異形の血族(エピローグ)

 伽藍洞の空き箱と化した屋敷に住み続ける事に耐えられず、代理人を通じて全ての物産を処分し、逃げる様に自分とは縁も所縁も無い土地へ行き、何食わぬ顔で今に至る迄在り続けている。

 家族を手に掛けた事に誰かから特に咎められる事は無かった。彼等が文字通り跡形も無く消えて仕舞ったと云う事もさる事ながら、そもそも人ならざる存在に対して、人の法が及ぼす事など何一つ在りはしないのだ。つまり私を責める事の出来る者は誰一人として存在しない。例え私が幾ら其の事を望んだとしても。其れが出来るのは、私が消してしまった家族だけだ。当然彼等が語り掛けて来る事はもう無い。今更ながら取り返しの付かない思いが、じわりと沁みて来るのを覚えつつも、どうして彼等が皆望んで私の手に掛かる事を望んだのか、其の事が今に至る迄どうしても分からず、何度も自分の内に残る記憶を頼りに考えを巡らすのだが、遂に納得の行く答えを見出す事は出来なかった。今思えば、あの時兄が本気で私を止め様としたならば、幾らでも手段は有った筈なのに、敢えてそうする事無く、唯徒に言葉で私を挑発するばかりだった。まるで、私が兄に手を下すのを促すかの様に。あの時、自分は怒りに身を任せていた為、最後に兄がどんな顔をしていたか確かめている余裕は無かった。其の機会が再び巡って来る事はもう無い。

 

 それにしても、今となっては最早取り返しの付かない事だし、彼ら望んだ事とは言え、矢張り思わずに居られない。もっと違う遣り方は無かったのか、と。勿論、全ては既に事成って仕舞った後であり、何より、自分がその結果を為してしまった張本人であって、今更あれこれ述べる立場に無い事も重々承知してる積りだ。其れでも、事有る毎に思わずに居られない。人ならざる存在である、唯其れだけの事で、この世に在る事を早々に否定されなければならない理由になるのだろうか、と。もう少し違う行き方が有っても良かったのではないか、と。

 其れが私が今でも自信を処断する事無く生を繋いで来た理由である。家族全てを消し去った後、当初自ら命を断つ事も考えた。だって、そうではないか? 一族の血を絶やす事、この世の理より外れた存在を悉く消し去る役目を負わされた私が、其の通りに一族を根絶やしにすべく力を振るった挙句、残った肝心要の自分を放置するなど、片手落ちもいい処ではないか。そういった理屈もさる事ながら、自分の血の繋がった家族を手に掛けておいて、自分だけがのうのうと生き残っている事への後ろめたさもまた、その思いに拍車を掛けていた。

 しかし、いざ実行に移そうとする度、怒りにも似た感情がふつふつと湧き起って来るのだ。単純に死にたくない、という感情か? 其れも有るだろう。今更我が身可愛さの感情を否定する程体裁屋と云う訳でもない。例え偽善者、卑劣者呼ばわりされても構わない、私まで居なくなる事で、彼等が最初から存在しなかった様になって仕舞う事が何より口惜しくて、このまま終わると云う結末を許せない想いが有るのだ。此の世に不純な物など不要とばかりに消し去って仕舞う、そんな不条理が事も無げに行われる事にどうしても納得が行かない。何を言うか、そもそも其れを為したのは他ならぬ自分自身ではないか、と絶えず苛む声と対峙しつつも。


 だからと言って、出来る事は余りにも少ない。誰かに話した処で正気を疑われるか、完全な与太話としてしか受け取って貰えない。ならばと思い立って此の手記を書き続けて来た訳だが、単に話し言葉が書き言葉に置き換わっただけの事で、結果が変わる事は無いだろう。結局の処、此れは私の内にのみ存在する問題なのだ。此のままで済ませたくない。彼等を忘却の彼方に追い遣りたくない。彼らの事を覚えている者はもう居ない。そもそも知る者すら居ないのだ。本当に何て皮肉だろう、在りし日の彼等を覚えているのは彼等の存在を根こそぎ奪った此の私だけなのだ。

 もう私だけなのだ。だと云うのに、彼らの記憶は時と共に急速に薄れて行こうとしている。頭に穴でも空いてるかの様に、記憶の砂が気付かぬ内に音も無く零れ落ちて行く。其れを感じながら、私は其れをどうする事も出来ない。


 夏のある日、暑さの為か殆ど人の姿は無く、取り壊されてから更地となった処に背の高い草々が半ば枯れ掛けた姿を晒す中、疎らに立ち並ぶ家屋を遠目に、更地を囲む申し訳程度の不揃いな杭が所々。其れ等が石混じりの地面に映し出した色濃い影を曳いていた。ふらつく足取りで通り掛かって、何気無く其の陰に目をやった時、其処に空っぽの虚ろな窓の如き、何も残っていない自身の心の内を覗き見た様に思えて愕然とした。

 慌てて視線を泳がせて地上の景観を遥か下に見下ろす空を見上げると、梅雨明けの全てを押し流して仕舞った後の、塵一つない玻璃板を思わせる、何処迄も抜ける様な空。昨日迄の雨雲の中に漂っていた、薄れながらも辛うじて残っていた微かな想いを、余す事無く吹き払い、何も残らない綺麗な青い空の中を、洗い晒しの雲が様々な大きさの旗の様に翻って、ずうっと向こうに消えて行く。

 放心したまま、其れを眺めている内に、自分の在り処はもう何処にも無い、と云う実感が湧き起って来て、今迄辛うじて繋いで来た自分の命も、何時の間にかその意味を失っていた、何より自分がそう感じて仕舞った事に、身体中から急速に力が抜け支えを失うのを感じながら、流れる雲を追い掛けて歩き出していた。もうこのまま何処へなりとも行って、雲と一緒に消えて仕舞えれば良い、と。


