小さく他言無用と書いてあった。


「他言無用!?怪しいわね・・・」


 最初は両手で丁寧に持っていたカードを、カレンは利き手の親指と人差し指で摘まみ上げる。


(どうしよう。怪し過ぎるから無視してみる?)


 フルフルとカードを揺らしながら、どうしようかなと悩む。と、そこへコンコンとドアをノックする音が聞こえて来た。


「カレン、起きているか?」


 アルフレッドの声がした。カレンは手に持ったカードを慌ててサイドテーブルの引き出しにしまう。


「はい、起きていますよ」


 カレンはベッドから降り、身なりを整えながら返事をした。一拍置いて、アルフレッドが部屋へ入って来る。


「カレン、朝早くからすまない。俺は今日から一週間、海軍の演習で留守にする。出る前に顔が見たかったんだ」


 そういうとアルフレッドはカレンに近づいて、両手を広げる。


「それって・・・」


「そういうことだ」


 探るような口調のカレンが面白くて、アルフレッドはクスッと笑う。


「もう!何で私が抱きつく体なの?」


 文句を言いながらも、カレンはアルフレッドの胸に飛び込んだ。


(上手く転がされているような気がするのは気のせい?)


 ギューっと抱きしめられ、アルフレッドのぬくもりが伝わって来る。彼は既に着替えていて皇子らしい服装をしているが、カレンは寝間着がわりにしている薄手のワンピース姿だった。カレンは急に自分の姿が気になって来る。


「私、起きたばかりで髪もボサボサの上、服も・・・」


「俺はそんなこと気にしない。それにもう少ししたら、毎日同じベッドで寝るんだから・・・」


 カレンの肩に頬を擦りつけながら、アルフレッドが甘い口調で囁く。


(もうすぐ一緒・・・。えー、無理!!)


「カレン?無理だとか思ってないよな?」


 カレンはビクッとした。心の中を覗いたかのようなことをアルフレッドが言ったからである。


 「別に結婚しても俺はここから皇宮に通ってもいいと思っている。だが、別々の部屋で寝るのは嫌だ!!」


(そんな嫌だなんて、駄々っ子のようなことを・・・)


 元来、皇帝と皇后はそれぞれの立場や仕事もあり、別々の宮に住むものだとカレンは妃教育で習った。子育ても乳母と教育係、そして専属の侍女が中心となり、皇后は己の仕事を中心とした生活を送るのだと。しかし、アルフレッドの発言はそれを根本から覆すもので・・・。


「それは無理なことではないですか?ここには殿下のお世話をする方も出入り出来ませんし、そもそも皇宮は多くの秘密を抱えているのでしょう?皇太子が無闇に外へ出るのはどうかと思います。それなら、私がここから皇宮に出勤する方が簡単ですよね?」


「それは別居婚ということか?」


 アルフレッドはカレンの肩に乗せていた頭を上げ、間近でカレンを見詰めて来る。


(近い近い、近いってば!!しかも、目が怖いわ。殿下、怒ってる?)


「絶対、嫌だ!!離れて暮らすくらいなら、俺はこのレダの家を破壊する!!」


「な、何を言い出すの?そんなこと出来るわけ・・・」


「俺なら出来る!!」


 アルフレッドがそう言うと本当に出来そうで、カレンは背筋の寒気が走った。


「いやいやいや、それはダメですって!!このお家が無くなったら、レダさんは何処へ住めばいいんですか!!」


「それはシュライダー侯爵邸でいいだろ」


 アルフレッドはぶっきらぼうに言い放つ。カレンは反論しようとしたのだが、よくよく考えると確かにそれはアリかも知れないと思ってしまった。其の実、大魔女レダはシュライダー侯爵と夫婦なのだから。


「案外良いかもしれませんね。ただ、そうなるとマーガレットさんが困ると思うのです」


「ああ、あのご婦人か。メニューだけでいいのなら、皇宮のメニューを伝えたら良くないか?」


「その手段は緊急時のみです!普段はマーガレットさんが朝仕入れたものを聞いて考えているのですから」


「案外、大変だな」


「ええ、大切なお仕事です」


「だが、カレンが何と言っても毎日一緒に寝るという件は譲れない」


「珍しく粘りますね」


「ああ、粘るとも。それだけのために毎日頑張って仕事をしているのだから」


 アルフレッドが余りに堂々と言い放つのでカレンは呆れてしまう。皇太子はカレンと一緒に寝たいがために職務を頑張っているなんて、帝国民には絶対言ってはならないだろう。


「もう!その件はまた改めてゆっくりと話し合いましょう。殿下、お出かけの時間なのでは?」


「ああああ、言わないでくれ。あー、一週間も会えないなんて・・・」


 アルフレッドはカレンの頬へ自分の頬を擦りつける。その恐ろしく甘えた行動にカレンはドキッとした。


(えー、どうしちゃったの?確かに一週間会えないのは寂しいけど、熱烈過ぎない?)


