4 都市の朝、旅行者の一日(1)




 マカロ・ニアラ、滞在二日目――


 宿の二階、窓から地上の通りを見下ろすと、向かいの路地の暗がりから、こちらを見上げるような格好の人影がある。


 昨日"縁"をもってしまった、例の子どもの浮浪者である。


「…………」


 テオドアは小さく息を吐き、窓から離れた。

 ベッドに腰かけ、目を閉じる。


 ……あの浮浪者の目的は、テオドアが結局手放さなかった"無料乗車券フリーパス"にある。


 テオドアとしては別に、売り物にならないのであればゴミくずも同然だったのだが、それを寄越せというものがいて、そしてそれには一応の価値があるときたら、道端に捨てるのも躊躇われるし、かといって「はいどうぞ」と差し出すのにも抵抗がある。


 なんとも厄介な代物を拾ったものだと、今では思う。


 普段であれば、テオドアは時物じぶつに頓着しない気質タチであるのだが、風が吹くまま気の向くままその場その場の即断即決で短期的な目的を持って活動しているのだが――


 何か、狂わされている。そういう感じがする。


 というのも、テオドアはあの子どもに"金の匂い"を見出したのだ。収入の気配、稼ぎが得られるという直感。普段であれば躊躇わないのだが――


「…………」


 それは恐らく、あの子どもが欲する"無料乗車券"に理由があるのだろう。


 聞くに、あれはどうやら、そもそもあの子どもの持ち物であったようだ。それはつまり、あの子どもには裕福な親ないし後援者スポンサーがいるということを意味する。身に着けている衣類、横暴なあの口調……それらを見ても、あの子ども自身もまた裕福な家の出である可能性は高い。


 これらから読み解けるのは、あの子どもがなんらかの理由で家を出奔したこと。旅に不慣れなために、騙されるなりして持ち物を奪われたこと――


 そういう次第だとすれば、あの子どもが「雇ってやる」などと言い出したことも説明できる。失敗の経験から、護衛の必要性に気が付いたのだ。テオドアがそういう仕事を主としていることは知らなかっただろうが、ともあれ、次の仕事のアテもなかったところだ、渡りに船、普段なら引き受けていた。そう、普段なら。


 だが、ここで問題がある。

 普段なら、テオドアは仕事の報酬を前金として受け取ることにしている。相手に支払い能力があることを前提として、その護衛を請け負うのだ。


 しかし、現在あの子どもは浮浪者も同然である。"無料乗車券"を"適正価格で"譲ると提案したが、あの子どもにはそれに応えられる所持金がなかった。支払い能力のない相手からの依頼は受けられない。


 一方で、あの子どもが裕福な家の出であるのなら、その護衛を引き受ければ"いずれ"報酬を受け取ることも出来るだろう。それに加え、無料乗車券も使用できる。詳しい仕様は知らないが、鉄道を利用できれば最低限、寝る場所の確保くらいは出来るはずだ。宿代が浮くのは馬鹿に出来ない。


 だが――支払いが確約されている訳ではない。そも、あの子どもは出奔しているようだし、現金を調達するアテがあるかは怪しいところである。仮にその実家まで送り届ける展開になったとして、その家族から報酬を得られるだろうか。


 これはリスクの高い賭けのようなものだ。

 あの子どもの依頼を引き受ければ、他の仕事を請け負うことが出来なくなる。その結果として報酬が得られなければ骨折り損、それはそのままテオドアの生活に直結する。そうでなくても、あの子どもに金策のアテがあったとしても、"それまで"食い繋ぐ方のアテがない。


 今はまだ、懐にも余裕がある。この数日ぶんの報酬と、思わぬ臨時収入。そのため、観光でもしようかという発想となったのだが、


「……ふむ」


 ……そうだ。とりあえず、今日の目的は観光だ。昨日は換金した後、宿の場所を聞いて、すぐにチェックイン。食事は外でとり、旅の疲れもあったのですぐに就寝した。観光らしきことは何もしていない。


 ちょうど、階下からも人の気配がなくなった。


 この宿は下宿のようなものに近く、年老いた家主の個人経営だ。部屋と浴室は提供するが、食事は出ない。料金は前払い。部屋は個室だが水場は共用のため、テオドアは他の利用客が出ていくのを待っていたのである。


