13円

主道 学

第1話

「あれ? 財布がない」


 全てのポケットを探してみたが、改札を抜ける時まではあったはずの財布がなかった。


 地下鉄の中でハッとして周りに視線を送った。乗客は何故かいなかった。吊革を握って立っているのはおれだけだった。


 新しい高校への転校初日だが、先が思いやられてしまう。


 このままでは、よく知らない初めての駅の改札口で困るだろうな。駅員さんになんて言おうか?


 財布を盗まれた。

 そういうのが一番いいけど。


 しかし、まったく身に覚えがないので、見つかるだろうか?

 財布には大事な学生証もあったので、今日は学校へも入れるかどうかわからないんだ。


 慌てて、片っ端しからポケットをひっくり返しては、何かあるか探してみた。

 ズボンの左ポケットには、1円玉が13枚あった。


「13円?」


 家を出たときにズボンのポケットに入れたのだろうか?

 部屋で新しい学校へ行く。それだけのだるさを覚えた時だろうか?


 ワクワクすることはおれには無いんだ。


 新しい学校へ行くことは、おれにとってはどうでもよかったんだ。

 所詮、前の学校でも楽しみもなかったし、勉強しかしなかったから。

 また、塾に気晴らしに一人カラオケに……。 今度の学校も同じような環境なのだろうな。


 例え、環境が良いのなら勉強がはかどるくらいだろうな。

 彼女や友人を作ることも、あまり気が乗らない。前の学校でもみんなからは距離を少し置いていた。


 周囲から存在が薄いといわれている。それは自分でもよくわかっているんだ。


 薄い髪も少しこけた顔も、痩せた体躯も低い身長も。この世界に存在の平均以下というものがあるのなら、おれはこの世界の薄くて脆い平均以下だ。


 喧嘩もせず。自己主張もしない。

 成績やスポーツもいつも見栄えもしない。

 でも、たまに、ノーと言えば良いだけ。

 学校を卒業して社会へでても、いつもと何も変わらない人生なんだろうな。

 

「ちょっと、君。さっき財布を落としたわよ」


 振り返ってみると、整った顔立ちの女の駅員さんだった。

 キリっとした帽子と制服が印象的だ。

 丁度良い丈のスカートの左腰の辺りに、鎖で繋がった銀色の十字架のアクセサリーがぶら下がっている。

 外見は若く。

 おれには20代前半だなと思えた。


「困っていました。ありがとうございます」


 駅員さんはちょっと困った顔をした。

 何故だろうか?

 困っているのはおれの方なのに。


「あの……もしかして、ここがどこかわからないんじゃないですか?」


 気付いたら駅員さんの顔には、心配の色が強く浮かんでいた。


「え? 地下鉄の中?」


「そうじゃなくて」


 おれは周りを見回し首を傾げる。


「この地下鉄にいつごろ乗ったか、あなたしっかり覚えてるかしら? きっと、いつの間にか乗ったんじゃないの? 思い出せる?」


 おれはちょっと、眉間に皺を寄せた。

 そういえば、覚えているのは財布がなくて。13円がズボンのポケットにあることしか……。


 どの駅から乗ったっけ?


 今日の朝のことを、記憶から引っ張り出してみた。

 初日の学校の名前は……確かA学園だったかな。

 朝食はコンビニのサンドイッチとコーヒー牛乳。

 そういえば、中野駅まで歩いた記憶はあるのに、いつ?  どこで?  この列車に乗ったんだろう?


