【『都心大震災』発生から11日目】~夜明けに向かって~
群青寺を地上へ送り出してから半日。
地下に取り残されたままのナージャ、灯里、ボーの三人は、一言も会話をせずに横たわり続けていた。
とうとう水もつきて、身体を動かすのも苦しい。
光源となる携帯電話も、三人の間に置かれたラスト一台のみ。
空腹を紛らわせるために鉄屑を噛みながら、ナージャは暗がりの中で脱力し続ける。
群青寺が去ったあと、瓦礫が崩れてきて穴を塞がれてしまったため、外がどうなっているのか把握する手段は無い。
出来ることは、ただ群青寺を待つことだけだ。
体力の消耗を出来る限り避けるため、何も言葉を発さず、極力身体を動かさず、助けを待ち続ける。
――大丈夫……群青寺くんは、きっと助けを呼んでくれている。
そう心の中で自分に言い聞かせた。
ほとんど何も見えない暗闇の中、自分を奮い立たせることが出来るのは、自分自身のみ。
必死に自分を誤魔化しながら、不安を掻き消しながら、今にも沈みそうな意識を保ち続ける。
だが、その時――近くで男の絶え入るような声が聞こえ始めた。
「ぐぅ、ううぅ……どうせ、死ぬなら……ここで……クリコの、
それは間違いなくボーの声。
自分の死を悟った彼は、生きている間に灯里を道連れにしようとしているようだ。
ナージャはボーを止めようとしたが、思うように足が動かず、うまく立ち上がれない。
「早まら、ないで……」
力が入らない身体に鞭打って、無理やり立ち上がって呼びかける。
返事は無い。
聞こえるのは、瓦礫が砕ける音と、ボーと灯里の呻き声だけ。
暗くて何も見えないが、強烈な血の匂いがプンと香ってきた。
ナージャは光源代わりの携帯電話を手にとって、光をボーたちの方へ向ける。
「明け、ぬ……夜……」
すると闇の中から、首元から血を流したセーラー服の少女――灯里の姿が照らし出された。
よほど傷が酷いのか、フラフラとした足取りながらも、ナージャへと近寄ってくる灯里。
その手には血に濡れた鋭利な瓦礫が握られ、足元には喉を掻っ切られたボーが倒れている。
「ボー……」
ボーに駆け寄ろうとしたが、灯里が立ちふさがった。
その目に光は無く、話が通じる状態じゃない。
「灯里、やめて……もうすぐ、助けが来るのよ……? 今無理したら、あなたまで……」
ナージャの言葉もむなしく、灯里は瓦礫を振りかぶって飛びかかってきた。
重い身体をなんとか動かし、後ろにさがって回避する。
普段なら反撃出来るが、今のコンディションでは困難だ。
今深手を負えば、救助が来る前に死んでしまうので、相打ち覚悟も難しい。
灯里が次々と瓦礫を振り回すのを紙一重で回避し続けながら、ナージャは必死に打開策を考え続けた。
「――この、味は」
その時、ナージャの味覚が何かを捉えた。
灯里が瓦礫を振ろうとする瞬間、味わったことの無い味を舌が感じ取るのだ。
それは恐らく、美食探偵が言っていた、感情によって変化した体液の味。
ナージャはその味を
そして灯里から感じる味が、瓦礫を振り抜こうとする瞬間に変わることを理解した。
「明けぬ、夜……!」
灯里から感じる味が再び変わった。
――今ッ!
ナージャは灯里が動くより一瞬早くタックルをし、そのまま押し倒す。
苦しまぎれに振り回された瓦礫に右頬を斬り裂かれはしたものの、素早く手首を極めて凶器を手放させ、無力化。
なんとか深手は負わないまま、灯里を大人しくさせることに成功した。
「ぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!」
人とは思えない絶叫をあげ、灯里がナージャの首元に噛みつこうとする。
しかしナージャには届かない。
美食探偵の二の舞いとならないよう、灯里の両肩を手で押さえつつ、身体を起こして距離をとったのだ。
もはや抵抗しようがない状況の中、灯里はジタバタと手足を動かして、暴れ続けた。
「灯里、自分を取り戻して……これ以上は、本当に死んでしまうわ」
右頬から流れ続ける血も拭かずに、ナージャが灯里に囁きかける。
灯里は首の傷から出血し続けている。
早く止血をしなければ、死はまぬがれない。
灯里から感じる味は、不快感がある酸味と苦味の混合。
まるで時間が経ちすぎたコーヒーだ。
これがきっと、今彼女が感じている『恐怖』の味なのだろう。
――どうすればいい?
