─12─ 傷
スメラギの端末に入れられた僕は、彼の胸ポケットの中から外の景色を眺めていた。
何の変哲もない街並み。昼過ぎとも夕方とも言えないこの時間は人の行き来も落ち着いて、誰も僕らの隣を歩くフードの男に気付かない。
───そう、フードを目深に被って顔の傷を覆い隠したユウジンに。
「久々に外を歩くな。ユウジン、お前もだろう?」
「……」
「ふん。オレはそんなに嫌われるようなことをしたかね? おい、二次元のガキ。この辺りで目立たない店は無いのか」
『は、僕に言ってる? 二次元のガキって』
「当たり前だろう。お前はどうしてホログラムなんだ。いつもそうなのか?」
『違うよ……。少し前からこうなってて、僕も困ってるんだ。今日なんか酷くて、何かに邪魔されてるみたいにボディへアクセスできなくてさ』
ほう? とスメラギが片眉を上げる。
……こいつ、僕の言ってる意味が分かるのか。ジョブはなんだ? エンジニア……?
僕の体は普通の人間の体とは違う。僕の種族にあえて名前をつけるなら、それは『バグ』だ。この世界における蟲、異常、病気、その類。だから僕の体には初めから実体が無く、例えるならそれは『ものに触れることも人から触れられることもできる幽霊』みたいなものだった。
端末の中と外とを自由に出入りできていた僕だが、今日になって急に
ともかく、僕にとってはいとも容易くできていたはずのことが、突然できなくなってこの有様というわけ。
『まあ、ボディが無くて困るってことは無い。僕は元々人間に肉体の必要性を感じてないんだ。人間の本質は魂であり、記憶と記録のみがその人を形作ると思ってる。……僕のことはどうでもいいだろ』
「興味深い意見だ。何故そう考える? 見たところ、お前はまだ若そうだが、老人めいた諦観の思想が根本にあるようだ」
『ジジくさいってこと……?!』
「ジジくさいっつうか、歳に見合わぬその思想をまるで何かから植え付けられたみたいだ。誰かに影響されている、ような」
彼はこちらへ俯けた顔をニィと歪ませた。嫌な笑い方をする。僕は早くもスメラギのことが苦手になりかけていた。こいつと話しているとこいつのペースになりそうだ。
───あと、なぁんか既視感あるんだよな。こいつの姿かたちにはピンと来ないが、どうにも、喋り方というか雰囲気というか……僕は
「見ろ、半個室の飲み屋だ。この時間に開いているなんて気が利く店じゃないか! なあユウジン」
ま、いいか。スメラギの関心は既に僕からユウジンへ移ったようだし……。
にしてもユウジンにここまで拒絶されているのに、よくもまあ懲りずに話しかけ続けるものだ。そういうところ、今までのコヒナに似てる。
「後から一人増えるかも、だ」
「かしこまりました。奥のお席へどうぞ」
そうそう。僕のボディ召喚不具合がいつ直っても良いようにしてくれよ。
カーテンで仕切られたボックス席は、思いのほか広々としていた。この国では珍しく、靴を脱いで直接座布団に座るような仕組みになっていて、座布団の数からして六人は入れる個室になっている。
ウェイターに気を遣われたのかもしれない。スメラギは自然とユウジンへ奥の方を譲り、自分は向かいの通路側へと腰を下ろした。靴を脱ぐとやはり、彼は随分小柄だった。長髪も相俟って、その姿は女にも見えるほど。
席に着くなりユウジンはがばりとフードを外した。勢いのままにコートを脱ぎ捨て、慣れた手つきで煙草を咥える。僕が「またかよ」なんて呆れている暇も与えず、パチンとライターの音が鳴った。
「外で私の名を呼ぶなと言ったろう」
「じゃあ他になんて呼んだらいいんだ? 大体、六年も前の英雄なんざ誰も覚えちゃいない。いいか? 人というのは残酷なほど次々に新鮮な娯楽を求めて生きるものさ。お前がルベアンダの紛争を終わらせた大英雄だったとしても、最早それすら歴史の中の一ページに過ぎない。多少最近追加されたページではあるが、そのくらいの出来事の方が人の話題には上がらんものだよ。英雄『ユウジン』にハマってたのなんか一瞬。お前が気にするほど、世間はお前を覚えてはいない」
「貴様のような例外もある。熱心な例外が」
「オレは」
スメラギが言葉を詰まらせる。カーテンが開いて、先程のウェイターが注文を取りに来たのだ。
顕になったユウジンの顔を見ても、ウェイターは何も言わなかった。ただちょっと彼の傷痕に驚いて目を逸らしただけで、それも「あ、お客様を見てビックリするなんて失礼なこと、しちゃいけないな」って気付いたのか、またすぐ視線を戻した。
二人は当然のように酒を注文していた。昼なのに? なんて言っても彼らは聞かないだろう。サイドメニューもやけに渋いのばかり選んでいて、僕の好みには全然合わない。僕のこと老人呼ばわりしておいて、海藻の酢漬けとか……アリ?