「やっぱり……。すぐに次の駅で降りた方がいいわね」


「え? 何故? おれ、今日から新しい学校へ行かなきゃ」


 学生証がなくても学校へ入れるかは別として、顔を少し出した方がいいはず。


「学校の名前は覚えているの?」


「A学園です」


 駅員さんは溜息を吐いた。

 眉間に皺を寄せて、しばらく考えてからこう言った。


「やっぱり聞いたこともない学校よ。この線の通過する駅には、近くに学校なんてないわ。この列車は、特別な列車なのよ……学校どころじゃないわね」



 一体何を言っているのかと首を傾げたかったが、おれにはこういう考えが浮かんだ。

 ここは特別な場所。

 そう、変な場所だ。


 駅員さんの顔をまじまじと見つめて、自然にプッと吹き出してしまった。


「笑っていないでよ。真面目な話なのよ!」


 本気で笑い転げそうな時に、駅員さんが怒った顔で強めに言ってくるので仕方なく笑うことを必死にこらえてみた。

 

 存在が薄いおれに、こんなことが起きること自体がおかしなことだった。

 おれが目立つことは、これまであまりなかったからだ。

 変な場所で変な駅員さん。


「あれ?」


 列車が駅で停車した。


 海の底のような。どこまでも薄暗い。駅の名前は、どこにも見当たらなかった。おれには学校へ行くために、この列車に乗っていなければならいんだと思う気持ちがあるが、ちょっと気持ちがおかしくなる。


 それでも、涼しい顔で口元に笑みを浮かべて吊り革でぶら下がっていると。


「降・り・な・さ・い」


 駅員さんが厳しい表情になり、急に語気を強めてきた。

 おれはこういう時には、ノーと言える。


「でも、おれは今日学校へ行かないと行けないんだよ駅員さん。ほら、この列車に乗る人たちも普通……?」


 おれは一瞬、思考が膠着し、顔に張り付いた笑みが固まった。

 ドアから入ってくる人たちは、皆俯き加減でボロボロの服装だったからだ。

 まるで、列車にはねられたような。その人たちは、サラリーマン三人とOLが一人。


「あの人たちは、人身事故でここへ来たのよ。私の言うことを少しは信じてもられるかしら。ここは人身事故専門のあの世行きの列車なの……。あなたは、ここへただ迷ってきただけだと思うから。すぐに降りた方がいいわ」


「……」


 おれは意を決して、吊り革から手を離し、あまり怖くない一人の若いOLに話しかけてみた。元は新調された服が大きく引き裂かれ、破損しすぎる服装のその人は、真っ青な顔をしては、戸惑いの色を隠せないようだ。


