5 都市の朝、旅行者の一日(2)




「……は?」


 間抜けに口を半開きにして、子どもは100S硬貨みたいに目を丸くする。


 テオドアの中では一応、筋の通った理屈が構築されていて、その結果として口をついた疑問であったのだが、それを耳にしたものたちはまるで藪から槍でも突き出されたかのような反応をする。


「な、なんだ……急に! 意味不明だぞ」


 別に説明する義理もなければ、この話を続ける必要性も感じなかったが……どうせヒマなのだ。注文の品が出来上がるまでの時間つぶしにはなる。


 テオドアは自分の考えを口にした。


「お前……薄汚いし、洗ってないぞうきんみたいに臭う。そのうえ口も悪いが――」


「失礼の極みだな!」


「女、だろう」


「!」


 びくっ、と。

 その子ども――"少女"は硬直する。それから次第に、その頬の血色が良くなっていった。


「な、何を……!」


「女の匂いだ」


「ド変態か!」


 顔を真っ赤にして怒鳴ると、八つ当たりでもするように地団太を踏みながら、


「ぼっ、ぼくの目が間違ってた! あり得ないことだがしかし事実! この生活のせいでぼくの目が曇っていたんだ! こんなまともじゃないヤツに、」


「見れば分かる。だがお前は、自分のことを"ぼく"という。だから『魔女か』と訊いている」


「は……?」


「…………」


 言うだけ言って、テオドアは屋台に視線を戻した。店主が止めていた手を慌てて動かす。焼きあがった白い生地を広げ、赤いソースを塗っている。

 一方、テオドアの横では少女が何かぶつぶつと呟いていた。


「な、なるほどね……。理屈は分かった。しかし、藪ヘビだったらどうするんだ。やっぱり、まともじゃない。……お前、"私"が本当に"魔女"だったら、今この場でお前をさ、刺してたかもしれないんだぞ。というかむしろ、"魔女"だと思ったのなら訊ねる前にどうにかするのが普通だろうに……な、何なんだ……」


「そういうものか。……で、結局、お前こそ何なんだ」


「も、もちろん……"魔女"なんかじゃないさ。こんな公衆の面前で言うのも、な、なんだけど、"表現の自由"だ、別にぼく……私は、"魔女"が居ようと居まいと、構わない。……と、というかな! 公衆の面前だぞ! 常識がないのか!? やっぱりそういうことは思っても言うもんじゃないんじゃないか!」


「…………」


 彼女が何を言っているのか、口調の混沌もあってテオドアにはよく分からなかったが――どうやら、話し方に独特の癖があるようだ。

 興奮している時はすんなり言葉を紡げているが、ふと我に返った瞬間など、まるで音が喉につっかえたかのように声が詰まる時がある。


 まあなんにしろ、とりあえず、


「そういうものか」


 テオドアは適当に相槌を打ち、出来上がった料理を受け取った。包み紙などはなく、皿に載せられたものが出てきたのでそれを手にする。白い生地で具材を包み、食べやすいようあしらわれている。


「わ、私は"魔女"じゃない……」


 まだ何か言っているので、テオドアはその場で料理に口をつけることにした。他の客が来たので、多少屋台から距離をとる。そのまま離れてもよかったが、少女の方もついてきた。


「訳があって、素性を隠してるん、だ。……そ、そう! 私はやんごとなき生まれのものだから!」


「…………」


 少女の言葉と一緒に、料理を噛み締める。口の中で肉の脂が広がった。これは鳥肉だろう。全体的に湿りつつもしゃきっとした食感を残した野菜と、脂を吸ってほどよく柔らかくなる薄くて厚い生地……遅れて舌に広がる、


「っ」


 カラい。思ったより刺激的な辛味に、身体が熱を帯びるのを実感する。


 そんなテオドアに、屋台から悪魔の誘惑。


「お客さん、水、あるよ?」


「……もらおう」


「まいど、80Bね!」


「…………」


 なるほど、これが商売。

 さっき受け取ったおつりをそのまま取り出し、屋台のカウンターに置く。すると店主はしゃがみ込み、屋台の陰に姿を消す。そしてガラス瓶を持って現れた。中には透明な液体。氷箱にでも突っ込まれていたのか、ガラス瓶の表面は結露していた。まさに用意周到、客の需要ニーズを生み出すことにかけて商人の右に出るものはいない。


