【現在】堕落探偵と美食探偵

 

 『明けぬ夜事件』から十四年後、『堕落探偵』こと群青寺は、普段は着ないビジネススーツ姿で、郊外に建つ『四崎』という表札の一軒家を訪れた。


 チャイムを押すと、女性が快く中に招き入れ、和室へと通される。

 その奥の仏壇には鬼畜探偵――の名を捨てた社畜探偵こと『四崎宗也』の遺影が飾られていた。


 仏壇前に正座し、一礼ののち線香に火を灯して、目を閉じて手を合わせる。

 それから題目を唱え、もう一度一礼をしてから、仏壇の前からさがった。


 そんな群青寺の元に、四歳くらいの女の子がとてとてと走ってきて、足に抱きついてくる。


「おお、青空そらちゃん。久しぶりだなぁ~、こんなに大きくなってぇ……いや、一ヶ月でそんなに大きくならねぇか。適当言って悪かったよ、ガハハ」


 適当な冗談を言い過ぎて怒らせてしまい、四才児とは思えない腕力で転ばされそうになった。


 その眼が少し赤くなったのを群青寺は見逃さない。

 懐から飴を取り出して女の子に与えて、速やかに機嫌を直してもらう。


 それから、女性が出してくれたお茶と手作りの餡蜜をご馳走になりながら、しばらくの間、昔話に花を咲かせた。


「んじゃ、また遊びに来ます。これ、少ないけど、生活の足しにしてください」


 帰り際、女性にお金の入った封筒を差し出すと、女性は深々と頭を下げて受け取った。

 当初は断られていたが、何度も何度も群青寺が粘り強く渡そうとしたことで、最近は快く受け取ってくれている。


 『社畜探偵』の妻として生きるのは相当苦しいはずだ。

 それでも泣き言一つ言わずに彼女を、助けずにはいられない。


 あの男が一番ツラく、苦しんだ時に力になってやれなかった、友人の一人として。


「さて……今月の事務所ビルの賃貸料、どうっすっかなぁ」


 住宅街の片隅で足を止めて、財布の中身をチェックする。


 残金は僅か三百円。

 今の物価では、牛丼一杯食べることも出来ない金額だ。

 次の依頼を解決するまでは、なんとか耐え抜かなくてはならない。


「ここはアレだな……うん、馬で大穴狙いしかねぇ。

 最近負け続きだから、今日は勝てる気がする。いいや勝てる。

 己の可能性を信じろと、馬神うまがみ『ルメール豊竹とよたけ』も言っていた」


「相変わらず金欠みたいね、宗介」


 振り返ると、そこには大型バイクに乗る金髪の美女がいた。

 現在は『美食探偵』と名乗って活動しているナージャ・ニクリンだ。

 その右頬には、灯里から受けた痛ましい傷跡が、今でも残っている。


「久しぶりだな、ナージャちゃん。金貸してくれない?」


「あらあら、久しぶりに会って二言目がそれ? 相変わらず品性が無いのね」


「フッ、俺は堕落探偵……品性も金も失った悲しき男だよ」


 ナージャはバイクに乗ったままジェットヘルメットを群青寺へと投げ渡し、後ろに乗るよう促した。


「お金は貸さないけど食事くらいなら奢ってあげるわ。

 理想ちゃんに『周期的に、そろそろ金欠のはずだから食事を奢ってあげてください』って頼まれたからね」


「和都ォ……持つべき者は元・助手だな。ありがたくお言葉に甘えさせてもらおう」


「プライドは無いの?」


「自慢じゃないが、皆無だ」


「本当に自慢にならないわね。さあ、後ろに乗ってちょうだい」


 それからヘルメットをかぶった群青寺を後ろに乗せ、美食探偵のバイクが走り出す。

 進行方向には、二人の因縁の場所『都心タワー』が小さく見えていた。


「ここからでも都心タワーって見えるのね。懐かしいわ……あの地下で過ごした十日間は今でも忘れない」


「ああ、忘れられる訳ねぇよ……俺の罪の象徴みたいなもんだからな」


「七星寿一に洗脳されていたんでしょ? 心神喪失状態だったって診断されたし、任されていた仕事も爆弾の状態のチェックくらいなものじゃない」


「俺が七星寿一に心を奪われなかったら、大勢の命を救えたんだ。どれだけ言い訳しようと、どれほど事情があろうと、俺の罪は消えねぇよ」


 交差点に差し掛かってバイクが停まる。

 その交差点では奇遇なことに『明けぬ夜被害者の会』と書かれたのぼり旗の元、人々が募金を呼びかけていた。


 気まずそうな表情となり、顔をそらして、活動者たちに見られないようにする群青寺。

 その露骨な反応を一瞥し、ナージャはクスクスと声を出して笑う。


「あらあら、どうして顔を隠すのかしら? 援助者あしながおじさんらしく、胸を張ったらいいでしょう?」


「勘弁してくれよ……俺が援助してるのは自分の贖罪のためだ。犯人の一人だっつーのに、被害者家族に顔向け出来るかよ」


「毎月コツコツ何百万円も『明けぬ夜事件被害者の会』に寄付してるんだから、十分顔向け出来るでしょうに。そのせいでずっと貧乏暮らしなの、知ってるのよ?」


「い、いや、俺が貧乏なのはギャンブルと酒のせいで……」


「はいはい、自分が善人だって思われたくないのね。本当に面倒な男……もっと自分に素直になればいいのに」


 呆れるようにナージャがそうこぼして、群青寺も黙り込む。

 お互いにベテランの領域の探偵となったことで、普段は年長者らしい振る舞いを求められるが、今は関係無い。


 何も気にせずに、昔のままのテンションで話すことが出来る時間だ。

 