 ベッドから腰を上げ、荷物を持って部屋を出る。荷物といっても鞘に収まった剣と、革袋に収まるだけの衣類と少々の小物くらいのもの。


 ――芸術家と鉄学てつがくの使徒が台頭してきたこの時代、これまでの"確かさ"は揺らぎ始め、明日は何一つ予想がつかないものになる。


 ……であるならば、先の心配などするだけ徒労だ。


 今日はどこに泊まろうか、あるいはここに連泊するか。他に安い宿があればそこにするが、安宿はどこも満室らしい。この街には普段から多くの巡礼者が訪れるため、宿泊客には事足りないのだ。ともすればこの宿も、夜には部屋が埋まっているかもしれない。


 そうなったら商工会事務所でも訪ねてみるか、とテオドアは適当に考えながら身支度を整え、宿を出た。


 通りを見回してみたが、既にあの子どもの姿はどこにもなかった。




   ◆




 ――街の片隅にて。


「あぁ、これは奇遇っスねぇ。お客さんはあなたでしたか。毎度ありでございます。ご注文の品、確かに納品しました」


「……質は?」


「もちろん、保証するっスよ。量産コピー品ではありますけど、性能は本物にも劣らない。この盾を前にすれば、真っ当な人間なら戦意を喪失する――立派な"芸術兵器アルテ・フランジェ"」


「…………」


「しっかし……これだけ揃えて、戦争でも始める気っスか?」


「……ふふ」


「おおっと、これは失礼をば。単なる好奇心っス、あーしはただ商品を届けただけ……また何かありましたら、どうぞウチの"コーベル商会"に」




   ◆




 食べ物の匂いのする方へ、適当に歩を進める。


 どの街も、朝は活気づくものだ。個々の家庭はもちろん、近郊の田畑に出かけるものたちを狙った惣菜屋の類いが早くから店を出しているため、どこもかしこも空腹を刺激する匂いに満ちている。


 テオドアは街の各所から漂うそうした匂いの流れに身を任せて通りを進み、人の気配で賑わう広場に辿り着く。

 昨日の広場に出たかと思ったが、中央にある彫像が別物だから、似たような景観に感じてもまた別の場所なのだろう。整った都市とは大抵そういうものである。


 空きスペースが目立っている中、開いているのはやはり惣菜屋がほとんどのようだ。移動式の屋台もあれば、テーブルを出しているところもある。さてどうしたものか、テオドアが首を巡らせていると、


『求ム! 美少女! マジ美味イ!』


 ある看板が目に留まった。動いていたのだ。その木の板には白い画用紙が貼り付けられており、扱っているのであろう料理の絵が載っていた。


「……む」


「あ!」


 二度あることは三度ある――その一節が頭をよぎる。


 看板持ちをしていたのは、あの子どもの浮浪者だった。


「貴様……! まさか"ぼく"をつけてきたのか!」


 さては昨日と同じ広場だったのか、と一瞬思うも、テオドアは気を取り直して、近くの屋台に目をやる。ちょうど客が商品を受け取っているところで、その店で扱っている料理を確認することが出来た。

 薄く白いパン生地のようなものに野菜や肉などを包み、ソースをかけたものだ。

 あの子どもの持っていた看板の絵、あれに描かれているもの、そのものだ。まるで絵から飛び出してきたかのような実物である。見れば、屋台のカウンターにも同じような絵が何枚か貼られている。


「らっしゃい! 何にする?」


 見ていると声をかけられ、テオドアは屋台に近付いた。


「これを、赤いやつ」


「あいよ! 辛いのは平気かい?」


「ああ」


「300Sと20Bね」


「500で。釣りはあるか」


「あるよ! はい、じゃ100と80、と。ちょっと待っててな! ……見ない顔だね? もしかして教会の人かい? "総会"が近いもんねえ」


「いや」


 店主は口を動かしながらも、手際よく調理している。小麦粉を生地にして薄く伸ばしたものをフライパンに載せ、その傍ら、別の鍋に火を入れ、あらかじめ切り分けられていた野菜などに調味料をまぶしている。テオドアはぼんやりとその光景を眺めていた。口の中が湿っていくのを感じる。


「おい!」


 意識の外から声が飛んできた。見れば、看板を肩に担いだあの子どもが隣にいて、テオドアを睨んでいる。


 先の折れたとんがり帽子、薄い青の髪に青い瞳。頬はややこけて血色は悪く、唇は荒れている。子どもはごくりと喉を鳴らしてから、


「こ、この"発禁xxxx"(HK南部スラング)野郎! ぼくを無視するとはいい設定してるじゃないか! むしろ気に入ったけど!」


 低い声を出そうとしているようだが、子どもらしくその声質は甲高い。


「お前……」


 青髪の子どもに向き直る。視界の隅では屋台の店主がやや不安そうな表情をしていた。テオドアは口を開く。


「――お前、"魔女"か」



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