第10話 簡単に言えば不審者

「ひまだ……」


 俺は教卓で話す先生の声を聞き流しながら、これ以上ないくらいにボーっとしていた。


 中休みが終わり、今は3時間目の国語の授業中。時計はちょうど11時を指している。


 廊下側の一番端、前から二番目の席で、椅子の背にもたれかかるようにして座っているのが俺だ。


 入学してから2週間ほどたつが、今日が最初の授業の日。


 今まで授業がなかったのは、1年生が学校生活にスムーズに適応できるように、オリエンテーションを行っていたから。


 つまりやっと本格的に授業が始まるわけだが……



 俺は目の前に置いてあるプリントを、ジト目で見つめる。


 【たのしい! ひらがなれんしゅうカード】


 謎にデフォルメ化されたウサギが、『まずはゆっくりなぞってみよう!』と、ひらがなの『あ』を指さしていた。


「……」


―――楽しめるかこんなもんっ!



 俺はプリントを引きちぎろうとする右手を、何とか押さえつける。


 ……落ち着くんだ俺。


 そしてゆっくりと深呼吸。


 落ち着くためにとりあえず、鉛筆で『たのしい』の部分に横線を引いて、『わずらわしい』に変えた。


【わずらわしい! ひらがなれんしゅうカード】


 これで良し。あるべき姿に戻された。


 このカードの出版社には、これで売り出してもらうことにしよう。出版社にOKがもらえるかは、気になる所だが。


「気になるといえば……」


 俺はチラリと、右隣りの廊下側の窓を見る。


 少し開かれた窓から、茶髪で黒スーツの男性が覗いていた。両手を胸の前で握りしめて、真剣な表情でこっちを見ている。


「やはり、不審者にしか見えない……」


 小声でつぶやく俺。


 先ほどからずっと視線を感じて、集中できないのだ。


―――まあ正確にいえば、俺を見ているのではではなくて……


 俺は左側の人物を、そっと横目で見る。


 俺の隣の席では、ニナが一生懸命ひらがなを練習していた。


 そう。この不審者もどきは、ニナのことを見張っているのだ。


 いや、見張っているというか、応援してるだけに見えるな……


 『授業参観に来た、娘を応援する父親のようなもの』と言えば分かりやすいだろうか。



 この人はニナのお目付け役兼、ボディーガードをしている『吉中よしなか 草太そうた』さん。


 茶髪の髪の毛は所々跳ねており、にへらと笑ったような口元と細いタレ目から、人柄の良さそうな感じを醸し出している。男の俺から見ても、(※女です)かなりイケメンだと思う。


 身長は180㎝くらいだろうか。俺がまだ小学生だからか、無茶苦茶身長が高く見える。かと言って大柄というわけでもなく、細身で、まだ二十代くらいかな。

 

 この人は保育園での事件の後、すぐにボディーガードとして派遣された。


 今までは、『見張り役がいればニナに窮屈な思いをさせてしまう』という理由で、ボディーガードは付けられていなかったらしい。だが、一度事件が起きたことで、ニナの警護に警戒を強める必要があったのだろう。


 先に言っておくと、このボディーガード色々個性が強い。


 まず、初対面であった時。


『お嬢がいつも言ってる鏡子さんっスね? 気軽にそうたさんって呼んで欲しいっス。 よろしくっス!』


―――なんか、護衛なのにチャラい……


 これが第一印象。俺は護衛といえば、寡黙なサングラスをイメージしていたので、かなり驚いた。まあ、偏見かもしれないが。


 他にもニナのことをお嬢と呼んだり、まるで友達のように気さくに話していた。護衛と護衛対象だとは思えないほど、仲がいい感じだ。


―――こんな、のほほんとした人がニナの護衛で、本当に大丈夫なのか?


 と、一時期は思っていた訳だが……


『鏡子さん。お嬢のこと守ってくれて、本当に感謝してるっス』


 草太さんが、突然話かけて来た時は、本当に驚いた。


『んっ⁉ な、なんのことですか……?』


 警察にも俺が戦ったことは伏せているのに、どうして知っているのか。


 あの時は、もしや警察にばれてしまったのかと、心臓が縮み上がったものだ。


『ハハ、誰にも言わないから大丈夫っスよ。お嬢から聞いたんっス』


 小さく苦笑いする草太さん。驚かせてしまったのを、申し訳ないと思っているようだった。


 俺は、草太さんが話した理由に納得した。確かに草太さんは、ニナと仲が良さそうな感じだし、ニナから俺のことを聞いていてもおかしくない。


 警察にばれたわけではないと知り、俺はホッと一息つく。


 ……もし警察にばれたら、結果的に母さんにもばれる可能性が高い。

 

