天国に一番近い〇〇
もちもち
天国に一番近い〇〇
「天国に一番近い島」
「ニューカレドニア」
深夜のコンビニ。
一番暇な時間帯に、時間つぶしに持ってきた旅行雑誌をレジに広げながら、俺と守山は「とりあえず目についた言葉を声に出す」をしていた。
とにかく、暇なのだ。
一枚壁に貼っておけば様になるような、THE リゾート地といった青い空と白い砂浜、遠浅のエメラルドグリーンに桟橋が掛かり、その先に並ぶ水上コテージ、青から紫へとグラデーションを作る夕景。
これが実際に、この暗さと寒さの真っただ中のコンビニと同じ世界にあるというのだから、不思議というよりも切なくなってしまう。
天国に一番近いと言われれば、確かに天国を冠していいだろう。
「フランス領下でね、ここ数年、先住の人たちの暴動が激しくなっているみたいだよ」
そんな俺の感傷を吹き飛ばしてなんぼの守山である。
空気を…… 読まない、のか……?
「元々、先住の人たちを中心に植民地支配からの独立を目指す運動はずっとあってね。
独立の賛否を問う住民投票も行われているけど、僅差で反対が勝っている」
「独立を目指しているのに?」
住民投票で賛成圧勝とならないのはなぜだろう。
思わず守山の顔を見ると、彼は美しい青い海に目を落としながら答えた。
「ヨーロッパからの移民が多くいるんだよ。
彼らはフランス領下であることを望んでいる」
「住民投票の住民とは」
そりゃ確かに移民も住民だろうけども。
その独立賛否の投票は、意味のあるものだろうか。
「どこかの国の配下になるって、そういうことなのかもな」
この国をして、よく天国に一番近いなどと言ったものだ。と、つい十数秒前とは掌を返すような感想が出てくる。
しかし雑誌の風景は色褪せず美しく、それはそれで皮肉が効いていた。
「単純に景色が綺麗ってことで天国というなら、守山はどこが天国に一番近いと思う?」
話を変えたくて、俺は適当な条件で守山に質問を投げた。この時間に重い話は体力ごと気力を持っていかれてしまう。
深刻な問題であることは分かったが、俺はあと4時間はレジに立たなければならない。
「うーーん、綺麗な風景かあ…… ウユニ塩湖とか、かな。
死ぬまでに見たい絶景と言われると、案外意味合いとしても天国に一番近そう」
それは俺も知ってる。
薄い水が張った湖面が鏡となり、満天の星空を映し返す写真を、SNSでたくさん見てきた。
星を愛する男、守山らしい風景だ。
「水が張るのは雨季の時期だけらしいよな。
それも風が凪いでるタイミングじゃないと綺麗に映らないし、風が吹けば吹きっ晒しだから、張ったテントが潰れるくらい強風にもなるって」
「へえ」
俺の小ネタに、守山が顔を輝かせた。あ、これは。
「待て、SNSで知ったんだ」
「よく知ってるなあ、松島」
く……、防ぎきれなかったか。
普段自分から何かネタを披露しない俺が、たまに口を滑らせてどっからでも仕入れられそうな雑談をすると、守山はキラキラとした顔で褒めてくれる。
褒められて嬉しくないわけではないが、苦労して手に入れた情報でもない。なんだかむずがゆいのだ。
「そうか、そうだよな、東京都の5倍の面積らしいし、塩湖内の高低差は最大50センチだそうだ。だから水が偏らず、薄くも張るのだろうけども。
風を遮るものが一切ないもんな。
綺麗な風景の隣には、過酷な環境があるってことか」
そうして、俺の情報よりもずっと詳しく、奥深い知見を返される。
このギャップで、自分の薄さをじわじわと感じてしまうというか……
「松島の美しい風景はどんなところなんだ」
俺の勝手な劣等感を察しわけでもなかろうが、守山が順番に尋ねてくる。
俺は一瞬浮かんだ風景があったが、それを言ったときの守山の満面の笑顔が想像できたので、俺は別の風景を答えた。
「美しいってわけじゃないんだが、小学校の頃、教室の窓から緑色の空を見たことがある。
あれは怖かったけど、不気味で綺麗だったな」
「緑の空」
