月光少女人形~セレナイトドールとメイドのエレン

宵宮祀花

純白の人工少女人形

「お早う御座います、お嬢様」


 レースのカーテンを開けて、窓も開いて。

 月明かりが差し込む夜空を見上げてから振り返り、大きな天蓋付きベッドに向けていつもの挨拶をした。

 お嬢様から返事はない。けれど、わたしは気にせず外に向き直る。

 窓の外には大きな月がある。もうすぐ真夜中だ。


「此処に来てもう一年かぁ……」


 長かったような、短かったような。

 思い返せば、不思議な依頼だった。


 とあるお金持ちのお爺様が、うちのメイド派遣事務所に依頼を持ち込んだ。

 離島のお屋敷に住み込んで、一年間孫娘の世話をしてほしいというものだ。

 依頼を受けるに当たって条件は三つ。

 お嬢様を日の光に当てないこと。

 代わりに毎晩一時間ほど月明かりに当てること。

 そして、毎日必ず話しかけること。

 生活に必要なものは都度届けさせる。それとは別に、給金も支払う。外泊は禁止。まあ、毎日話しかけなきゃいけないのに旅行なんて行っていられないからね。

 屋敷に閉じ込めることになるので、娯楽に関するものも好きなだけ頼んで良いし、屋敷にあるものは何でも使って構わないとも言われた。メイドだからと屋根裏部屋に泊まらなくていいし、何なら元奥方の寝室を使ってもいいとまで仰っていた。

 わたしも所長も、最初は物凄く警戒した。

 だって一年間住み込みでお嬢様のお世話をするだけで物凄い額が支払われるから。そのお嬢様がとんでもないワガママだとか、気難しくてどうしようもないとか、逆に病弱でちょっとでも間違ったら死んじゃう可能性があるかもとか。そしたらわたしに責任を押しつけて、事務所に高額の賠償金を支払わせるつもりなんじゃないかとか。

 お客様に対してあまりにも失礼な妄想が、頭をグルグルと巡ったんだけど。


「此処のメイドは与えられた仕事を必ずこなすと聞いてきた。あなた方に断られたら他に行くところがないのだ。どうか、お願いしたい」


 真摯な顔でそんなこと言われたら、ぐっときちゃうでしょう。

 メイドなら何でも良くて適当に入ってきたんじゃなく、選んでもらえたんだって。たとえ舌先三寸の社交辞令だとしてもうれしかったの。

 とはいえ一年間事務所を、住んでる街を離れられるメイドはそう多くなくて、結局親兄弟も恋人も伴侶もおらず、街でしか出来ないハイソな趣味があるわけでもない、全く以て身軽なわたしが選ばれた。


「お嬢様、今日はなにを読みましょうか。昨日のドラゴンと騎士のお話の続きなんてどうですか?」


 相変わらず一方的に話しかけながら、わたしは持ってきた児童書を開く。

 挟み込んでおいた押し花の栞を取り出してエプロンのポケットに入れ、昨日読んだ続きに目を落とした。


「昨日はドラゴンと騎士がお別れしたところで終わりましたから、その続きですよ」


 スッと息を吸い、文字を目で追いながら物語を読み上げる。

 辺境の土地でドラゴンと共に戦い、国を救った騎士は、一人王様の元へと戻った。王様が何でも褒美を与えると言ったので、騎士は自分が戦った辺境の山付近に自分も住みたいと申し出た。救国の英雄が王都での贅沢な暮らしも、ひっそりと秋波を送る美しい姫との婚約も望まず、なにもない辺境の地での暮らしを望んだことは、国中を賑わすニュースとなった。なんて無欲な人なんだ。もしまた魔物が来たら、彼は地の果てでひとり戦うつもりなのかも知れない。そんな噂が駆け巡る。しかし一人だけ、納得できない者がいた。密かに騎士を想っていた姫だ。姫は視察と称して辺境の地を訪れ、そして――――其処で、救国の騎士がドラゴンと共にいる姿を見てしまう。

