第4話
目覚まし時計が鳴る。
また同じ夢を見ていた。
真実薬、実用化への第一歩。今日はそんなのが主なニュースになっていた。
もう何回も見た。僕はそう思いながら、テレビを消した。
ああ、行かなくちゃ。
他人の話し声、笑い声。道の真ん中、大声で話す仲良しグループ。
その隣を横切る。五月蝿い。
振り返ると、楽しそうに笑う顔が見えた。きらきらしていた。
多分、あの人達と僕とでは吸っている空気が――違う。
それから、いくつも明かりのついた研究室を通り過ぎる。
その中には真剣な顔つきで作業している人達。
でも、僕の居場所はここでもない。
先輩がいなくなって、僕は透明になった。誰からも認識されないほど透明に。
棟を結ぶ廊下に足音だけが鳴る。
戻る先は誰もいない研究室。薄暗い廊下の明かりが僕を責め立てるようだ。
ドンとドアが閉まった。僕は独りになった。
今日もまた昨日の続きを始める準備をする。
その延長線上に何があるのか分からないのに。いや、そもそも、あるかすら怪しい。
透明になった不透明人間。
僕の中にあったはずのものはもう。
今日も別にしたいわけじゃないことをしている。
だが、それ以上にしたいことも見つからない。僕は不透明な透明人間だ。
器具がぶつかる音。机に置く音。それだけが部屋に響く。
そして先輩はもういない、そんな実感だけが湧く。もう、あれから何ヶ月も経った。
あの人、あっちの世界で元気にしているのだろうか……
今、僕は素敵な夢を見る魔法薬を作っている。
先輩の期待、殆どを裏切ってしまったが、彼女から貰った魔法薬学の知識、これだけは裏切れなかった。
でも、魔法薬学は好きじゃない。
***
変わり映えのしない風景が続いた昼過ぎ。
「すみません、ミネルバさんの荷物で」
僕一人しかいない研究室に荷物が運ばれてきた。
「そこに置いて下さい」
視界の外でドスっと音が聞こえる。
荷物だけが増えていく。帰ってこない彼女の席に。
「……あなたがエレンさんですか」
「そうです」
「今は……素敵な夢を見る薬を作っているんだとか」
「はい。魔法動物に似たような能力を持つのがいまして……知らないと思いますが」
「流石、ミネルバさんのとこの」
「もう、先輩はいませんけどね」
静かになった薄暗い研究室。カーテンから弱く光が漏れている。
整頓された机の上。何も置かれてない先輩の机の上。
あの時、魅力的に見えた景色とは似ても似つかない。
ここは冷たい現実の空気がする。
先輩はもういない。
「……それでは、私はこれで」
僕は結局一度もその人と目を合わせなかった。
先輩のあの時の気持ちが今は少し分かる。ほとんど人が通らないこの部屋に偶然人が来た時どう思ったか。
運命……彼女は確かあの時そう言っていた。
僕が先輩と出会ったのは本当に運命だったのだろうか。いや、そう言えばあの人は未来人だった。
未来人がそう言うなら、そうだったのかもしれないな。
ただ、僕が研究で成果を上げるなんてのは違ったみたいだけど。
「こんにちは、久しぶりだね」
そんなことを考えていた時、突然、視界の端で音がした。
ドアの方。聞き覚えのある声。何度も聞いた声。……嘘だ。
それは、確実にミネルバ先輩の声だった。
「え、先輩?」
先輩はコツコツと足音を鳴らしながら自分の机に荷物を置く。
「半年ぶりくらい? いや、一年? ま、いっか。エレン君、久しぶりだね」
……エレン君。
彼女はミネルバ先輩の席に倒れる込むように座り込んで、だらしなく椅子にもたれかかった。
胸の奥がぎゅっと強く締め付けられる感覚がする。
「……すごいですね、色々受賞して。大変そうだなと思って見てました」
「いやー、疲れちゃったよ」
ミネルバさんは凄い人だ。
眠り姫と呼ばれた病気の薬を学生の頃に生み出し、そしてそれから数年経って今度は真実を言ってしまう薬というのを生み出した。
それを飲めば思ったことを率直に話してしまう。遠回しな発言はできない。今日のニュースに載っていたあれだ。
天才は実在していた。
奇病の薬を学生時代に作ったのも凄いが、今回の研究による影響はそれの比にならないくらいに大きい。
数々の賞を受賞する姿を僕はテレビ越しに何度も見た。
いつかはその名が教科書に載るだろう。ああ、本当にすごい人だ。僕とは住んでいる世界が違う。
「すごい整頓してあるねー、さすがエレン君」
彼女は立ち上がり、部屋の至る所を面白そうに見て回り始める。
「すみませんが、研究の最中なので」
僕はそんな彼女から視線を必死にそらした。
今のあの人を僕は……見たくない。
「そうそう、また面白そうな物もらってさ、魔法雑貨なんだけど」
「すみません」
「あれ、興味ない?」
「あの、近付かないでくれませんか」
「えっ」
空気が凍った。言ってしまった。
でも、でも。こうすることしか出来なかった。
……だって、この人はミネルバ先輩なんかじゃない。
「私、なんかした? 来ない間も荷物すごい送っちゃったのは謝るよ」
「そういうことじゃないです」
目の前まで彼女が来た。足先だけ視界に映る。
「……研究はどう? エレン君」
エレン君……まただ。
「……先輩、変わってしまいましたね」
「私は何も──」
「いや、変わりましたよ」
言った後に気付いた。強く言い過ぎただろうか。
しばらくシーンと無音の音が鳴り続ける。
「……なんか十一時みたいだね」
そんなことをボソッと言った後、彼女は僕がどうするのか観察するように、じっと僕を見つめていた。
また意味のわからない言葉。でもそんなのに騙されない。この人のは違う。
気付いた時には彼女はドアから外へ出て行っていた。廊下の方から落ち着いた足音だけが聞こえる。
時計は午後三時。十一時なんてとっくに過ぎていた。
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