 コップに注がれたその液体を飲み干した。


「!?」


 危うく噴き出しかけたが、既に飲み込んだあとだったのが幸いした。


 酸っぱかった。


「おかわり自由だよ」


「…………」


 騙されたような気分だったが、テオドアはもう一杯、そのレモン水をコップに注ぐ。食べきるにはこの酸味が欠かせないようだ。


「ざまぁ……! バチが当たったな! 人のチケットくすねるからだ!」


「…………」


「ぎゃっ!?」


 注いだそれをそのまま横にぶっかけた。


「め、目がぁ……!」


「今のはお嬢ちゃんが悪いなあ……ほら、こっちの水で顔洗いな」


「……店主、こんなのを雇っていると、衛生観念を疑われるぞ」


「おまっ、お前……! 寡黙な美人かと思ったら、要らんことばかり長文喋りやがって! ■■のうえに■■■されて、■■■■かけられろ!」


 聞いたことのない言葉の羅列だったが、とりあえず罵倒の類いなのは理解できた。




   ◆




 ――街の一角にて。


「イアーナ、本当にこの街で間違いないんだろうな」


「……はい、旦那さま。このがいなく。聞き込みましたところ、確かに目撃証言が」


「……何か言いたげだな、イアーナ?」


「……いえ、旦那さま。夜を徹しても確保に至らず、こうして旦那さまの手を煩わせてしまったこと、私は自らのいたらなさを深く反省しております」


「ふん。とにかく、この街に居るのだな」


「はい。……しかし、一つお耳に入れたい情報が。あまり旦那さまのお気に召さない内容かもしれませんが」


「なんだ? 言ってみろ」


「ちょうど昨日、"あの方"が誰かと――……ふわあ」


「おい! 肝心なところで!」




   ◆




 朝食を終えたテオドアは一人、マカロ・ニアラの観光を始めていた。


「…………」


 とはいえ、テオドアがこの街について知っていることはほとんどないに等しく、具体的に何を見ればいいのか分からないうえ、この街の地理も不明だし、そもそも何をもって"観光"とするのかもピンときていなかった。


 そのため、テオドアは適当に、人々の行き交う路地をそぞろ歩いていた。


 路地といっても、その大部分は商店街のアーケードのようになっていて、通りの入口に立つと、その出口までが一つの建築物のように見えてくる。様々な人種が往来してはいても、やはり各々のコミュニティ専用の一帯というのはあるようで、明らかに狭すぎる通りもあれば、他より道幅が広く建物に庇の備わっていない通りもあった。


 一方で、そうした小綺麗に整った光景とは別に、庶民的というか、見るからに、専業を持たない労働者階級たちが住んでいるだろうと思しき地区も存在する。


 こうして歩いているだけでも、どのようにこの街がかたちづくられていったか、なんとなくだが、その変遷を垣間見たような気分になった。


 そして、


(どうも、見られているな)


 すれ違う通行人が時折振り返ることもあるが、それとは違う、別の視線の存在に気付く。


 視界の隅に映り込むもの、ふと振り返ると顔を背けるもの逸らすもの、通り過ぎるこちらを立ち止まったまま目で追うもの……。


 そうした、あからさまな"視線"を感じるのだ。


(……"なんとかかんとか団"、だったか)


 ――"スプリングル正統団"。少し気になったので、かろうじてその存在を記憶に留めていた。


 詳しくはないが、知らない名前ではない。


 ともあれ、気にしても仕方ない。むこうが何かしてこないなら、こちらから手を出す道理はない。囲まれても殺せばいい。殺されたら、それもやむなし。

 先のことなど考えたところで、起こることは起こるし、避けられることもあればそうはならないこともある。


「……ふむ」


 それよりも、今は"観光"だ。


 ぶらぶら歩いている中で、二軒ほど"教会"らしき建物を見かけた。

 修道服……黒を基調としてワンポイントに白のアクセントを加えた、フードのついたワンピース状の衣服を着た人々が出入りしていたのだ。

 それまでもそうした聖職者とすれ違ったが、実際に彼ら彼女らが出入りする建物を見つけて、思い出した。


 ここは宗教都市だ。どこかにその代名詞的な、大きな建築物があるはずだ。


 さしずめ、"マカロ・ニアラ大教会"といったところか。そのような教会がどこかにあるのではないか。そう思い至り、なんとなく、そうした巨大建築がありそうな空間を目指して街の構造を辿ることにした。


 すると、そうして辿り着いた都市の一角にて。


 人の気配で賑わいながらも、確かな静謐に満ちた――"大教会"を背に、巨大な美少女群像が見下ろす大きな広場で。


「……また会ったな! やっぱりお前、ぼくをつけてるんだろ!」


 ――二度あることは三度ある、そして三度目は必然である。"美少女教"の聖典、『蒼世紀』の一節。


 先の分からないこの世界でも、確かなものがあるとしたら。


 賭ける価値は、あるのだろうか。



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アルテ・レ・コンキスタ ~旅する絵描きのキャンバスから~ 人生 @hitoiki

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