 母さんにばれてしまったらどうなるか、俺は脳内シュミレーションで確認してみた。


 戦ったことがばれる 

  ↓

 「危ないでしょ‼」と怒られる (これが一番いやだ……)

  ↓

 母さんがさらに心配性になる 

  ↓

 母さんが「外は危険だから、外出禁止‼」とか言いだす 

  ↓

 俺は外に遊びに行けず、超ヒマになる

  ↓

 THE END


 こうなる可能性が、非常に高い。まじでばれてなくて良かった。


 安心したところで、ふと、ある疑問が浮かんだ。


『どうして、ニナの護衛に?』


 この人が護衛対象に選ばれたのは、何かしら理由があるはずだ。どうして一介の製薬会社の娘と、あれほど仲が良いのかも気になる。


『自分、お嬢のお父さんに借りがあるんっス。もちろん、お嬢にも』


 少しだけ遠い目をして、草太さんは質問に答えた。


―――なるほど。


 つまり草太さんは、前からこの製薬会社に、何かしら関係があったということ。


 旧好の繋がりで、ニナの護衛になったのかもしれない。


 そんなことを、ぼんやりと考える俺。


『だからお嬢には、いつでも笑ってて欲しいんっスよ』


 そう言って草太さんは、にへらっと笑った。



―――多分この人は、ニナのことを一番大切に思っている。この人なら、護衛を任せても大丈夫だ。


 そう思った。


―――あと、その笑い方かっこいい! 俺もその笑い方をマスターすれば、かっこよくなれるかも……!


 とも思った。


 なお、家に帰ってその笑い方をこっそり練習してみたが、鏡の前の俺は、ニヤリと悪魔的表情を浮かべるだけだった。


―――閑話休題。


 そんなこんなで、俺は草太さんのことを信用しているのだが、信用しているのはそれだけが理由じゃない。


 1つ。なぜ、あれだけ危険な目にあったニナの護衛が、草太さん1人だけなのか。

 

 2つ。護衛対象へのタメ口が許されるほど、信頼されているという事実。


 これらのことから推測するに……




―――多分だがこの人、


 だからこそ、たった一人だけで護衛を任され、護衛対象であるニナにタメ口で話すことを許されているんだろう。



 というわけで、俺はこの人を信頼している。そう、信頼しているのだ。

 

 だから……


 俺は左手に持った鉛筆を、力の限り握りしめる。


「―――だから、そのペンライト。しまってくれませんかね……」


 草太さんは、廊下で緑色のペンライトを振り回しながら、狂ったようにニナを応援していた。


「頑張れ~!! お嬢!!」


―――このオタ芸、やけにキレッキレだな。


 廊下の窓ごしでも、ペンライトの軌跡がめっちゃ光って見える。


「やはり、不審者だったか……」


 ポツリとつぶやく俺。


 ここで俺の草太さんの評価は、信頼できる護衛から、気のいい不審者に変わる。


 てか、どっから出したんだ。そのペンライト。


「おお、あのお嬢がひらがなを書けるように……! 感動っス!」


 ニナがひらがなを練習する姿を見て、目頭をゴシゴシとこする草太さん。


―――そろそろ先生に言いつけようかな……


 俺は、冷静に考えこむ。


―――いや、これは警察に通報するのが正解だな。


 正しい答えを出した俺は、頭の中で110番の番号を押す。


 ピポパポ。プルルルル、ガチャッ


―――あ、もしもし。警察の方ですか。

あの、小学校にペンライトを振り回している不審者がいるんです。はい。黒いスーツを着た、20代位の男性で……

えっ⁉ 不審者すぎて、うちでは手に負えない? あっ、ちょっと待ってくださ……


 プツッ、ツー、ツー


 電話が切れた。



 ……命拾いしたな、草太さんよ。


 恨みごもった眼差しで、草太さんを見つめる俺。


 その視線に気が付いたのだろうか。草太さんが手を振りながら、小声で応援してくれた。


「鏡子さんも、頑張るっスよ!」


―――いや、授業をじゃましないように小声でしゃべるくらいなら、そのペンライトをしまってくれ……!


 まあ、この人にニナを応援するなって言っても、絶対隠れて応援すると思うけど。


 俺は、軽くため息をつく。


 そもそもニナは、プリントに集中していて、応援されていることに気付いていない。他の生徒は草太さんのオタ芸に、目が釘付けになっていると言うのに。


 このお嬢様、かなり集中力すごいと思う。


 チラリと、ニナの手元を見る。

 

 今は真剣な表情で、自分の名前を練習しているようだ。


―――ニナも頑張ってるし、俺も頑張るとするか……


 こうして俺も仕方なく、ひらがなをなぞり始めた。

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ミラーズ スクエア いえまる @IEMARU

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