 カレンは顔が熱くなっていく。あまりに真っ直ぐなアルフレッドをどうしていいのかが分からない。


「カレン、キスしても?」


 散々、頬を擦りつけて来て、今更?とカレンは思いつつ頷いた。アルフレッドは触れるだけのキスを瞼の上、頬、口元、こめかみへと落としていく。優しい感触はカレンの心を温かく包み込んでいった。彼の愛を受け、カレンの心からアルフレッドと離れたくないという気持ちが溢れだして来る。いつの間にか、カレンは無意識にアルフレッドの服を強く握り締めていた。彼はそれに気付くとキスを止め、カレンの顔を覗き込む。


「―――どうした?」


「・・・・・」


 カレンは上手く心の中を言い表す言葉が出て来ず、首を振る。大きな目には涙が溢れ、今にも零れ落ちそうになっていた。


(私、素直じゃ無さ過ぎる。殿下が真っ直ぐに愛を伝えてくれるのに、ギリギリまで気づかないふりをして・・・。本当は私も殿下とは離れたくないのにうまく言えないし)


 アルフレッドはカレンの瞳から零れ落ちそうな涙にくちびるを寄せて優しく吸い取る。そして、ふわっと軽い口づけをした。


「カレン、寂しくなったのか?やっぱり毎晩、帰って来ようか?」


 とてもやさしい口調でアルフレッドはカレンに語り掛ける。彼は転移魔法を使えるので、やろうと思えば出来ると言うのはカレンも知っていた。だが、任務で出かける彼にそんな我儘は言いたくない。


「大丈夫です。殿下、任務を頑張ってください。私はここで待っています」


「――――ああ、分かった。だが、寂しい時は無理をしないでくれ。俺はいつでもカレンのところへ駆けつける」


「はい。ありがとうございます」


 カレンはアルフレッドを心配させないよう笑顔を作って見せた。しかし、彼は彼女の性格を知っているので、無理をしていることくらい分かっている。


「途中で会いたくなったら帰って来る。だから、一人で泣いたりするなよ」


 アルフレッドはカレンを今一度ギューッと抱き締めてから、身を離す。


「では、行ってくる」


「はい、お気を付けて」


 アルフレッドは踵を返し、部屋から出て行った。残されたカレンは急に寂しくなってくる。素直に言えなかったが、一週間も会えないなんて長過ぎる。でも、悲しんでばかりはいられない。


(これ以上、殿下を心配させないようにしなきゃ。いつまでもメソメソしているわけにはいかないわ。私もこの一週間は仕事を頑張ろう。他のことで気を紛らわせるのよ!!)


 この早朝の出来事によりカレンは頭からは、あの手紙のことがすっかり抜け落ちてしまっていたのだった。


―――――


 カレンがあの手紙のことを思い出したのは、アルフレッドが出かけてから五日後のことだった。


 今朝、マーガレットが言った。


「そろそろ新月だね。夜に目が覚めたら真っ暗だから、物が見えなくて困るんだよ」と。


 マーガレットが帰った後、カレンはレダに質問した。


「レダさん、次の新月って何日ですか?」


「唐突な質問だね。どうしたんだい?次の新月は二日後だったと思うがね」


「いえ、マーガレットさんとの話で出て来たので気になって・・・。新月は二日後ですね」


「ああ、そうだよ。マーガレットが口にしたということは何かが起こるのかも知れないね。あたしも気を付けておくよ」


 レダの言葉にカレンはドキッとした。レダ曰く、マーガレットは何かを引き寄せる体質を持つらしい。今までも彼女は国レベルの面倒事が発生する予兆を無意識に掴んで来た。その彼女が「もうすぐ新月だね」という言葉を口にしたのだから、レダが警戒するのも理解出来る。


 しかし、今回はその面倒事にカレンが入っているかも知れないのである。あの手紙のことをレダに言うべきかどうか、カレンは悩んだ。だが、他言無用と記載されていたことが引っ掛かってしまう。


 今のカレンはまあまあ魔法も使えるし、子猫に変身することも出来る。一人でアデンの丘へ様子を見に行くくらい問題無いだろう。もし、危険を感じたら、その時はアルフレッドやレダを呼べばいい。先ずは一人で解決を試みたいと思った。



――――二日後。


 結局、夜が何時なのかは分からないまま、カレンは寝る準備を整え、レダに寝ると言って二階に上がった後に出かけた。アデンの丘はシュライダー侯爵邸と皇宮のちょうど真ん中あたりにある小高い丘で、皇都を見下ろすことが出来る眺めの良い場所である。恋人たちのデートスポットとしても有名な場所なのだが、カレンがこの丘に足を運ぶのは初めてのことだった。


