第8話 混沌探訪


 ありがとうございましたーーと、イオは深々とこうべを垂れた。


「この恩義は忘れません。国許に戻りましたならーー」


 シスルはイオの口を押さえ、引きずるように後退る。


「な、なにをされるのですか。まだお礼の口上の途中でしたのに」

「お前はバカか。あの男の素性も分からないのに、自分の身分を明かす気か?」


 シスルは男を指差し、声をひそめつつも

語気を強める。


「あの方は私たちの素性も知らずに助けてくださったのですよ。悪い方のはずがありません」


 イオは意に返さず屈託のない笑みを浮かべた。


「あのな。あの出鱈目な強さ見たろ。魔術師でもないのに、ひとりでマッデイアッシュを倒しちまったんだ。どう考えたってマトモじゃねぇ」


 男は二人の様子など気にもせず、灰色の塵となった濁灰神を興味深げに見下ろしている。


「あんなヤツに、あんたが姫巫女だなんてバレてみろ、途端に豹変して襲ってきたっておかしくないだろ!」

「あら。それでしたら私の素性を承知の上で攫ったあなた方の方はどうなのです?」


 嫌味とも冗談ともわからぬイオの微笑みにシスルは二の句が継げなかった。


「と、兎に角だなアンタの素性を明かす必要はないだろ。ここはうまいことアタシが話すから、少し黙ってろ」


いいなーと、念を押すようにイオの鼻先に指を突き出したところで、男が二人を呼んだ。


「で、そちらの話は済んだかい」


 男がふたりを手招きする。


「ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいかい?」


 まるで町中で道を尋ねるような笑みを浮かべている。


「ま、待ってくれ。その前に助けてくれたことは感謝する」


 シスルが渋々頭を下げる横で、イオは深々とお辞儀する。


 ほう…と、その様子に男の笑みが含むように変わった。


 ほら見ろーーとばかりに、シスルが横目でイオに同意を求める。


「申し遅れました。私はイオ。イオ・モ・エリオン。こちらはシスル。貴方さまのお名前をうかがっても宜しいでしょうか?」


 そんなシスルを気にした様子もなく、イオは笑顔で男に声をかけた。


「オレかい?オレはーー」 

 

 一瞬、男は困ったような表情を浮かべた。


「……ぅシロウ。そう、シロウと呼んででくれ」

「シロウさまですか。変わった響きのお名前ですね。我々の教圏の方ではなさそうですわね」

 

 確かに彫りの浅い顔立ちと黒髪はこの辺りではあまり見かけない。手にした細身で反りのある細い剣も見慣れぬものである。


「まぁそうなんだろうな」

 

 男は含むように笑った。


「で、あんたの聞きたいことってなんだい」


 これ以上イオに喋らせるとが出そうである。シスルは強引に会話の主導権を引き戻した。

 シスルに睨まれると、イオは「あらいけない」と微笑む。


「実はひとを探しているんだ」

「ひとを?」

「マリアって女を知らないかい?」

「マリアなんて女…この世には数え切れないくらいいるぜ」

「多分、オレと同じような黒い髪を長く伸ばしていると思うんだ」

「黒くて長い髪の女なんて珍しいから目立つと思うが、見たことも聞いたこともないな」

「なら封印の巫女ってんならどうだい、そっちのよ」


 男ーーシロウが,シスルの肩越しにイオに声をかける。


 あちゃ…と、シスルが頭を抱えた。

 そんなシスルを見て、シロウがニヤリと嗤う。


「マリアさん名はというのは知りませんが、封印の巫女というのなら聞き覚えがありますわ」


 シスルを押しのけイオが身を乗り出す。


「本当かい?」

「ええ。確か城付きの文書官から聞いたことがあります」

「おい」

「今更隠し立てする必要もありませんでしょ」


 仕方ないか…と、シスルは引き下がるしかなかった。


「どこに行けばそのモンジョカンとかってヤツに会える」

「私のいた神殿に行けば会えますわよ」

「その場所を教えてくれ」

「それは構いませんがひとつお願いがあります」

「お、おい。どうする気だよ」


 シスルがイオの肩を掴んだ。


「アンタをその神殿まで送り届ければイイんだろ」

「あら。どうしてお分かりになられたのですか?」

「そりゃ誰でも分かるだろ普通」


 シロウは声を上げて笑った。


 森の混沌が解けて、夜空に星が煌めいていた。


「シスルさんもご一緒に来てくださいませんか?」

「そうだよな……当然だ。アタシは裁きを受けなきゃいけないよなーー」


 自分はイオを生贄にしようとした張本人である。都で審問会にかけられて裁かれて当然だ。

 だが公の場で濁灰神のことを公にできれば、死んでいったロシェたちも報われるかも知れない。


「神殿で濁灰神のことを話してください。この村を救いましょう」

「え…」

「皆さんの犠牲に報いるためにもね」


 イオの暖かな微笑みに、シスルの瞳に熱いものが滲んだ。


「それじゃ話はまとまったな。善は急げーー」 


 行こうぜーーと、シロウが顔を出した月に向かって歩き出した。


「おい。あのバカひとりで偉そうに行きやがったけど、まるっきり逆方向だぜ」


 呆れたようにため息をつくシスル。だがその顔には今までにない微笑みが浮かんでいた。


「シロウさま、都はこちらですわよ」


 イオの声に、シロウは慌てて振り返った。


 さわさわーーと、夜風が木々の葉をゆらし、星の明かりが三人の行く道を優しく照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

chaos forest 混沌樹海 猛士 @takeshi999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