 姫は城に帰り、一人部屋で泣き崩れた。それは、選ばれなかった悔しさからでも、悲しさからでもなかった。ドラゴンと騎士の深い絆をたった一目で理解したからだ。愛とも情とも言い表せない、一言で表現することなど出来ない無二の絆。国のための道具として生きて来た姫は、彼らの眩しい絆に両目を焼かれた心地だった。

 そんな、ひとり静かに涙する姫の様子を見ていた者がいた。姫の兄でもある、国の第一王子だ。彼はあの騎士が姫を手ひどくふって追い返したのだと誤解をし、兵士を募って騎士の元へと攻め入った。


「……ああ、もうこんな時間ですね。続きは明日に致しましょう」


 栞を挟んで本を閉じ、窓を閉めてカーテンを閉じる。

 そしてベッドの天蓋から垂れ下がる、舞台の緞帳のように重厚感溢れるカーテンに手をかけて、お嬢様を見下ろした。


 絹糸のようにサラサラの長い白髪。真珠のように白い肌。伏せられた睫毛は長く、頬にうっすらと影を落としている。胸の上に組まれた手は硝子細工のように繊細で、純白のネグリジェに包まれている姿は、永遠に穢れを知らない無垢な花嫁のよう。


「お休みなさいませ」


 挨拶をしてカーテンを閉じると、本を持って部屋を出た。


「明日で最終日かぁ…依頼者様は、どうやって一年間ちゃんと仕事したか見るつもりなんだろう。お嬢様から評価を聞くなんて無理だろうし……」


 何故なら、お嬢様は――――それはそれは精巧に作られた、お人形だから。


 一年間。

 わたしは寝顔の形に作られた美しい少女人形を相手に仕事をしてきた。

 夜にカーテンを開けて小一時間ほど月光を浴びせ、そのあいだ語りかけるだけの、とっても簡単なお仕事だった。人によってはやりがいを感じないとかで気が狂うかも知れないけれど、わたしはそういうの全然何ともなかったから。

 それにこんなこと言うのもだけど、病気で眠り続ける患者さんの相手とかも何度かしたことあるし、それと似たようなものと思えばどうってことなかった。

 なにより屋敷を出ないっていう縛りはあるけれど、わたし個人の娯楽もある程度は融通が利いたから。お陰で屋敷の本は、お仕事を始めたときと比べてだいぶ増えた。お庭だって凄く綺麗で、品種まではわからないけどいまは淡いピンクの薔薇が見頃を迎えている。白いフレームで作ったアーチにも薔薇が咲いているから、もしお嬢様が此処に立ったら凄く絵になるんだろうなと思う。


「この本も明日には読み終わるし、丁度良かった。読み聞かせは昼になっちゃうけどカーテンを開けなければ大丈夫だよね」


 本を書棚に戻して一人呟く。

 独り言が増えてしまうのは仕方ないと思うの。だってこの屋敷には、返事する人がいないんだもの。

 明日は庭に出てみるのもいいかも知れない。最後だからこの綺麗な景色をしっかり目に焼き付けておきたいし。

 そんなことを考えながらベッドに潜り込んで、目を閉じた。


 * * *


 ――――翌朝。


 わたしは体に違和感を覚えて目を覚ました。

 一人でベッドに入ったはずなのに、誰か隣にいるような。妙な感覚。


「…………!?」


 そう思った瞬間、わたしはガバッと跳ね起きた。


「お嬢様!?」


 わたしの隣には、寝室に寝かせたままだったはずのお嬢様がいた。しかもお嬢様は横を向いていて、わたしを抱き枕にする格好で寝ている。


「え、ど、どうして!? 悪戯!? それともドッキリ!? だとしたら、いったい誰がお嬢様を……っていうか朝日!!」


 わたしのベッドに天蓋はない。窓のカーテンは閉じているけれど白いレースだから朝日は入り放題だ。直接ベッドを照らしているわけじゃないとはいえそれでも最初にわざわざ注意として言ったってことは、少しでも浴びせちゃ不味いんじゃない!?


