六日目

「そうね、まずは外の人たちが何かっていう話。あの人たちは皆ここの研究員よ。警備の人や管理の人もいるかも。次に彼らがおかしくなっているのはほぼ間違いなく私のせい」

「要領を得ないな。何かをした自覚が無いのか?」

「ええ。私が人間じゃないのはあなたも知っているでしょうけど、実は私……」

 フィオナはゆっくりとキャミソールの裾をめくった。ロイドは「いきなり何を」と後退りしたが、彼女の腹に脈打つモノを見て動けなくなった。

「これ……何だと思う?」

「何って、こんな禍々しい色合いの触手映画でしか見たことない……いや、まさか」

「そのまさかよ。あなたがさっきまで居た空間に生えていた触手は、全部私のものなの」

「そうだ、あの空間も意味がわからない。俺は瞬間移動でもしたというのか」

「ううん、違うわ。でも夢でもない。そうね……簡単に言うなら別世界、かしらね」

「はぁぁ?」

「ほら、私のお腹に埋め込まれたこの臓器、実は神様のものなの」

「???」

「でも神様と言ってもまともなものじゃないわ。邪神かしらね。たまたま人間に擬態したまま瀕死になっていたところを捕まえたらしくてね。まぁ、その臓器を人間に移植したらどうなるかってことで……」

「いや、邪神が……? 本当についていけない。ついていけないが、とりあえず置いておこう。それで?」

「他にも何人かいたんだけど、耐えられたのが私だけで、ずうっとずうっと乗っ取られないように頑張っていたわ。でも、もうだめみたい」

「だめみたいって……じゃあ乗っ取られたらどうなるんだ?」

「それがさっきまであなたが居た触手だらけの空間よ。私が耐えきれずにだめになった世界ということね」

「じゃあ俺は終わった世界からまともな世界に移動したってわけか」

「ううん、それも少し違うわ。ちょっと前、一日分の記憶が無い、ってことがあったわよね?」

「なんでそれを……まぁ、そうだが」

「あなたの時間、一日分貰っちゃった。で、その一日が今のこの空間よ」

「むむ……しかし、前日の記憶が無いだけで普通の世界だったじゃないか」

「だからこれはその前日の記憶。あなたが次に目を覚ませばそこは明日ではなく、明後日かそれとも明々後日か……」

「はぁ、なるほど。で、俺が次に目覚めるのはこの世界か? それとも終わっている世界か? いや、この世界も終わっているか……苦しそうだな」

「ええ、とっても……。もし私の……口調が……変になったら……」

「変になったら?」

「──ちょっとドアを開けてくれないかしら? ビリーさん大丈夫よ、あの人たちなら今はおとなしいわ」

 変になったら……ドアを開ける。ロイドは言われたままに恐る恐るドアを押し開いた。

「ほ、本当だ」

 虚ろな目をしていることに変わりはなかったが、皆その場で立ち尽くして恍惚な表情を浮かべている。すると、どこからか叫び声が聞こえてきた。

「Yee-Tho-Rah。我らが主よ」

 その叫びは十秒も経たぬうちにシュプレヒコールへと変わった。音の重さからして、目に見える以上に人が押しかけてきていることは明白であった。ロイドはその合唱に圧倒され、思わず一歩引き下がった。

「──だめ! 閉じて、今すぐ!」

「うわっ」

 ロイドは反射的に扉を閉じた。まるで年長者に注意されたときのような反応速度であった。

「な、何がなんだか」

「ごめん……なさいね」

「俺はどうすればいいんだ」

「──私を刺して。ほらそこにあるペンでもなんでもいいわ。このお腹のうねうねをぐさっとね。そうすることですべてが丸く収まるわ。丸く……収ま……る? だめよ、そんなことをしちゃ、ほら、この首を狙ってぐちゃぐちゃにして、頭でも心臓でもいいわ。もう耐えられないの、ごめんなさい、ゴメンナサイ」

「おい、どうした、耐えられないのか……?」

「早く、ハやく、ハヤク」

「なんだよ、なんなんだよーっ! 人なんて殺したことねーよ! やっぱり俺がおかしくなっているんじゃないのか! クソッ」

 ロイドは壊れた人形のように喋り始めたフィオナから逃げるように、部屋の隅で縮こまった。咄嗟に手に取ったペンを握りしめ、ガタガタと震えていた。これでフィオナの腹を刺すか、首を刺すか、自分を刺すか、それとも部屋を出て必死に走るか。

 ドンドンドンドン。鉄扉が音を立てた。ロイドは涙を流しながらいっそう強くペンを握った。

「うぅ……。もう放っておいてくれよぉ」

「おい! 誰かいないか! おい!」

「マコーミック……? マコーミックか!」

「……もしかしてロイドか? 助けてくれぇ! 入れてくれぇ!」

「ま、待て! 今開ける!」

 声を真似ただけの化け物がいるという可能性も一瞬頭によぎったが、考えるより早く体が動き、鉄扉を押し開けていた。

「マコーミックだ……本物か?」

「あぁもちろん。お前はロイドで奥にいるのは……フランだな」

***

「クソッ、だから俺は嫌だったんだあんな得体のしれないものを生かしておくなんて。ここの所長になってたった一年。ふっ……世界滅亡の責任者、か。もはや責任を追求してくれる世界も無いが。このドアを開けるとまぁ、色々いるんだろうな。所長室は安全だからって、聖域だからって聞いていたが本当に大丈夫とは思わなんだ。しかし、結局その技術も敷衍する前に世界は終わる。……始末書兼遺書でも書くか。『この度は私の失態及び監督不行き届きにより、世界を滅亡へと運んでしまいました。謹んでお詫び申し上げます。責任の所在につきましては、すべて私にあります。もし責任を取らせたい場合やどうしても気持ちが収まらない場合は、どうぞ私の遺骸を損壊なさってください。祟ったりはいたしません。それでは。』……はぁ。そういえば棚の奥に酒が置いてあったな。服にくっついてたこの触手を肴に一杯やるとするか」

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