3 第二広場、路上市の看板娘(2)
広場の雰囲気はさっきまでの和やかな喧噪から、若干の不穏さを感じさせるものに変わっていた。
遠巻きにこちらの様子を窺っている周囲の視線を浴びながら、テオドアは腰に下げた鞘に右手を伸ばそうとした。
しかし、ふと思いとどまる。
相手がやる気ならこちらも容赦しない、遠慮なく叩き斬ってやろう――という気持ちがあったのだが、ふと冷静になった。
ここは仮にも宗教都市、そのバザールが開かれている場である。
殺せば広場が血で汚れるし、死体も残る。それは、"余裕"のあるこの場には似つかわしくないものだ。買い物客も、商人たちも、それは望むまい。
(……面倒だな)
あるいは、こちらの武器を封じるためにこの場を選んだのか――
「まあいいか」
踏み込んで、一撃。目の前の髭面の男の顔面に右の拳を打ち込む。
「かっ……!?」
髭面の男が吹っ飛ばされ、その後ろにいた二人を巻き込む。あと、三人。
「こ、こいついきなり……!?」
「話の途中だってのに……! やっぱり狂ってやがる……!」
「話は終わったのでは?」
倒れ込んでいる手近な男に手を伸ばそうとすると、そいつは腰が抜けたように手で地面をこすって気を失っている髭面の下から抜け出した。ちょうど良い位置に頭があったので、蹴りを叩き込もうとしたのだが、
「ひ、ひぃ……!?」
既に戦意を失っているようだ。一緒に倒れていたもう一人は髭面の後頭部に鼻をぶつけたのか、口の周りを血塗れにしてのびている。取り巻きの三人も、周囲の野次馬を押しのけるようにして逃げていく。
「…………」
拍子抜けだったが、周囲からは歓声が上がった。
とりあえず無事にことを収められたようなので、テオドアは金券ショップに向き直った。
その傍らで、
「はっ! ザマぁ……!」
金券ショップの立て看板の陰から、小さな人影が飛び出してきた。
「いずれ現れるとは思っていたが、まさかこんな幸運が巡ってくるとは! はっ! ザコが……!」
先ほどの浮浪者である。路上で気を失っている髭面の男の横に喜び勇んで躍り出るやいなや、
「この底辺低俗悪党め! 盗んだものを返してもらうぞ……!」
何やら騒がしいが、相手は浮浪者だ。収入を得るチャンスなのだろう。構わず、テオドアは店主に声をかける。
「これも換えてくれ」
「え? あ、はい……? それは……、」
「鉄道の
大陸を横断する国営鉄道の乗車券だ。
通常、一回の乗車のたびにつど乗車券を購入する必要があるのだが、この"拾い物"は大枚を出して入手できる、何度でも無料で鉄道を利用できる乗車券なのだ。
行商の護衛という仕事の都合上、テオドアには利用の機会のないものだが、仕事の関係上多少なりとも知識はある。ある種、商売敵のようなものになるからだ。
大陸のいたるところに停車駅を持つ、陸上運輸の新たな要、それが鉄道。これがあれば、わざわざ野盗に襲われるリスクを選ぶ理由がない。現状、鉄道の利用料よりも護衛を雇う方がまだ安く済むためテオドアにも収入があるが、それもいつまで続くものか。
そんな鉄道の乗車券、それも
加えて、これは二等客室のチケット。一般人が都市間の移動に利用する三等ではなく、経済的に余裕のあるものが旅行目的に利用する、個室のある二等――
なるほど、シスターに売りつけようとしていたことも納得できる。巡礼のために大陸各地を回るシスターにとっては喉から手が出るほどに欲しいものだろう。
塩の入手が困難であるため塩引の値段が高くなるなら、駅のない、鉄道の通っていない交通の便の悪いこの街なら――
(……まあ、逆に安くなるかもしれないが)
なんにしても、売れるなら問題ない。
「あぁ……いや、お客さん、これはちょっと……」
「? まさか、偽物か?」
「いや、本物ではあるんですけどねえ……」
「じゃあ」
やはり線路が整備されていないこの街では需要がないのか。
「実はこれ、無料って訳じゃないんですよ。ほら、ここに名前が刻まれてるでしょ。えっと……もでぃえる? あぁやっぱり――まあ、その人がいてこそ成立する権利でしてねえ」
「つまり、どういうことだ?」