「と、とりあえず、お布団で何とか……」


 わたしが跳ね起きたせいではだけたお布団をお嬢様にかぶせる。と、お布団の下でもぞりと動く気配がした。


「…………え……!?」


 目の前で、勝手にお布団がめくり上げられていく。

 その下から、月光のように美しい白髪の頭が現れて、色白の肌を持つ細い手指が、腕が伸びてきて、そして――――


「お……嬢、さま……?」


 一年間閉じたままだった瞼が、ゆっくりと押し上げられた。


 息が止まるかと思った。

 けれどそれは、人形が動いた恐怖だとかそんなんじゃなくて。

 わたしの肩に腕を絡めて微笑むお嬢様の瞳が、あまりにも美しかったから。

 何処までも澄んだ、限りなく透明に近い水色。キラキラと光を反射する大きな瞳はいままで見てきたどんな宝石よりも美しい。ずっと目を閉じた状態で作られたのだと思っていたから、白い瞼の下にこんな綺麗な瞳が隠れていたなんて思わなかった。

 お嬢様はにこりと微笑んで、わたしを抱きしめた。


「ええと……どうしようかな……」


 お嬢様が起きていることも、ご依頼主様がいらしたら何て説明するかって問題も、お仕事失敗扱いになるんだろうかという不安も、頭の中で絡まった毛糸みたいになるばかり。でもお嬢様はわたしの心配を余所に、抱きついたままスリスリしてくる。

 取り敢えず、そうだ。着替えようそうしよう。整容は一日の始まりだからね。


「お嬢様、お着替えしましょう」


 肩に触れながら言うと、お嬢様はことりと首を傾げた。

 そっか、ずっと眠っていたからお着替えなんかしたことないのかな。こんな綺麗に作られたお人形なら、着せ替えるのも楽しそうなんだけど。でもまあ、ご依頼主様は随分お年を召された方だったし、等身大のお人形の着せ替えはちょっと大変かもね。