ふむ、と守山は顎に手を添える。
もしかしたら俺の記憶違いや夢かもしれないのだが、守山は俺の話をそのまま飲み込んでくれるので嬉しい。
「太陽が沈む一瞬に、緑色の光が発生する現象があるけど、今の松島の話だと空全体が緑だったってことだよね」
「そう、だな。まだ授業をしてたから、日没って時間でもなかったと思う」
小学校の前半くらいだったと思う。二階の教室の窓からだったのを覚えている。これだけ強烈に記憶に残っているのだから、少なくとも夢ではないだろう。
守山はなるほど、と頷いた。
「正確には分かってないけど、嵐のような水分を多く含んだ雲に通された青い光と、太陽本来の赤い光が混ざって緑になるって言われてる現象もあるらしい。
去年だったか一昨年だったか、アメリカの方でも空全体が緑になったってニュースを見た覚えがあるな」
なんでそんな特殊なニュースを仕入れているのだろう。
どの辺にアンテナを張っていれば、そういう面白そうなニュースを拾えるのか気になってしまう。
「映画みたいな空してたよ。
いいなあ、それを松島は見たんだな」
しみじみと守山は頷いていた。
この緑の空は嘘ではないが、俺が最初に浮かんだ空は、自室から見える真っ赤な夕焼けだった。
学校から帰ってきた二階自室の窓から、大きく開けた空の赤。
電柱の配線や乱雑な住宅の屋根が窓枠内に入り、雑誌のニューカレドニアの夕暮れの美しさには遠く及ばない背景だが、あれほど落ちつく夕景もない。
といったことを守山に話すと、彼はにっこりと笑うのが想像できたのだ。
「思い出って美化されるよな」
なんて言われた日には、おでんのつゆを彼にぶちまけてしまうかもしれない。片付けちゃったけど。
「天国ってどんなところだと思う、松島」
俺の空想の守山ではない彼は、唐突にそんなことを聞いてくる。
改めて問われて考えると、割とふんわりしていることに気づいた。
「争いが無くて、つらいこともない、雲の上、みたいな。
なんだっけ、故人を想うと天国のその人に花が降るって話なかったか」
「あ、それなら俺も知ってる。綺麗な話だよな。
あれの元ネタはなんなんだろう。仏教の散華とかから来てるのかな」
仏教の散華までは分からないが、「俺も知ってる」の「俺も」は、本来俺の方だったような気もする。
ともかく、天国とはそういう苦難のない場所である、と思うのだ。
「俺も松島と同じ天国のイメージだな。
じゃあ松島、そのイメージに一番近いところってどこだ」
なんと。今度は見かけではなく中身を定義するのか。
「さすがに雲の上は現実的に過酷な環境下だから、この要素はいったん外して」
さすがにそれだけ条件から外されても、ピンとくるものはない。
「もうちょっと、もうちょっとだけ詰めさせてくれ」
「うん? ああ、もちろん」
もちろん、守山はOKを出してくれる。
そして、要素の追加をリードもしてくれた。
「そうだな…… さっき、松島は『争いがない』って言ってたよな。
争いがないってことは、どんなことだろう」
「みんな仲良しってことじゃないのか」
「あはは、松島って可愛いんだな」
朗らかに守山は笑うので、これが悪意ではないことは分かる。
そうでなければ、熱熱の肉まんの底を顔に押し当てているところだ。
「どうやったらみんな仲良くなるんだろう。
相手を思いやっても、争いって起こると思うんだよな」
ここに進んだところで、俺はこの話題が案外深い話になることを察した。
守山との会話は、水底が突然深くなるような川遊びに似てる。
「誰かの幸せは誰かの不幸だって話もあるな」
「みんなの願いは同時に叶わないってね。
そうすると、願うことがすべての元凶になってくる」
不穏な流れだな……
俺はちょっと発言を控え、守山の言葉を待った。
「天国には願い事が無い。
そもそも何も不足していないし苦しいことも無いのだから、願うこともないよな」
「天国にいる限りは、だ。
まだこっちにいる人の心配とかしないんだろか」
「『早くこっちに来ればいいのに』?
