【『都心大震災』発生から11日目】~決着~

 都心タワーの階段で睨み合う鬼畜探偵と群青寺。


 鬼畜探偵は自分を見下ろす群青寺の様子を、冷静に観察する。

 眼が充血し、血涙を流している様子と、鋼鉄のワイヤーを容易く切断してみせたことから、自分たち『死裂』と同じ類の身体強化が入ったことは間違いない。


 普段の群青寺ならば逆立ちしても鬼畜探偵には勝てないはずだが、真っ先に自分の中からその前提を消し去って、格下だと油断する気持ちや身内への容赦を一切失くした。


 ――どんな相手も油断せず確実に殺す。

 それが延々と暗殺稼業を続けてきた『死裂一門』の第一の教えだ。


「宗介、死んでも恨むなよ」


 そう一言断ってから、鬼畜探偵は自らの胸を指でトントンとノックし、全身の血流を一気に加速。

 肌も目も赤みが強まって、体温が向上し、身体から白い湯気がのぼる。


 血液操作による身体強化で、一撃で勝負を決めようと考えたのだ。


 しかし、鬼畜探偵が足場を蹴って飛びかかろうとした刹那、群青寺はその行動を読んでいたように一言告げる――


「言っとくけど、その脚力で飛び掛かったら、衝撃で爆弾が爆発するぞ?」


「なっ――」


 咄嗟に行動を中断。

 その隙に群青寺が手錠で鬼畜探偵に殴りかかった。


 すんでのところで回避したものの、こめかみの箇所に手錠がかすったらしく、切り傷から出血してしまう。


 とは言え傷口は浅いので、すぐに血液操作で傷口の血を固めることが出来た。


「ハハッ、まさかアンタに一撃をお見舞い出来る日が来るなんてな。来年から記念日として祝わせてもらうよ」


「……宗介、テメェ」


「おいおい、俺はアンタの馬鹿力で爆発が起こるのを止めてやったんだぜ? 逆に感謝して欲しいくらいだよ」


 群青寺がゲラゲラと挑発的に笑う。

 今すぐに殴りかかりたいところだが、鬼畜探偵はこらえた。


 群青寺の発言は嘘かもしれないが、衝撃で爆弾が爆発するのは事実だろう。


 ならば、瞬間的に地震以上の揺れが起きかねない鬼畜探偵の本気の脚力は、万が一にも出す訳にはいかない。


「さて、これで身体能力の差はカバー出来たな」


「それ以上さえずるなよ、宗介」


 鬼畜探偵は懐から右手で名刺ケースを取り出し、ワイヤーを歯で噛んだまま腕をめいっぱい伸ばすことで、名刺ケースからムチのようにワイヤーが伸びた状態とした。


 そして間髪を入れず、群青寺に向かってワイヤーを振り抜く。


「その武器はあくまで暗器だろ。見え見えの攻撃に使って、どうすんだ?」


 群青寺は軽く後ろに下がってワイヤーを回避。


 だが鬼畜探偵の攻撃は終わらない。

 怒涛の勢いで、何度もワイヤーを振り続ける。


 それに対して軌道がえる群青寺は、階段を少しずつ上がりながら、必要最低限の動きでワイヤーを回避し続けた。


「だから当たらないって……アンタ、昔からカッとなりやすいのが弱点だろう? そう自棄になるなっつの」


「うるさい……! 余計なお世話だ!」


 鬼畜探偵が軽く足場を蹴って、群青寺との距離を詰めようとする。

 群青寺も合わせてさがって距離を詰めさせない。


 躊躇がある鬼畜探偵の動きでは、群青寺を捉えることは難しそうだ。


 ――いいぞ……その調子で先に進め。

 しかし鬼畜探偵は内心焦っておらず、むしろ計画的に戦いが進んでいることを喜んでいた。


 このまま進めば群青寺を倒せるという確証があるのだ。


「宗介ぇぇぇ……!」


 敢えて余裕の無い大声を出しながら、右手でワイヤーを振るう。

 群青寺がろくに後方も確認せず下がろうとした。


 その瞬間、鬼畜探偵は待ってましたと言わんばかりに、左手に潜めていた名刺ケースを振り抜いた。


 すると群青寺の後ろから、ピンと張り詰めたワイヤーが急襲。

 これ見よがしに振っていた右手のワイヤーは囮だったのだ。


 群青寺の目線は眼の前の鬼畜探偵のみに向けられていて、ワイヤーは視界に入っていない。


 確実に当たる――はずだった。


「今の俺には、背中にも眼がついてんだよ」


 ところが、群青寺が素早く後ろを振り向いて、手錠を一閃。

 ワイヤーを断ち切り、攻撃を防いでみせた。


 間髪を入れず飛んできた鬼畜探偵の蹴りも、後ろに飛び退いて回避する。

 本当に背中にも眼がついているかのように、全方位からの攻撃が当たらない。


「ハハッ、窮鼠猫を噛むとはよく言ったもんだな……眼も身体も自分の物じゃないみたいだぜ。諦めろよ、鬼畜探偵。得意の不意打ちも、身体能力によるゴリ押しも今の俺には通じない」