「まずわたしが着替えるので、待っていてくださいね」


 お嬢様は素直に頷いて、ベッドの上で待機の姿勢を取った。

 いつものようにクローゼットからメイド服を取り出して、順に着替えていく。鏡の前で髪を纏めてメイドキャップに収めると、準備完了。

 そうして振り向いたわたしを、お嬢様のキラキラな瞳が迎えてくれた。


「お嬢様はどんなお召し物が良いでしょうか……お部屋に確かクローゼットが」


 其処まで言いかけて、語尾がぷっつり途切れた。というのも、お嬢様がベッドから降りてわたしの傍まで来たかと思うと、わたしのメイド服をつんと摘まんだからだ。


「お嬢様?」


 またツンツンと引かれる。


「……もしかして、これと同じのが良いのですか?」


 今度はパッと笑顔になって頷いた。

 お嬢様に使用人の服を着せるなんてという気持ちもあるんだけど、もし駄目だって言って哀しい顔になられたら、わたしの心臓が持たない気がする。

 期待に満ちた瞳が、わたしをじっと見つめている。

 ねえ、このキラキラおめめに勝てる人いる? わたしは無理。


「わかりました。服はお揃いにしましょう」


 再びクローゼットを開いてメイド服を取り出し、お嬢様のネグリジェを脱がせると丁寧に着せ替えた。やっぱり体を見てもお人形なのは間違いないみたい。

 もしかして機械化兵かなって思ったけど、あれは戦争のための人体強化術であって綺麗なお人形を作る技術じゃないし……いったい何の目的で作られた子なんだろう。


「はい、出来ました。髪はせっかく綺麗なんで後ろで編み込むだけにしていますよ。ほら、可愛いでしょう?」


 背後に手鏡をかざして姿見の前に立たせると、お嬢様は元からキラキラな目を更にキラキラさせた。本当に、お人形さんとは思えないくらい表情豊かだ。


「今日は旦那様がいらっしゃるので、そのときまでゆっくり過ごしましょうね」


 最終日はお嬢様のために時間を使うつもりで、前日にお掃除やお洗濯の大半は全部済ませておいたから、本当にゆっくり出来る。


「そうは言っても、なにをしようかな」


 わたし一人ならお庭でお掃除しつつ散策でもと思っていたけれど、お嬢様をお外に出すわけにはいかないし。

 突っ立ったまま考え込んでいたら、お嬢様がわたしの手を引いた。


「何処か行きたいところがあるんですか?」


 お嬢様はこくんと頷くと、わたしの手を握ったまま歩き出した。扉を開けて廊下に出ると、迷いなく進んでいく。その行き先は、わたしにもすぐわかった。


「書庫……」


 お嬢様は書庫に入るとなにかを探す仕草をして、やがて一冊の本を取り出した。

 それはわたしが昨晩読み聞かせた、ドラゴンと騎士のお話だった。


「これ、読めばいいんですか?」


 お嬢様が頷く。期待の眼差しが注がれる。

 読み聞かせ自体は別に、今日の予定でもあったから構わないし、まあいいかな。

 問題は何処でってことなんだけど。お嬢様も本も日に当てないほうがいいだろうし一階の居間にしよう。


「それじゃあ、座って読みましょうか。此方へどうぞ」


 今度はわたしからお嬢様の手を取り、一階の居間に向かった。

 此処には暖炉があって、大きな窓もあって、部屋自体はとても明るい。けれど窓の傍を避ければ日が当たらないところもあるし、ゆっくり寛ぐには丁度いい空間だ。


「お嬢様、どうぞおかけになってください」


 ソファを示して言うと、お嬢様はいそいそと腰掛けた。

 そして隣の座面を手のひらでぽんぽんと叩いて、わたしを見上げてくる。


「畏まりました。ではお隣失礼しますね」


 お嬢様の隣に腰掛けたわたしの肩に、小さな頭が寄り添った。

 仕草がいちいち可愛らしくて、つい諸々の現実を忘れて和んでしまう。

 せめてご依頼主様がいらっしゃるまでは、この可愛さに浸っていたい。


「読みますね」


 そう言って栞を挟んでいたところから、読み始める。

 城内が騒がしいことに気付いた姫が訪ねれば、兄が騎士の元へ攻め込んだという。姫は青ざめ、供も連れずに馬車に乗り、兄を追った。

 其処は、この世の地獄であった。愛する者同士が刃を向け合う光景に、姫は泣いて叫んだ。あらん限りの声で彼らの名を呼び、刃を収めるよう訴えた。先に止めたのは騎士で、怒りに我を失っていた王子は、姫の声に気付くのが遅れた。振り下ろされた刃が騎士の体を傷つけたのを見、姫は騎士に取りすがってまた泣いた。泣いて泣いて王子を責めた。王子は言う。お前が泣いていたから、お前の心を傷つけたその愚かな騎士を討ちに来たのだと。姫は言う。この世で最も私を傷つけたのは、あなただと。彼はただ我が国を愛し、彼の美しいドラゴンと絆を結んでいただけだと。

 その日から、姫は涙の一つも見せなくなった。笑うこともしなくなった。王子は、自らの過ちを認めなかった。姫が心を閉ざした理由を騎士に求め続けた。民は高潔な騎士と天真爛漫な姫を同時に殺した王子を恨んだ。

 王は民の心が国から離れることを恐れ、王子に対し『感情に任せて調査を怠り事実誤認のまま取り返しのつかないことをした』と厳しく罰した。王太子にはまだ十にもならない王子の弟が選ばれた。

 姫はいまも変わらず、戦いの場所に通っている。それは騎士に愛されたいからでも許されたいからでもなかった。ただ、己の過ちを忘れぬため、自らの幼い振る舞いが引き起こした地獄を何度でも身に焼き付けるため、なによりも美しかったドラゴンが眠る地を訪ね続けた。