 新月で夜の闇が深い分、今夜は夜景が素晴らしい。カレンは念のために頭から被って来たマントを少し後ろにずらし、夜景を眺める。キラキラと煌めく繁華街は昼間よりも美しく見えた。また、空を見上げるといつもよりも多くの星が見えた。多すぎて零れ落ちて来そうなくらいの星々。吸い込まれてしまいそうな感覚。夜に出掛けることが殆どないカレンにとって全てが新鮮でワクワクしてしまう。


 しかし、ここへカレンを呼び出したのは誰なのだろう。今のところ、それらしき人影は見当たらない。というか、辺りはカップルばかり。


(本当に誰の仕業なのかしら。こんな時間にここに一人でいると場違い感が・・・)


 ふと隣のベンチに目をやれば、腰掛けているカップルがキスをした。


(キャー!!人前で!?えええ、恥ずかしくないのかしら!!)


 カレンはドキドキしてしまう。こんな光景を見たのは初めてだったからだ。


(覗き見したと思われたら嫌だから、真っ直ぐ前を向いておこう。だけど、マントを被っているし、私を呼び出した人は私がここに居ると分かるのかしら)


 カレンは真っ直ぐ皇宮の方を見る。アルフレッドはあれから帰って来ていない。一週間の予定と言っていたので、明日には帰ってくるだろう。


(途中で帰って来るって言っていたのに帰って来なかったのは、当初の予定より多忙だったのかも知れないわね)


 手すりに頬杖をつき、アルフレッドのことを考える。離れていても、彼の底なしの優しさと愛情がカレンを毛布のように温かく包み込んでくれている気がして、この一週間は頑張れた。


(私も少しは素直になりたい。殿下が私の愛情を感じて満たされるように)


 カレンがアルフレッドへどう愛情を伝えるべきかと考えているところで、午前0時の鐘が鳴り響いた。


(あ、日付が変わった。ええっと、私は何時までここにいたらいいのかしら・・・)


 カードには夜に来て欲しいと書かれていたため、終わりの見極めが分からない。と、そこでカレンのフードを誰かが後ろから引き下ろした。驚いて振り向くと・・・。


「あ、えっ?」


 目の前に立っていたのはアルフレッドだった。彼は正装をしていてかなり目立つ。周囲も皇太子が現れたとザワツキ始めた。


(え、何でマントも来ていないの!?あああ、騒ぎになってしまう)


「殿下、早く立ち去りましょう」


 カレンは小声でアルフレッドに囁きかける。しかし、彼は首を横に振り、次の瞬間カレンの前に跪いたのである。周りにいたカップルたちがどよめく。


「カレン。ずっと好きだった。そして、これからも共に人生を歩んでいきたい。俺と結婚して欲しい」


「えっ」


 アルフレッドは懐から小箱を取り出し、蓋を開ける。中には煌びやかに輝く宝石のついた指輪が入っていた。彼はそれを取り出し、カレンの左手を取る。


「返事を・・・」


 他人事のように彼を眺めていたカレンは自分が当事者であることに漸く気付く。


「あ、えっ、これは・・・」


「カレン、俺と結婚して欲しい。生涯、俺の全てをかけて大切にする」


 真っ直ぐにカレンを見詰めるアルフレッドの表情は真剣そのものだった。


(これは本当の・・・)


 カレンも真摯に答えなければと表情を引き締める。


「アルフレッド殿下。私も生涯をかけてあなたを愛します。よろしくお願いいたします」


 その言葉を聞いて、アルフレッドはカレンの薬指に指輪を嵌めた。辺りから拍手と声援が湧き起こる。


(皇太子がまさかこんな場所でプロポーズをするなんて、誰も想像しないわよね)


 カレンがまた他人事のように辺りを見回しながら、考え事をしているとアルフレッドから手を引っ張られた。意図せず、勢いづいて彼の胸に飛び込んでしまう。


 周りのどよめきはもはや悲鳴になる。動揺するカレンに対して、アルフレッドはいつもと変わらない様子。


「明日の新聞に・・・」


「好きに書かせればいい」


 そう言い捨てるとアルフレッドはカレンの口を塞いだ。悲鳴がやがて拍手に変わるまで甘く長い口づけを・・・。


―――――

 レダの家に戻り、カレンはアルフレッドに尋ねた。


「何故、カードに名前を書かなかったのですか?私、誰が来るのか分からず困ったのですけど!!」


「いや、何故そこを悩む?カレンの部屋に入れるのは俺かレダどのしかいないだろう?」


「!!」


「しかも、カレンの枕元に他の男の手紙を俺が黙って置かせるはずがないだろ」


 アルフレッドは堂々と言い放つ。


(あー、もう殿下には勝てないわ)


 カレンは苦笑いを浮かべ、左手の薬指で輝くダイヤモンドの指輪を優しく撫でた。

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ワケあり侯爵令嬢は成り行きで身代わり占い師をしています(元婚約者の皇子が相談にやって来ました) 風野うた @kazeno_uta

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