もし
考えるまでもない――今やるべきことは、ただ一つ。
「怖いのね、灯里……分かったわ。あなたの心を……少しでも軽くしてあげる」
ナージャは覚悟を決めて、灯里の両肩から手を離した。
そのまま、相手を受け入れるように、手を大きく広げて微笑みかける。
「あ…………あ…………」
灯里が暴れるのを止め、身体の発する味から、少し苦みが薄れた。
「怖がらないで……大丈夫、分かっているわ。今の灯里は、本当のあなたじゃない……ただ、何かに心を奪われているだけなんでしょ?」
灯里の身体が震え出して、ゆっくりとナージャへと手を伸ばしてくる。
「ぅぁぁぁぁ……! ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッ!!」
だが灯里の手はナージャの首に絡みつき、ギュッと絞めつけ始めた。
指が首に食い込むほどの凄まじい握力。
息が詰まる恐怖に抗って、ナージャは懸命に笑顔を保った。
「灯、里……怖がら、ないで……」
――灯里を見捨てたくない。ここで諦めたら、もし助かっても、きっと一生自分を許せなくなる。これからは自分も、この味覚で誰かを救えるような人になるんだ。
そう自分に言い聞かせ続ける内に、フッと灯里の手から力が抜けた。
腕が柔らかく首の後ろに回されて、苦みも酸味も無い、優しい甘みが舌に伝わる。
「ありが、とう、ナージャさん……」
「灯里……! 本当のあなたに、戻ったのね……?」
ナージャは灯里を抱き締め返して、光の戻った瞳を見つめた。
先ほどまでのような危うい雰囲気も感じられない。
今度こそ本当に、正気を取り戻せたようだ。
「ずっと頭の奥で……知らない誰かが語りかけてくるんです……『明けぬ夜……明けぬ夜……』って……その声を聞くと、自分が自分じゃなくなって……怖くなって、それで……」
「大丈夫……分かっているわ。灯里がどれだけ怖がっていたかは、私の舌が教えてくれたの」
「あはは……美食探偵さん、みたい……やっぱり、ナージャちゃんは……凄いです、ねぇ……」
「ふふっ、私なんてまだまだよ。さあ、すぐに手当を――」
灯里の腕から力が抜けて、ナージャの身体から滑り落ちていく。
咄嗟に手を握ると、体温が酷く冷えていて、生命の終わりを感じさせた。
「私、もう、駄目みたいです……償いが出来なくて、ごめんなさい…」
「ヤ、ヤダ……諦めないで、灯里……! もうすぐ助けが来るはずなの……! だから――」
「せめて、ナージャちゃんだけは……生きて、ください……」
そう言って、灯里は顔を傾けて、自分の傷ついた首元を晒す。
意味が分からずナージャが呆けていると、思わぬ提案を受けた。
「私の、血を、飲んで……ナージャちゃん……」
「灯里……? 何を、言ってるの……?」
「私の、せいで……血がいっぱい出てる……このままじゃ、死んじゃう、から……」
「何を言っているの……!? あなたの血を飲むなんて、無理に、決まってるじゃない……!」
そう言っている間にも、灯里の首から血はあふれ続け、手が冷たくなっていく。
――もはや、どれだけ足掻いたところで助けられない。
その現実を否応なく突きつけられてしまう。
「私、ね……ナージャちゃん……に、憧れて……レスリング、始めたんです……」
血の気が失せた唇が、か細い声で、途切れ途切れに言葉を紡ぎ出す。
その声を聞き逃さないよう、ナージャは灯里の身体を強く抱き締め、顔を寄せる。
もはや体温は、ほとんど感じられなかった。
「あは、は……最期に……あなたと、戦えて……良かったぁ……」
「試合なんて、何度もするわ! だから生きて! 死なないでよ、灯里……!」
「あなたの、中で……生きられる……なら……わた、し……」
ズシッと灯里の身体が重くなる。
完全に熱が途絶えた手には、まったく力が入っていない。
身体を揺すっても、名前を呼び掛けても、灯里が応えることは一切無かった。
「灯里……助けられなくて、ごめんなさい……あなたの想い、無下には、しないわ
そう謝って灯里の首元へと口をつけ、その血を啜る。
感染症のリスクなど承知の上で、灯里の想いを受け止めるために、あふれ出る血で喉を潤した。
「うっ――ゲホッ……ゲホッ……」
血のえぐ味によって咳込み、涙が出そうになる。
悲しさ、苦しさ、吐き気が込み上げて、嗚咽しそうになるものの、身体が干からびすぎて何も出てこない。