「……海外の児童文学だから覚悟はしていたけど、やっぱり哀しいオチでしたね」


 本を閉じて隣を見ると、お嬢様も少ししょんぼりしてしまっている。


「愛する人と引き裂かれるのは哀しいものですよね。わたしは幸いそういった経験がないんですけど、でも……知らないままでいられるのはしあわせなんだろうな」


 しょんぼり状態のお嬢様の頭を、よしよしと撫でる。手触りのいいサラサラの髪が手のひらを擽って、何だかわたしが心地いい思いをさせてもらった気分だ。


「あ……もうすぐご依頼主様がいらっしゃる時間ですね」


 確か今日のお昼くらいに来るはずなので、お迎えの準備をしたほうが良さそう。

 そんなことを考えて立ち上がったら、呼び鈴が鳴った。なんてタイミング。


「はーい、ただいま」


 玄関まで駆けていって扉を開けると、ご依頼主様が立っていた。帽子を軽く掲げて挨拶するご依頼主様に、わたしもお辞儀を返す。


「一年間、ご苦労だった。見たところ屋敷は綺麗に維持してくれているようだね」

「はい。出来る範囲でのメンテナンスもご契約のうちでしたので……」


 大工仕事ほど大きなことは除いて、最低限のお掃除やお洗濯、お庭の維持なんかはお嬢様のためのお仕事の他にも加えられていて、当然その分のお給金も頂いている。ただ、問題は其処じゃなくって。


「それで、その……」


 お嬢様のことをどう言えばいいのかわからずに言い淀んだら、ご依頼主様は何処か諦念したようなわかっていたとでも言いたげな、複雑な表情で「そうか、君もか」と言った。


「まあ、仕方ない。屋敷の維持分は支払おう」

「大変申し訳御座いませんでした! 一年間ご依頼通りにしていたのですが、まさかお嬢様がお目覚めになるとは思わず……」


 そう言ってガバッと頭を下げる。

 失敗したのになにがいけなかったのかわからないなんてメイド失格だ。事務所が、所長が、責任を取らされるなんてことになったらどうしよう。

 頭を下げたままビクビクしていたら、ご依頼主様がポツリと言った。


「君……それは、本当かね」

「っ、はい……!」


 まるで全裸で雪原に放り出されたような心地で震えていると、背後から小さな体が飛びついてきたのを感じた。確かめるまでもなくお嬢様だ。


「お、お嬢様……」


 お嬢様はわたしの体にしがみついたまま、ご依頼主様をじっとりと見上げている。睨んでいると言ってもいいくらい不機嫌な表情だ。こんなお顔は初めて見る。


「お嬢様、此方の方はご依頼主様で……」


 そう言いかけたところで、ぷいっと横を向かれてしまった。どうもスライディング土下座の勢いでご依頼主様に謝罪していたのを、いじめられていると思われたのかも知れない。

 どうしよう。今度はわたしが変なことを吹き込んだとか洗脳したと思われたら。

 怖々とご依頼主様の顔を見上げると、そんなわたしの不安を余所に穏やかな表情でお嬢様を見下ろしていた。


「ああ、そうか……そうか……やっと出会えたのだな」


 かと思えば感極まったように涙を流されて、わたしは今度こそどうすればいいのかわからず立ち尽くしてしまった。メイドとして不甲斐なし。気を利かせてハンカチの一つも差し出せないとは。


 落ち着いて話したいと言うご依頼主様と共に居間に戻ると、お嬢様はわたしの隣に陣取った。腕組みをして、ご依頼主様にそこはかとなくどや顔をしておられる。

 ご依頼主様はそんなお嬢様の様子さえも愛おしくて仕方ないといった表情で優しく見守っている。そして、一つ咳払いをすると静かに口を開いた。


「その子は、セレナイトドールという稀少な人工少女だ」


 セレナイトドール。

 一介のメイドに過ぎないわたしでも、噂に聞いたことくらいはある。

 セレナイトっていうそれは脆い石の名前がつくくらい繊細で美しい人形の名前だ。高エネルギー体『フレイヤ』を凝縮して作った輝石を核にした人口生命体。人間ともアンドロイドとも違う不思議な生き物で、核の種類によって名前が異なるらしい。

 当然とんでもなく高額で、世の富豪は権力の象徴として、こぞって求めたという。でもこのお人形は、ボディが繊細なだけじゃなく心も繊細だった。

 富豪の人って人形だけじゃなく美術品や自分が乗る車、住んでいるお屋敷、家具や食器の一つに至るまで、自分で世話をすることがない。使用人に全て任せて、自分は綺麗に整えられたそれらを使うだけ。別に、それが悪いとは言わない。そういう人のお陰でわたしたちも仕事がもらえるわけだしね。