 そんな挑発的な群青寺の言葉を受け、鬼畜探偵は妖しく口角をツリ上げた。


「窮鼠猫を噛む? 袋のネズミの間違いだろ? もっと注意深く周りを見てみろよ」


「……あん?」


 そこで群青寺は周囲を見渡し、鬼畜探偵の言いたいことに気付いた。


 展望フロアへの入口がすぐ後ろまで近づいてきているのだ。


「直近の未来しか視えないお前の眼じゃ、ここまでの展開は見えなかったろ? ほら、宗介……! 遠慮せずに入れよ!」


 鬼畜探偵に押し込まれるようにして、二人は展望フロアへと転がり込んだ。

 鬼畜探偵が床をつま先でトントンと叩き、冷笑を浮かべる。


「流石は展望フロアだ……ここなら俺が全力で跳びはねても、ビクともしない。爆発の心配が無くなった以上、全力でお前をブッ飛ばせる」


 先ほどから闇雲にワイヤーを振り回していた鬼畜探偵の目的は、初めからこの場所へ追い込むこと。


 群青寺に悟られぬまま、身動きを取りやすい戦場に移動することだったのだ。


「宗介、諦めろ。ここからの逆転はねぇ……詰みだ」


「詰み……? 俺に傷一つ付けられてねぇクセに、どの口が言ってんだよ」


 群青寺は手錠を構えたまま、不遜な態度を崩さない。

 血走った眼は未だに戦意で満ちていて、身体からは鬼畜探偵と同様、白い湯気がのぼり始める。


「俺を止めたいなら、この命を摘み取ってみせろよ、鬼畜探偵……!」


 叫びつつ、群青寺が今までの数段上の速さで殴りかかってきた。


 とは言え、反応出来ないほどではない。

 鬼畜探偵は冷静に、群青寺の拳を避けようとする。


「――そう来ると思ったよ!」


「がっ――!?」


 だが、アゴに強い衝撃が走って、足がぐらついた。

 確かに避けたはずの拳が、アゴにクリーンヒットしたようだ。


「今まで捉えられなかったアンタの動きが……今は! 全部視えるぞ! 鬼畜探偵ぇ!」


 再び群青寺の拳が迫る。

 フラつきながらも鬼畜探偵は避けようとした。

 しかし、避けようと動いたその場所に、拳が吸い寄せられてくる。


 否――群青寺には初めから、鬼畜探偵が動く場所が視えているようだ。


 恐らく『前知全応オール・シーイング』で先読みした未来に合わせて、攻撃を加えているのだろう。


「今の俺の攻撃は不可避ってヤツだ……! ほらよ、もう一発!」


 群青寺が再び鬼畜探偵のアゴを殴り抜いて、ガラ空きの腹へ蹴りを叩き込んだ。

 その威力は、普段の群青寺では考えられないほど凄まじい。


 体重八〇キロを超えた鬼畜探偵の身体を、サッカーボールのように軽々と飛ばしてしまう。


「ぐぅ……っ! 宗、介……!」


 展望フロアの周囲のガラスに叩き付けられ、鬼畜探偵は苦悶の声をあげた。

 同時に自らの甘さを激しく悔いた。


 群青寺とは十年来の付き合い。

 従兄妹の三輪の繋がりで子供の頃から知っているし、所属する探偵事務所も同じ。


 彼が今までにどれほど苦悩してきたかも、努力してきたかも、すべて知っている。


 普段なら情に振り回されないよう訓練を受けた鬼畜探偵でも、殺さずに止めようとする程度には、情が湧いていたようだ。


 しかしもはや、そんなことも言っていられない。


「宗介、恨んでくれていい……オレはお前の実力を認めるよ……本気で、全力で、殺す気で挑まなくちゃ勝てねぇってな」


 それだけ言うと、鬼畜探偵は思い切り床を蹴った。

 勢いよく天井付近に移動して、次は窓のへりに……と、まるでゴムボールのごとく床へ天井へ壁へと跳びはね回る。


 その様子を眺める群青寺は頬に冷や汗こそ伝うものの、焦りはしない。


「終わりだッ!」


 鬼畜探偵が一瞬で群青寺の背後を取って殴りかかった。


 だが、群青寺は振り向きもせずに回避し、逆に鬼畜探偵の肩口に反撃。

 鬼畜探偵から苦しげな声が漏れる。


「どんなに早く動いたって無駄だよ、鬼畜探偵。

 アンタとの付き合いは長い。アンタの動きのパターンも、限界の速度も、最大筋力も、全て理解しているからな」


 やはり、今の状態の群青寺には、どんな攻撃も通じない。

 攻撃を仕掛ければ仕掛けるほど、逆に傷ついてしまう。


 それでも――鬼畜探偵の顔はまだ死んでいなかった。


「無駄かどうかは……やってみなくちゃ、分からねぇだろうが……!」


 再び鬼畜探偵が床を蹴って、跳びはね始める。

 しかし、先ほどとは明らかに様子が違った。


 一瞬で天井付近に現れたかと思えば、次は群青寺のかなり後ろに、その次は壁に、さらにその次は群青寺の前方に……と、まるで瞬間移動を繰り返すような速度で動き回っているのだ。


 これが国内最強と称される『鬼畜探偵』死裂葬夜。

 人間の限界を逸した動きに、群青寺の背筋が凍りついた。


「それが、どうした……!

