─13─ 地・獄・へ

 ───わたし、なにやってんだろ。


「…………コヒナ……?」


 立ち止まって、見渡す。

 ここ……、ここ、『倉庫』だ。低い天井まですっかり届くような、背の高いガラス扉付きの棚が立ち並んで、埃を被ったその奥に、いろんな瓶や箱や、液体に漬けられたがギュウギュウ詰めにされている。

 そっと棚に近付いて、中を覗き込む。腐った蜂蜜なんて見たこと無いけど、例えるならそれは間違いなく腐った蜂蜜みたいな色の液体だった。この液体に沈んでいるもの……なんだろう? 生き物の一部分かもしれないってことは分かる。表面のシワは皮膚っぽいし、丸みがあって、細くてクシャクシャっと縮んだ毛が何本か、生え、───


「女の子が見て、気分の良いものではないですよ」

「ひゃ?!」


 聞いたことの無い声に、わたしは文字通り跳び上がった。わたしなんかの身長じゃ、跳んでも天井には頭をぶつけなかったけれど、わたしに声をかけた男の人はわたしの悲鳴に驚いて、屈めていた背中をぐんと伸ばしてしまった。それで、


「あいたァ」

「はわ! ごめんなさい〜っ! だ、大丈夫?!」


 ごつんッ……って凄い音したような?!

 木の天井がメリメリ軋んで、男の人は「いやあ、大丈夫です。大丈夫です」と頭を抱えながら頷いた。

 深海のような蒼く、黒い髪。随分長い……。腰まで届く、滝のようにすとんと落ちる綺麗な髪を、彼は銀の髪留めで適当に括っていた。


「そんな事より、その中身は君のようなお嬢さんが見るもんじゃあ、ないですよ」

「えっ……この中身知ってるの?」

「知ってるも何も、ご覧になれば分かるでしょう。きんたまですよ」

「き……っ、ひぇ?!」


 危ない危ない!! 危うくこのインテリ美少女冒険者・ネモちゃんの口から出せない言葉を釣られて発するところだったー! に、にしても……この人こんなに綺麗な髪で、うそ、顔までぞっとするほど綺麗なのに、そんな、その顔で……アレって、言う?!

 透けるような真っ白い肌、穏やかそうな細い平行眉、美しく痩せた輪郭に、非の打ち所が無いツヤツヤくちびる。───すごい。女の人みたい……って、言うのは失礼なのかな?


「君も、学生さんですか。肝試しに来た」

「ちょっと違うかな〜って感じです……。調べたいことがあって」

「君、ひとり?」

「ううん。わたしと、ノッポのお兄さん、白い髪のおじさま、あとわたしくらいの背丈の……、そうだこんなことしてる場合じゃないの! わたしコヒナのことちゃんと見てなきゃ!」

「コヒナ?」

「あのッ、わたしくらいの大きさで短い髪の、こ〜んな丸いスカートを着た子を見ませんでした?!」

「見ていないよ」

「どうしよう……」


 ヤバい。完ッ全にやらかした! やらかしたんですけど!

 コヒナが『男女別行動』とか言い出したとき、内心マズ〜って思ったんだよね! わたしの『作品』はわたしからあんまり離れられると効果薄くなるっていうか! でもでも、あそこでコヒナに急に反対意見出したら超変な感じになるじゃない?! えっなにこいつ急にヤダとか言うじゃ〜んって……。

 そしたら案の定、わたしの作り出してないモノが介入してきちゃって。───『歯車』の一説なんて、わたし作り出してないのに。それにあの文字、絶対『日本語』だった!

 そこからはもうメチャクチャだよ……。コヒナの気を逸らそうとしても、コヒナったらよく見てる。あんなの、まるでボス・スメラギ! わたしの出したボロに一個気付いたら、トントン拍子で見抜いていって……、あ〜あ。これはほんっと〜にわたしの悪いトコだけど、焦ったら自分で勝手にメチャクチャにしちゃうの……。リセット癖、みたいな?


 ……とにかく、全部わたしがいけないってことには変わりないんだけど……。

 スメラギは言ってた。コヒナに見つかったらまずいものがあるから、魔術で領域フィールドを上書きして、バレないように回収して来いって。まずいものって何なの? って聞いたけど、それはスメラギも分からないって言うんだよ! 酷すぎ! だけど───上書きされた世界の中でわたしに探せるものだとしたら、それはわたしの理解が及ばないものだってことなんだ。わたしが知っているものしか、わたしには上書きできない。だから、わたしの見たことがないもの、けれどコヒナは知っているものってことになる。

 だから今の状況は、すごく、すっご〜くヤバいってわけ!