 ただ、セレナイトドールに関しては、それじゃだめだった。


「本来は十二体作られたんだがね……」


 そう言って、ご依頼主様は語り出した。

 一年間、一日約一時間月光を浴びせて、人形に話しかける。

 まず、それを使用人にやらせた人がいた。使用人は交代勤務だったから、何人かの使用人で代わる代わる世話をした。こんなことがなにになるのかと内心思いながら。一年後、セレナイトドールは目覚めたが、ぼんやりと佇むだけの人形だった。遠くを眺めるだけで、誰の声にも反応しない。魂のない人形だったという。

 次に、一人の使用人に固定してやらせた人がいた。使用人は一年間ものあいだ毎日仕事の愚痴を話し聞かせた。目覚めた人形は、まず世話役の使用人を殺した。そして愚痴の対象であった屋敷の主人も殺した。血塗れの人形はその後、糸が切れたように崩れて壊れた。

 次に、娘に買い与えた人がいた。娘は人形を気に入ったが次第に飽き始め、一年も経つ頃にはすっかり存在を忘れていた。人形は目覚めなかったが、しまい込んでいた場所には白い砂のようなものが積もっていた。人形は消えていた。

 そんなことが続いて、セレナイトドールは最後の一体となってしまった。

 強く薦められて手に入れたはいいが、世話をするわけにはいかない。なにせ自分は老い先短い身。せっかく目覚めても自分がすぐにいなくなっては意味がない。そう、寂しそうに言って、ご依頼主様は自嘲の笑みを浮かべた。


「そうして私は、君たちの事務所を訪ねたのだ。これで下手な人間に任せるわけにはいかなかった理由をおわかり頂けただろうか」

「はい……」


 目覚めるのが正しい反応だと知って、ちょっと安心した。でも話の中で、わたしがお世話したお嬢様みたいな目覚め方をしたお人形はいなかった。クローゼットの奥にしまい込んだ子なんて、砂になってしまっていたし。愚痴をひたすら聞かされていた子は、聞かせた相手を殺して自分も壊れてしまった。


「セレナイトドールは、主人から受けたものをそのまま吸収する人形なのだ。ゆえに取り扱いを間違えれば話したとおりの末路が待っている。君は良くやってくれた」

「それは……ありがとうございます」


 仕事ぶりを褒めてもらえるのは正直にうれしい。

 でもいま、ちょっと聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。


「あの、主人っていうのは……」

「君のことだよ」

「えっ!?」


 驚くわたしを、ご依頼主様はにこにこ見つめている。


「私はその子と共にはいてあげられない。近く入院も決まっていてね」

「えっ、そ、それは、あの……何と申し上げれば良いか……」

「ああ、気にしなくていい。わかっていたことだ」


 穏やかに制して、ご依頼主様は続ける。


「半ば強引に押し切られたといっても情がないわけではなかった。人形ではあるが、目覚めれば心を持ち、少女のように振る舞うその子を、おいていくのもつらかった。先に説明しておかなかったことは謝罪する。だがどうか、その子を君の傍に置いてはもらえないだろうか」


 この通りだ。

 そう言って頭を下げたご依頼主様の姿は、お孫さんを案じるお爺様のようで。隣できょとんとしているお嬢様を見てから、真っ直ぐご依頼主様に向き直った。


「畏まりました。そのご依頼、わたしの生涯をかけてお受け致します」


 勢いよく顔を上げ、暫く呆けたような表情をしたまま固まって、そしてくしゃりと顔を崩して笑い泣きの表情になると、ご依頼主様は「ありがとう」と仰った。


「この屋敷はそのまま君にあげよう。相続に関する面倒ごとは秘書に任せてあるから後日事務所で確認してほしい。ああ、それともうその子は日に当てても大丈夫だから好きなときに好きなところへ出かけてくれて構わないよ。生活に必要なものがあればいままで通り秘書に伝えてくれれば手配しよう。では、私はこれで」

「えっ、えっ、あ、あの、えっ???」


 ご依頼主様はわたしが面食らっているのをいいことに、一気に言いたいことを全部並べて颯爽と帰って行った。


「……まあ、いいか」


 お屋敷に住み込みで、お嬢様のお世話をする。

 考えたらとってもメイドらしい人生じゃない?


「これからもよろしくお願いしますね、お嬢様」


 お嬢様はぱっちりまん丸な目を細めて、答える代わりにわたしに飛びついた。

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