33話:キス・スキ
♢♢♢
「ちょっ、なにしてんだよ……」
「だからしたまんまだよ」
だから言っているんだ。その行為はどういう意味なのか聞いているんだが。
ニシシッと歯を見せて笑う彼女に俺は戸惑う。
「だってさ、間違ったことしてみたくなるじゃん。こんな広大な海を前に、防波堤の先で、並んで座って、まるで真夏の恋愛ドラマそのものじゃん。雰囲気が私を突き動かしたのかな」
「なんだそれ。じゃあここに居るのが俺じゃなくてもすると言っているようなものだぞ」
「硬い堅い固いよ。考えが難い。私がは誰かれ構わずキスするようなキス魔じゃないんだから」
「じゃあなんで俺にキスしたんだ」
「そんなの決まってる一つしかないよ。私は有くんが好き。ただそれだけ。あまりにも鈍感だし、行動しないと分かってくれないのかなーって思ってさ。結局ここで気持ちを言っちゃったら一緒なんだけどね」
「……薄々」
薄々気付いていた。好意を抱かれていることを。でもそれを見て見ぬふりをしてきた。
俺らはあくまでも雇用関係。ここに私的に踏み入ることは間違っていると考えていた。
「薄々?」
「気付いてた」
「そっか、じゃあ今ので確信に変わったね」
なぜそう笑っていられるのか、俺には理解できない。俺がその行為を受け入れるとは限らない。振られてしまうとは考えないのか。
このキスをきっかけに俺らが気まずくなったりすることは考えなかったのだろうか。四六時中とは言わないが、仕事以外では一緒にいるのに。
……俺には理解できない。
「これは私の宣戦布告」
「なにそれ」
「私が今、ここでキスをして好きと言えば、気にしざるを得なくなる。気まずいかもしれないけど、私的にはそこまで重く考えなくてほしい。だけどグイグイいくよ」
「言ってること無茶苦茶なの気付いてる?」
「気付いてるけど、気まずくなるのはイヤじゃん。今ここで応えろと言ってるわけじゃなくていいからさ、今日の帰りにでも……なんていうのは嘘だよ」
「びびった、そんなすぐかよと思ったわ」
「さすがにそんなことは言わないよ」
「なんか子供の頃とは大違いだ。180度変わったな」
「有くんのおかげだよ」
彼女の気持ちを理解するには少々時間が掛かりそうだが、言いたいことは分かった。今の彼女らしいっちゃ彼女らしい。変わった彼女はこういう風なんだと。気前の良さ、大胆な思考にすぐ行動する。だから社長でもあるのだろう。
本当、人とはこんなに変わるのかと驚かされる。
引っ込み思案で本ばかり読んでいたあの頃の彼女はもうここにはいなくて、俺だけがあの頃に取り残されている気がした。
「いつまでも昔の私を見てないで、今の私をちゃんと見て」
「……それもそうだよな」
「ちなみに今はどう思ってる?」
「さあな。今は驚きと唇の柔らかさを堪能していたい気分かもしれん」
「感想が最低で最悪で気持ち悪い」
「はっはっは、そろそろ行こう。夏のドラマは終了だ。暑いし、腹減った。飯食いに行こう」
「あー、はぐらかした! これはなにか美味しいものをご馳走してもらわなければ今日のデートは満足できない!」
「え、社長の奢りでしょ?」
「社長って呼ばない。花ちゃんって呼んで」
「それは意味わからんだろ」
「呼べ」
「はいはい、行くよ。花」
「うん!」
俺は彼女に手を伸ばし、差し出された手を握った。
***
「やっぱ海と言えば生しらすだろ」
「うーん! マグロ美味しい!」
俺らはあれから手を繋いだまま、砂浜を歩き駐車場へと戻った。
海水で足を洗い、花が持っていたタオルで足を互いに拭きなんとか砂まみれにならずにご飯を食べに来られた。
「ねえ、私にそれちょうだい?」
俺の食べている生しらすを寄こせと言ってくる。だから自分も頼めと言ったんだ。
「なんでだよ」
「ちっちっち。時代に遅れてる有くんや。時代はシェアだよシェアする時代だよ」
何回時代って言うんだ。しつこいな。
「じゃあ花のマグロもちょうだい。シェアだシェア」
「それはだめ」
「なんでだよ」
「もう一枚しかない」
「なんでだよ」
「早くちょうだい。はい、あーん」
口を開けて待っている。
「ったく、仕方ないな。ほれ」
言われるがまま、開けている口に生しらすをあげると、彼女は頬を抑えて「なにこれおいしー!」と声を上げた。
「だから言っただろ。今から頼むか? 小鉢にあったぞ」
「頼む頼む!」
そうと決まれば早くて、すぐに店員を呼んで注文をした。
「じゃあ次は俺だ。よこせ、マグロ」
「あーんしろって言ってる? やだよ恥ずかしい」
「なんでだよ。あーんじゃなくていいからちょうだい」
「小鉢で頼んで」
「なんでだよ……」
こうして俺はマグロと交換できずに、食べれずに終わった。
なんか腑に落ちない昼食であった。
30歳、無職。人生詰んだと思っていたら、女社長に拾われました。 えぐち @eguchi1
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