「本当に困った時は私に相談して。条件次第では、ちゃんと力になってあげるわ」


「ハハッ、ナージャちゃんはいつも優しいなぁ……もしかしてコレ、抱ける流れだったりする?」


「指、折るわよ」


「痛っ……! じょ、冗談だって! バイクから落ちるから勘弁してくれよ!」


「堕落探偵にピッタリの最期じゃない」


「イヤだわ……! せめてガキを守るために天から堕ちるとか、そういうキザな最期にしてくれよ!」


 昔と変わらないやり取りを続ける内に、自然と頭に浮かぶのは社畜探偵のこと。

 ここにアイツもいれば十四年前の再現になったのに……と、少し寂しく思った。


「ナージャちゃん……俺はな、今でもフッと思うんだよ。和都の代わりに俺が『理想探偵』としてモルグ島に行ってたら、宗也のヤツを救えたんじゃないかってさ」


「無理でしょ。あなた、十四年前の事件で無理しすぎて、異能を失ってるじゃない。あの場では戦力にならなかったわ」


「ハハッ……それもそうか。今の俺の方が、よっぽど『無能探偵』だもんなぁ」


 視界を通り過ぎていく風景を見つめながら、今日までの十四年間を振り返る。


 自分が探偵として復帰するまでの数年間に、自分の師匠と親友が大きな過ちを犯したこと。かつて自分を救ってくれた親友が、自分以上に罪を背負い、苦しみ続けたこと。その罪の象徴とも言うべき少年と偶然出会い、奇しくも師弟関係を結んだこと。


 そして再び、何も力になれないまま、親友を失ったこと。


「宗介にだから言える話だけどね……社畜ちゃんが私の大切な人を誤って殺した時、本気で怒ったのよ。『どうして私に相談しなかったの』『なんで一人で先走ってしまったのよ』ってね」


「……アイツ、なんて言ってた?」


「何も言わなかったわ……ただ『すまない』と謝り続けるばかりよ。ああ、私の知ってる『鬼畜探偵』はもう居ないんだ……って思い知らされたわね」


「宗也は誰よりも純粋で、誰よりも正義を信じていたからこそ『鬼畜』になったんだ……その正義を失った以上、元には戻れねぇよ」


「……そうね。昔は可愛げがあったあなたも、今ではくたびれたヒゲ親父だし」


「おいおい、俺はまだ可愛げがあるだろ? ……あるよな? 不安になってきた」


「無いから安心して、ヒゲ親父さん」


 群青寺とナージャは小さく苦笑し合う。

 過ぎ去った出来事に悲しみ続けられるほど、もう二人とも若くない。


 頭に浮かぶのは、これから先――未来を担う若者たちのことだ。


「和都たち『理想探偵』の正義が失われねぇよう、俺も踏ん張らねぇとな」


「うふふ、珍しくヤル気じゃない。隕石でも降ってこないといいけど」


「しゃーねぇだろ。この歳になると、若人たちが妙に可愛く見えてくるんだよ」


「あなたも少しは大人らしくなっているようで、安心したわ」


 その時、ちょうど群青寺の胸ポケットに入った小型タブレット――探偵デバイスが振動し、連絡を通知した。


 デバイスを取り出して連絡の内容を確認し、群青寺は眼を丸くする。


「ん? 和都からか、珍しい……ほう、なるほどなぁ」


「何よ、わざとらしい反応をして。どんな連絡があったの?」


「俺から異能が消えた原理を調べたいから協力してくれ……だと。大方、八ツ裂き公を普通のガキに戻すために試行錯誤してるんだろうな」


「ちょうどいい話じゃない。私も本部に用事があるから、食事のあとに一緒に行きましょう」


「助かるよ、ナージャちゃん。今の俺は電車賃もねぇからなぁ……よし、和都に駄賃をもらうとしよう」


「可愛い若人にお金をせびって恥ずかしくないの?」


「全然。むしろ誇らしいよ、俺を超えてくれた助手の成長が」


「ハァ……ほんっと、堕落探偵ねぇ……」


 そんな話をしている間に、前方に見える都心タワーが、随分と大きくなっていた。

 一時期は震災と爆破テロの影響で大きく傾いていたものの、今では復旧作業も終え、かつての姿を取り戻していて美しい。


 時間が経つ内に歪むモノもあれば、和らぐモノもある。

 八ツ裂き公事件で大きく歪んだこの国も、いずれ都心タワーのように元に戻ることを、群青寺は心から願った。


「……待て、ナージャちゃん。まさかお前、都心タワーのフードコートに行く気かよ……? 俺がこの十四年間、一度も行くのを避けていること、知ってるよな?」


「助けに来るのに遅れた罰よ。いい機会だから、トラウマを乗り越えなさい」


「十四年越しのお返しかよ……贖罪は十分だって言ったの、ナージャちゃんだろうに」


「それはそれ。これはこれよン♪」


 観念した様子で深い溜め息を吐く群青寺。

 その瞳には、かつての青空のような美しい輝きは無い。


 だがそれでも、かつてナージャと親友と共に地上へ進んだ時から変わらず、真っ直ぐに前だけを見つめ続けていた。



 ――『明けぬよる事件』完

 

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『探偵撲滅』前日譚Ⅱ-明けぬ夜事件- 日本一ソフトウェア @nippon1

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