「……ユウジン、何故オレに会いに来なかった」
「理由が無い」
「馬鹿野郎が。オレは言ったはずだ。娘に何かあったら、迷わずオレを頼れと」
『なにそれ。僕聞いたこと無いんだけど』
「英知どころか誰にも話したことは無い。当然だ」
「馬鹿野郎と二度言われたいか? 全く。おい、ガキ。その様子だとコヒナのことをちっとも知らない訳じゃあなさそうだな」
テーブルに置かれた
間違いない。この男は、事情をほとんど理解していると言っていい。───ならば僕も持っている情報は提供すべきだ。こいつは恐らく、敵ではない。少なくともコヒナと、ユウジンにとっては。
生憎ユウジンはそうだと信じてくれていないようだが……。仕方が無い。どうせ放っておいたらユウジンはまた一人で抱え込んで、何もかも失敗する。これは取引だ。失敗しない程度に口添えしておこう。
『そう言うスメラギさんはどこまでコヒナのことを知ってるんだ?』
「…………彼女の正体まで」
『……どちらの?』
「……………………」
スメラギが目を閉じる。
ユウジンは灰皿に煙草を押し付けて、ロックグラスを静かに傾けている。
───スメラギが、目を開ける。
「その問いが出てくるということは、お前の理解も我々と同じレベルか」
『我々……、ゆーちゃんも?』
「当たり前じゃないか。そうでなきゃオレがここまでユウジンにしつこくする理由が無い」
「しつこい自覚はあったのか」
「直す気は無いがね! さて、英知だったな。お前がわかっているなら話は早い。───コヒナをネズニア精神病院へ向かわせたのは、オレだ」
メキャ。
───と、何かがへしゃげる音がしてそちらに
『ゆーちゃん、弁償せな……』
「焚き付けたのは英知でなく貴様だったのか」
『ゆーちゃん!』
「あの廃病院が『なんなのか』分かっていてそんな真似を!」
「キレるのは後にしてくれ! いいか、オレに会う前から彼女は随分やる気だった。何故か分かるか?」
「……」
「ロロとかいう犬の制御方法を調べたい。彼女は上手く言語化できちゃいなかったが、要はそれが今回の調査の目的だ。吸血犬を制御できれば、最悪お前が冒険者に復帰しなくてもロロの命が奪われることは無い。あいつはロロの安全性を証明するために現場へ向かったんだ。だから元はと言えばお、ま、え、が! 素直にリンの要求をのんでいればコヒナが調査へ向かうことは無かった! 奴はお前のためでなく、お前のせいで! ロロのせいではなくロロのために! 行ったんだ。だからオレは手を貸した」
『マジックアイテムでも譲ったのか?』
「似たようなものだ。オレの部下から一人つけた。優秀な
「…………そう、か」
……ユウジンから覇気が無くなっていく。安堵している、とはちょっと違う。本当に何かをすり減らしてしまったような顔をして、折れた箸をテーブルの上にはらはらと転がした。
「……尤も、目撃していれば彼女はお前の思い通りになったかもしれないぞ。辛さのあまり冒険者なんてやりたくないと、一生大人しく過ごすとお前に頭を下げたかもしれない」
今度はスメラギがグラスを傾けた。ロゼワインを注文していたけれど、室内の明かりが弱いせいか、それはまるで血液のように真っ赤に濁って見えた。
「それなのに、お前は彼女の心を守ることを選ぶのか」
「…………」
「そうか。そうだよなあ。オレには子供なんていないから分からんが、想像はつくものなあ」
片膝を抱えるように座り直して、スメラギはぽつりと呟いた。
「仲間を全滅させて、お前をそんな体にしてしまった吸血鬼が自分だと……、そんな悲痛な真相に向き合う娘の姿を、見たがる父親なんざいねえよなあ…………」
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