 気が付けば家の縁側に座って、暮れて行く空の下で、ぼんやりと膝を見詰めたままの姿勢で居た。あちこちを歩き廻った末に、子供が家に帰る様に自然と足がこの場に向いていたのか。

 しかし、帰って来た処で、出迎えてくれる誰かが居る訳でも無い。規模が小さくなった処で、虚ろな入れ物である事に変わりは無い。あの屋敷に居た頃と何一つ変わる事は無かった。何処に逃げようにも虚ろな自分を抱えている限り、側を幾ら入れ替えた処で、何も変わる処は無かったのだ。

 手慰みに目の前にある小さな庭に花を植えて、嘗ての花園を模した小さな花壇を作ってはみたが、唯空しく揺れるばかりの花々が、夕闇の中に浮かび上がり、遠くの朱に染まった空を背景に影を落としているのを見ていると、全ては消え行く、あの暮れ行く空の彼方に向けて、家も縁側も足元の石も目の前の花々の群れも、一切合切が地面ごと浮き上がって、等しくひと処へと去って行く。

 其れが決まっている事なのか。其れが運命と云う物なのか。人知れず消えて行くと云う事が? 己の生を己の物として在る事を許されず、無かった事にされて、其れを当然の事として片付けられて仕舞う、と云う事が?

 

 残された熾火の空の光の中、僅かに浮かび上がり揺れ続ける花々。其れを眺め続けている内に、ふと其の此の世ならざる様子に、今更ながら驚かされていた。徐々に忍び寄る夜の闇の中に、さながらそれ自体が発光している様に、ほの明るく浮かび上がる花々の姿。


 今迄気付きもしなかった。人の理から全く外れた異形の存在として、其れ等は自らの存在を謳歌し、此方に迫って来るのだった。どうして今の今迄気付かなかったのか。常に人々の注目を浴びながら、其の姿を疑問に思われる事無く、寧ろ人々の目を楽しませ、時には見る者の心を慰め癒し、共に在る事を望まれる存在として受け入れられている。何故こんなにも異質な存在が、当たり前の様にそうある事を許されているのか。その様々な形状、色彩、香り立つ芳香。其れは、この世に在る事の勝利を世界に向けて高らかに謳い上げる一大合唱に見えて、眺めている内に眩暈さえ覚える、それは圧倒的な存在の誇示なのだった。


 夕闇の中で、微風に微かに首を傾げる其の姿は、怖ろしさをすら感じさせる物であり、私は目の前の情景を、信じられない物を見る様な気持ちで眺めるのだった。

 私達一族がどうあっても成し遂げられなかった事を、易々と成し遂げ、誰にも其の異形としての本質を覚られる事無く、今も尚、誰憚る事無く在り続けている。そんな事が可能なのか、許されて良いのか。しかし、問い掛ける迄も無く、其れは現として目の前に事実として存在していた。

 そうして気付かされた。どうして私があの屋敷で花を育てる事に拘ったのか。どうして妹があれ程に花を好み、その命を奪った事に立ち直れない程の悲しみに捉われたのか。

 私達と同類だったのだ。私達は其れと気付かぬ内に、自分と存在を同じくする者達に囲まれて生きていた。自分達が他に仲間を持たない世界から切り離された孤独な存在だと思っていた。そうではなかった。其の事にもっと早くから気付けていたら、などと考えて仕舞うのは矢張り未練なのだろう。望まぬ結末を強いられ、未だ其の呪縛から逃れられないまま、徒に今に至る迄その生を引き延ばして来た自分の。

 何となく立ち上がり、花の前に座り込んで、其の花弁に軽く触れてみる。微かに揺れるだけで、特に何か起こる訳でも無い。過去に自分の家族を異形の者として悉く消し去って仕舞った私の手が触れても、擽られて軽く身を攀じる様に、指の間を擦り抜けるだけで、何も起こらず、極当たり前の物として其処に在ったのだった。私をあれ程までに苦しめた血の力など物ともせず、其の力を取るに足らない、もっと言えば、そんな力など存在しないかの様に振る舞うのだった。


 暮れて行く。目の前の花も私も、世界其の物を呑み込んで、夜の中へと沈み込んで行く。静かに忍び込んで来る夜の空気は、何処迄も優しく包み込んでくれる様で、想いも過去も全て受け入れて、優しく寝かし付けた後に、明日へと静かに運んで行ってくれる。そんな限りなく大きな腕の様な安らぎを齎してくれる様に、私には思えた。

 私は、暫くの間其の場を動かずに座り込んだまま、深い深い想いの中に沈み込んで行くのだった。まるで小さな子供が、安心し切って眠りに就く様に。

 明日も又、花の世話をしよう。そして、彼等に嘗ての私の家族の事を語り伝えよう。何故だか私には、私の語り掛けた言葉が花々に沁み込んで、何時しか時と場所を違えて、彼等が再び咲き誇る時、其の言葉も一緒に再び蘇る様に思えて来るのだった。其れが在り得ない荒唐無稽な事なのだ、と頭では思いながらも、其れを余所に、私達の想いは受け継がれて行く、と、そう云う実感が自分の中に息衝いているのを感じているのだった。人の道から外れた物が、外れたままで生きていける、そんな在り方が有っても良い。そう諭された様に思えて。

 

 どうやら家族の元へ行くのは、もう少し先になりそうだった。涼し気な夜の微風が頬を撫でて、其れと共に流れてきた在りし日の言葉。


「見て、姉様、このお花なんて、とっても綺麗。」



                      

                      異形の血族 終








 

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異形の血族 色街アゲハ @iromatiageha

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