 今の俺に死角はねぇ……すべて見切ってやるよ!」


 それでも戦意を絶やさず、表情を引き締め直す群青寺。


 その胸の中へ――鬼畜探偵の飛び蹴りが飛び込んでくる。


「もう諦めろ、宗介ッ!」


「邪魔をするな、鬼畜探偵ぇッ!」


 先ほどまでと同様、群青寺は先んじて攻撃を防御しようとしていた。

 タイミングは完璧。防御も悪くない。


 確実に鬼畜探偵の蹴りを防げる――はずだった。


「宗介、お前の敗因は――人間の可能性を疑ったことだ」


 ところが、防御した腕を蹴り砕き、蹴りは群青寺の腹に直撃。


 群青寺は事故にでも遭ったかのごとく跳ね飛ばされ、周囲の窓に背中から叩き付けられてしまった。


 窓に入った大きなヒビがその勢いを物語る。

 群青寺は吐瀉物を吐き散らしながら、床をのたうち回り、獣じみた悲鳴をあげ続けた。


 ただ、怪我をしたのは群青寺だけではない。


「宗介……命は、あるみてぇだな……」


 群青寺の元に、フラついた足取りで鬼畜探偵が歩いてくる。

 その顔からは、穴と言う穴から血を垂らしていて、傍目にはどちらが敗者か分からなそうだ。


「鬼畜、探偵……まさか、アンタ……寿命を、投げ売ったのかよ……」


「ゴホッ……ああ、限界値だとお前の眼で見切られるからな……血液の循環速度を、限界を超えて引き上げた……恐らく五年くらい寿命が減っただろう」


「あり、えない……あんな力、出ないはずだ……」


「だから、敗因だ、って言ってんだよ……人間の可能性を舐めるな。

 いつも師匠がオレたちに、言い聞かせてくれている言葉だろうが」


 語りつつ、鬼畜探偵は手錠で群青寺を拘束する。

 すでに全力を使い切っているのか、群青寺は何も抵抗しない。


 全てを諦めたような顔で天井を見つめていた。

 そんな群青寺の隣へと、鬼畜探偵が疲れた様子で腰を下ろし、呆れた声で語りかける。


「ったく、殺す気で蹴ったってのに、しぶといヤツだぜ」


「鬼畜探偵……顔面を狙われてたら、きっと俺の首は吹っ飛んでた。アンタ、わざと俺の腹を狙って、胃の中の薬物を吐き出させたろ?」


「別にそんなんじゃない……内蔵を蹴破ってやるつもりだったさ。助かった要因は、お前の生命力の高さだよ。自分を褒めてやるんだ」


 それから二人並んだまま、何も言葉を交わさない時間が続く。

 何度か眼が合いつつも言葉を交わせずにいたが鬼畜探偵は思い切った様子で、歯切れが悪く語り出す。


「……宗介、その、アレだ。実は、ずっとお前に言えなかったことがある。三輪はな……国に殺されたんじゃない。アイツは自ら命を絶ったんだよ」


「ハッ……!? 冗談、だろ……?」


 呆然とした群青寺の問い掛けに鬼畜探偵は言葉を返さない。

 無言の時間が、何より残酷な肯定を示す。


「何を、ふざけたこと、言ってんだ……!? アンタ、三輪が自殺したって言うのかよ!?」


 群青寺が身体を起こして鬼畜探偵に掴みかかろうとしたが、痛みからか、うずくまってしまう。


 そんな昔馴染みに同情的な眼を向けながら、鬼畜探偵は説明を続けた。


