七日目
「゛マ゛コ゛ー゛ミ゛ッ゛ク」
「はは、もう入れてもらっていいか? 後ろが結構大変なことになってて」
「あぁ入れるよ、今すぐ入れるさ。フィオナもいいよな?」
「……」
「まぁあいつのことは気にしないでくれ」
「ありがとう、ロイド」
「……来たのね、ケン、ケネス、ケニー。どの名で呼んだらいいか……わからない……けれど」
「……なぁロイド。彼女を楽にしてやらないか? とても辛そうだ」
「マコーミック?」
「もういいだろロイド」
「何がだ? もしかして打開策があるのか?」
「打開策? そうだな……それは彼女次第だが、もしかしたらお前も受け入れてもらえるかもな。あいつらと違って」
「受け入れる? あいつら?」
「ちょっとそのペン貸してくれ」
「お、おう」
インクが切れたから、ちょっとメモをしたいから、そんな顔と声でのマコーミックの要求に、ロイドは普段通り、しょうがないなという心持ちで、持っていたペンをマコーミックに手渡した。
「ありがとう」
マコーミックは聖母のような微笑みを携え、床に座るかのような動きでフィオナのもとに跪き、彼女の腹にうごめくモノをそのペンで突き刺した。水面に落ちた絵の具のように、青紫がじわじわと彼女の全身を覆っていく。
「ぐ、うっ……」
「マコーミック……? 何してるんだお前! フィオナ!」
「ロイド、お前にゃ人は殺せんさ。せめてもの情だ」
「がぁっ……ううぅぅぅぅ」
フィオナの全身が強く跳ね始めた。人間には到底真似のできない、まるで猛獣に襲われているかのような動きであった。ロイドはその異様な光景に腰を抜かしたが、なんとか立ち直る頃にはフィオナの動きも落ち着きを取り戻していた。しかし、今まではブレて見えなかったその外見は特殊メイクでも施したかのようになっていた。肌は青く、身体の節々からは見覚えのある触手が生え妖しく脈打っていた。そして何より、外見年齢が小学生から中学生くらいに変化していたことに、ロイドは目を疑った。
「久しぶり、フラン」
「久しぶりね。また会えて嬉しいわ。でも最近はもう片方の私とだいぶ混ざっちゃったから、昔みたいな純粋さはだいぶ消えちゃったけどね」
「何を言うんだ。俺からすれば君はまだまだ子供さ」
「私は大人扱いしてもらったほうが嬉しいけどなー」
「はは、ごめんよ」
「それで、私は外にいる彼らに祝福を与えればいいのかしら」
「そうだな。扉を開けるよ」
マコーミックが扉を開けるのを、ロイドはただ黙って見ることしかできなかった。須臾のようで永遠である一秒一秒が全身に重くのしかかり、考えている間に扉はどんどん開いていく。結局、ロイドの肉体が動きを取り戻したのは、扉が完全に開き、部屋に入ってきた虚ろな目をした人間の一人にぶつかられた瞬間であった。
「はーあ。あと何人いるのかしら」
「ごめんよフラン。あと十倍はいる。性質上、彼らを放っておくことはできなくてね」
「私からすれば必要なのはケニーあなただけなのに。まぁ、私自身も性質上やらなきゃいけないのはわかってるんだけど。ほいっと」
変貌したフィオナがさっと腕を伸ばすと、陽炎のようなものが幾人かの身体を貫いたように見えた。瞬きをすると、その瞬間に彼らは気色の悪い触手へと変貌していた。
「?」
ほいっほいっとティーバッティングで飛ばされるボールのように人間たちが触手へと変えられていく。
「この部屋狭い。少し遠くへ飛ばすね」
それ以降、彼女の宣言通り触手が部屋を埋め尽くすことはなかった。
「これで最後? じゃあ、ばいばい」
最後の数人が消え、彼女はやっと終わったとため息をついた。
「お疲れ様、フラン」
「ええ、とても疲れたわ。あと一人ね」
「……すまんな、ロイ」
不自然に言葉が途切れたので顔を上げると、そこにマコーミックの姿は無かった。
「……フィオナ? マコーミックは?」
「マコーミック……? ああ、ケニーね。彼がどうしたの?」
「もしかしてあいつも触手に……?」
「そうよ。これが私の信者たちの最高の幸せだから、彼もそうしてあげたの。喋り足りなそうだったから最後まで残しておいてあげたけどね。さすがに飽きちゃった」
「お、俺もそうなるのか」
「ううん、あなたは生かすわ。うーん、彼らも生きてるといえば生きてるのかしらね。付け足すならビリー、あなたの自我を保った状態で生かす、という方が正しいわね」
「ど、どうかしてる、今更だけど、俺は逃げる逃げるんだ」
ロイドは部屋を飛び出す。触手に覆われた廊下をただひたすら走るが、出口は見えない。
「そ、そうだ、どこかに隠されているんだ」
いつかの記憶を頼りにうごめく廊下を叩いて回るが、一向に通路は見えない。
「う、うわぁぁぁ」
ロイドは耐えかねてその場にへたり込んだ。すると今までうごめくだけだった触手がずるずるとロイドの方に集まり始め、一瞬で身体を包みこんだ。
「ごめん、ごめんね。お姉ちゃんやっぱり一人はさみしいの。でも、これからはずっといっしょだからね。もう離したりしない」
ロイドは脳内に響く、温かさと少しの悲しさを湛えた声になぜか安堵感を覚えた。もう恐怖に晒されなくていいんだ、深淵に落ちて、ゆっくりしてもいいんだとロイドは思った。
ロイドの形はすっかり消え失せ、触手のうごめく音だけがプラント内を支配した。そして深海プラントファーティリティは理を外れた神の化身の手に落ちたのであった。
深淵のあなた muneko @Relictum104
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