─14─ NAMELESS

「出しなさい」


 冷たい声が頭に響く。『作品』を見せろ、出せ、もっと書け。───今、わたしにまるで中学校の先生のような言葉をぶつけているその人は、わたしとは比べ物にならないくらいの大先生だ。彼は期待をしているわけでもなく、また保険をかけているわけでもなさそうだった。ただ単純に、どんなものかなあ、そんな気持ちでわたしにわたしの『恥』をつまびらかにするよう、要求している。

 恥。

 恥ずかしい。

 わたしが、自分の作品を人に見せることを恥ずかしいと思うようになったのは……───わたしが作家を名乗ることを「いやだ」と思うようになったのは、いつからだろう。


 炎は燃えている。燃え続けている。

 真っ赤に光る柱の中心に、わたしはあった。


 芥川龍之介の『地獄変』は『宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』にある、絵仏師えぶし良秀りょうしゅうの説話を絡めた短編小説。芸術のためならどんな手をも使う良秀が、ついには地獄の炎を描くため、愛する娘の乗せられた馬車が燃え盛るさまを恍惚と眺めるという───そんな姿が惨たらしく、美しく、力強くそれでいて繊細に書かれた名作。

 ここに馬車は無いけれど、わたしを見つめているのは良秀ではないけれど、金色に輝く火柱はたしかに良秀の求めた地獄の炎で、それはわたしを焼き尽くすまで消えることは無い。

 それが『地獄変』のストーリー。誰にも歪めることはできない、正しい物語の姿。


 ……でも今、わたしは不敬にもそいつをねじ曲げる。


 龍之介の口元がへの字に曲がる。不快? そうね。そんな顔、わたしもう何度だって見てきたの。わたしの『作品』を見た人のリアクションなんて大体そう。変な顔するか、引き気味に笑うか、たま〜にわたしのがキラキラの笑顔で喜んでくれるくらい。

 わたし、バッドエンドになんて向かわないの。物語の隙間を縫って、絶対に『幸せ』に辿り着く。だからわたしはどんな時も笑っていなくちゃ。どんな時もキラキラして、皆の憧れる最強のヒロインで、わたしの大好きな人と、大好きな物語をハッピーエンドへ導くの!


 炎の中すらわたしのステージ。わたしはボロボロに焼けた腰に手を当てて、燃える髪を振り払って、こんな火の粉よりギラギラ眩しいウインクをばっちりキメて『詠唱』するの!


「〈あなたの名前を教えてね!〉」




 ◆




 わたしの名前は仲根なかね萌夏もえか! どこにでもいる普通の女子高生だけど、SNSや小説投稿サイトでの名前は『なな しの子』。

 自他共に認める『ハピエン厨』のオタク女子。わたしの手にかかればどんな鬱作品も、どんな悪役も、ハッピーで平和なエンドを迎えちゃうんだ!

 最強ヒロインの『夢主ちゃん』と一緒に!


 可愛くて一生懸命。誰とでもすぐに仲良くなれる、明るいキラキラヒロインちゃんなら、どんな展開だって救ってくれる。原作で死んだわたしの推しくんも、わたしの作ったヒロインちゃんの協力で死亡イベ神回避。ライバルと和解して、超絶ハッピーエンドだよ。ヒロインちゃんと結婚して、子供もできて、推しくんの『幸せ』をわたしはず〜っと書いていくからね!


『しの子解釈不一致すぎる』

『夢小説あるあるを煮詰めたような夢主ばっか作ってる奴でしょ? マジあの人、人気作品に絶対湧いてくるしもはや災害なんだけど。あの人とジャンル被らないことが夢女の幸せまである』

『だァかァらァ〜〜〜! 悪役は! 悪役として死ぬからいいの! 救済とか要らないの! 理解ある彼女キャラとか要らないの! そこ分かんない奴が悠仁ゆうじん夢書いてんのキツ! 悠仁は! 娘の復讐果たして死ぬの! ていうか悠仁は娘ファーストだから死んだ嫁と娘以外の女に興味持たねえし! しの子マジ筆折ってくれ!』

『例のハピエン厨ゆめオンナ嫌いな人ほかにもいた〜良かった。なんだかんだ言ってハピエン甘夢王道みたいなとこあるから私が少数派かと思ってた』

『んなわけ。あいつのはほら、なんか王道っていうか小学生のご都合妄想みたいな。夢創作は自由とか見なきゃいいとか言うけど、作者の不破先生がどうして作中で悠仁殺したのかとかなんも考えてないあたり夢作家として最低だよね。リスペクト感じない。自分がなりたい女の姿に、キャラ踏み台にしてなってる感じ? ほんとあの人だけはどうしても受け入れられない。不破先生こないだ配信で二次創作見た事があるとか仰ってたけど、あの人のだけは見ないで欲しい。不破先生の心の安寧のためにも。不破先生幸せになって〜』


