第2話

『助手君、それ取ってー!』


『その呼び方やめて下さい。僕は助手じゃないです』


 助手の話は結局断った。

 というかルール上、僕は助手になれないらしい。


『ありがと。なんか分かんないことあったら言ってね』


『どうも』


 助手ではなくなったが、僕はミネルバさんの計らいで同じ研究室に入れてもらっている。

 ミネルバさんとは結局、先輩後輩という関係でやっている。


 研究室で出会ってから色々あって、ここ何日かの間に僕のミネルバさんに対しての印象は最初から大きく変化していた。

 というのも思っていたより、この人はダメな感じの人だった。

 この研究室も最初は無許可で使っていたそうだ。


 僕を助手にするというのを話に行った時も呆れられていた。

 まあ、でも研究室に入れてもらえたのだから、そんなことは言っちゃいけない。


『後輩君、何か教えてもらいたいことはあるかね』


 なんか……今日は明らかに信用できない感じの笑顔を振り撒いている。

 この人の頭の周りには音符のマーク浮いていそうだ。


『今日やるべきことは終わったんですか?』


『いや、もう今日はここまでで良い……』


『諦めてるじゃないですか』


『いや、かわいい後輩に色々教える時間つくってやろうと思ってね』


『大丈夫です。一度渡したら、先輩に研究すべて奪われそうなので』


『なかなか言うじゃないか……』


 そう言って項垂うなだれる先輩。研究の邪魔はしないでもらいたい。

 そう思いながらも少しだけ心配になって僕は先輩の方をチラッと振り返る。


 でも、視線は先輩の方にはいかなかった。それより衝撃的なものがあったからだ。

 先輩の実験器具から紫の煙がもくもくと立っている。

 

『……え、先輩!? 先輩のところからなんか紫の煙が!』


『あれ、嘘!? なんで!?』


 結局、その日はその煙を止めるので、丸一日かかった。

 そう。その日、僕の研究は何も進まなかった。



 

***




 別の日。

 

『今日は天気わるいですねー』


 今日もまた始まった。

 先輩は大好きなカモミールティーを片手に優雅に窓の外を眺めている。


『先輩? めっちゃ快晴ですけど』


 窓の外には雲一つない青空が広がっていた。


 ミネルバ先輩は作業していると時折、いやいつも、そんな変な話をしてくる人だった。

 一種の病気に近い。そう思うほどに。


『快晴、ね。私は雨の方が断然好きですよ。なんか私らしくないですか? 私は雨の日に天気良いねって言いたいです』


 ――ん?

 自分でもよく分からないがその言葉に僕はどこか違和感を覚えた。だがその違和感はすぐに、忘れた。


『それは……まあ、天気がどうであれ、中にずっといる僕らには関係ないですけどね』


『そう? 私は天気で結構やる気変わってきますけど』


 そう言う彼女の声色が、何故か徐々に変わっていく。僕は実験器具を片手に、手を止めて後ろを振り返った。

 予想通り。先輩はすごいだらしない姿勢で椅子に、もたれかかっていた。

 

『先輩、手を動かして下さい』


『後輩君には関係ないでしょ?』


『関係ないのに言ってあげているんです。感謝してください。というか、研究。好きなんじゃなかったんですか?』


『いいか、後輩君。たとえ好きなものであっても、そのすべてを愛すことは不可能なのだよ』


『それ、この状況で言っても全然かっこよくないですから』


 先輩はえー、とつまらなそうな声をあげていた。

 僕はそんな先輩をよそに作業を再開する。


 こんな人にいつまでも構っていられるほど、僕も暇人じゃないのだ。

 今日は僕も体が怠くていつも以上に気乗りしないが、それでも手を動かさないと。

 明日以降の自分に迷惑かけないために、だ。

 

 先輩は椅子にもたれかかったまま、作業する僕の手の先をじっと猫のように見つめていた。


 僕はその先輩の姿を横目に黙々と作業を進める。

 そして、しばらく同じような景色が続いた後、彼女がふわぁと作業の邪魔になるくらい大きなあくびをした。


 だが、その直後、何かに閃いたように先輩は突然ガバッと起き上がる。


『……急にどうしたんですか。びっくりさせないで下さい』


『明日、雨』


『え?』


 また突拍子もないことを……


『明日、雨が降るから今日はもうちょっと頑張ってやってもいい』


 いや、あんた未来人だったのかよ。


『これから五日間はずっと晴れらしいですよ』


 僕は先輩に水を差すようにそう言った。

 これは占いが得意な魔法使いの知り合いが言っていた話だ。まあ、盗み聞きだが。

 どんなにダメな占い師でも明日の天気くらいは当たる。


 つまり、ミネルバ先輩の願いは残念ながら叶わない。


『いいや、雨だね』


 先輩は随分と確信した様子でそう話す。

 まただ。ミネルバ先輩のテキトー発言。正直、何を言いたいのか僕にはさっぱりだ。


『はあ。じゃあ、手を動かして下さい』


『信じてないね? 本当だよ?』


『はいはい』


『……後輩君は後に、その研究の成果を多くの人から称えられる事になるでしょう』


『また急に……なんの話ですか?』


『未来の話』



 

 その次の日の天気は驚いたことに雨だった。

 ミネルバ先輩はどうやら未来人らしい。

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