だからこそ、なんとかこらえて、灯里の血を飲むことが出来た。
舌を通じて伝わってくる灯里の
――「死にたくない」という無念。「人を傷つけてしまった」という罪悪感。そして最期に自分を救ってくれたナージャへの感謝。
「これが……人の死の味、なのね……」
その味を噛み締めながら、一心不乱に、必死になって嚥下を続ける。
出血が完全に止まったあと、ナージャは灯里の身体をそっと床に寝かせて、自分の頬の傷に応急処置をした。
そして灯里の隣へ横たわり、脱力して、救助を待った。
絶対に死なないよう、生き残れるよう、決意を新たにして――。
それから数時間後、瓦礫が崩れる音がして、かすかに声が聞こえてきた。
――助けに来てくれたんだ。
ナージャが立ち上がって、声を振り絞ると、群青寺の声が返ってきた。
満身創痍のためか、二人とも言葉になっておらず、動物の雄叫びと変わらない。
それでも想いは伝わる。
無事を喜び合っていることが伝わってくる。
それだけで、今にも意識が途絶えそうなナージャの身体に、力が湧き上がった。
それから群青寺の指示の元、半日以上をかけて、地下を閉ざした瓦礫を安全に崩すこと成功。
救助隊員が突入してきて、ナージャを助け出し、およそ一日ぶりに、ナージャと群青寺は再会を果たした。
ナージャも群青寺も、大量の血にまみれている。お互いの身に何かがあったことは明白。この一日の間に、壮絶な経験をしたに違いない。
それでも何も聞かず、血で汚れるのも気にせず、生還を喜び、抱き締め合った。
「ナージャちゃん……生きてて、くれて……ありがとう……俺は、君に謝らなきゃいけないことが、たくさんあるんだ」
「話なら、また今度、ゆっくり聞くわ……どこかのフードコートで、食事をしながらね――」
一緒に崩れ落ちそうになったナージャと群青寺を鬼畜探偵が支え、そのまま二人の身体を両腕で抱える。
それから、あとの処理を救急隊員たちにあとを任せて、地上へと続く階段を進み出した。
「ったく……肋骨が折れてるのに無茶し過ぎだぜ、宗介」
「俺の眼が無きゃ……あの不安定な瓦礫を取り除くのに、あと半日は、かかってたろ……?」
「……だな」
まだ意識があったらしい群青寺から言葉が返ってきて、鬼畜探偵は微苦笑した。
ナージャの方は穏やかな寝息を立てているが、群青寺は平気のようだ。
その生意気な鼻っ柱を指で弾きつつ、言葉を続ける。
「この子を救ったのは、間違いなくお前だ。
理想探偵としての、名誉挽回の第一歩としては十分だろ?」
「その名前で、呼ばないでくれ……俺はもう、墜ちるところまで落ちたんだ……」
「じゃあ、これからは『堕落探偵』とでも名乗って活動しろよ。一族を裏切って国側についた『鬼畜』のオレのように、自分の罪を背負っていけばいい」
「堕落探偵、か……ハハッ、そりゃあいい……」
ずっと暗闇に包まれていた階段の先が、明るく輝いている。
天井の一部が崩れ、朝日が差し込んでいるようだ。
「明けない夜は無いように、上を目指し続ければ、いつか必ず
「ああ、分かったよ……足掻き続けてやるさ、鬼畜探偵」
光の差す方に向かって、鬼畜探偵は二人を抱えたまま進んでいく。
今は地の底に思えるような暗い世界でも、いつか必ず、平和が実現すると信じて――。
◆
「やあ、僕です。博士探偵ですよ。
例の計画を本格的に進めることにしたので、協力をお願い出来ますか?」
「国や協力者たちには『夜明けの明星会』に洗脳された子供たちを救うためだと説明して、ご理解を得られました。おっと……誤解しないでくださいね? 僕は嘘が大嫌いなんです。実際、救うには脳手術や人体実験が必要ですし、僕は本気で救うつもりなのですから何も嘘は言っていませんよ?」
「試しに例の、父母を殺したという子供で試したら、とても良い結果が出ました。その子の祖父も、実験施設の開発に協力を惜しまないと言ってくれています……まぁ誤解を招かぬよう、実験の詳細は伝えていませんけどね」
「この調子でしたら、失敗作の群青寺宗介よりも良い結果を生んでくれるでしょう。世界平和実現のために、必ずや僕らの手で、真の理想探偵を創り出そうじゃありませんか」
「さぁ、『探偵撲滅プロジェクト』の始まりです」
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