吹雪 ふぶき 君と百年の恋

雨世界

1 もう一歩も歩けない。 そう思ったときは、私はあなたのことを思い出す。(……なんだか元気になれるから)

 吹雪 ふぶき 君と百年の恋


 もう一歩も歩けない。

 そう思ったときは、私はあなたのことを思い出す。(……なんだか元気になれるから)


 二人で桜の花を見ながら歩いているときに三ツ木吹雪が「もし生まれ変わったとしたら、なにになりたいですか?」と言った。

「私はたぶん魚になると思います。できれば可愛らしいお魚さんがいいです」と(そんなことを昨日、夢で見たので)吹雪は言う。

「僕はなんでもいいよ。吹雪。君と一緒なら」

 とあなたは出会ったときと変わらない、おんなじ子供みたいな顔で笑って、吹雪に言った。

「私も、あなたと一緒なら、可愛らしいお魚さんじゃなくてもいいです」と顔を赤くしながら吹雪は言った。

 年甲斐もなく、もうお互いに若くはないのに、私は少し子供っぽいのだろうか? もしそうだとしたら、それは出会ったときからずっと子供みたいなあなたのせいだとしわくしゃの顔を笑顔にさせて吹雪は思った。


 僕が吹雪さんと出会ったのは、本当に偶然の出来事だった。でも、それはある時期から振り返って考えてみると、僕たちの出会いはただの偶然ではなくて、必然であり、それはつまり、『運命の出会い』だったのかもしれないと、そんなことを夜眠る前にふと古き森からいなくなってしまった、……人間になってしまった、吹雪さんのことを思い出して、僕はときどき、考えることがあった。

 人間の国に行ってしまった吹雪さんは今頃、どうしているんだろう?

 ……吹雪さんは、その望み通りに人間になって、人間の国で幸せになれたのかな?

 そんなことを考えると、なんだか思考がぐるぐると同じところを回転してしまって、うまく眠ることができなくなった。

「……恋ってなんでしょうね? 恋ってどんな気持ちなのか、……君にはわかりますか?」 

 ずっとなにかの問題に悩んでいる顔をしていた吹雪さんは、僕の横でそんなことを言った。

 僕たちは大きな秋の色に染まった赤と黄色の落葉樹の根元に一緒に並んで座っている。

 そこで、涼しくなった秋の風を感じながら、ただ、ぼんやりと紅葉に色づいた森の木々と透き通るような気持ちのいい青色の古き森の空の風景を眺めていた。

 吹雪さんはその大きな黒色の瞳の上に銀色のメガネをかけている。その眼鏡の奥の大きな黒い瞳は、潤み、視線はどこかとても遠いところに向けられていた。いつもの、あらゆる真実や真理を見通しているような吹雪さんの透き通るような、あるいは少し攻撃的でさえあるような、そんな学問の果てを追求するような僕の大好きな瞳はなかった。

 このときの吹雪さんの瞳は、ぼんやりとしていて、このときは、どこかとても弱々しくみえた。

「わかりません。……言葉としては、一応、理解できるのですけど」と少しだけ困った顔をして僕は言う。

「私ね、実は、恋をしているです」

 ……はぁー、と本当にため息をつきながら吹雪さんは言った。

 吹雪さんは大きな木の幹の根元で、体育座りをしていたのだけど、さらにぎゅっと、まるで自分自身を抱きしめるようにして、小さく、丸くなるようにして、少しの間、そのままの姿勢でじっとしていた。

「普通の恋じゃありません。禁断の恋。決してしてはいけない恋を、……です」

 そう言って、吹雪さんは顔をあげると、僕を見て、とても悲しそうな顔で、……にっこりと笑った。

「……吹雪さん」

 僕は吹雪さんになにも言うことができなかった。

 僕は吹雪さんに、周囲の人たちを自然に照らし出すような、いつものような本当に明るい太陽のような笑顔で笑って欲しいと思った。でも、どうすれば、そんなことができるのか、今の僕には、……本当になにも、わからなかった。

 その日、僕は結局、吹雪さんになにも言うことができないまま、「じゃあ、私はそろそろ帰りますね。話を聞いてくれてありがとう」と吹雪さんが言って、僕の家の前まで一緒に帰って、さよならをした。

 吹雪さんが恋をした人間の男の人のところに行くために、古の森を抜け出して、人間の国に行ってしまったのは、それからすぐのことだった。

 その古の森を抜け出す前の最後の夜の時間に吹雪さんは僕の家を訪れた。

 とんとん、と玄関の扉をノックする音が聞こえる。

「はい。どなたですか?」

 僕は言う。

「私です。吹雪です。こんなに遅い時間ですけど、少しだけ家の中でお話をさせてもらってもいいですか?」

 その声は間違いなく吹雪さんの声だった。……でもなぜか、その声はいつもの吹雪さんとは、どこか違っているように僕には聞こえた。

「もちろんです。どうぞ」と僕はそう言って玄関の扉を開けた。 

 すると、そこには吹雪さんが立っていた。

 その少し恥ずかしそうな顔をしながら、夜の暗闇の中に一人で立っている吹雪さんの姿を見て、……僕はすごく驚いた。

 なぜならそのとき、吹雪さんはもう絶対に飲んではいけないと言われている古の森の秘薬を飲んで、『一人の人間の女性になっていた』からだった。

「こんばんは。……どうかな? 変かな?」

 と、その美しい顔を赤く染めながら、人間になった吹雪さんは、呆然とした顔をしている僕にそう言って、小さくにっこりと笑った。


 それから数十年後に吹雪さんは人間の国で天寿をまっとうして亡くなった。(人間にならなければ、何百年も生きられたはずなのに)こっそりと人間の国にいって、人間になった吹雪さんのことを聞いてみると、吹雪さんとその旦那さんはおばあちゃんとおじいさんになってもとても仲良しで、吹雪さんはおじいさんに看取られて、亡くなる直前まで、とても幸せだったとみんなが言った。


 吹雪 ふぶき 君と百年の恋 終わり

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