2 第二広場、路上市の看板娘(1)
マカロ・ニアラ中立教区――
かつて、四方を天然の要害に囲まれているため周辺諸国の影響を受けず中立を保ち、"美少女教"のいずれの宗派にも染まらず、またそのいずれもの宗派を受け入れた姿勢から、"中立教区"と呼ばれている都市である。
「"トリア・リリウム会派"誕生の地、『マカロン信条』制定の地として有名な宗教都市っスよ」
帝国統治下においてもその姿勢は一貫しており、そのため、対立していた"美少女教"の各派閥代表者の集う"総会議"の舞台に選ばれた……らしい。
馴染みの商人から聞いた断片的な知識しかないが、何はともあれ、"美少女教"における重要な土地、"聖地"の一つに数えられるという。
であるならば、人として、人生で一度は訪れておくべきだろう、と――
テオドアはなんとなく、思った次第である。
「さて……」
初めて来た土地であるため、この辺りに関する情報はほとんどない。しかしまあ、街の構造なんてどこも似たようなものだろうと、テオドアは道に沿って適当に歩いていた。
整備された石畳の歩道、両脇には小綺麗な建物が隙間なく並んでいる。いずれの建物も店舗・工房と住居を兼ねているためか、二階建て以上の建築が多い。しかし一階部分の庇が大きく突き出していることもあって、通りの中央でも歩かなければ陽射しを拝むことは出来ず、生活感溢れる住居部分の様子は目に入らないようになっている。
建物間に路地がないにもかかわらず窮屈に感じないのは、この街の雰囲気の良さゆえか、建築物が整然と並んでいるためだろうか。
商工会事務所のある通りから続くこの一帯は、いわゆる商店街となっている。建物はどれも庇の下に
テオドアは看板が持つそういった芸術性に興味はなかったが、実用性の都合から視線を上げながら進んでいた。
探しているのは宿か金券
彼が個人的に面白いと感じたのは、目に付く人々の人種の多様性だ。
大都市ならまだしも、あまり交通の便が良いとはいえない地方の街にしては珍しく、様々な人種の人間が往来している。金髪ストレートや黒髪ロングといった"古典的"
商人の護衛という都合上、テオドアはこれまでいろいろな土地を巡ってきたが、こういった地方都市というのは大抵、人種や宗派でまとまったコミュニティが存在していた。
ある通りには白い肌のものたちだけが、またある通りには黒髪を短く切り揃えたものたちだけが歩いているという、整ってはいるが新鮮味のない光景ばかりだった。
しかしここは違う。目新しく、視覚的に飽きがない。
「…………」
掻い摘んでではあるが、この街の歴史について多少耳にしたためだろうか。これまで特に気にもしなかった光景に、つい目が行く。
面白味、新鮮味……通りの様子に対してそのような感想を抱いたのも、過去に目にしてきた都市の景観に想いが及んだのも、ともすれば今が初めての経験かもしれない。
観光、などと――思い返すと我ながら不思議なことを言い出したものだが、そう悪いものでもないようだ。
「ん、この辺りか」
落ち着いた雰囲気のある商店街通りを抜けると、広場は活気と喧噪に満ちていた。
円形の広場の中央には美少女像、その周囲にはそれぞれ一定の間隔を保ちながら、移動式の棚や荷台が並んでいたり、シートを敷いて地面に品物を並べているものたち。露天商である。テントやカウンターなどを設置しているものもおり、さっきまでの通りと比べて実に雑多とした光景だった。
旅行者相手の商品を扱っているのは大抵こういった場所、
立て看板を見ながら、目的の店を探す。
わいわいがやがやと、こちらは客引きの声もあれば、香辛料の効いた料理の匂いも漂っている。人々は立ち止まり、行き交い、口論じみた値引き交渉、馴染みの客との世間話、あらゆる人間の営みが密集しているが、決して猥雑ではなく、中心にある美少女像の影響か一定の秩序が保たれている。
人通りはそれなりにあるのだが、人混みにはなっていない。
不思議と肩がぶつかるようなこともなく、スムーズに見て回ることが出来る。空間的な余裕、精神的な余裕があるからこそだろう。客引きが店の看板を振って声を上げていたり、商品の載った荷台が前に出ていることもあるが、それらを避けて通れるスペースがしっかり確保されている。それも、自然に。
(さすがは宗教都市、ということか)
――"規律"がある。
そういう訳でトラブルもストレスもなく、振られていたり立てかけられていたりする看板を見て回っていると、
『求ム! 美少女! 換金受付!』
力なく揺れている看板の横で、目的の店を見つけた。
「いらっしゃい! 買い付けかな?」
シートを広げ、木箱をカウンター代わりにしている中年男性が店主のようだ。テオドアが足を止めたと見るや、素早く声をかけて客を引き込む。テオドアはそもそもこの金券ショップに用があったため呼ばれるままに近付くが、気になるのはその店の横で揺れている不審な看板だ。
「……あぁ、そっちのは気にしないで」
店主も困り顔である。
金券ショップの立て看板の陰、隣の店の
一見すると、浮浪者のようだ。孤児かもしれない。うずくまるようにして座り込んでいるため小人種かもしれないが、ともあれ背丈の低い人物である。
そいつがこちらを見上げていた。
『
(子ども……、)
数日は風呂に入っていない、そんな匂いがする。
なんにしろ、店の関係者でないなら店主の言う通り、気にしないでもいいのだろう。
「売りに来た」
そう、ここには臨時収入を手に入れに来たのだ。
『そういえば、さっき受け取ってたヤツっすけど――あれね、塩引。シスターさんは大したものじゃないとか言ってたっスけど、ここは見ての通り交通の便が悪いっスからね。塩も、輸送費だなんだで高値なんスよ』
つまり、臨時収入という訳だ。
他の地域であれば小遣い稼ぎにしかならない紙切れだが、ここでは一日分の食費を賄えるだけの価値を持つ"紙幣"になるのである。
加えて、この数日の護衛費用もあって、しばらくは懐に余裕がある。観光でもしようという考えが浮かんだのもそれが理由だろう。
「じゃあ……」
塩引が本物かどうか矯めつ眇めつ念入りに鑑定してから、店主の男は金額を示す。じゅうぶんな額だ。テオドアはそれで頷いてから、ふと思い出す。
「そうだ、これも――」
「――やはり現れたな!」
ん? と振り返れば、いつの間にか数人の男たちが集まっていた。短剣やら鉄パイプやらを手にした、美しさの欠片もないイカつい男たちである。
(……いや、ある意味ではこれも、
ともあれ、見るからに敵意を持った集団である。その目は他でもない、テオドアに向けられている。
「さっきは、よくもやってくれたなァ……!」
「?」
「『?』……じゃねえよ! 街の前でオレらに喧嘩売ってきたろうが!」
「…………、あぁ」
この男の髭面には見覚えがあった。シスターたちを襲っていた連中だ。……喧嘩を売った覚えはないのだが。
「我々"スプリングル正統団"がナメられる訳にはいかねえ」
「? 大層な名前だな」
「売りに現れると思ってたぜ! この一帯を取り仕切ってるオレたちからパクったもんを白昼堂々転売しようたぁ、いい度胸だなァ、おい!」
「……ほう」
ちょうど今売り飛ばそうとしていたところである。こうして取り返しにきたということは、やはりそれなりに値のあるものなのだろう。
さらなる
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