「つまりねえ、このチケットを出せばお客さんは無料で乗れるんですけども、そのあとにこのモディエルって旦那が料金を支払ってるんですね。請求先がそっちに行くんです。いわゆる"ツケ"ですなあ。逆に言えば、この旦那が支払いを拒否すれば、無料でもなんでもない訳なんですよ。これはそういう、特定の個人向けのチケットで」
「……そういうものか」
「どこで拾ったのか、詳しくは聞きませんけどねえ……まあ、一回は無賃乗車できますよ? だけど、二度目は期待できない。請求がこの旦那に行くころには、このチケットが不正に使われてると知られるでしょう。……これが既に"タダ乗り"に使われているとすれば、駅でこれを出した途端に捕縛されるのがオチです」
「……なるほど」
「そういう訳で、これはウチでは買い取れませんねえ……。買い手がいない。ただ――」
言われてみれば、今も後ろでのびている髭面の男が未だにチケットを持っていた方が不自然だ。この店で売れなかったから、旅のシスターに売りつけようとしていたのだろう。
「じゃあ、要らないな」
ゴミか、とその場で捨てようとしたところで、
「ただね、需要がない訳じゃない。欲しいっていう人間には売れるんじゃないかと――」
「――それは、"ぼく"のだ!」
大声は、すぐ後ろから。
振り返ると、先ほどの浮浪者がテオドアを見上げていた。
こうして対面すると、テオドアより頭一つ分ほど低いと分かる。いや、とんがり帽子のせいでそう見えるだけで、実際はより低いかもしれない。成人した小人種もだいたいこれくらいだが、どうやらこの浮浪者は人間の子どものようだ。十代半ばごろか。
肩くらいまでの青い髪、青い瞳。肌は
小汚い格好をしているかと思ったが、シワや汚れこそ目立つものの、衣類はそこまでボロボロではない。どころか、つばの広い帽子も、羽織っている暗い青色をした裾の長い上着も、それなりに質の良い素材が使われているようだ。厚地のエプロンを掛けていて、上着の下に隠すように肩から大きく膨らんだバックを下げている。
(……この匂い)
数日は入浴していないだろう、汗やら何やらの匂いに混じって、人工的な、鼻につく匂いが微かに感じ取れる。前面に大きなポケットのあるエプロンと、中身の詰まったバッグ……匂いのもとはそこだろう。
ただの浮浪者ではない。しかし、何かを判断するにはまだ情報が足りない。
……まあ別に、この子どもが何者だろうと構わないのだが。
「……コホン」
と、子どもがわざとらしくせき払い。
「お、おい店主、」
そいつは脅すように低い声をして、テオドアの後ろにいる金券ショップの店主に目を向け、
「さっき……も、"モディエル"って言ったな?」
「あぁそうだよ、たぶんお前さんの探してたやつだ。まさか本当に現れるとは……まあ、かといって、そう簡単に手に入るとは限らないがねえ」
「ん?」
テオドアは店主を振り返り、それから自分の手にある……今しがたゴミだと判断した、乗車券に意識を向けた。
状況は読めないが、金の気配には敏感な方である。
「そうか……、まさか、さっきの一瞬でくすねたのか。美人なうえにスリの才能もあるとは……」
ひとり頷く浮浪者である。
何か誤解があるようだが、わざわざ説明するいわれはない。そもそも、テオドアも状況を把握しきれていないのだ。
「そうだな、これも何かの縁だ!」
「――――、」
――では、あなたに良いご縁がありますように。
――また、縁があったらよろしくどうぞー。
二度あることは三度ある、そして三度目は必然である。"美少女教"の聖典、『蒼世紀』の一節だ。
それは、時間が前に進み続け後ろに遡ることがないように、物体が上から下に落ちるように、あらゆる
であるならば、この出会いは必然なのか。
「お、お前……"ぼく"に雇われないか? 乗車券はちょうど二枚あるんだ!」
「……いや、タダで渡す訳にはいかないな」
「かっ、金をとるのか!? それぼくのだぞ!」
なるほど、これが
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