「あああああの! 出会ったばっかで鬼・恐縮なんですけど! ここに詳しい人なら一緒にコヒナのこと探してもらえないですか?!」

「……かまいませんよ」

「すご! 助かる〜! お願いします! あ、わたしネモって言います! ネモって呼んでくださーい!」

「元気のいい子ですね。別嬪べっぴんさんですし、君、モテるでしょう?」

「えへへ〜っ。お兄さんもビジュかなりよきです!」

「びじゅかなりよき」

「てかお兄さんなんて呼んだらいいですか?」

「僕ですか。僕は……」


 男の人は顎を摩った。皮膚が薄く、手の甲に骨がごりっと浮き出していた。病的に細い指は、植木鉢の支柱みたいで頼りない。


「ヤスキチと呼んでください」

「───ヤスキチ? の?」

「……。…………ですよ」


 その答えを聞いた瞬間───わたしは自分の胸にガンッ! と拳を叩き付けた。

 ヤバい。コヒナと喧嘩みたいなマネしたことより、はぐれたことより、今は断然こっちのが!!

 汗ばんだ手が空中の小さな本を取る。せいぜい文庫本サイズのそれは、紛れも無いわたしの武器。

 詠唱、しなきゃ。ひゅっと吸い上げた息がとんでもなく冷たく感じる。ヤバい。マズい。わたし、また、メッチャ焦ってる。メッチャ焦ってる。メッチャ焦ってる。メッチャ、あせっ、わたし、あせって、わたし!!


さうそうしてその車の中には――あゝああ、私はその時、その車にどんな娘の姿を眺めたか、それを詳しく申し上げる勇気は、到底あらうあろうとも思はれおもわれません」

「───!!」


 名文詠唱。


 やられた。


 これは。


 ああ、この、この文は……!


 ───ぱちぱち、パチパチパチ。

 びゅうぅ、ビュウウウゥ。パチパチパチ。

 ゴウッ、ゴウッ、ゴウッ、ゴウッ、ゴウッ。


 熱だ。汗ばんだ手の、この感覚は嘘じゃない。精神的なものじゃない。物理的な熱。わたしの息がたまらなく冷たいのも、汗がこんなに止まらないのも、全部、全部、


「あぁああぁッ───!!」


 この、金色の炎のせいだ───!!


「あづ、ァ……ああぁああぁぁッ!!」


「あの煙にむせんで仰向あおむけた顔の白さ、ほのお掃つてはらってふり乱れた髪の長さ、それから又見る間に火と変つてかわって行く、桜の唐衣からぎぬの美しさ、――何と云ふなんというむごたらしい景色でございましたらうございましたろう

「『地獄変』…………ッ!」

「あ……、よく、ご存知で」


 炎が揺れる。揺らめく。

 赤い上に金粉を撒いたような、なんて、よく言う……!

 焼かれる側からしたらこんなの、美しくも何ともないっつうの! 髪でも噛んで頭振り回せばいいってわけ?!

 なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんで、なんで───ここに、こんな場所に───本物の───


「芥川……ッ、龍之介が…………!!」

「友人を探しに」


 ヤスキチ───いや、龍之介はしれっと答えた。丸焼きにされて暴れ、転げ回る小猿みたいなわたしの前で、彼はただ『聞かれたから答えるんですよ』という感じでのんびり話し続ける。


「正しくは友人の『息子』を探しに」

「ゲホッ、は、……む、ゲホッごほっ!」

「あ……うんと、僕もこの血を継いでまだ日が浅いのですが、どうやら吸血鬼というのは、体の性別を問わず、親子のことを『父』『息子』と呼ぶようでして。友人は『息子』が十三の時に会ったのが最後だそうで、しかしその時は凄腕の剣士が共にいたとかで、『息子』を連れ帰ることはできなかったとか」

「はなし、ながッ、あ、ゲホッ……! ひ、火! 火!! 消して! けしてぇッ!!」

「友人には僕のお願いを少し、聞いて頂いているものですから、僕はその恩返しにとちょっぴり、細工を。剣士の、着物の切れ端を友人から拝借して、よくよく嗅がせておいたのです」

「嗅がせ…………て……」


 ───それ、って、スメラギが言ってた吸血ワンちゃんのこと……?

 じゃあ、まさか、まさかずっとずっとずっと前からとっくに、わたしたち……じゃない、『コヒナ』は目を付けられていたってこと? スメラギから聞いてたコヒナの年齢と六年前の事件……コヒナは十三歳のとき、───?!


「その……目の動き」

「!」

「君、賢そうですね。命まではと思っておりましたが、さて、どうしよう」

「が……ッ、あ……!!」

「……いや、君の『作品』を見せてもらってから考えよう。出しなさい。君、僕と同じでしょう。残しておいて大丈夫そうなら、見逃してやってもかまわないですよ」


 こちらに伸ばされた細腕の先で、大きい手がくいっくいっとわたしを煽るように動かされた。


「どうぞ。業火の中からでも、君のかわいい声くらいは届きましょう。詠唱なさい、ほら」


 龍之介はぎゅうと、煙幕の向こうで光る青い眼を、細めている。


「君の、番ですよ」

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