 座席に座っても、俯きながらびくびくと辺りを伺っているかのようだ。


「すいません。あの、大丈夫ですか?」


 おれは、自然に声音が同情と混乱で優しくなっていた。


 OLの顔を見て、背筋に固い氷が押し当てられた感触を覚える。

 右目にあるはずの目玉が無い。

 唇が裂けていて、真っ赤な口元をしていた。


 おれは小さな悲鳴を上げて、駅員さんのところへと後ずさった。

 とうとう、駅員さんの言葉が本当なのだと思うと、本格的に怖気づいてしまった。急に近くの座席に座りたくなって、おれは顔を両手で覆い隠して俯いた。


 駅員さんが心配そうな顔で、おれの顔を覗いた。


「大丈夫? 落ち着いて。気をしっかり持って」


「……」


 辺りが急に暗くなりだしたかのようだ。


「おれ……。なんでここにいるの? 死んだの?」


 震えを隠さず。駅員さんにそう尋ねると、駅員さんはニッコリと笑った。そして、おれの肩に優しく手を置いてくれた。


「大丈夫よ。きっと、死んだわけじゃなくて、ただ迷ってきたのよ」


「迷って……?」


 おれには幾つか心当たりがあった。

 生きていてもしょうがない。

 そう思った時が何度もあるんだ。


 煌びやかな青春の真っ只中なのに、自分の存在がまるで幽霊のようだったからだろう。

 この世に生まれてきても、仕方がないんじゃないかと思った時もあるんだ。

 いつも、日蔭で勉強だけしていれば、社会にでてもなんとか生きていけるだろう。

 でも、そう信じても青春は一度切りなんだし。

 恋人どころか友達もいないのだから。

 大人になったらさぞ虚しいだろうな。

 そんなことは前から何度もわかっているんだ。

 でも、変えられないんだよ。

 変えることをしなかったからさ。


「さ、元気だして。きっと、次の駅で降りれば大丈夫だから」


 おれは駅員さんの顔を見つめて、泣き出した。


「おれって、ここへ迷いこんできたのが当たり前な人間なんだよ」


「ふふっ、そうね。あなたいいもの持っているんだけど。それは自分では気が付かない。ただ。まだ、見つかってないだけ。ちょっとしたことでどうにでもなるわよ」


 優しさを含んだ駅員さんの声を聞いていると、おれはふと、車窓から建造物の行き止まりになっている暗い外を眺めてみた。


 死人と同じだったのだろうな。


 あるいは……。


 元から半分だけ死んでいたのだろうか。

 今までのおれの人生って、虚しいだけ?


「ほら、財布のことを気にしなさい。次の駅で降りてね。私は行くわ」


 駅員さんは元気に手を振って、次の車両へと姿を消した。

 気付いてみると、静かな車内でカタンコトンと列車は減速していた。

 次の駅が近づいていた。

 おれは涙を拭いて降りることにした。


 ドアまで歩いて外を眺めていると、一人の男性に声を掛けられた。さっきの駅で乗ってきたサラリーマンの一人だ。


 肩から腹にかけて裂けていて、血はでていないが、腹部から内臓が少し見えている。


「死なない方がいいよ君。君はきっと、まだ死んではいないはずだから……。生きた方がいいと思う。人生つまんなくても、その方がやっぱりかなり得なことなんだよ。死んだら損だよ。俺は妻子を残したままなんだ……損だよなあ」


 サラリーマンはそういうと、ニッコリと笑ったが。どこか自嘲気味だった。

 列車が静かに駅で停車した。

 列車を降りると、駅の名はまったくわからなかったが、おれのプラットフォームを歩く足には迷いはなかった。


 それぞれの死に方の人たちが、大勢列車に乗ってきた。


 もう、いいんだ。


 学校では幽霊だろうけど、死ぬよりはましだと思えてきた。


 今までのおれは、ただ馬鹿馬鹿しい人生を送って来ただけ。


 混雑した階段を改札口まで歩いていると、まったく迷いがない自分自身に改めて驚いていた。


 改札では、財布がないのでどうしようかと考えていると。


「邪魔だ! 突っ立っていないで、さっさと前を向いて歩け!」


 後ろから、たくさんのボロボロの服装の人たちが改札口を抜けていく。

 


 あの駅員さんが厳しい顔で後ろから走って来た。


「その人たちは、九死に一生を得て、この世に帰って行く人たちよ。生きていることは、死ぬよりはどんな人生でも幾らかましなのよ! 今は前を向いて! ここへ来たのなら、もう後ろは振り向かなくていい! そして、幸せを探しなさい!」


 駅員さんがおれの背中を叩いて激励してくれた。


 おれの手に財布を渡してくれた。

 きっと、親切に探してくれたのだろう。





 気づくと、おれは線路の上で倒れていた。

 線路を一直線に、迫り来る猛スピードの列車の急ブレーキがけたたましい叫び声を上げている。


「おーい! 人が線路で倒れているぞーー!」


「大変だーー!!」


「落ちたのかーーー!!」


 おれの体は宙に舞った。

 でも、轢かれたわけじゃない。

 何故かプラットフォームに向かって、何かの力で舞った。




 死ぬより、生きた方がいい。

 空気と空気の間で、新しい学校では精一杯明るく積極的になろうとおれは強く思った。

 そう心に決めていると、プラットフォームで、おれは人々に抱きかかえられた。

 抱きかかえてくれた人たちはサラリーマンやOLが多かった。皆これまで本当の意味で生きていたのだろう。

 数多くの人の中に、おれの左ポケットをまさぐる浮浪者がいた。

 13円に気付いて持ち去って行ったが、おれはまったく気にしなかった。

 また、彼もおれのような体験をするのかも知れない。 

 そして、ここへ戻って来たのなら、幸せを探しに行くだろう。

 

 おれと同じく……。

 

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