 ……ネットで何言われても、何書かれても、大丈夫だよ。

 わたしには名前なんて無いもん。わたしはなんにでもなれる。たくさんの大好きな作品、たくさんの大好きな推しくん、その全部を救うためにわたしはどんな女の子にでもなれる。名前も姿も変えて、推しくんたちを苦しめるもの全部わたしが上書きしてみせる。

 だから、一緒に幸せになろ。

 わたし、本当に大好きなの。

 大好きだから、小説書いてるんだよ……。


『不破先生、自殺で亡くなったって……朝から涙止まらない。すごく好きだった。舞台化楽しみにしてたのに』

『つらい。いやだよ。単行本どんな気持ちで読んだらいいかわかんない。直筆サイン帯のやつ、せっかく買えたのにこんなのってないよ。何が辛かったんだろう。ただのファンだからどうもしてあげられなかったと思うけど、まだ若い先生だったから私の方が長く生きてて、きっと何かアドバイスできたかもしれない。悩みがあったなら配信とか、呟きとかでいいから発信して欲しかったよ……』

『こんなこと言いたくないけど、最近バズったしの子の悠仁夢って関係ある?』

『不破先生の遺作、悠仁の生存if番外編だったの闇深すぎる。しの子のせいとかワンチャンある? ないか。たかが一人のオタクのせいで死ぬとかないよね……』

『しの子、不破先生フォローしてた』

『戦犯』

『だから二次創作は隠れてやれって』

『夢女子マナーなってないもんな』

『ハピエン厨がリアルにバッドエンド生み出してて最悪じゃんもう……』


 ごめんなさい。

 ごめんなさい、許して。許して。そんなつもり無かったの。

 わたしはただ、好きな作品の二次創作が作りたかっただけなの。好きな作品の好きなキャラを、もっともっと幸せにしたかっただけなの。笑っている顔が見たかっただけなの。もっと長生きして欲しかっただけなの。

 原作者さんのこと尊敬しなかった日なんて一日も無い! 本当なの! わたしを疑うの?! わたし自分の妄想を形にしたくて、たくさんの人に読んでもらいたかったから、いっぱい小説読んで書き方勉強したんだよ? そのくらい作家さんのこと凄いなって思ってるの! わたしもああなりたかっただけなの!

 わたし、全部大好きだっただけなのに!!


『しの子のSNS止まった』

『しの子、まさかとは思うけど死んでないよね……? 最後の投稿のさ、ごめんなさい許してって、違うよね? 私たち訴えられたりしないよね? しの子の親とかに開示請求みたいなの、されないよね?』

『しの子さん、嫌いじゃなかったです』

『あれはあれでいい夢小説だと思ってたけどなあ。叩く人多かったから昔は言えなかったけど』

『しの子のSNS、しの子のお母さんが呟いてるの見た……?』

『マジで死んだの? ヤバ。叩いてた人たちどうすんだろうね』

『既に垢消し逃亡してる奴いるよ』

『魚拓あげ』

『はや』

『まあね〜結局現実なんてこんなもんすよ。えらい作家さんたちがどんだけ良い話書いてもね〜幸せな現実なんて無いですからね。わは』




 ◆




「……わたし、そうは思わない」


 呆気に取られている龍之介に、誰でもないこのわたしが言い放つ。

 わたしの手に握られた三叉槍が、龍之介の胴体を貫いている。わたしの作品、わたしの武器。あなたが見せてみろって言うから、この全力をお見舞いしてやる。

 今あなたの目に見えている世界は───あなたの頭に流れている『地獄変』はどんな姿をしてる? 良秀はきっと改心して、娘も救われて、愛娘と優秀な弟子たちに囲まれて、彼は余生を謳歌しているでしょう。馬車は燃えないし娘は死なない、良秀も首を吊ったりしない。良秀の絵には以前のようなリアリティは無くなってしまったかもしれないけど、幻想的で、現実離れした、幸福な絵が増えていったことでしょう。


 わたしを取り巻く炎が形を変え、ひらひらと布のように大きく揺らいだ。まるで巨大な天使の羽。優しい熱でわたしを包み、この背中に宿っていてくれる……。


 コツ、コツ、と足音が聞こえた。振り向けばそこに、泣き腫らした顔のあの子が立っていた。

 ───コヒナ。


 わたしは、目を見開いた。


「そっか……、そっか。この炎は……コヒナの……」

「ネモ!!」


 コヒナはわたしの名前を大きく叫んで、駆け寄ってくれた。

 名前の無い、わたしの名前を───。

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【カクヨムコン10】LUCKY 0NE 佐野勇吹 @_ivuki_

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