「三輪は直系でも無いのに『死裂』の血が濃くてな……いつもその影響に怯えてたんだ。そんな時に、例の立てこもり事件に巻き込まれて……アイツは『死裂』の力で犯人を殺してしまった。三輪なら、そんな自分をどうすると思う?」


「三輪、なら……」


 そこまで言いかけて群青寺は黙り込んだ。

 三輪の心優しさを知っていれば、嫌でも答えは分かってしまう。


「三輪なら……自分を責めちまうと思う。いくら犯人に責任があっても、必ず……」


「ああ、そうだよ。三輪は血の衝動に負けて犯人を殺しちまった自分が許せなくて、苦しくて、耐え切れなくて……衝動のままに自分の首を掻っ切っちまったそうだ」


「三輪が、そんな……だって、だってアイツは、そんなこと、一言も……」


「お前ら幼馴染の前では、自分の血筋のことなんて忘れたかったんだよ。アイツが心から笑っていられるのは、宗介たちの前だけだったからな」


「なんで……なんで教えてくれなかったんだよッ!? 俺は、俺たちは――どれほど苦しんで……!」


 群青寺はあふれ出す想いのままに、怒鳴り声をあげた。


 こんな行動に意味が無いことは、よく分かっている。

 ただのストレス発散だ。


 それでも、どうしても叫ばずには、いられない。


「三輪の遺言が残っててな……真実を知れば、お前らは自分を責めるはずだからって、真相を隠すことにしたんだよ。お師匠様はとても嫌がっていたけどな」


「ずっと俺の追い求めていた真実が、こんな……」


 力なくうなだれる群青寺。

 その肩を鬼畜探偵が叩いて、立ち上がるよう促す。


「……絶望している時間は無い。立て、宗介。さっさと行くぞ」


「行くって、どこへだよ……」


「決まってるだろ? まだ救える、地下の連中を助けにだよ」


「……ッ!」


 群青寺はハッとして顔を上げた。


 ――そうだ。

 自分は確かに取り返しがつかない過ちを犯したかもしれない。


 それでも、今消えようとしている命に、手を伸ばすことは出来る。


「葬夜……俺、俺は……今さら、誰かを救ったりして、いいのかな……」


「それ、死裂オレに訊くのはナンセンスだろ」


 微苦笑を返し、鬼畜探偵は群青寺の手を引いて進み出す。



「宗介、オレも同じ悩みを抱えたから、気持ちはよく分かる。結局のところ……何人救おうと、どれだけ事件を解決しようと、罪の意識は変わらねぇよ」


「そうか……そう、だよな」


 これまで殺した人数は三桁をくだらないという鬼畜探偵の言葉には、説得力があった。


 それでも鬼畜探偵は、決して暗い顔を見せない。

 強い意志を感じる真っ直ぐな眼で、濁り切った群青寺の瞳を見つめ続ける。


「いいか、宗介……救われたいために救うな。救うために救うんだよ。オレもお前もこの先、そうやって割り切って生きていくしかねえのさ」


「ありがとう、鬼畜探偵……お前の言う通りだな。まずは全力で、地下のみんなを助けることにするよ」


 鬼畜探偵の手をほどいて、群青寺は自分の足のみで歩き出す。


 この先に続く血のように真っ赤な道を、必ず乗り越えてみせると信じて――。

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