そうだなあ、この気持ちも無いのだとしたら、天国にいる存在は、誰かのことなんて興味がないんだろうな。
知りたい、て感覚がない。
だから辛いことも悲しいこともない」
「……」
故人を想っても、故人はこちらに見向きもしないのだろうかと考えると、結構悲しいものがある。
「拗らせたホラージャンルしか思い浮かばなくなってきたんだが」
「火種を追加する可能性が高いけど、知ってるかい、松島。
天国には
盛大な火種だ、守山よ。なぜ投下した?
ニューカレドニアの輝く浜辺や、神秘的な夕暮れの中に、微笑みしかない光景を思い浮かべた。そしてその人たちは、こちらには全く干渉せず遠くを眺めているだけで。
「て、ところなんだけど、どこか思いついた?」
「この流れで?」
雑な話の戻し方をする守山にびっくりする。
逆にこれで思いついてしまう場所があるなら、行政などの公的機関に報告した方がいいのではないか。正体不明の宗教団体だこんなの。
「じゃあ、そうだな。もう少し受け取りやすい表現にしてみよう」
「表現の問題だったろうか、今の」
「何事も試してみないと分からない。
『何も考えることをしない』のが、天国」
う、うーーーん…… 途端にドラッグが蔓延してきたみたいな……
俺は腕を組んでしまいそうになったが、確かに先ほどの微笑みしかない世界に比べれば、想像の余地があるような気もする。
「何も考えない、何も考えない、ね。
居酒屋とか。お酒を飲んで思考がぶっ飛んでる」
「松島ってそういう飲み方するのかい。
お酒はなあ…… お酒が無くなったらお酒が欲しくなっちゃうだろうし」
「ああ、そうか、願わないってのは変わらず条件にあるんだな」
何か守山に心配されたような気がしたが、気づかなかったことにしよう。
望まない。望む必要のない天国。
頭が空っぽになる天国。「あ」
ぽん、と転がりでるように、一つ、そんなところがあることを思い出した。
「あれだ。
バイトから帰った瞬間の自分の部屋。
一瞬だけどな、なんも考えない瞬間がある」
早朝、季節によっては夜と朝が混ざって、今自分がどこにいるのかもふわっと宙に浮いてしまう時間帯。
部屋の扉を開けると、狭いキッチンを抜けてまっすぐ、部屋のカーテン越しに透ける朝のほのかな光を見るともなしに眺めて、荷物を置く。
その瞬間。
記憶にすらないほど、頭の中が空虚だ。
「はーー……、なるほどね。それは、もしかしたら一番真理かも」
至極感心するように、守山は頷いた。
「安らいでるとか、安心してるとか、そんなもんも無いんだけど」
「いやいや、ならそれこそが、だよ。
感情って、すべて相対的に発露されるものだろ。その波が、天国にはないんだ。
だから思い煩うことがない─── 苦難が無い」
「さっきからずっと思ってることがあるんだが……」
守山の天国観を聞きながら、俺はずっと引っかかってる話があった。
「生きていることが苦痛なら、すべて皆殺しにすることが幸せだ、みたいな話をしてるのか」
「ははは、まさかそんな、反出生主義みたいな」
俺の不安を、守山は笑い飛ばした。なんだっけ、その主義…… 聞いたことはあれど中身を思い出せない。
だが、言葉の響きから人間賛歌を謳うものでは無さそうだ。
どうにも不穏なフレーズしか出てこなかったので、ちょっと深夜に不安になってた俺は胸を撫でおろした。
「
だから、仮に天国がそういう場所なのだとしたら、
そこにいるのは俺たちとは別の存在だと思ってる」
なんて言って守山は微笑むので、先ほどの彼の言葉を思い出した。
お前が天国に一番近いのでは?
(天国に一番近い〇〇 了)
天国に一番近い〇〇 もちもち @tico_tico
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